平成最後の日
平成最後の日。
日本中、「平成最後の日」であふれかえっている。
私もやっぱり「平成最後の日」。
平成令和 貫く棒の如きもの
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平成最後の日。
日本中、「平成最後の日」であふれかえっている。
私もやっぱり「平成最後の日」。
平成令和 貫く棒の如きもの
初の10連休がスタートした。
官公庁と金融機関が休みで、同業者も10連休のところがあったり、8連休9連休のところがあったりと、ばらつきはあるがほとんど休み。
私の商売、同業者が休みだと仕事にならないところもあって、当社はうやむや、ひきずられの連休をとることにしている。
テレビをつければ、海外旅行や国内旅行に出かける人が、うれしそうに、どや顔でインタビューに答えている。
私はといえば、どこに行くという予定もないし、行く気にもならない。
それは私だけではないようで、私が見ていたテレビのアンケートでも、連休の過ごし方の1位はダントツで「家でゆっくりする」だった。
他のテレビ局や、新聞なんかのアンケート調査はどうかなと思ってインターネットで調べてみたら、数字に多少の違いはあるが、いずれのアンケートも「家でゆっくりする」が1位の座をしめている。
「家でゆっくりする」というのは、ちょっと格好のいい言葉だが、別のアンケートでは「家でごろごろ」となっている。
「家でゆっくりする」といっても、積極的、前向きに休養をとるのではなく、金がないので、家でごろごろしているしかないという人が大部分なのだ。
でも、することがないから家でごろごろして過ごすというのは正規雇用の人の贅沢な悩みであって、非正規雇用の人は収入が下がってしまう非常事態なのだという現実。
結局、10連休を「うれしい」というのは3割ちょっとで、7割弱の人は「うれしくない」と感じている。
今の政治(安倍政権)は、強気を助け弱気をくじく政策で、2~3割の勝ち組の人を喜ばせて、金を使わせるという作戦が露呈された結果となった。
私は、連休を利用して、ためこんだ仕事と散乱している事務所内を片づけることにする。
4月1日。新元号が発表されたとき、大きなお正月を迎えるような気分になった。
それから1ヶ月。
令和は間近。
5月1日の即位の日が祝日になって、ゴールデンウィークが10連休になった。
元号が変わるから、自分の生活も改めようと思ったのだけど、この1ヶ月自分は何にも変わっていない。
置き去りのままの自分。
私の解釈の「去年今年 貫く棒のごときもの」の句が、体の中をかけめぐる。
小出義雄監督の死には感じるものがある。
自分の死期と正面から向かい合って、「いい人生だったと」言って逝く人は、そんなにいるものではない。
私の人生の残りはそんなに多くはないが、「いい人生だった」と言って死ねるように軌道修正したいものだなあ。
小出監督が亡くなられたとの報道は、私には唐突だった。
つい先月、小出監督が主宰するランニングチームを解散するというニュースは聞いたが、命にかかわるような大病で入院したという話は聞いていなかった。
つくづく無常を感じる今日この頃。
最年少の囲碁のプロ棋士、仲邑菫ちゃんの公式戦初対局は口惜しい黒星デビューとなった。
話題の最年少プロ棋士のデビュー戦とあって、100人もの報道陣が押しかけた。
仲邑菫ちゃんは、ぐるりと囲まれたカメラから発せられるシャッター音に、ときおりあからさまに迷惑そうな表情を浮かべていた。
結果は黒星。
終局後の報道陣からの質問に、「緊張してうまく打てなかった」「くやしい」と、可愛らしい顔をちょっと荒らげたように見えた。
「あんたらが騒ぐから集中できなかったのよ」と言いたい気持ちとも見て取れた。
10歳という年齢と、愛らしい顔にだまされてしまうが、「絶対に負けたくない」というプロとしての根性は私なんぞがはるかに及ばない強いものを持っているのだと、恐ろしくなってしまうなあ。
平成も残すところ10日を切った。
5月1日からは令和。
それに加えて、ちまたでは、今年のゴールデンウィークは10連休になると騒いでいる。
なんとも、気持ちが落ち着かない。
10連休、10連休というからカレンダーを見ると、4月30日と5月1日、2日、3日の文字は黒い文字になっている。
この3日に有給休暇をとれば10連休ということかと思ったが、今年の10連休はそんなただし書き無しで10連休だと言われいる。
私の事務所に掛けているジャンボカレンダーをジックリ見てみたら、4月30日の日にちの表記の数字は黒い文字だが、その文字の下に小さな赤文字で「退位の日」とある。
5月1日も、1日の「1」の数字は黒文字だが、その下に赤い字で「即位の日」とある。
じっと見ると小さな日の丸も描かれている。
ん?4月30日と5月1日は休日なの?
頭がぐちゃぐゃになったので、ネットで調べてみた。
改めてネットのすごさを思い知った。
ネットを使えば、なんでも解決できる。
日本の法律では、今年のゴールデンウィークはみごとに10連休なのだ。
その内訳はこうだ。
5月1日の新天皇即位の日が、今年に限定した祝日と決めた。
「国民の祝日に関する法律」(という法律があるのだ)では、前日と翌日が祝日である平日は休日であると定められている。
4月29日は「昭和の日」で祝日。5月1日は「天皇即位の日」で祝日。
それでそれにはさまれた4月30日は休日となる。
5月3日は「憲法記念日」で祝日。5月1日の「天皇即位の日」と「憲法記念日」にはさまれる5月2日も休日となる。
かくして今年のゴールデンウィークは、有給休暇をとらずに10連休となる。
といっても、10連休を国内外の旅行やレジャーにフルに使えるのは国民の一部分。
アンケートでも、旅行に行くのは30%くらいの人。
アンケートで1番多い休みの過ごし方は、「家でゆっくり」だった。
わたしも、体裁をとりつくって言わせていただければ「家でゆっくり」したい。
ほんとのところは、「家でごろごろ」だ。
「籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」という言葉がある。
草鞋を作る多くの人がいるから旅行やレジャーに行けるんだなあ!
人間てやつは、口ではきれいごと言ったって、結局てめえのことしか考えていない。
たてまえとしては、社会福祉のために、老人のために、子どものために、税金があがるのはしょうがないと言っていても、税金を払わずにすむのだったら、そのほうがいい。
税金の無駄遣いをするなと言っている人も、自分のために使ってくれるのであれば、じゃんじゃん税金を使ってもらいたいと思っている。
安倍さんは、消費税増税を2回も延期してきた。
経済の状況に関係なく消費税は上げると言っておきながら、わけのわからない理屈をこじつけて消費税増税を延期してきた。
1度目の延期の時は、決定事項を自分の判断で延期することについて国民の審判を問うと言って解散総選挙。
結果は大勝。
そりゃー、一般庶民は目先の税金を払いたくはないから、反対はしない。
野党も、増税延期を争点にされての選挙だから、戦いようが無い。
2度目の延期は、参議院選前に、アベノミクスを継続するために消費税増税を延期したいので、その真を参議院選で問いかけたいなんて、わけのわからないことを言って延期した。
このときも、直前までは、どんな経済情勢であっても、それに左右されることなく増税すると断言していたのに、増税を延期した。
またしても、増税延期の動きがある。
国民も、今の自分のことしか考えていないから、「増税を延期するので、その信を問う」と言って、またも増税の是非を争点にして選挙の選挙だから、またしても野党は戦いにくい勝負を強いられた。
そして、またしも同じ作戦で増税を延期するのだろうか。
こんなやり方をずっと続けていけば、永遠に自民党政権が続いていくのかもしれない。
それじゃーいかんとわかっていても、私だって増税を延期を糾弾はしないだろう。
こんなことじゃいかんよねと、政治屋を非難しつつも増税延期の恩恵を拒絶はしない。
てめーの利益あってことの正義。それが大多数の人間なんだよね。
宝塚音楽学院の卒業式、入学式の生徒の答辞。劇がかった独特の台詞回し。
北朝鮮のアナウンサーの特徴のあるしゃべり方は、これと同じ感じなんだろうなあ。
昨日、更新のページをみていて後悔したつもりでしたが気になっていた記事のパート2。
4月9日に書いていた記事である。
この数日の大きな話題は、ノートルダム寺院の火災とオリンピックと、そしてなぜか堀ちえみさんのがんのニュースだが、記事にするのよだきい(宮崎弁で、めんどくさい、おっくうというような意) だから、この記事を公開して穴埋めすることにする。
「麻生さんが役職辞任」という見出しに目がとまった。
一瞬、保守分裂選挙となった福岡県知事選で、麻生さんがごり押しした自民党公認候補が大敗した責任をとって、財務大臣を辞めるのかと思った。
すぐに、「役職辞任」ということは大臣を辞任するのではないなとわかった。
副総理の職も役職ではないから、自民党のどんな役職を辞めたのだろうと記事を読み進めたら、自民党福岡県連の最高顧問の職を辞任したとのことだった。
国政には直接影響のない職。
羊頭狗肉。
同じくネットニュースの見出しに、桜田五輪大臣が「石巻市」を「いしまきし」と言い間違ったという記事。
桜田大臣の知識の無さも情け無いが、こんなことを、鬼の首でもとったかのように責めたてる野党も、マスコミも情け無い。
目くそ鼻くそ。
新元号、統一地方選、参議院選と、大きな行事の続く最中に、突如としてお札のデザインを刷新するとの発表。
視覚的に衆人の注目を引く話題。
5年後のことなのに、なんで今なの?
安倍政権の目くらましの上手いこと。
忖度の存在を裏付けするかのような塚田発言が、早くも霞む。
このところ、とみに時間の感覚がおかしくなっている。
ブログの更新をとぎれさせているのは自覚しているが、感覚的には4、5日のことだという感覚であった。
ひさびさにブログを更新しようと思って、自分のブログを見てびっくりした。
最終更新日から4、5日と思っていたのだが、もう1週間が過ぎている。
更新の記録を見ていたら、更新していたはずの記事が下書きのままになっているものが、先月からだけで3つもある。
たとえば、3月31日に書いていた記事は、表記の題名で、下記のような記事だった。
明日、11時半くらいに新元号が発表される。
明日から元号が変わってしまうような錯覚に陥るが、元号が変わるのは5月1日から。
天皇の退位の日程が決める過程の中で、次の元号も決めて早めに発表すれるほうが国民の生活に支障はないと思うのだが、そうもいかなかった。
天皇の退位前に新元号をきめてしまうと、それ以後の天皇の尊厳を犯すというような理由のようだった。
世の中は権力者の思惑で動いているから、それぞれの思惑がからみあって、簡単には物事はすすまない。
ともあれ、4月30日に今上天皇が退位され、5月1日に新天皇が即位され、新しい元号に変わる。
その新元号の発表が、明日の11時半くらいになるということだ。
私の仕事も元号との関わり合いが少なくない。
契約書当、多くの書類の日付は元号を用いている。
たとえば、賃貸借契約書の契約期間は、今までだと平成30年3月15日から平成31年3月14日までという具合になるのだが、平成は30年までと決まってからは西暦表記で契約書を作成していた。
パソコンのエクセルでは、平成31年3月1日と打ち込んでも、パソコンのデータでは2019/3/1と勝手に書き換えられる。
その逆の表示もできるわけで、2020/1/1と入力すると、平成31年1月1日と表示される。
私のような零細な個人会社のパソコンであれば、プログラムの書き換えの必要性もないが、元号改正によるパソコンのプログラムの書き換えは大変な作業になることだろう。
今年の正月から早3ヶ月が過ぎ、当然、正月のときの新しい気持ちはすっかり失せてしまっている。
明日、新しい元号の発表があって、5月には新しい元号に変わる。
明日からの1ヶ月、平成最後の一ヶ月を気持ちを新たにして過ごすことにする。
この時から半月以上が過ぎた。
もう、あのときの新たな気持ちは失せている。
5月1日に「令和」になるが、世間はその4日前から10連休に突入。5月1日は10連休の真っ只中。
大きな正月を迎えて浮かれ気分に陥るだけになること間違いなし。
私の終活は、危うい予感。
1月からウォーキングを始めたのだが血圧が下がらない。
青島太平洋マラソンを走ることになったのは、もともとは血圧を下げる目的でジョギングを始めた副産物だった。
3度やって、3度とも血圧は下がった。
3度とも、1月から初めて3ヶ月を過ぎるころに血圧が安定してきた。
しかし、今年は下がらない。
血圧が高いといってもⅠ度高血圧の範囲だから、なんとか生活改善で下げたいと思っているのだが、今年は、生活改善を初めて3ヶ月になるというのに下がらない。
薬を飲むしかないかなと思っているのだが、他方で降圧薬を飲むと脳梗塞になるという医者がいるもので、ためらってしまう。
情報過多で、なにが本当で何が嘘かわからなくなっている。
情報を精査し、自分で判断していくしかない。すべからく。
イチローが、政府から打診のあった国民栄誉賞をじたいした。
イチローは、小泉政権時代の2001年2004年の2度の打診に対しても辞退している。
そのときのイチローは、「野球生活を終ったときに、もしいただけるのであれば、大変ありがたい」ということであった。
今回は、「人生の幕をおろしたときにいただけるように励みます」という言葉だった。
すごい。
私は、イチローの言動はできすぎていて、なんだか演出感が強いように感じて、余り好きではなかったのだが、もうまいったである。
素晴らしい!立派!
政府はこれまで小泉内閣時代の2001、04年の2度、国民栄誉賞を打診したが、イチローさんは「野球生活を終わった時に、もしいただけるのであれば、大変ありがたい」などと固辞していた。
「人生の幕を下ろしたときにいただけるよう励みます」とのコメントが代理人を通じて政府に寄せられた
安倍総理と麻生副総理への忖度発言の塚田国交副大臣が辞任。
あたりまえ。
これはどうしようもないだろう。
この事態に及んでも、安倍政権に一矢報いることすらできない野党やマスコミに無力感を感じる。
原発の再稼働を許さず、森友・加計問題を再稼働させよ。
塚田国交副大臣の忖度発言。
下関北九州道路に国の予算を付けたのは、安倍総理や麻生副総理の意向であったのは事実とは違うという理論は成り立つ。
吉田自民党参議院幹事長が、「塚田わかってるな。これは総理の地元と副総理の地元のじぎょうなんだよ」と言ったのも事実と違うという言い訳は成り立つ。
しかし、「私、すごく物分かりがいいんです。すぐ忖度するんです。」と、自分のことを表現した言葉は、事実とは違うことを発言したって論理はとおらないだろう。
この塚田国交副大臣の「忖度発言」を、「安倍総理の森友・加計問題」に波及できない野党が不甲斐なさ過ぎる。
新元号決定の数日前から決定後の今に至るまで、日本中が新元号の話題で沸騰している。
新元号の「令和」を、私はすんなり受け入れることができ、今は心は平静になっている。
しかし世間では、「令和」フィーバーはとどまるところを知らない。
「令和」フィーバーに、統一地方選も、塚田国交副大臣の失言も、ゴーンさんの再逮捕も、近づく10連休も、他のすべての話題の影が薄くなっている。
「令和」フィーバーで喜ぶ人、ほくそ笑む人、憂う人。
いろいろあるが、4月30日の今上天皇の退位、平成最後の日と、5月1日の新天皇即位にあたっては、もう一度大きなお祭騒ぎになるのだろう。
今上天皇は即位以来、ひたすらに国民の象徴たる立場を探り続け実践して来られた。
ある意味、象徴天皇として、政治に一切関与できない立場であるからこそ、国民とともに喜びを分かち合い、国民と同じ目線までひざまづかれて、国民ともに嘆き、国民をなぐさめることに力を尽くしてこられた。
人類至上最高の平和主義者であり、博愛の人であった。なにより戦争を否定されておられた。
それは「反戦」という言葉のもつ強烈な反戦主義とは違い、ただひたすらに「戦争はいけない」という強い思いだったように感じる。
今上天皇の思いは、きっと新天皇にも引き継がれていかれることだろう。
この、今上天皇のご意志が、永久(とわ)に引き継がれていくことを祈念している。
一昨日、昨日、今日、新元号の話題でもちっきり。
今日は、新元号「令和」フィーバー。
ところで、「令和」の読み方「れいわ」のアクセントはどこにおくのか、ちょっとした騒動になっている。
「れいわ」(「れ」を強調する)のか、「れいわ」(平板に発音する)のかということなのだ。
「菅官房長官が『れいわ』と発音したから『れいわ』になるのだろう」とか、「『れいわ』と平板なほうがいいのではないか」と、アナウンサーやコメンテーターで論争がおこっている。
しかし、悲しいかな、われわれ宮崎県人は、アクセントの違いが聞き分けられない。
宮崎県は、ほぼ全域にわたって無アクセント地域なのだ。
そのほか九州では、熊本県、福岡県、長崎県、佐賀県の一部が無アクセント地域だ。
宮城県、山形県、福島県の一部も無アクセント地域のようだ。
ということで、宮崎県人の多くは、「令和」のアクセント論争の意味がわからない。
私は、東京の大学にいったのだが、教養課程のフランス語の時間に教科書の一文を日本で訳するよう指名された。
私はあまりまじめな学生ではなかったもので、2、3回ずる休みをしていて、先生は、久しぶりに出席した見かけぬ学生をこらしめようとして指名したようだった。
不真面目が学生の私は、当然予習はしておらず、困惑の極みでうろたえ、「わかりません」と答えようとしていたら、隣から級友がノートを差し出してくれた。
フランス語の原文は覚えていないが、さしだされたノートの日本語訳は「その日は朝から雨だった」というものだった。
書いてあるとおり、「その日は朝から雨だった」答えた。
すると先生は、「君は出身はどこだ?」と聞いてきた。
唐突な質問に、「宮崎です」と答えた。
その答えに先生は、「宮崎では雨は空から降るのか?東京では雨は食べるものだよ」と言われた。
私は、その意味がわからなくてポカンとしていると、先生は「雨は食べるもので、降るのは雨だよ」と、笑いながら繰り返す。
教室内にはクスクスと笑い声がもれる。
すると先生は、さらに、「君の田舎ではハシは渡るのか?ハシでご飯を食べるのか?」と聞いてきた。
もう私の頭はぐちゃぐちゃ。
何を言っているのかわからないのだ。
日本語にアクセントがあることを知らずに生きてきたものだから、言われている意味がまったくわからないのだ。
先生は笑いながら、「君の田舎ではハシで飯をくうのだろうなあ」と笑いながら、「次の文章を訳しなさい」と授業はすすんだ。
さすがの私も、アクセントがおかしいと指摘されていることに気づいた。
授業の後、隣の友だちに「みんなアクセントを気にしてしゃべっているの?」と聞いた。
すると、「気にはしていないけど、自然にアクセントは使い分けている」というような答えだった。
それでも私は、アクセントが多少違っても言葉は通じるから問題ないと思っていた。
私が衝撃をうけたのは、その数日後、授業の合間に数人の級友たちと、学校の近くの喫茶店へ向って歩いていたときのことだった。
ふと空を見上げると、雨上がりの空に大きな虹が出ていた。
私は空を指さし、「あっ、虹だ」と叫んだ。
すると、いっしょにあるいていた級友たち全員が怪訝な顔をして、いっせいに自分の腕時計を見たのだ。
そして、「何言ってんだよ。まだ1時半じゃないかよ」と言われた。
私が、空を指さして「虹」だと言ったのに、いっしょにいた全員が、まだ1時半なのに私が「2時」だと言ったことに驚いたのだ。
そのとき、私はアクセントを覚えることの必要性を感じた。
次の月の仕送りで、「NHKのアクセント辞典」を購入した。
アクセントがあることを知らずに生きてきた自分には、日本語のアクセントを覚えるということは、未知の外国語を覚えるのと同じことであった。
ぐうたら学生で、学校の勉強もしない私が、そんな地道な勉強を続けるはずもなく、すぐに挫折した。
ただ、ヒマをもて余し、気が向いたときにアクセント辞典を開くことはあった。
そんないいかげんな勉強でも、同じ日本語だから外国語を勉強するよりは身について言った。
同音異義語の典型、「箸、橋、端」や「柿、牡蠣」「雨、雨」などのアクセントを、なんとなく聞き分けられるようになった。
アクセントを気にして喋っていると、なんとなく標準語のアクセントも身についていった。
しかし、学生生活を終え、故郷に帰って生活を始めると同時に、アクセントの使い分けができなくなってしまった。
ただ私は、そのときとった杵柄で、令和のアクセント論争の聞き分けはできる。
しかし、宮崎県人の98%は、「令和」のアクセント論争の意味さえわからないのだ。
今朝のブログで、私の予想の元号は「永和」と「元和」だと書いたが、「元和」はすでにあった元号だった。
私のは「元和(げんわ)」だったが、実際にあった元号は「元和(げんな)」だった。
おはずかしい。
「令和」の「令」は、教科書体の活字では、下の方が「マ」になっている。
さて、私はどう書こうか。
新元号は「令和」。
私の予想は、「永和」と「元和」だったのだが、ちょっと似ていた。
「令」という文字はちょっとなじみのない文字のように思ったが、通常書いているように下の方が「マ」に似た書き方で良いらしい。
「平成」が決まったときのような違和感を覚えない、馴染める、いい名前だと感じる。
今朝から、テレビは新元号一色。
ワイドショーは早朝から新元号の話題で大騒動。
ワイドショーが終ったら、新元号の特番が組まれていて、新元号発表まで新元号の話題のみを追いかけるようだ。
関係がこじれて離婚を考えている芸能人や、違法薬物に手をそめている有名人たちや、その他脛に傷をもっていて告白しようかどうか悩んでいる人は、今告白すればマスコミに叩きまわされずに済みそうだ。
個人的には、ここまで大騒ぎするような問題ではないと思うのだが、ま、何十年に1度の大きなお正月って感じで、気分を新たにするのもいいのかもしれない。
さてさて、新元号発表まで、あと30分。
なんて元号になるのか。
私も、せっかくの流れに乗じて、気持ちを新たにして、生活を立て直すことにしよう。
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