過ちは繰り返される 買いだめに走るな
トイレットペーパーやティッシュペーパーがなくなるとのデマで、買いだめに走る人が多くて、スーパーの店頭から紙製品が姿を消しているらしい。
人間はなんとおろかなことか。
同じ過ちを繰り返す。
« 2020年1月 | トップページ | 2020年3月 »
トイレットペーパーやティッシュペーパーがなくなるとのデマで、買いだめに走る人が多くて、スーパーの店頭から紙製品が姿を消しているらしい。
人間はなんとおろかなことか。
同じ過ちを繰り返す。
26日に総理がイベントの自粛要請。
総理の発言を受け、日本中で多くのイベントの中止が決まっていった。
それなのに、その夜、総理補佐官が200人を集める政治資金パーティーを開催されたという話題が取り沙汰された。
総理は続く27日に、なにをとちくるったのか、突如、全国の小中高の休校を要請。
突然のことに、入試をひかえた小中学校や父兄からは戸惑いの声が上がった。
すると今日は、萩生田文科大臣から、「休校については、自治体が柔軟に判断するように」との発言。
強権を発動して、現場の秩序をかき乱し、批判の声があがり間違ったと思ったら、自分は責任はとらず、責任はすべて現場に押しつける。
これが安倍さんの一番いけない態度だ。
間違いを改めることはしないし、過ちを認めることは絶対にない。
自分のやったことの結果に責任をとるのであれば、結果が間違いであってもそれなりの評価はする。
いいのがれ、すりかえ、知らんふり。私はこれが一番嫌いだ。
国民は、なんとも変な人に権限を与えてしまったものだ。
コロナウイルスは世界的な脅威に育ち上がった。
どうなることか。
それにつけても、医療評論の世界を大谷医師が独占している。
スキンヘッドのビジュアルに違和感が無くなった。。
インフルエンザのほうが危険だと教えられていたコロナウイルス。
ここに来て、世界中でコロナウイルスへの警戒感が高まっている。
日本でのコロナウイルス対策は、だれかの都合で患者本位になっていない。
この国は何かがおかしくなっている。
今日は、上野の国立博物館と西洋美術館をゆっくり見て回る予定にしていた。
国立博物館は、時間があったら立ち寄りたいおすすめの施設だ。
日本の最高峰の展示物が安い料金で見ることができる。
国宝級の常設の展示物に加えて、常に何かしら特別展が開催されている。
行って後悔したことがないので、どんな特別展をやっているか確認せずに行った。
これが大きな失敗。
博物館も美術館も、動物園も、全部休館。
毎週月曜日が休館日で、月曜日が祝日の時は火曜日が休みになるのだそうだ。
今まで、日曜祝日にしか行ったことがなかったもので、定休日があることは知らなかった。
ホームページで展示物の確認をしておけば、休館日の案内が掲載されていたのだが後の祭り。
博物館が休館日だったから、代わりに、動物公園敷地内にある東照宮にお参りしたが。
どうせ観光用に立てた建物だろうと思って、いままで気にもとめていなかったのだが、時間が余ったので参拝した。
これかびっくり。関東大震災でも東京大空襲でも被災せずに生き残った由緒ある建物だった。
しかし、それでも時間が大余り。
スマートフォンで近くの映画館を探して、時間を確認。
アカデミー作品賞をとった、話題の「パラサイト」を見ることにした。
噂にたがわぬ、面白い映画だった。
延岡シネマでもやっているので、ぜひご覧あれ。
今回の出張は、訳あって、念のために2泊3日の予定を組んだのだが、思いの外スムーズにことが運び、1日目に用事が済んでしまった。
おかげで昨日は1日ぽっかり予定が空いてしまった。
想定外の休日で、さてどうしよう。これといって行きたいところはない。
それで思いついたのが、東京駅周辺のぶらぶら歩き。
学生時代を含めて8年くらい東京にいたのだが、東京駅は田舎からでてくるときと、田舎へ帰るときの通過点でしかなかった。
学校は御茶ノ水だったが、神田、秋葉原に行くことはあっても東京駅周辺をじっくり歩いた記憶はない。
そういえば東京駅の建物をじっくり見たこともない。
今回は、ホテルが東京駅八重洲口から3分くらいのところだったので、まずは前々から気になっていた八重洲ブックセンターを、ふらふら観光のスタートポイントにした。
スマホの地図アプリで調べてみたら、ホテルから徒歩3分くらいのところにある。
私は文房具が好きで、東京に来て時間があると銀座の伊東屋に行くのだが、地図アプリで見たら、八重洲ブックセンターからだと、直接歩いて行くのと電車を利用するのとは歩く距離に違いはない。
八重洲ブックセンターをゆっくり見て回ったあとは、銀座までぶらぶら歩いて伊東屋に寄る。
銀座で昼食。
有楽町から東京駅まで、ぶらぶら散策。
それで時間が余ったら、秋葉原の電気街にでも行ってみる。
そんな計画を立てたが、八重洲ブックセンターがなかなかの代物だった。
地下1階、地上8階、全部本屋。
1フロワーは小さいのだが、これがフロアー全体を見渡せていい。
各階で、それぞれ本の見せ方が上手いので、ついつい全フロアーで本を手にとってしまう。
結局、滞在時間は3時間余り。本6冊、CDを3枚購入。
予定どおり、ぶらぶら歩いて銀座伊東屋についたときは午後2時過ぎ。
祝日で、銀座は歩行者天国だったが、閑散とした感じ。
新型コロナウイルスの影響をもろに感じる。
伊東屋は、昔の伊東屋とは様変わりしていて、以前ほど心がときめかない。
昼食をとって、ぶらぶら歩いて、キョロキョロしながら東京駅に着いたら5時前。
考えてみると、6時間以上歩きっぱなしみたいなもので、ふくらはぎが筋肉痛。
予定を切り上げてホテルに帰った。
人にはつまらなく思えるだろうが、いい一日だったなあ。
昨日、やっとヨシカミのオムライスを食べた。
過去に三度、一人で来ているのだが、人気のオムライスは食べたことがない。
ステーキ、ハンバーグ、ビーフシチューにポークカツ。どれもがスターでメニューがしぼりきれない。
東京には滅多に来ないから、大型スターのステーキやビーフシチュー、ビーフカツなど重いメニューを注文してしまって、、結構大食いの私ではあるが、オムライスまでを食べるお腹の余裕がなかった。
昨日は東京在住の友人との会食だったから、メインをステーキにして、ご飯はメニューをシェアすることがオムライスと、友人おすすめのカニ入りヤキメシを注文。
友人は、ヨシカミを仕事のついでにちょくちょく寄るひいきの店にしているのだが、オムライスは初めてだとのこと。
予想どおり、オムライスはテレビのグルメ番組のレポーターが絶賛するほどのものではなかったが、それでも一度は食ってみたかった。
ということで、昨日、メニューを制覇した気分で大満足‼️
しかも!なんと、支払いはまるまる友人が一括でカード払い。
カツサンドのお土産までつけてくれた。
大満足の二乗‼️
おかげで今朝は、胃がもたれている。
腹も身の内(~Q~;)
羽田に着いて、電車で移動。
モノレール、中央線、そして今、京王線。
電車の乗客の9割以上がマスクをしている。
なんとかマスクは流通してるってことか。
こんな時期だから旅行客は少ないと思っていたのだけど、飛行機は満席🈵
半分くらいの人はマスクをしている。
もちろんCAさんも。
コロナウイルスが流行りだしたら、あっという間に全国に行き渡るだろう。
今日は、格好のブログネタがあった。
短いネタだが面白い話で、今日のブログはこのネタで決まり、だと思っていた。
書きとめておいたほうがいいと思ったのだが、短いネタで自分自身が面白いと強く感じたから、これを忘れることはないという自信があって、書きとめなかった。
確かにそんな記憶はあるのだが、あれこれ思い出そうするのだが思い出せない。
思ったときに、絶対に書きとめておかなくてはダメ。
立ち上がった瞬間に、なんで立ち上がったかわからなくなることがあるのだから。
毎日そんな反省を繰り返している。
なんでも、すぐに、書きとめておかないと・・・・・・
23日から、仕事で東京に行かなくてはならない。
コロナウィルスのことを騒ぎすぎだとか、そんなにこわがらなくてもいいと言ってきたが、自分のこととなると正直少し怖い。
それに加えて、天気予報ではこの3連休の土曜日は強い南風の大荒れに注意となっている。
この時期の強い南風は春一番になるかもしれない。
春一番は春を告げるやさしい天気のように思ってしまうが、春一番はときとして被害をもたらせるような強風だ。
23日の飛行機は大丈夫かなあ。
福岡でコロナウィルス感染者が確認された。
九州に住む人間として、ちょっと怖い報道である。
コロナウィルスはインフルエンザよりも危険性は少ないという話もあるが、新型で治療法を始めとして詳しい情報が無いということで不安が募っている。
しかし、もうここにいたっては流行を完全に遮断することはできない。
テレビを始めとするマスコミたちは、新しい感染者を探し出すことに奔走し、発見されるごとに大騒ぎして不安を煽る報道をしている。
不安を煽るやり方が、テレビは一番視聴率を稼げるし、新聞雑誌は販売部数をのばすことができる。
要は自分らの飯のタネを増やすことが報道の根本。
そろそろ不安を煽るだけの報道はほどほどにして、冷静に感染を予防するための情報に集中した報道に切り換えてはどうか。
それにつけても、私は23日から25日まで東京出張を予定している。
なんだかんだといいながら、飛行機内や東京の電車での移動に不安を覚えてしまうのだよなあ。
当地(宮崎県の北端の街・延岡市)の隣町、日向市で開催される「日向ひょっとこマラソン」の中止になった。
ひょっとこマラソンは、ハーフ、5㎞、2㎞の2コース。
参加者総勢1300人ていどの小ぶりなマラソン大会だ。
応援する人も沿道にぽつりぽつりだ。
東京マラソンは、世界中から38000人以上の人が集り、応援する人も沿道に数十万人集る。
東京マラソンはケタが違う。
圧倒的な人出の中で感染の危険もそれだけ高まる。
東京にならえが全国的な流れになってしまうのはどうか。
ひょっとこマラソンも、参加費は返金しないという。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」的なやりかたに不満の声は出ないのか。
げに、日本の為政者はやりやすい国民性だ。
コロナウィルス感染拡大を受け、東京マラソンの一般参加が全面中止になった。
参加予定者は38,000人。
東京マラソン出場の切符を手に入れるには、倍率10倍という厳しい戦いに生き残らなければならない。
私も4回申し込みをしているが、1度も当たったことはない。
奇跡的な幸運に喜びにつつまれていた人たちにとっては、天国から地獄に付きおとされたような気持ちだろう。
今日はもうひとつ、今月23日の天皇誕生日の一般参賀も中止も発表になった。
平成最後の天皇誕生日は8万人以上が皇居を訪れた。
令和最初の天皇誕生日も、それに負けないような人出であっただろう。
コロナウィルス感染拡大で、東京マラソンと天皇誕生日の一般参賀だけで10万人以上の人が影響を受けた。
コロナウィルスの本格的な流行は、これからだという。
23日からの東京出張が、さらに怖くなってきた。
マスクと、アルコールを含んだウェットティッシュでこまめに消毒することで、少しでも感染を予防しようと思っている。
野村克也さんが亡くなった。
84歳というご高齢ではあったが、亡くなる当日まで元気にしておられたそうだ。
亡くなった当日、元気に仕事をこなし、外食を済ませて深夜12時頃帰宅。
1時くらいに一人でお風呂に入ったが、1時間以上経っても出て来ないことに不審を感じたお手伝いさんが浴室のドアを叩いて呼びかけるも応答がない。
扉をあけると、浴槽でぐったりしている野村さんがいた。
あわてて救急車を呼んだが、時にすでに遅し。午前3時半搬送先の病院で死亡が確認された。
死因は、虚血性心不全。
虚血性心不全とは、心臓に血液が行かなくなって、心臓が壊死して死亡にいたる状態の総称。
その多くは、心筋梗塞や狭心症が原因だ。
前にもとりあげたが、風呂場で亡くなる人は年間に16,000人にものぼる。
去年の交通事故での死者3,200人の5倍の人が風呂場で亡くなっている。
風呂場で亡くなる要因がヒートショックであることは、テレビ等でもたびたび報じられている。
温かい部屋から急に寒い脱衣室に行って裸になると、血圧が30以上も上昇する。
血管に負担がかかり、心筋梗塞や脳卒中を引き起こすというわけだ。
これを防ぐためには脱衣室を温めておいたり、風呂に入る前に風呂場をシャワーを出しっぱなしにして温めておくことが大事だ。
また、温かい湯船につかっていると血管が拡張して急に血圧が下がり、低血圧により浴槽で意識を失って溺死する人も珍しくない。
長湯も注意ということである。
私はこの年まで(正確な年齢は言いたくない年齢)大病をしたことがない。
健康には根拠のない自信があって、定期検診もしておらず、年に2回の献血の際の血液検査を健康診断代わりにしている。
この30年、血液検査の数値がすべて正常値で変動しないもので、それが私の健康に対する自身を助長する結果になっている。
そんな私だが寄る年波、しかも臆病な性格ゆえ、新聞雑誌の健康記事は気にしていて、体に良くないというと慎しみ、体に良いということはやっるようにしている。
そして、体に変調がないかを結構気にしている。
そんな中ただひとつ、数年前から少し血圧が高くなってきたことだけが気がかりだった。
それで、薬に頼らずになんとか血圧を下げようと、ジョギングをしたりウォーキングをしていた。
運動するとてきめんに血圧は正常化して、やはり自分は鉄人だと自己満足していた。
ところが去年は、ウォーキングを欠かすことはなかったのに、高めの血圧がなかなか下がらなかった。
寒くなってきて、160という数値になることが何度かあって、ついに昨年末から降圧剤を服用することにした。
薬の効果はすばらしく、すぐに血圧は安定してきたが、用心深い私は急に寒いところに出たり、急激な寒暖差への対処は怠らないようにしている。
もちろん、風呂に入るときもシャワーを出しっぱなしにして風呂場を温めることは忘れていない。
これは今後も注意して続けていくことにしているが、野村さんの急逝の記事を見て、なおさらその意を強くした。
記事では、「元気で一人で入浴できて、自分は丈夫だと思っている人こそ風呂場で亡くなる危険性が高い」と注意喚起が叫ばれていた。
要介護状態で、風呂場で亡くなる人はほとんどいない。なぜなら入浴の際、ヘルパーや家族が付き添っているからだ。
だから、元気だと思っている人こそ注意しなくてはいけないというわけだ。
実に納得させられる説明である。
元気なようでも、今から先はルシアンルーレット。
誰の頭に銃弾が発射されるかわからない。
来週、仕事で東京に行くことになっている。
このところのコロナウィルス騒動で、飛行機や電車のに乗るのがちょっと不安である。
新型コロナウィルスに肺炎での死者数が1000人を超したという。
しかし、アメリカではインフルエンザで亡くなった人が1万人を超えているというから、インフルエンザの方が怖い。
なぜかテレビでは、1万人以上も死者の出ているインフルエンザの報道を見かけることはなく、1000人の死者のコロナウィルスのことばかりを朝から晩まで報道している。
冷静に考えると、コロナウィルスを必用以上にこわがることもないのだが、東京に行くということで心配になるのは、悲しいかなコロナウィルスの方だ。
つくづくテレビの力を思い知らされる。
私の大人の道の師匠であるI氏から電話が入った。
高校の同級生なのだが、私の大雑把なやりかたや子どもじみた行動を、厳しく正してくれた大先生だ。
先生は、私と違って折り目正しく几帳面な生き方をしてこられて、今は悠々自適の生活をしておられる。
私のブログをよく見てもらっているらしくて、ときどきご指導をいただいたり激励をいただいたりしている。
今日は、共通の友人の最近の動静のことでの電話だったのだが、電話の最後に「えらい儲かってるようだね」と言われた。
何でそんなことを言うのかと思ったら、昨日の私のブログの中に「多額の手数料をいただいた」と書いたのを見て、5、60万円の仕事をしたのではないかと感じたのだそうだ。
私のブログは、思いつくままの書きなぐりだからどんな書き方をしたのか覚えていない。
勘違いされるようなら訂正しようと思って昨日のブログを見直した。
手数料のことはなかなか出て来ない。
読み進めると、ブログの一番最後に手数料のことを書いてあった。
多額を結構な額に訂正。
しかし、改めて読み直してみると、漢字の誤変換やら、キーボードのミスタッチでよけいな文字が入っていたり、主語がなくて意味不明の文章になっていたり、いやはや、恥さらしなブログになっていることを、大先生に教えられた今日のできごとだった。
重なるときは重なるものだとはいうものの、それにつけてもはんぱないと思うのは私だけではないのだろうか。
今日は、そこそこの売買物件の決済日になっていたので、それを中心に予定を組んでいた。
準備は昨日までに終わらせていたが、なにか抜かりはないか、再度今日確認する予定だった。
私は重大なミスにはいたらないが、ちょっとした忘れ物が多いので再点検が必須。
今日は、午前中にちょっとした行事が入っていたが、その後はは決済に向けての徹底点検にあてていた。
日ごろは、はずかしながら、一人の来客もないことも珍しくないのだが、こんなときに限って人が押し寄せてくる。
午前中のちょっとした会合が終って、事務所に戻ると同時に来客。
空き地の買収の依頼を受けているお客様。
何度も交渉しているのだけど、全体に売らないという地主さんなのだ。
それなのに依頼者は、自分の都合で大変申し訳ないのだけどという接頭語を付ではあるが、なんとか今月中に契約の了解をとってくださいと毎日のように私に圧力をかけにこられるのだ。
手数料を前払いするなどと言われるが、売りたくないという地主を相手にしての話だから、手数料なんか預れるわけがない。
全力をあげて頑張りますと答えるしかないのだが、なんとか今月中に目鼻をつけてくれと同じ話の繰り返し。
私は万能の神ではないので、はなはだ難しい話なのだが、不動産を求めている人は空き地や空き家を見るとみんな売り物に見えてしまうようだが、世の中に売りたくない人がいるということを説明しても理解してもらえない。
ただただ、せいいっぱい頑張りますと同じ返事をしてお引き取り願った。
なんとかお引き取りいただいたと思ったら、去年土地を売却したお客さんから電話がはいった。
確定申告にあたって相談したいということだった。
確定申告の受付は来週月曜日から始まる。
まだ始まる前だから明日にしてもらえないかと伝えたのだが、なんとか今日の内に話を聞いてもらいたいとのこと。
お客さんはどなたも、自分を最優先にしたいと思っているもの。
お客さんは自分一人なのだ。私もそれを理解しているから、2時からは予定があるので1時半までに来てもらえれば対要できますと伝えると、すぐに来られるとのこと。
結局、そう簡単には終らない。
その間に、先日私の方から依頼していた集金の人が来社。
この集金人さんは私に「いくらでしたかね?」と聞いてくる。
急ぎで頼んだ家電リサイクルの処理費なのだが、私に請求書の額を見てくれという。
口頭で金額の了解をとってきていたが、正式な請求書はもらっていない。
集金額を知らないままに集金に来る方が間違っている。
「自分で会社に確認しなさいよ」というと、私を不親切なじいさんだとばかりに見つめていたが、しぶしぶ会社に電話をしていた。
こちとら忙しいんだ。
すると、ふだんめったに問い合わせのない物件に対しての問い合わせの電話。
駐車場を探してもらいたいという電話。
マンションの管理会社からの電話。
いつものことながら、絶対にはずせない用事が入っているときに限って、飛び込みの用件が押し寄せてくる。
しかしこれは私に限ったことではなくて、よくあること。
悪徳不動産屋に仕事があるだけありがたい。
そう言い聞かせつつ、なんとか無事修了。
結構な額の手数料をいただき、つくづく不動産屋という職業に感謝した今日一日だった。
昨日の九州電力への電話のについてもうひとつ言い忘れていたことがあった。
昨日は、電話がつながるとすぐに自動音声で「サービス向上のために録音してます」と言うメッセージが流れた。
しかし九州電力のように、大きな会社でひっきりなしに電話の多い会社への電話は、まず一発でつながることはない。
電話がつながったと思って、喋ろうとすると、「現在お電話が大変混み合っております。オペレーターが空き次第おつなぎ申し訳ございませんがこのままお待ちになるかしばらく経ってからおかけなおしください」という機械的な声にさえぎられる。
しかし、ここで言っておきたいことがある。
このアナウンスを真に受けてはいけない。
かけ直しても、かけ直しても、同じアナウンスを聞かされるだけだ。
自分にとって急ぎの用件があるときは、「そのままお待ちに」ならなければいけない。
ときには、20分30分と待たされることもあるが、緊急かつ重要な用件であれば、待ち続けた方が良い。
ほとんどの0120で始まるフリーダイヤルが多いので料金がかかる心配はない。(0120で始まらない普通の電話の場合は待ち時間も電話料が発生するので注意が必用)
携帯電話だと、かけ放題の契約をしていれば相手が普通の電話番号でも、待ち続けた方がいい。
電話機を持ったままだと不便だから、電話スピーカー機能やハンズフリー機能を利用して、他のことをしながら電話がつながるのを待てばいい。
ここで注意は、0570等ではじまるナビダイヤルというやつだ。
ナビダイヤルは20秒10円という法外な料金をとられる。
1分で30円だ。
ナビダイヤルは、携帯電話のかけ放題の対象外だから、かけ放題だから大丈夫と思っていると思わぬ電話料の請求を受けることになる。
ナビダイヤルは、この電話20秒で10円の料金がかかりますというアナウンスがあるのでご注意。
パソコンの操作方法や不具合に対しての問い合わせに先がナビダイヤルになっていると、多少のことでは電話できない。
私は、そんな会社の製品は二度と買わないことにしている。
九州電力に電話した。
マンションに入居するお客さんの電気使用の申し込みのためだ。
0120で始まる電話番号に電話する。
すぐつながったと思ったら、自動音声での応対。
「ありがとうございます。九州電力でございます。」で始まる。
無事九州電力につながったと思ってホッとする間もなく、「この電話はサービス向上のため録音させていただいております」ときた。
これは、この手の電話の殺到する会社ではよくあること。
電話のやりとりの中で、行き違いでのトラブル防止のためだろうが、モンスタークレーマーへと称される過激な発言を牽制する意味合いもあるのだろう」
私は、ささいなことに激怒する傾向があるから、このあなうんすは牽制の意味合いが強いのではないかとちょっと厭味に感じる。
しかし、私は怒りっぽいところがあるから、このアナウンスは自分を冷静に保つ精神安定剤的役割を果たしてくれると納得ろることにしている。
もう一つ私を冷静にさせているのが、私の方の電話も会話を自分録音する機能があることだ。
「この電話はサービス向上のために録音させていただいております」といった内容の自動音声での応対は、多くの会社で利用している。
私は、この音声が流れると、「はい。こちらもあなたの応対を電話録音していますよ」とつぶやきながら電話がつながるのを待っている。
めったにあることではないが、「おまたせしました」とオペレーターにつながった瞬間に、すぐ用件をはなすのではなく、ちょっと機械的に抑揚をフラットにさせて「こちらも、電話の内容を録音させてもらってます」と言ってみることもある。
ちなみに、この私の軽いわるふざけの意味が伝わったオペレーターはいない。
それにつけても、毎日毎日朝から晩まで、休むことなく鳴り続ける電話に応対する仕事は大変な仕事だなあと、オペレーターさんには感謝の念をもっている。
ニュース・ワイドショーは、コロナウィルスをトップの座から降ろしそうにない。
コロナウィルスの流行の動向は気にしなくてはいけないが、インフルエンザと同等かそれより軽い感染症だ。
日本でインフルエンザで亡くなる人は年一万人以上。
コロナウィルスでの死亡者はまだ千人に満たない。
過熱するテレビ報道のせいで、市場からマスクが姿を消している。
予防的にはマスクの有効性は少ないという。
今も、夕方のニュースで女子アナウンサーが、「マスクも品薄でウィルス感染が心配です」なんて言っていたが、根拠なく煽動するような言動は慎しむべき。
映画界最大の祭典アカデミー賞で、韓国映画「パラサイト 半地下の家族が作品賞を含む4部門を獲得した。
発表前の予測でも、映画評論家や映画通多くが一番高い評価与えるていたが、英語以外の作品が作品賞を取ったことがないということで、作品賞の受賞はないだろうと予測していた。
人種差別の国アメリカでの歴史に残る結果だ。
私は、熱狂的な映画ファンではないが、一般人の平均よりは映画を見に行っている。
当地(宮崎県の北端の街・延岡市)には、3スクリーンある映画館が1館かないせいもあって上映映画の情報が入らない。
アカデミー賞のシーズンに話題になった映画は見てみたいと思うのだが、アカデミー賞をとった映画でも、なかなか当地では上映されない。
一時期は、どうしもみみたい映画があると宮崎(市)まで映画を見るためだけに行っていた。
往復3600円の電車賃と、1時間以上の時間を使ってだ。
数年前、やっとのことで当地(延岡市)と宮崎間が高速道路でつながってからは、車を使って映画を見に行っていた。
当時は、高速道路開通当初の特典で通行料金が割引されていたからだ。
しかし、高速道路の割引が修了後に通常料金になってからは片道2900円、往復だと5800円になった。
私の車は燃費が悪く、しかもハイオク仕様だもので往復でガソリン代が4000円くらいかかってしまう。
電車に切り換えようと思っていたら、JR九州がやっていたシルバー割引3600円が廃止になり、往復割引料金でも4700円になっていた。
交通費が増えたことも、映画を見るためだけに宮崎まで行くことが少なくなった大きな原因ったと思うが、ちょうどその頃から、時間とお金をかけて見に行きたいと思う作品も少なくなったという気もする。
それは私の思い過ごしだけではなく、ここ数年、面白い映画が少なくなっていた。
ヒットするのは、アニメと人気シリーズの焼き直しみたいな映画ばかりで、発表前の評論家たちの予測にも熱を感じなかった。
そんな中で、当地唯一の映画館に見たい映画が少しばかり配給されることもあって、映画のためだけに宮崎に行くことが亡くなっていた。
でも今年のアカデミー賞はちょっと違う。
評論家や映画好きの人たちの予測も熱を帯びていた。
そして、過去に例のない英語以外の映画アカデミー賞作品賞受賞という、センセーショナルな結果。
見たい映画が何本もある。
久々に宮崎まで映画を見に行くことになるかもしれないなあ。
ちなみに、今、当地唯一の映画館「延岡シネマ」のホームページを確認したら、「パラサイト」が2月28日から公開予定となっている。
「頑張ってくれているなー。感謝!!!
病院で、咳止めのくすりをもらって、咳が止まりかけていたけど、また咳がひどくなってきた。
昨日は私の誕生日。
昨日、「今日は私の誕生日」というブログを書いたのだが、夜になって、昨日のブログは最初に書こうと思っていたことを書かなかったんではないかと思い、確認してみたらやっぱりそうだった。
昨日、自分の誕生日にあたって書こうと思っていたことは、こんなことだった。
「今日は私の誕生日だ。
誕生日だからといって、とりたてて変わったことはない。
家内は、誕生日だけど風邪が治っていないから、体調がよくなって何か食べに行こうと言ってくれた。
他に3本お祝いのメールが入ってきたのみ。保険会社からと飲み屋さんのママさんと女の子から。
別の保険会社の営業さんは花を持ってきた。
おめでとうございますと言われても、還暦を過ぎたころから、佐藤愛子さんではないが、「この歳になって、何がめでたい」といった気持ちになる。
還暦を過ぎたころから、『おめでとうございます』と言われると、『誕生日冥土の旅の一里塚。めでたくもあり、めでたくもなし』という戯れ歌を例にとり、『この年になると墓場に一歩一歩近づくみたいで、ありがたくもないんだよ』なんて返したりしていた。
しかし、古希を目前にした去年くらいから、「ここまで病気もせずに生きてこられて、おめでとう」だなと思うようになった。
誕生日を迎えて、ここまで大病もせず元気でいられてつくづくありがたいと感謝している。
こう書こうと思って、書き出しの「冥土の旅の一里塚」の「冥土」の語が出て来なくて、検索して調べていたら、書こうと思っていたことがすっかり飛んでしまった。
最近物忘れが多い。
人の名前が出ない。
置いた物が分からなくなって探し回る。
何かしようと思って隣の部屋に入って、何をしにきたかわからなくなる。
軽度認知症なのではないかとふと不安になったりする。
しかし、この私の性癖は今に始まったことではなく、子どものころからの悪癖で、最近よく耳にする、アスペルガーやらADHD(注意欠陥・多動性障害)という病名なのだと思って、気を取り直している。
話をしていて、ちょっと横道にそれた話を取り込むと、いままで何を話していたのかわからなくなるというのも子どものころからの症状だ。
昨日のブログが、話が横道に逸れて本題に戻れなかった例だ。
ということで、昨日書こう思っていたことが今日のネタ。
ここまで大病もせず生かせてもらってありがとう。
2月7日。
今日は私の誕生日であった。
還暦を過ぎるころから、誕生日は格別にめでたい日ではなくなった。
「誕生日は、〇〇の一里塚」という戯れ歌が頭をよぎったが、〇〇の句が思い出せない。
「墓場までの」だったか、「あの世への」だったか。
人の名前どころか、ちょっとした単語が出てこないときがある。
脳の老化を止めるには脳にハッパをかけて、思い出すことも必用なのだが、すぐにググってしまう。
「誕生日 一里塚」の検索ワードでググってみたら、検索結果のトップに表示されたのは、なんと私のブログだった。
2年前の今日、「今日は私の誕生日。誕生日冥土の旅の一里塚。めだたくもあり、めでたくもなし。」という題名で書いている。
2年前にどういうことを書いているのかなと、読んでみた。
まだ、今より根気があったようで、600字くらいの文章だ。
思わず苦笑してしまった。
「このことは一回書いたなと思って、ブログ内検索をしてみたら、5年前に『誕生日は冥土の旅の一里塚・・・・・・々』という題名で書いていた。」とある。
2年前のブログで同じことをやっている。
そして、検索してみたら5年前にも同じようなことを書いていたというわけだ。
なんとも進歩のないこと。
2年前のブログを今のブログと読み比べてみると、進歩はなくて退化している。
しかし、めげるわけにはいかない。
今年の年頭の近いの言葉は「倒れるまで現役」。
倒れるにはまだ早い。
コロナウィルスの猛威が収まりそうもない。
コロナウィルスでの死者が600人を超えたといっているが、日本では、1年にインフルエンザで亡くなる人は1万人いるという。
未知のウィルスだからニュース性があるから、テレビの大好物の話題だ。
それにしても、安倍さんが窮地に陥りそうになると、衆目を集めるような大きな事件が起こるような気がするのは私の思い込みか。
先週の始めから咳が出だしたが、熱が出ないのでインフルエンザではないとたかをくくっていた。
金曜日か咳がひどくなり、夜まったく眠れない状態で、土曜日から月曜日まで休んでしまった。
月曜日に病院にいって、念のためにインフルエンザの検査もしてもらったがインフルエンザは陰性。
咳を止めるための薬をもらったが、すぐには咳はとまらなかった。
しかし、薬の効果があって、夜眠れないほどのひどい咳は出なかった。
まだ完治とはいえないが、ずいぶん収まってきた。
まずはインフルエンザではなくてよかった。
インフルエンザといえば、今年はインフルエンザの流行はどうなるのだろう。
新型コロナウィルスばかりが騒がれていて、インフルエンザの情報はまったく入らない。
世界的な流行になりつつあるということと、未知のウィルスということもあって、今テレビでの話題は新型コロナウィルス一色である。
報道の中に、新型コロナウィルスよりインフルエンザの方が強力なウィルスであるという声もあるが、そんな情報はかき消されている。
ここで、インフルエンザが流行したらどうなるのだろう。
冷静な報道をテレビに求めるのは無理なのだろうなあ。
テレビをつけたら、ニュース風番組をやっている。
ニュースでは、納豆が死亡リスクを減らすというという研究結果が発表されたと報じている。
発表した機関が国立がん研究センターの疫学研究室というから、信頼度は高い。
私は納豆が好きで、健康のためもあって、毎日納豆を食べている。
テレビが過剰に騒ぎすぎて、納豆が店頭から姿を消すことにならなければいいのだがと、不安がよぎった。
かつて、納豆ダイエットがブームになったときに、店頭から納豆が消えてしまった。
あの時は、需要にこたえるために工場を拡張したものの、ブームが去って窮地に陥った会社もあった。
ダイエットは老若男女誰もが興味のあることだから、一気にブームになったのだろう。
10代20代はまだ、死亡リスクなんて気にしないだろう。
30代もまだ、死を自分のものとしては考えないだろう。
「死亡リスク」という言葉にに大きく反応するのは中高年に限られるから、納豆ダイエットのときのようなことにはならないだろう。
ならないでほしいなあ。
今日は節分。
節分と言えば、今は恵方巻が主役の座を獲得している感がある。
しかし、私の子どものころにはえ、当地(宮崎県の北端の街・延岡市)には恵方巻を丸かじりするなんて習慣はなかった。
恵方巻が節分の行事になったのはここ十数年前からだった。
関西で節分に太巻き寿司を食べて祝っていたものを、広島のコンビにチェーンが1989年に、「恵方巻」と名付けて売り出した。
それが、あっと言う間に全国に広がっていったというのが「恵方巻」の起源のようだ。
私は、毎年、お世話になっているお客様から恵方巻をいただいている。
十数年前、最初に恵方巻をいただいたとき、私は恵方巻という言葉は初耳だった。
まったく何も知らない私に、お客さんは、節分に恵方巻を丸かじりすると幸運を招く縁起物だと教えてくれた。
そして、作法として、恵方(その年の演技のいい方角)を向いて、ふと巻き寿司をまるまる一本、黙って一気に丸かじりしなくてはいけないと言われた。
それ以来、毎年、いただいた恵方巻を教えられた作法通り丸かじりしていた。
いただく恵方巻は、お客さんの行きつけの寿司屋さんだったり、和食屋さんに注文して作らせているものだった。
数年前から、ある仕出屋さんの「恵方巻」の恵方巻をいただいているが、これが私の味覚には絶品なのだ。
ゆっくり食べて味わいたいのだが、教えられた作法通りに、黙って一気に丸かじりすると美味さを堪能できない。
それで、お客様には申し訳ないのだが、3年前から包丁で切り分けて、ゆっくり味わうことにしている。
まずはお客様の自宅の方向に頭を下げて、それから恵方を向いて、切り分けた恵方巻を熱いお茶をすすりながら美味しくいただいている。
最近では、ミシュラン三つ星の店監修というふれこみの高級恵方巻も売り出されている。
そんな美味しいものを、物も言わずに黙って一気に丸かじりするなんて、絶対もったいないですよね。
そんな食べ方では、最高級の海苔で巻かれた、美味しい寿司米と厳選された具を味わうことはできないですよね。
美味しいものに感謝して味わいつくしたほうがいい。
日本の神様は、すべてを優しく包み込んで人を救ってくれるから、きっと許していただけるものと思っている。
だれかが、恵方巻の食べ方改革を拡散させてくれるといいのになあ。
そう思いませんか皆の衆。
熱はないのでインフルエンザではないと思うが、咳が止まらない。
声を出すと咳き込んで苦しいし、家族に移すといけないので、自室に自主隔離状態にしている。
今年は今のところブログを毎日更新してきたのだが、パソコンは事務所にしか置いてない。
それで、昨日と今日はスマートフォンで投稿している。
日ごろ、インターネットほパソコンで見ているもので気がつかなかったが、スマートフォンでみるブログのページは別物だ。
画像を載せるのが標準になっていて、文字だけだの投稿はなんとも貧相なものになっている。
風邪になって、思わぬ発見をした。
それにしても、激しくてしつこい咳は苦しい。
明日は臨時休業だなあ。
昨晩は、咳がひどくて朝まで眠れなかった。
朝、七時頃、眠りについたが、咳き込んで9時くらいに目が覚めた。
今日は臨時休業。
最近のコメント