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南国宮崎だというのに、今年は4月に入っても最低気温が10℃を下回る日が続いた。
昼は20℃を超える日が続いているのだが、夕方から急に気温が下がってきて、明け方は肌寒い。
私は依存症的スマホ利用者で、スマホの気象予報を毎日確認している。
私が利用しているお天気アプリは、2週間先までの天気予想をしている。
これが結構高確率であたるのだが、このアプリの気象予報では昨日まで最低気温が10℃未満であった。
昨日の最低気温の予測は7℃。
予測通り、肌寒かった。
10℃というのは冷蔵庫の中の温度。
10℃未満というのは肌寒い。
だから私は、今年はヒートテックのタイツを穿き続けてきた。
お天気アプリの予測では、今日の最低気温は11℃。
これから先、11℃を下回る予想は出ていない。
ということで今朝、シャワーの時にヒートテックのタイツを洗濯機になげこんだ。
半年ぶりにタイツなしにズボンを穿いたもので、なんとかく下半身がスースーして頼りなかった。
私の春は今日からなんだなあと、独り言ちた。
昨日も今日も朝4時台に早起きして、松山選手の優勝を見せてもらった。
優勝するときはこんなものなのだろう。
運にも味方されていた。
いいショットを打っても、ミスショットをしても表情を変えないで淡々とプレーを続ける姿は侍のようだった。
優勝が決まったときにもガッツボーズは無かった。
ボギーを叩いての優勝決定だったからガッツポーズはできなかったのかもしれないが、歓喜を爆発させることもなく、号泣することもなかった。
タイガーウッズのように歓喜を体いっぱいに爆発させて騒ぎまわるのもいいが、「男は黙って」とばかりに、ぐっと喜びをかみしめる姿のほうがいい。その姿は侍のようだった。
松山選手は照れ屋で、日常生活では英語で会話しているが、インタビューには一切英語では答えることはないのだそうだ。
優勝スピーチの最後に「thank you」と言ったが、普段は「thank you」さえ言わなかったそうで、それだけマスターズの優勝が嬉しかったのだろうと松山選手の関係者が言っていた。
松山選手の優勝インタビューを見ていて私がうれしかったことは、「国民のみなさんに勇気を与えたい」と言わなかったことだ。
松山選手は、ゴルフが好きで、ゴルフで人に負けたくなくて、勝つために、ゴルフのことだけを考えて生きてきてのだと思う。
「(影響を与えるのは、今からゴルフを始めるとか、十代とか高校生の方とかに影響をあたえるのではないか。今まで、日本人では(メジャーの)優勝はないと言われていたので、それを私が覆すことはできたのではないと思うので、そういう子たちにもっともっとプラスの影響を与えられるように僕はまだ頑張っていきたい」
優勝インタビューで、たどたどしく、つかえながら、真剣に答える姿は、高倉健の「不器用ですから」というセリフを彷彿とさせて、かえって心に染み入るものだった。
彼の偉業に対して、菅総理をはじめ各界から、「新型コロナ感染の影響が長引く中で、国民に勇気と感動を与えてくれた」という言葉が飛び交っている。
私は4日間、彼の戦う姿に声援を送り続けていた。
昨日と今日は眠気も感じず、ずっとテレビの前にいた。
感動し、彼を誇りに思った。
しかし私は感受性の鈍い人間なのだろう。彼の活躍を見て、私の体の中に勇気は湧いてはこなかった。
そんな感受性の鈍い人間でも私はいたく感動した。
感動したが、彼が国民の皆様を感動させるために戦ったという言葉を発していたら、その瞬間に私の感動は消え去ったことだろう。
松山選手からはその言葉が出なかった。
私の感動はますます大きく膨れ上がった。
松山選手、感動をありがとう。
松山選手の、これからのますますの活躍を心から願っている。
雑誌の防災記事を見ていたら、防災グッズにはそれぞれ賞味期限や使用推奨期限があるので、期限が切れる前に新しいものと入れ替えなければならないとあった。
防災に関する特集記事は、しょっちゅう、いろんな新聞、雑誌で何度も取り上げられている。
そんな記事を見るたびに、防災セットを準備しようと思うのだが、いまだに満足な準備はできていない。
懐中電灯、電池、携帯ラジオなんかは余分に購入しているのだが、日常で使うものとは別に非常用持ち出しバッグに保管しておくのは管理も大変だから、日常で使っているものをきちんと保管しておけばいいかと、家の中のそこかしこに置いたままにしてある。
薬や包帯ばんそうこう類は救急箱に入れてあるもののみ。
水と非常食は、去年、夫婦二人の1週間から10日分を二階の部屋のタンスの上に保管していたはず。
防災記事を読むと非常時に備えなくてはいけないと思うのだが、身に危険か迫らない日々が続いてしまうとな防災意識が薄れてしまう。
今日と読んでいた雑誌の防災記事にあった防災グッズには賞味期限や使用推奨期限があるということも、重々承知していたことだが点検をしたことはない。
水や非常食は、普段から多めに買っておき、その食材を日常で使って、使った分だけ買い足していくことで、常に一定の食糧を準備しておく「ローリングストック法」で備えるといいということも知識としては承知している。
しかし、去年、多めに買い込んだ食料品は手つかずでそのままにしてある。
賞味期限も迫っているはずだ。
ということで日曜日の今日、箪笥の上に置きっぱなしにしている非常用食品を点検してみた。
水にも賞味期限はあるが、私は水の賞味期限はそんなに神経質になる必要はないと思っている。
そもそも私は、賞味期限についてはあまり気にしない質である。
生鮮食品で表示してある消費期限でさえ、表示されている文字より自分の五感を信頼している。
納豆だと賞味期限を2カ月過ぎたくらいは全然問題ない。3カ月以上経ったものでも食べる分には問題ないが、3カ月も経つと乾燥していて美味くないから、2カ月までには消費することにしている。
ましてや清潔な環境で厳重な管理体制の中で製造された食品の賞味期限なんて気にしなくていいのだ。
きちんと包装されたスナック菓子や、菓子類。保存食の代表のカップラーメンやインスタントラーメンは、賞味期限を1,2年過ぎてもそんなに気にしなくても大丈夫。
ただし、保存環境が悪いと油分や成分が劣化して体に悪いものに変化することもあるかもしれないし、本来の旨さを失うのは間違いない。
だからローリングストック法で、ストックしている食材を日常的に使って、その分を補充していかなくてはいけなかったのだが、忘れていた。
非常食として保存してから1年くらいになるはずで、賞味期限が迫っているはず。
箪笥の上から、ストックしてある保管ボックスを降ろして中身を確認した。
保存してある食品は、缶詰、レトルトカレー、パックのごはん、カップラーメン、即席袋麺であった。
缶詰にも賞味期限の記載はあるが、缶詰の賞味期限は気にしなくてもいい。
缶に傷をつけたり凹ましたりしてなければ、5年10年たっていても大丈夫だ。
私はインスタントラーメンも賞味期限はあまり気にしなくてもいいと思っているのだが、ローリングストック法で消費するために賞味期限が迫っている物から使おうと思ってストックしている賞味期限を確認してみた。
すると、カップ麺と即席袋麺ともに全品、賞味期限は切れていた。
一番古いものは去年の1月に賞味期限切れ。
一番新しいものでも去年の12月が賞味期限だった。
バックのごはんは去年も去年の10月に賞味期限切れ。
これは驚きだった。
去年の4月に賞味期限切れになってるものがあるということは、私が非常食としてストックしてから1年ではなく、2年以上経っていることになる。
ローリングストック法で、日常で使ってその分補充しようと思いつつ、2年の月日が流れてしまったようだ。
月日の経つのは早いものだと驚いてしまう。
レトルトカレーの消費期限はどうだろう。
心配になって確認してみたら、レトルトカレーの賞味期限は来年まで大丈夫だった。
レトルト食品の賞味期限は2年くらいかと思っていたが、思いのほか賞味期限は長いということは初めて知ることになった。
さらにインターネットで調べてみたら、きちんとした保存をすると缶詰に劣らぬ保存性があるようだ。
レトルト食品は、缶詰よりバラエティーにとんでいて手作りの料理に負けない美味しい食品も揃っている。
恐るべしレトルト食品。
レトルト食品は火を通した調理済みの食材だから、水がなくても火を使えなくても食べることができる。
お湯を沸かす必要のあるカップ麺や即席めんより、バラエティ豊かなレトルト食品を保存した方がいいことが分かった。
私はカップ麺や即席ラーメンが好きだから、ローリングストックで日常的に食べて買い換えていこうと思って、カップ麺と袋麺を多めにストックしておいた。
ちょくちょく食べていくつもりだったので、30食分以上ある。
今日は早速、去年の4月に賞味期限が切れている「どん兵衛」を食べた。
毎日は食べられてないから、これから2カ月以上かけて賞味期限切れのインスタンみトラーメンを食べていくことになるのだなあ。
貧乏性ということだけではなくて、私は食べ物を無駄にはできないのだ。
軽い糖質制限と減塩に気を使っている身の上だが、食べ過ぎに気を付けつつ、時間をかけて消費していくことにする。
補充する食材も、ちょっと研究してみる。
昨日、当社で管理している貸店舗の賃借人から電話が入った。
いきなり、「ちょっとお会いしてお話ししたいことがあるのですが、お時間をとっていただけませんか」とのこと。
その一言で、予知能力にたけている私には話の内容はわかった。
家賃値下げ交渉に違いない。
入居者から電話があった場合、クレームであることが多い。
家賃が遅れるので待ってくれというお願いをされることもある。
いずれにしても入居者から楽しい電話をもらうことは絶対にない。
「いいアパートをお世話してもらってありがとう。おかげさまで楽しく暮らしています。」だとか、「お隣さんもいい人で仲良くやってます」だとか、「日当たりが良くて快適に過ごしてますよ」だとか、「おかげさまで、小学生だった子供が大きくなったので広い家を探してください」だとか、 そんな楽しい話で電話をいただくことはない。
ということで、賃貸物件の入居者からの電話が無いのは平和の証なのである。
電話があるのは、何か不都合なことや不満のあるときだ。
雨漏りがする。
雨戸がしまらない。
網戸が破れた。
水道の蛇口をしめてもポタポタと水がもれる。
トイレの水がとまらない。
トイレが詰まった。
風呂のお湯の沸きが悪い。
風呂の排水の引きが悪い。
シャワーがでない。
電気のスイッチが入らない。
二階の住人の足音がうるさい。
隣の物音がうるさい。
床がきしむ。
エアコンの利きが悪い。
テレビのリモコンがきかない。
ドアのしまりが悪い。
ドアの開け閉めの時にキーキー音がする。
鍵がかかりにくい。
鍵を失くした。
近所の犬の遠吠えがうるさい。
蜂が巣を作っているので駆除してくれ。
蚊が多い。
常夜灯に集まる虫の死骸を片付けてくれ。
自分の駐車場に人が車を停めている。
庭の木が茂りすぎているので伐ってくれ。
雑草を刈り取ってくれ。
近所の家の庭木の葉が散ってアパートのまわりに飛んでくるので、なんとかしてくれ。
虫の声がうるさい。
セミの声がうるさい。
隣の駐車場の灯りが明るすぎて眠れない。
思いつくままに書いてみたが、即座に、書ききれないほど、さまざまなクレームを思い出せる。
こんなの不動産屋の仕事じゃないよ、というクレームもたくさんある。
(とんでもないクレームについて書くと、ブログのひとコーナーできそうで、悪徳不動産屋日記クレームシリーズができそうだ)
入居者からの電話はほとんどがクレームの電話。
電話をとるなり、有無も言わさず「すぐになんとしろ」ということになる。
しかし、今日の電話は、用件は言わずに面談したいとのこと。
私は、聞いた瞬間に家賃値下げの相談だと感じた。
私は、あえて用件は聞かずに、「はい、いいですけど、時間は何時くらいになりますか」と答えた。
「1時くらいにお伺いします」ということで、時間通り1時前に来社。
私は、なにくわぬ顔をして「何かありましたか」と聞く。
お客さんは深刻な顔をして、これまでの経営状態や、税理士さんとの話をし始めた。
やはり内容は家賃値下げの話のようだ。
私は、黙ってお客さんの話しを聞いていた。
しばらく聞いていたが、自分の店の経営状況や、近隣の焦点の状況等の話しばかりで、なかなか肝心の用件に入らない。
お客さんの話が、お客さんの店の近所にある空き店舗の家賃におよんだとき、「結局それで、ご相談の用件はなんですか」ときりだしてあげた。
お客さんはそれを機に本題に入ってきた。
案の定、「売り上げが下がっていて経営が厳しい。税理士さんに、固定費である賃料の負担が大きいので、家賃を下げてもらいなさいと言われた。家主さんに話しをしてもらえないか。」ということであった。
飲食業やサービス業ではなく、コロナの影響はあまりないと思われる業種なのだが、開業当初からなかなか苦戦しているようだった。
それで、過去にも1度家賃を下げている。
このお客さんは、店舗の他に隣接する空き地を一括して駐車場として借りている。
車が5.6台入るくらいの駐車場だ。
私は、自分がお世話したお店は、その後商売が繁盛しているかどうか常に気にしている。
このお店は幹線道路沿いにあるので、通りがかりに注意して見ているのだが、駐車場に車が停まっていることは少ない。
このお客さんの業態として、お客さんが長時間車を停めるということはないはずなので、つねづね駐車場は解約した方がいいいのではないかと思っていた。
そんな意見を私が持ち出すまでもなく、駐車場の方は解約をするということであった。
駐車場代は月額3万円。
それを解約して、さらに当社で管理している店舗の家賃の値下げ交渉をしてくれないかという相談であった。
店舗の家賃は月額8万円。
近隣の家賃相場からして妥当な賃料である。
過去に一度家賃の値下げをしているので、今回さらなる値下げとなると、家主も簡単には了承しないだろう。
私は、心を鬼にしてそのことを伝える。
「家賃値下げを簡単に了解してくれる人のいい家主はいない」
「今借りている店舗より近所の空き店舗の家賃が安いというのであれば、そちらに移転してはどうか」とも言ってみた。
難しい値下げ交渉を、何も言わず簡単に引き受けてしまうと、うまくいっても当たり前、うまくいかないと恨まれる。
依頼者の前提は交渉については無報酬。
割に合う話ではないのだ。
できたら受けたくはない。
しかし私は、弱い立場の人に頼まれると断れないという情けない悪徳不動産屋。
むげに断ることもできない。
今、世はコロナで混乱の最中。
このお客さんの苦境もコロナの影響を多少なりとも受けている。
それを理由に値下げ交渉の余地はあるのかもしれない。
しぶしぶであるが引き受けるしかない。
それにつけても、家賃の値下げを快く了解してくれる家主さんはお目にかかったことはない。
値下げを了承してもらうには、それ相当の理屈をつけて家主を説得しなくてはいけない。
家主にとって不快極まりない話でしかない。
しかも、家主に連絡をとり、面談を取り付けるのにさえ手間をくう。
それから家主が嫌がるのを承知で値下げ交渉。
私は、家主から忌み嫌われる不動産屋になる。
値下げ交渉を依頼するお客さんは、税理士に経営を継続するためには値下げ交渉をしてもらえと言われたらしい。
税理士が偉そうにそんなことを言うのであれば、税理士が家主と交渉をやってみればいい。
「私は税理士だが、うちの顧問先のお客さんが経営困難に陥っているので、家賃を下げてやってください」と、やってみるがいい。
少なくとも、あんたは、家賃も払えない状態のお客さんから月々の顧問料をもらっているのだろう。
私はこのお客さんのために、家主に嫌われる交渉をして、交渉がうまくいったとしてもびた一文報酬はないのだ。
たとえば賃借人は、家賃が月額2万円さがったら、月々2万円、年間24万円の利益を手にするわけなのだが、それに対する報酬を考えてはいない。
不動産会社によっては、家賃交渉では、新規賃料の1か月分の報酬をとったり、それ以上の報酬を請求したりしているところもある。
しかし私は、悪徳不動産屋の名に恥じるべきことなのだが、困りきっている客さんに報酬要求することができない。
かくして、実に楽しくない嫌な仕事を断りきれずに、しぶしぶ家主さんに家賃交渉をすることとあいなる。
家主に電話連絡をすること数回。
結局昨日は連絡がつかず、今日連絡が付いた。
そして、事情を話して価格交渉。
家主は県外在住なので、電話での交渉。
同情を引いたり、お願いしたり。おどしたり、すかしたり。手を変え品を変え、さまざまに説得を重ね、数十分の交渉でなんとか月額1万円の値下げに応じてもらった。
1万円ではあるが、家主の事情を考えるとお気の毒な話。
家主さんからの要求は無かったのだけど、無理やり家賃値下げをさせてしまったので、「家主さんだけに損をさせては申し訳ないから、私の管理料を1000円お引きしますね」と言ってしまった。
やっと交渉に応じてもらったとホッとしたのもつかの間、「私は了解しましたけど、共有者である弟にも了解をとってください」とのこと。
この物件、私のお付き合いのあった所有者が亡くなられて、子供さんたち二人で相続していたのだ。
お姉さんには了解をもらったが、弟さんにも了解をとってくれということでお電話しましたということで、同じ話を弟さんに電話。
あれこれ説得の結果、弟さんも了解。
これでなんとか終わったと思ったら、まだ終わりではなかった。
「今の話しで私は了解しましたけど、この話を姉に確認して、もう一度連絡します」とのこと。
こんなに手間ひまかけて、一銭にもならない仕事をしているのに、私の話を簡単には信用してもらえない。
仕方がない、私は悪徳不動産屋なのだから。
しばらくして、「姉に確認ができましたので了解しました」とのこと。
2日にわたるひと仕事であった。
それにつけても、交渉依頼者の借主は月々1万円の得。年額12万円。5年だと60万円、10年だと120万円の得。
それに反して、家主さんには月々1万円の損をおかけしてしまった。
そのお詫びに当社の管理料を月々1000円下げて私も損をかぶった。
その結果、なんとか了解をいただいて、それを依頼者に報告。
「ありがとうございました。1万円でも助かります。」とのお礼の言葉。
「1万円でも」? その語感には「たった1万円しか安くならなかったけど」という意味が含まれているように感じた。
結果は簡単に見えるかもしれないが、悪徳不動産屋の手練手管を駆使した交渉でやっと勝ち得た結果なのだ。
得したのはあなただけ、家主も私までも将来に向かって損を引き受けているのだ。
愚痴の一言でも言いたかったが、悪徳不動産屋と善良なる消費者が喧嘩しても悪徳不動産屋に勝ち目はない。
黙ってやり過ごすのみ。
またしても、善良なる消費者のために、世のため人のための金にならない仕事に2日も時間をつぶしてしまったと後悔の念に駆られる悪徳不動産屋日記であった。
かくして悪徳不動産屋は、今日もいい不動産屋になり下がってしまった自分の不甲斐なさに涙するのだ。
ブログをはじめて10年以上になる。
10年以上というのは、10年と1日から19年と364日までの10年間だ。(? でよかったかな?)
13,4年ではないかと思うのだけど、私が利用しているブログサービス「ココログ」ではバックナンバーでは10カ月前までものしかたどれない。
なにか方法があるのかもしれないが、私が調べまくった限りでは10カ月以前に遡るには記事をクリックし続けるしかない。
今やブログはSNSの世界では時代遅れになりつつあって、主流はフェイスブック、ツイッター、インスタグラム、ラインなんかに移行しているようだ。
SNSをやるのであれば、全然更新しないというのでは意味がない。
更新というのが結構時間がかかる。
SNSの発信の種類を拡げてしまうと、それぞれを更新しなくてはいけなくなって、手段のだったものが目的となってしまう。
これでは本末転倒。
ということで私は、ブログだけを続けてきた。
一時期は、アクセス数が伸びていった。
一日の最大瞬間アクセス数が5000を超えた時期もあった。
当時、1日1アクセスを超えると多少はお金になるのではないかと思って、ブログの更新に力を入れていた。
しかし、一瞬の最大アクセス数は徐々に落ちてきて、200~400で落ち着いてしまった。
なんとか1万アクセスにしたいともがいてみたが、200~400からは伸びなかった。
それが2、3年続いただろうか。
フェイスブックとツイッターが主流になっきて、それにともなって私のブログのアクセス数が下がってきた。
200~400だったものが200前後で推移しだした。
そうなると力も入らなくなってきた。
更新回数が落ちてきて、1週間、10日も更新しないことも続いた。
更新しない日が続くと、それまで書きたいことは山ほどあったはずなのに、書きたいことが見つからないという日が出てきた。
更新のための更新記事を書くこともあって、そんな記事が面白いはずがない。
すると当然、アクセス数はダダ下がり。
モチベーションが下がって更新への気持ちが希薄になる。
そんなことが2年ばかり続いて、今年に入ってからは少し更新力を入れようと思って更新をしていたのだが、このところそれも息切れしてきたようだ。
今まで、書きたいことは山ほどあって、書くためのネタがないということはなかった。
ただこのところ、それを文字にする根気が無くなったと思っていた。
それを年のせいにしていたのだが、よく考えてみると、このところ書こうとして、さあて何を書こうかなと呆然としてしまうことがあるのだ。
一日のうちに何回か、楽しい話、腹の立つ話、季節を感じるちょっとした出来事など、これを書こうと思うことはあるのだが、その瞬間に書き留めておかないと忘れてしまうというのも一つの原因だ。
まだ私は、うれしいと思う気持ち、何かに怒りを覚える気持ち、悲しいこと、悲しむ心、何事か満足し楽しく思う気持ちは失くしていない。
気持ちは老人ではないと自負したい。
しかし問題は、気持ちが長く続かないこと。
記憶力が衰えてきたこと。
それは否めない。
つくづく、ブログの更新は根気がいる仕事だなあと感じる今日この頃である。
一番古参の「ちょび」=八割れ。黒い毛が鼻の下のちょびひげみたいだったから。
4月2日に田中邦衛さん死去のニュースが流れ、すべてのメディアがこれを大きく取り上げた。
それからというものワイドショーは田中さん死去の報道一色。
各局とも、それぞれに特集を組んで田中さんの死を悼んでいた。
特集版組を編成するかのような大きな取り上げられ方だった。
そんな中で、4日には田中邦衛さん死去のニュースが流れ、すべてのメディアがこれを大きく取り上げた。
それからというものワイドショーは田中さん死去の報道一色。
各局とも、それぞれに特集を組んで田中さんの死を悼んでいた。
視聴者の反応も大きく、特集版組が組まれるだろうと思われるような大きな取り上げられ方だった。
そんな中で昨日は言った橋田寿賀子さん死去の報道。
テレビ報道の主役は橋田さんに変わってしまったかのようだ。
田中邦衛さんが忘れ去られてしまったわけではないが、少し橋田さんの陰に引っ込んでしまった感はある。
テレビも視聴者も刺激を求めている。
祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
ゆく川の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。
平家物語と方丈記の一節が脳裏に去来する。
スマホでブログを見ると、画像が無いとさまにならないということがわかった。
かといって、スマホの写真機能はほとんど使わない。
わざわざブログ用に写真をとるのも面倒。
記事とは無関係に、スマホに入っていた写真を張り付けてみた。
田中邦衛さんの訃報を聞いた。
体調をこわして姿を見なくなって久しい。
私は格別に田中邦衛のファンというわけではなかった。
田中邦衛さん主演の人気番組「北の国から」も、一度も見たことが無い。
でもなぜか、ここ数年の有名人の訃報で一番ずしんと来た。
ご冥福をおいのりいたします。
「もう心が折れてしまいそう」
宮城・大阪・兵庫で、まん延防止法の適用が決まった。
繰り返される時短要請と解除の繰り返しに、飲食店の経営者がつぶやいた言葉だ。
この方は、まだ心を折らずにがんばっておられる。
すでに、心が折れてしまった人もたくさんいるだろう。
心が折れるほどの危機感も感じていない自分の鈍感さに、あいまいな危機感を覚える。
「戦争しか知らない子供たち」
今世紀最悪と言われる人道危機に直面するシリアの人々を支える国際会合で、ボレル外交安全保障上級代表が発した言葉だ。
ボレル上級代表は、「(シリアで)支援を必要とする人たちの半数以上は子供たちだ。戦争しか知らない世代が出てきている」と指摘した。
はずかしながら私は、シリア問題が、今世紀最悪とされる人道危機に直面しているという事態であるとは知らなかった。
人口の半数以上が家を追われた内乱が10年以上も続いている。
「戦争しか知らない子供たちが」たくさん出ているわけだ。
私の学生時代のヒット曲に「戦争を知らない子供たち」という歌があった。
時代はベトナム戦争の真っただ中。
ベトナム戦争反対運動を契機として、日本国内は学生運動で大荒れの時代。
東大の入学試験中止もあった。
しかしその後、学戦運動は過激化し、派内でのリンチ殺人事件が発覚。
学生運動は市民の支持を失い急激に鎮静化してしまった。
「戦争を知らない子供たち」が歌われたのはそんな時代だった。
戦争が終わって 僕等は生れた
戦争を知らずに 僕等は育った
おとなになって 歩き始める
平和の歌を くちずさみながら
僕等の名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ
まさに私たち世代は戦争を知らない子供たちだった。
私が生まれる前に戦争が終わり、それ以来日本は経済成長を続け、戦争は起こっていない。
私たちは、人類史上一番いい時代に、一番幸せな国に生まれ、生きてきた。
そのことに強く感謝することしかしていない私。
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