2020年、大晦日。健康寿命は目前。
毎年毎年、正月を迎えるたびに、過ぎ去りし日々を悔やみ、来る年こそはと思い続けてきた。
リセット、リセットを繰り返してきたが、今年に入って日本の健康寿命が72歳余という事実を突きつけられてしまって、ついに万事休す。
もうリセットできない現実の前に立ちすくんでいる。
そう、生きることにおいては健康寿命が肝心。
健康寿命を延ばすために、適度な運動や打ち込める趣味や勉強など、できることからはじめてみてはいかがでしょうかと呼びかけている。
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毎年毎年、正月を迎えるたびに、過ぎ去りし日々を悔やみ、来る年こそはと思い続けてきた。
リセット、リセットを繰り返してきたが、今年に入って日本の健康寿命が72歳余という事実を突きつけられてしまって、ついに万事休す。
もうリセットできない現実の前に立ちすくんでいる。
そう、生きることにおいては健康寿命が肝心。
怒涛の一週間だった。
いつもながら、締め切り間際まで動かない悪癖のせいで、そんな締切日が、年末には一斉に押し寄せる。
そしてまた、いつもながら、締切日に追われて、なんとか間に合わせようと慌てまくっているときに限って飛び込みの仕事が入る。
今日やってしまわないと大変なことになるぞと、朝から段取りよく仕事を進めようとしているところに来客。
そんなことが連日のように起きている。
まるで神様が、日ごろの怠慢にお仕置きをしているようだ。
先週は売買の決済が1件。
今週も小さな物件の売買が1件。
この2件とも、12月に入って契約から決済まで急遽まとまった話。
これは予定に組み込んですすめていたことだし、ありがたい喜ばしい話。
そんな話の最中に、しばらくあいていた賃貸店舗物件にいっぺんに3つも商談が入り、これまた成約となった。
これもありがたい話だったのだが、これに加えて急なアパートの退去が3件入った。
このうち1件は退去の希望日が30日か31日と言ってきたもの。
私は悪徳不動産。年末年始の休みに退去なんて勘弁願いたい。
私の都合をのんでもらって、今週にしてもらった。
さらに、来週にも退去立ち合いが入っている。
28日大掃除をして休みに入る予定だったのだが、お客様にやむを得ない事情があって、これは断れなかった。
当社は賃貸の管理物件は数えるほどしかないのに、年の瀬ぎりぎりに退去が重なったことは初めてのこと。
年末年始は不動産屋はいっせいに休みをとることになっているから、年末年始に入居を希望しても断ることになる。
しかし、お客さんの都合でどうしても大晦日や元旦に退去しなければならないというのであれば、何とかしなければならないこともある。
かくして、来年の年賀状はいまだ手つかず。
明日、なんとかやっつけなくては。
菅総理の8人での会食。
批判する意見が多いが、擁護する意見もある。
擁護する意見は、きちんと感染防止をはかって食事会をしているので問題ないということだが、自粛せずに飲食している国民たちも、自分たちも感染しないように気を使って会食をしていると思っているのだろう。
総理と国民がみんな一緒の思いになって会食を自粛しなければ、人出を抑えることはできない。
みんな自分の行動には特別な理由があるもの。
総理は、「私の行動は間違っていた。みなさんも同じ間違いをしないようにお願いします。」と言ったほうがわかりやすいよなあ。
ワイドナショー。菅総理の8人会食を論議。
松本人志さんが、8人会食の一番の問題点参加者にPCR検査をしろと言うことだと、論点をはずして菅総理を擁護している。
国民に外出、会食を自粛しなさいと呼びかけている元締めが、自分は会食をし続けていることは国民の規範としておかしいのではないかというのが門断点だよな。
大人数の年寄りが集まって会食。
相次ぐ批判にたいして菅総理は「国民の誤解を招くという意味においては、真摯に反省していると表明していた。
私はその発言を聞き、即座に「私は誤解してないよ」と、一人反論した。
私は誤解はしていない。国民に会食自粛を呼びかけ、飲食店に営業時間の自粛を強要している最高責任者の行動としておかしいと思っただけだ。
私だけではないと思ってネットを見てみたら、私と同じ意見で総理にツッコミを入れた意見ばかりだった。
ほとんど完全に近いという意味のシックスナインズという言葉があるが、99.9999バーセントの国民が、「えっ?俺(私)なにか誤解してたっけ?」と思ったはずだ。
自民党の議員の中にも、役員の中にも、菅さんの子分たちの中にも、「誤解をしていた」なんて話が通じるなんて思っている馬鹿はいない。
取り巻き連中も、まずい言い訳してるよなと思っていたはず。
会食参加者であった杉良太郎さんもみのもんたさんも、取材陣を前にして、なにか恥ずかしそうに逃げ隠れするかのようであった。
最高権力を手にすると、こんなわかりきったことも見えなくなってしまうのか。
西村康稔経済再生担当相が、「一律に5人以上は駄目だと申し上げているわけではない」と、これまた言わずもがなの言い訳にならない言い訳をしていたが、これは最近西村経済再生相が菅総理に反旗をひるがえしてるという噂を打ち消すための無理筋の菅総理擁護の言だったのだろう。
こんなことを言ってしまうと、集団で飲み歩くことを止めることはできやしない。
西村大臣も将来の総理を目指しているらしいが、こんな発言は将来の総理候補の黒歴史ともいえる発言になるだろう。
私は、夏目漱石の「ぼっちゃん」で、「山の中も山の中、大変な山の中だ」「猿と人間が半々に住んでいる」と紹介された田舎で不動産屋を長いことやっている。
夏目漱石はどうやら当地(宮崎県の北端の町・延岡市)を取材も無しに書いたようで、延岡市は、住んでいる人間にとっては山の中というイメージよりも、むしろ海のある町というイメージである。
南北に広がる海岸線から広がる平野部分は、旭化成の工場群を中心に、商業地、住宅地、そして農村地区で、人口の8割がこの地域で生活している。
市の西部の郊外部分は高千穂、熊本につながる国道にそった市中山間地となり、市政行政面積としては国内でも広いほうである。
広いと言っても、不動産屋が取り扱う物件は、市役所を中心に車で20分から遠くても30分の範囲内ある。
車の運転は不動産屋の必須業務。
こんな町で長いこと不動産屋をやっていると、運転はうまくなるし、延岡市内のことであったら、タクシーの運転手より地理には詳しい。
タクシーの運転手は、主に幹線道路しか走らないが不動産屋は裏通り、農地、山間地も日常業務で取り扱っているから、幹線道路から路地裏まで、ありとあらゆる道を知っているし、狭い道の運転にも慣れている。
仕事で郊外の山間地や農村地域に行くと、町中の区画整理された地域と違って車の離合が難しいような細い道がある。
整備されていない離合ができないような狭い道でも、ところどころ離合できるような道の広くなっているところがある。
そんな道を利用している人たちは道の状況を承知していて、対向車が見えた場合、対向車を通すために離合可能な地点で待機して対向車をやり過ごすことになる。
ぎりぎり離合できそうな場所では、それぞれの車が超徐行して、協力し合って離合する。
遠くに対向車が見えたときは、道が広い所に近い方の車が待機して対向車を通してやることが、自分が先に進むためにもかえって早くなる。
運転の上手な人ほど、広い所で待機して、さっさと対向車を通するものである。
ぎりぎりで離合できるような場所だと、お互いにあらかじめスピードを落として、車を路肩ギリギリに寄せて協力して離合することになる。
ところが運転の下手なやつは、スピードを落とすことなく離合できなる寸前まで突っ込んでくる。
窓をあけて、そこに止まって待っておくように言っても、ぎりぎりまで突っ込んでくる。
いよいよ車がすれ違う段になって車が接触しそうなくらい、抜き差しならない所まで来て、やっと自分の腕では離合できないことに気づき、バックも前進もできなくなって初めて、自分の運転の腕ではどうにも処理できないことに気づき、今度は自らの運転を放棄する。
そこから先は前進も後退もできずに、完全にストップしたままになる。
こんなときは、お互いが協力して、じわじわと下がったり、前進して対向車を交わさないといけないのだが、一切なにもしないで解決は相手任せとなる。
今回の、菅政権のGo To政策を見ていて、こんな運転の下手な運転手のやり方に似ている。
このまま突き進むと、抜き差しならない大変なことになるよと、運転のわかった専門家が口を酸っぱくして言っていたのに、抜け切れると思い込んで突き進み、結局抜けられないことがわかったら、急停止。
あとの処理はみなさんにおまかせしますってやりかたは、下手な運転手の無責任なやり方と同じにみえてしまう。
先週の日曜日の福岡国際マラソンで、一般参加の吉田裕也選手が、日本歴代9位タイの2時間7分5秒の好記録で初優勝した。
吉田選手は社会人1年目。
青学大卒業を機に競技を終えるつもりだったが、2月の別府大分毎日マラソンに出場し、初マラソン日本歴代2位の2時間8分30秒(順位は日本勢最高の3位)をマークして気持ちが変わった。
大手菓子メーカー「ブルボン」の内定を辞退し、現役続行を決めたという選手だ。
2度目のマラソンでも快走。
2024年パリ五輪代表に名乗りを上げた。
私は、小学校から高校を卒業するまで、スポーツは苦手意識があって、すべての競技から逃げ回ってきた。
高校を卒業して一番うれしかったことの一つが、これで運動会に出なくてもよくなるということだった。
大学の教養課程で体育があったが、記録を競ったり技を競い合うものではなくて、文字通りの体育(健康を維持するための運動)で、それ以来大人になってからも運動とは無縁の生活をしてきた。
そんな私だが、マラソンや駅伝を見るのは好きで、42㎞を走り切るというのはどんなものか経験してみたくて、60歳を過ぎてフルマラソンに挑戦し完走した。
以来私は、マラソン中継は、それ以前よりはるかに大きな感動を覚えながら観戦している。
引退を予定していた選手が、ふっとマラソンを走ってみて思いがけない好記録を出し、それを期にマラソンでの現役続行を決め、2度目のマラソンで時間7分5秒の快挙。
涼しい顔をしてゴールしたように見えたが、この半年コロナ騒動の中、苦しい練習を重ねてきたのだろう。
ただ1秒でも早く走るために。
先週は、このほかにも長距離で素晴らしい記録がたくさん出た。
女子1万メートルでは新谷仁美がが、日本記録を28秒45も更新する30分20秒44秒と言う超人的な走りで7年ぶり2度目の優勝を果たした。
この記録は、12年ロンドン五輪では金メダル記録30分20秒75をも上回る超絶記録で、3位1以下の選手すべてを周回遅れにした。
こだわったのは記録。渋井陽子の記録を18年ぶりに塗り替えた日本新は、一気に28秒45も更新するものだった。
新谷選手は、12年ロンドンオリンピック出場。9位という成績をあげたが、その後足の故障が原因で14年に1度引退した選手だ。
その後、18年に現役復帰。
去年1月の都道府県別女子駅伝で東京代表としてアンカーを務め、7人抜きを見せてくれた。
1度は引退を決心したものの、やり残したこと果たしたくて現役復帰。
なんと現在の年齢は32歳。
そして今回の快挙。
新谷選手の特徴は、死にそうなくらい苦しい表情をして走ることだが、レースで見せる苦しそうな姿よりさらに苦しい練習に耐えてきているのだろう。
もう一つ女子5000メートルの田中希実選手。
同支社大学に通う21歳の選手だが、走るたびに記録を更新し1500m、3000mの日本記録保持者。
5000mでのオリンピック出場も目の前にている長距離界のスーパーホープだ。
レースを見ると、小ささがひときわ目立つ小柄で、可愛いらしい顔をした選手だが、田中選手を特集した番組を見ていたら、スーパーヘビー級の負けん気の強い選手で、絶対に負けたくないという気持ちを前面に押し出した練習に取り組んでいた。
さらに先週は、男子1万メートルでも五輪参加標準記録を突破する日本新を出し、東京オリンピック代表を手にした選手が出ている。
男子1万メートルを制したのは相沢晃選手。
私は全然知らなかった選手だが、なんと所属が旭化成の選手だった。
旭化成は当地(宮崎県の北端の町・延岡市)が会社発祥の地。
今も当市に多くの工場基地を置いている、おらが町の代表企業であるから、なんともうれしい話だった。
コロナ騒動で、東京オリンピック開催が危ぶまれている中で、ひたすらに出場を願って、自分を信じて、並の人間には想像もつかない苦しい練習を、だれにも見せることなく続けている人たちがいるのだなあと、口だけ深刻なセリフを吐きながらのほほんと生きている自分を恥ずかしく思い、尊敬の念をいだいきながら先週のスポーツニュースを眺めていた私。
コロナが終息して、すべての人が心置きなく参加できるオリンピックが開催できることを祈っている。
当地(宮崎県の北端の町・延岡市)の最大の基幹総合病院である県立延岡病院で新型コロナの感染者が見つかった。
感染が確認されたのは、同病院の清掃に従事する業務委託会社の70代の従業員であった。
家族が感染者の濃厚接触者と判明したため9日から出勤は停止しており、同日中に他の同社従業員20人も10日から出勤していない。
当面の感染拡大防止策として、同病院は今朝から救急を除く外来診療を中止しているそうだ。
感染した従業員は、勤務中マスクを着用し、他人との接触はナイタメ、周囲に感染させた可能性は極めて低いのだが、念のため医師や看護師などの病院職員と委託会社従業員にPCR検査を実施している。
安全が確認されれば、16日から外来は再開する予定らしいが、当地では県立病院が無くては、夜間、休日の緊急患者の受け入れや重篤な患者の受け入れが難しいという状況だから、その影響は多大なものがある。
外来の受付を停止する1週間、この病院でなければ対応できない病気や傷害を受けた人はどうなるのか。
今回は、感染が広がる可能性が極めて低いというが、感染が見つかった従業員が勤務する掃除委託会社の社員20人も出勤停止。
勤務する医師、看護婦、その他職員だけでなく、その家族たち。
コロナ、コロナと、感染したら深刻な問題だとは頭で理解していたが、どこか人ごとのように思っていたが、実際に身の回りで感染が発生してみると、新型コロナは今まで漠然と感じていた「大変なこと」以上に大変なことだと、改めて肌身に染みたニュースであった。
11月の半ばから喪中の葉書か届きだす。
喪中の葉書は、身内に不幸があったので喪に服するために新年の挨拶をご遠慮いたしますという、年賀状欠礼の挨拶状である。
つまり、「喪中なので年賀状はだしませんよ」ということなのだが、喪中の葉書を受け取った相手には年賀状は出さないというのが普通になっている。
だから、喪中の葉書をもらっていた相手に年賀状を出してしまうと、お詫びの連絡をしなくてはならないのではないかと悩むことになる。
今年いただいた喪中の葉書の中に、「いただく年賀状は楽しみにお待ちしてます」という添え書きのあるものがあった。
私が親を亡くした年は、年賀状は数通しか来なかった。
毎年300通近くもらていて、お正月はその全部に目を通すのを楽しみにしていたから寂しかった。
次の年の年賀状も前に比べて少し少なくなっていた。
前年にもらった年賀状を見ながら次の年の年賀状を出している人がいるのだろう。
私が、「いただく年賀状は楽しみにしています」というアイデアを知っていたら、そうしただろう。
この添え書きの良いところは、間違って喪中の相手に年賀状を出してしまった人の救いにもなること。
そろそろ、年賀状の受付が始まる。
いつも締め切り間際になって慌てて作っているのだが、今年はそろそろ準備にかかることにしようか。
元阪神の人気選手であった新庄剛志さんが、12球団合同のトライアウトに参加した。
新庄剛志は、野球に詳しくない私でさえ知っている、何につけても話題になる超人気選手だった。
走攻守、すべてが派手。
予測不能な行動。
レギュラーポジションを手にしていた5年目くらいに、突如引退宣言をしてみたり。
敬遠球をさよならヒットにしたり。
超イケメンで、芸能人顔負けの人気をほこっていた。
阪神の超人気選手だったが、無理だという世間の声を無視して大リーグに挑戦。
3年後に日本に戻って日本ハムに入団し、2年後の2006年に引退した。
引退後はタレント業に転身。
その人気をバックに、エアブラシで描く絵に一枚数百万円という値が付く画家として紹介されていたこともある。
思い出したようにテレビ番組に取り上げられて、出演してる番組を目にすることがあったが、ここ数年はバリ島で気ままな生活をしているのだと思っていた。
去年、お金が全然なくなったというような週刊誌の記事を目にしたかと思ったら、11月に突如現役復帰宣言。
野球から離れて14年。
48歳の年齢での現役復帰は、普通なら考えられないこと。
金に困って注目を浴びるためのパフォーマンスかもしれないとも思っていたのだが、どうやら本気らしい。
この1年、現役時代にもしたことのない厳しいトレーニングを積んできたらしい。
トライアウトでの打撃成績は3打数1安打。
送球、走塁を見ても、半端じゃない練習の成果が見える。
その人気から、客寄せ効果を考えて採用する球団があるのではないかという声もあったが、新庄は「客寄せパンダとして合格したんだなくらい自分の動きを見れば馬鹿じゃないからわかる。その時は合格を拒否する」と固い決意を表明している。
トライアウト後6日間にオファーがないときは新庄の野球は終わるのだそうだ。
現役時代の新庄の予測不能の活躍を思うと、48歳の現役選手が誕生するのではないかとワクワクしてしまう。
6日間、結果を楽しみにみつめている。
菅総理大臣が多用する「答弁を控えさせていただきます」という発言。
「答弁する立場にない」とか「答えるべきではない」とか、ちょっと言葉は違えど、自分にとって不利になる質問に対しては一切答えない。
これって、トランプ大統領が自分にとって不利な質問をされると、「フェイクニュース!フェイク!」という言葉で一蹴していたのと同じに見える。
強面で「フェイク!」と叫ぶのと、「答弁を控えさせていたできます」と無機質な表情で言い放つのと、やっていることは同じじゃないかなあ。
不倫騒動で6月から活動自粛している渡部健さんが、6カ月経った昨日、騒動後初めての記者会見を開いた。
昨日からワイドショーと報道番組を装ったワイドショーニュース番組が多くの時間を割いて取り上げていた。
今朝のワイドショーでは、会見の様子を詳細に報じていたが、一番賤しむべきは群がるレポーター群だと感じた。
罪をみとめて縮こまって身をすくめている罪人を寄ってたかってなぶり殺しにしていさまに、私は吐き気を催した。
これは以前に書いたことだが、「職業に貴賤はない」という言葉があるが、芸能れ倫騒動で6月から活動自粛している渡部健さんが、6カ月経った昨日、騒動後初めての記者会見を開いた。
昨日からワイドショーと報道番組を装ったワイドショーニュース番組が多くの時間を割いて取り上げていた。
今朝のワイドショーで各局が会見の様子を詳細に報じていたが、報道を見ていて、一番賤しむべきは群がるレポーター群だと感じた。
罪を認めて縮こまって身をすくめている罪人を寄ってたかってなぶり殺しにしている姿に私は吐き気を覚えた。
芸能レポータがやっていることは正義を正しているのではない。
弱みを見せて逃げまわる者を追い詰め、さらし者にして、こづきまわしていたぶって、さらし者にすることによって自分の飯の種を得ているだけのこと。
レポーターらに、正義も倫理もあったものではない。
視聴率を稼ぎ、新聞雑誌の販売部数を増やすことが目的でしかない。
私が不快なのは、正義面をしてレポーターどもが自分の飯の種のために弱い者をいたぶっていること。
これは以前に書いたことだが、「職業に貴賤はない」という言葉があるが、芸能レポーターがやる、弱みを見せた罪人に襲い掛かっていたぶる所業は賤しむべき業である。
手痛い反撃を食らうかもしれない強者に立ち向かってみよ。
9時33分、私のスマートフォンが鳴った。
「合格したな」
今日は、宅建士試験(宅地建物取引士資格試験)の合格発表の日。9時半からインターネットで合否の確認ができる。
今年教えた私の生徒?が合格圏内のようだった。
万一不合格ならすぐには電話は来ないかもしれないが、合格していたらすぐに電話があるだろうと思っていた。
果たして、スマートフォンの発信者を見ると生徒であった。
合格だ!
電話を取る。
「おはようございます。清水です。」声が明るい。
「どうだった?」
「おかげさまで、ギリギリ合格していました」
資格試験は通るための勉強をしなければならない。
100点をめざして勉強したらダメなのだ。
100点をとろうとして勉強すると、勉強しなくていいことまで手を出してしまう。これは混乱のもと。
ギリギリで合格しようが、満点で合格しようが、合格証書には点数は記載されない。
私が教えたのは、受験生の多くが苦手としている「権利の移動」という科目だった。
この科目は主要3科目の一つで、出題50問中14問出題されるのだが出題範囲が広くて深く、単なる暗記では対処できない。
難しいのであまり深入りせずに半分くらいとれればいいとつもりで、他の暗記科目に力を入れたほうがいいというような指導をしているところもある。
私がうれしかったのは、私の生徒は、この権利の移動の科目14問中12問正解できたこと。
ちょっと残念だったのは、その代わりに他の科目で失敗があって全部で38問正解だったこと。
各受験学校の合格来予測は37問から38問を合格ラインとするものが多かった。
合格ラインは毎年変動する。
ここ20数年のデータでは、一度だけ37問と言う都市があったが、だいたい35問とれば大体合格という試験だった。
何十もの受験学校があって、各学校が毎年予測をたてるのだが、今年の予想は各学校とも合格ラインが上がっていて、36から38問を合格来とする予測が多かった。
過去38問が合格ラインとなったことはないから、38問正解であればほぼ合格だと思っていたのだが、中にいくつか39問を合格ラインとする予測があった。
それで安心ができず、少し不安を抱えての合格発表であった。
結果は、合格ラインは38問。ギリギリの合格だった。
宅建士の資格は、不動産の仕事をするために取っておいたほうがいい資格の一つでしかない。
宅建士の資格と、不動産の営業力は別物。
不動産屋は売ってなんぼ。
宅建士の資格を取ったからと言って、土地や家がバンバン売れるようになるわけではない。
学生時代に、高い授業料を払って専門学校に通って資格を取って、これで飯が食えると勘違いしている人をたまに見かける。
専門学校は、生徒を集めるために資格をとれば飯が食えると思わせる宣伝をしているせいだが、不動産会社では、月に1件の契約もない宅建士より、月に5件も6件も成約する無資格の営業マンの方が偉いのだ。
宅建士の資格をとったということは、不動産取引の基本知識を身に着けたということ。
不動産取引は、一つとして同じ取引はない。
何十年もやっていても、しょっちゅう初めての経験に出くわす。
いくら知識を詰め込んだとしても、すべてを経験することはできない。
動き回って、多くの失敗を経験し、それを解決していく中でしか不動産の仕事はできない。
そしてたくさんの人と出会い、人のつながりを大事にすることだ。
大きなことを言っているが、その対極にあって、よだきんぼ(宮崎弁で、怠け者)で動きが遅く、人との出会いを苦手として、人のつながりをおろそかにしてきた私。
そんな私でも生きてこられたのは不動産業だったから。
ただし、それは私が、私の師匠の営業心得十か条の最後にある「すべての基礎はうそをつかないこと」だけは守ってきたからかもしれない。
清水君の、今から先の活躍を祈っている。
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