日本国憲法 憲法記念日
テレビで連休も後半に入ったと言っていた。
なるほど、連休も今日で7日目。
さてさて、今日は何の日かとカレンダーを見ると憲法記念日である。
休んだとて何をするというわけではないが、とりあえず10連休にしてしまったもので、曜日と日にちの感覚が無くなっていた。
ボケた頭を、ちょっとシャッキリさせようと思って、憲法の全文に目を通してみることにした。
憲法は、前文の他103条。
条文が短いし、試験問題として問われるところは限られていたし、社会人になってからは直接生活に関係しないので、全文にしっかり目を通したことはなかった。
改めて憲法に目を通してみたが、熟読しても30分あれば充分。
まずは前文。
続く第一章は、第一条から第八条。「天皇」である。
そして第二章が「戦争の放棄」、第九条である。
続く第三章が「国民の権利及び義務」
第四章「国会」。
第五章「内閣」。
第六章「司法」、と続く。
このあたりまでが、学生時代の試験に問われるところだったなあと、なつかしい気持ちにもなる。
今日、改めてというか、初めてといったほうがいいのか、第九条のみが論議されることが多い憲法であるが、日本国民が憲法論議でもっととりあげるべきなのは、日本国憲法の前文にあることを思い知らされた。
日本国憲法の「前文」にはこうある。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
「日本国憲法」は、占領国に強要された押しつけ憲法だという意見があるが、前文を読んでわかるとおり、すばらしい、世界に誇れる憲法だと私は思う。
私は、この前文は変えるべきではないと思う。
安倍さんを代表とする改憲論者は、この前文もいじろうとするのだろうか。
護憲論者は、日本国憲法の前文を前面に押し出し、憲法は自分の主権を守ってくれるための基本法であることを強く周知させることだ。
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