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オリンピック観客数の上限が決まった。
ちゅうか、とっくに決めていたことが、もったいつけて発表された。
観客を入れることについて、東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長は、「尾身会長からも中止の提言はなかったから」と説明した。
それに対応して尾身会長は、「国や、五輪組織委員会が観客を入れるということは決定事項なのだから、中止しろということは意味がないので言わなかった」と弁明していた。(私は、ちょっと使い方が間違っていると思ってもやもやとしたのだけど、意味がないということについて尾身会長は、机上の空論という言葉を発していた)
有観客としたい主催者側(国・菅内閣、オリパラ組織委員会、東京都・小池都知事)と、それを抑制する役回りを演じながらアシストをする役割を演じる側との絶妙なる役割分担。
オリンピック開催も有観客の判断も、ずるずると時間を先延ばしして、国民が権力者にさからっても、何も変えることはできないとあきらめ無力感に陥るのを見はからっての共作芝居。
それをひそかに支援するのがマスコミの味付けが加わる。
もうじき、いっせいにメディアは、国民をオリンピックへの熱狂へまきこむべく総力をあげることだろう。
めでたし、めでたし。
成田空港に到着したウガンダの東京五輪に出場す選手団9人のうち1人が、空港のPCR検査で新型コロナウイルス陽性だと確認された。
陽性になった選手は隔離されたが、他の選手は濃厚接触者とは認定されず、そのまま貸し切りバスで、合宿先の大阪・泉佐野市に移動した。
ウガンダを出獄する前からずっと行動を共にしていたはずの9人が濃厚接触者にはあたらないという判断は誰が下したのだろう。
少なくとも9人全員が同じ飛行機で日本に入っているわけだ。
今年、全豪オープンに参加した錦織選手が乗っていた飛行機で1人感染者が出た際、同乗者全員が2週間隔離になったという報道が記憶に新しい。
あのとき、錦織選手ら2週間隔離になった選手は、直前の練習ができなくて不公平だという話しが出ていた。
戸外での練習が禁止されていた錦織選手がホテルの部屋で壁打ちする動画で取材に答えていた映像も記憶している。
この徹底した厳格な規制が国民の安全と安心を守るという対策だ。
ウガンダ選手団の取り扱いをみても、国民の安心と安全を守るために全力を挙げるという標語だけで具体策を示さない感染対策が透けて見える。
オリンピックは特別だ。
オリンピックを開催するために対策基準も変えていく。
身勝手で悪いが、爆発的な感染が広がることになっても、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)までは感染が及ばないことを祈ることしかできない。
こいつは、いいよなー
コロナの終息は見えない。
我が国の、当面の一番の問題はコロナだろう。
しかし、国に確固たるコロナ対策の姿勢は見えない。
そんな中で、うやむやにオリンピック開催は決定事項になってしまった。
国民が何を言おうと、なにも変えられない。
もうしばらくは何も言いたくないと思ってしまう。
これが権力者の思うつぼ。
ただはっきりしているのは、国が行っているコロナ対策は、すべてオリンピック開催に向けての対策であるということだ。
オリンピック開催については、私の予測が少し外れていた。
私は、観客数制限は観客数上限なしの50%にしたいのではないかと予測していた。
しかし、どうやら1万人を上限にした50%制限に落ち着きそうだ。
あとは、どうやって、だれがそれを推し進めるかだ。
今、オリンピック開催方法と観客数を決定するにあたっての最終芝居が繰り広げられている。
菅総理は、専門家の方々の意見を参考にと言う。
それに対応しては、専門家といわれる尾身分科会長は、専門家有志で最終的な文言を詰めているという。
ただ、その内容は文言になる前に、そこかしこで内容を振りまいている。
いわく、「無観客での開催が最もリスクが少ない」「観客数が増えるほど対策の徹底が難しくなる」「その上で観客を入れるなら基準を厳しくすること」と。
こんな意見なら、なにも専門家に言われるまでもなく、私でも思うこと。
要は、「ボクはオリンピックを止める権利はないから無観客にしろとは言えないけど、無観客の方がいいと言ったよね」「あとは決めたあなたたちの責任だからね」という責任逃れの弁でしかない。
こんなどうでもいい意見でも、総理は専門家が注意すればやってもいいというので注意してやったと言って、責任を免れるつもりなのだろう。
微妙な和区割りブンタンを取り決めて、お互いに責任逃れの役を演じているわけだ。
小池さんも微妙な役を演じ分けている。
コロナ前は主催者としての権利を東京都知事と国で争っていた。
特に小池都知事の強権的な姿勢が目立っていた。
ところが新型コロナ対策となると、お国が決めることですからと逃げに入る。
緊急事態宣言と取り扱いも、蔓延防止措置についても、国と地方自治体が互に責任を譲り合っていて、どちらが責任者なのかをわからなくしている。
対立しているかに見せて責任者不明にするための猿芝居だ。
ひとつだけはっきりしているのは、コロナ対策の措置のすべてがオリンピック開催を見据えて決められているということ。
緊急事態宣言解除による、イベントの観客動員数の上限1万人がしかりだ。
オリンピックとは関係ないというけれど、だれもそんなことは思わない。
1万人まで入れるぞという意思表示がみえみえ。
飲食店の時短要請は継続するが、種類の提供は19時までは認めるというのも、オリンピック選手団他関係者の施設内でのアルコール飲食を認めるための口実。
これについても国は、必要とあれば地方自治体が種類の禁止を独自に定めても良いと、国民に対する責任追及を逃れる道を作りながら、オリンピック関係者のアルコール飲酒を可能にする方策だろう。
オリンピックは開催する。観客は入れる。
その決定のもとにすべては動いている。
今やっているのは、責任者が誰かわからないように、それぞれの偉い人たちが役割分担をしているところ。
かくして責任者不明のままにオリンピックが開催される。
それを誰も止めらることはできない。
しあわせなやつら!
うやむやに、東京オリンピック開催は決定した。
次は観客入場制限の緩和だ。
入場制限の緩和もうやむやにすすめられている。
まずは、観客の入場制限判断が先送りされそうだ。
当初、4月に入場制限の基準を示す予定だった。
しかし4月に判断は示さず、6月に先送りされた。
ただ、すんなり6月に先送りされたわけではない。
判断基準を示すはずだった4月になっても一向に判断は示さず、判断が先送りされるのではないかという雰囲気を醸し出した。
いつ正式な判断基準を下すのかと言うたびたびの質問にも、はっきりとした回答はしなかった。
そして、6月に先送りされそうだという話しを流しつつも判断は示さない。
最終決定を6月に先送りするのかと質問の度々の質問に対してもすぐには答えず、4月半ばになって「4月中に方向性の判断をする」と答えた。
なんと、「4月中に」「方向性の判断を」するという答え。
そもそも4月に基準を示す予定であったのに先送りの期日も示さず、それを決断する期日も確答しない。
ずるずると期限をのばし、結局うやむやなままに6月に先送りした。
その6月も、すでに中旬。
いまだに、入場制限の判断を下されない。
うやむやに、うやむやに、やり過ごしながら、オリンピック開催にこぎつけた。
うやむやに、うやむやに、精いっぱいの観客動員を画策しているはずだ。
私は、こう予測する。
「オリンピックの観客の入場制限は、最大数上限制限なしの50%まで」
今だ、観客数制限の基準を示さないということは、そういうことだ。
うやむやにやり過ごせば、国民はうやむやに流される。
怒ることもないままに、忘れ去る。
結局、そういうことなんだなあ。
1日に観客数だけで7万人もの人が会場に集結する。
観戦チケットのない一般客も多数集まる。
その結果がどうなっても、だれも責任を糾弾されることはない。
私の予測がはずれることを祈っている。
オリンピックを中止しろという声が聞こえなくなった。
この国は、いや、この国に限らず、平民の声は無視される。
私は、この国のことしか知らないが、いつからか議論をすることもなく、国民の声を聴くことをせず、権力者がやりたい方向にしか進まなくなっている
国民の質問をはぐらかし、まともに答えなくなったのは小泉さんが総理大臣のときからか。
それでも議論はあった。
小泉さんは、はぐらかしながらも質問に答えていた。
そして安倍総理のときから、質問に向かい合うことを一切しなくなった。
マスコミは反対の姿勢をとり、それをはぐらかしながら、想定通りオリンピックは開催される。
ここ数日、反対の演技をしていたマスコミたちは、こうなってしまえば仕方がないという体をつくろっている。
誰も自分が旗振りをすることはしない。
そして、絶対的な責任者のないまま、オリンピックが盛り上げられていく。
開催されてしまうと、マスコミは一斉に感動と興奮をかきたてる。
感動と興奮の中、総選挙に持ち込み、またしても自民党は快勝する。
そんな話とは無関係にさんたろうは平和な眠りをむさぼっている
オーストラリア野球連盟が、東京オリンピック野球の世界最終予選を辞退すると発表した。
辞退の理由は、克服できない困難のためということである。
コロナウイルスの影響による渡航のリスクを考慮して辞退を決めたのだろう。
世界最終予選は中国も辞退を発表している。
結局、世界最終予選はオランダとドミニカ、ベネズエラの3カ国だけで行われることになる。
世界最大のビッグイベンターであるIOCが金づるを手放すわけはなく、そのおこぼれにあずかるJOCも、それにまとわりつく営利集団も目の前にぶら下がった金を手放すことはしない。
オリンピックなにがあっても開催されるのわけで、開催する側の輩にとってはそれは暗黙の決定事項なのだ。
オリンピックに人生をかけて、文字通り血のにじむつらく厳しい練習を重ねてきた選手のためにも、オリンピックは開催してあげたい。
開催は決定事項なのだから、コロナ蔓延防止対策に集中することだ。
性善説で、コロナ蔓延防止にご協力くださいなんてことを言うだけではコロナの拡散は防げない。
中国を見習って、厳しい監視と罰則をで行動を規制することだ。
小柳ルミ子さんが、最新8日のブログで、小池都知事に「標語遊びをやめていただきたい」と怒りを訴えた。
私も、前々から小池知事の標語遊びには不快感を感じていた。
私は小池さんのそれを、くだらないダジャレ遊びのキャッチフレーズばかりつくって満足しているだけで、何の解決策も出していないと腹立たしく思っていたが、うまく表現できなかった。
小柳さんの意見は、実に私の気持ちをそのまま代弁してくれていた。
尊敬の意を込めて、小柳さんの意見を原文のまま転載させていただきます。
小池知事といえば、会見で毎回、あたらしい標語(スローガン)が書かれたパネル(フリップ)を手に持ち、説明する姿がみられる。
小柳は「小池都知事 標語遊び辞めませんか!!」と題してブログを更新。「小池都知事様 標語遊び辞めて頂けませんか! 『上手い事考えたでしょ』と漫画で描かれたパネルを持ち笑顔で説明されますが このコロナはとてつもなく【シリアス】な問題なのですよ!」と『上手いこと考えた』感が透けてみえる“どや顔”で標語を発表する姿に怒りをまじえ反対した。
さらに「しかも新標語が『8時だヨ みんなかえろう』ですって?! これは『8時だヨ 全員集合』を文字っての事ですよね!小池都知事! も~お忘れですか?! 志村けんちゃんがこのコロナに侵され命を奪われた事を!小池都知事には人としての思いやりがないのですか? ご遺族がどんな思いでこの新標語を見聞きすると思いますか!」と昨年3月、志村けんさんがコロナで亡くなったのに、コロナのふざけた標語にするとは何事だ、と憤った。
そして「人の心のひだを汲み取る事の出来ないお人柄には 尊敬の念も ありません!」と批判している。小柳はブログの最後に「あくまでも私の見解です」と付け加えている。
小柳さん!「あくまでも私の私の見解です」なんて付け加えなくてもいいですよ。
多くの国民が感じていることを実に的確に痛烈に表現してくれました。
僕は青春時代、小柳ルミ子派ではなくて、今もルミ子派ではないけど、あなたのサッカーへの取り組みとともにあなたの意見を支持します。
東京都知事、総理大臣、五輪担当大臣をはじめとして、オリンピックにかかわる責任者たちは、全員、手柄は自分が独り占めにして責任は人に押し付ける。
国民はみんな、それが見えているのにどうにもできないもどかしさ。
こんな日本に誰がした。
ここ数日のテレビの「傘がない」は、カップヌードルのフタ止めシール廃止報道。
新型コロナの感染状況やワクチンの接種状況。そしてオリンピックはどうなるか。
人を殺してみたくて一家殺害した事件や、ラブホテルで風俗嬢を殺した事件。
そんな大きな事件に肩を並べる話題が、カップヌードルのフタ止めシールが廃止になるというニュース。
カップヌードルは、今年発売50周年だという。
インスタントラーメン、カップ麺大好きおじさんたる私は、50年間で何個のカップヌードルを食べてきたかわからない。
即席麺の種類が増えて、最近はカップヌードルはときどきしか食べていないが、過去をざっとふりかえってみると、少なく見積もっても2000個は食っている。
それなのに、カップヌードルにフタ止めシールがついてたなんて今回のシール廃止報道を聞くまでまったく知らなかった。
「フタ止めシールがつきました」なんてCM見た覚えがない。
昨日、買い物に行ってカップヌードルを手にして底面を見たら、確かにあった。
「フタ止めシール」という表示もある。
知らなかった。
今月からフタ止めシールを廃止して、 開け口を2つにした新形状のWタブになったものと入れ替わっていくらしい。
手にしたカップヌードルを買って帰り、フタ止めシールとの別れを惜しみつつ、人生初めて、フタ止めシールでフタを閉じてカップヌードルを作ってみた。
久々のカップヌードル。すっきり美味い!
感染症対策分科会の尾身会長の、衆院議員の厚生労働委員会での「普通は、このパンデミックの中での五輪開催はない」と発言した。
さらに、「そもそも五輪をこういう状況のなかで何のためにやるのか。それがないと、一般の人は協力しようと思わない」とも述べた。
この発言について、丸川オリンピック担当大臣は「我々はスポーツの持つ力を信じて今までやってきた。全く別の地平から見てきた言葉をそのまま言ってもなかなか通じづらいというのは私の実感」と答えた。
昨日の夜のニュースでこの発言を聞いたとき、私は、丸川五輪相の言葉が即座には理解できなかった。
「全く別の地平から見てきた言葉をそのまま言ってもなかなか通じづらいというのは私の実感」という発言の中の、「全く別の地平」とは何か。
「その言葉をそのまま言っても」と発言しているが、これは「どう思うか」という質問に対する答えとして発言しているのだから、「私(丸川)が意見をそのまま言っても」という意味だろうと私は思ったもので、なんともわかりにくい言葉で質問に対する回答をはぐらかしているのだと感じた。
つまり、私は(丸川)は、「私は全く別の地平から(五輪を)見てきているので、そんな私が見てきたものをそのまま言ってもなかなか通じずらいというのが私の実感」だから、質問にお答えしてもあなたたちには通じないだろう」と、質問に対しての回答を避けたのだろうと理解した。
昨晩は、この言葉の意味が今一つ理解できなくて、なにか引っかかったままだった。
そして今朝、ワイドショーや新聞を見ると、この発言が大きな問題になっていた。
別の地平から見ていたのは尾身さんで、そんな尾身さんが何を言おうと、そんな言葉は通じづらいと思いますよ」という発言だったのだ。
私は、昨日、本当にわからなかった。
いまさらながらに、自分の読解力の低さを思い知らされ、凹まされてしまった出来事だった。
しかし、言い訳をさせてもらえば、そもそも感染症対策分科会というのは政府の肝いりで作った組織でしょう?
その組織の活動を別の地平での活動だと言い放つとは思わなかった私が間違っているのでしょうか?
私は、丸川氏の頭の構造の方が別地平に飛んでしまっているではないかと思いますけどねえ。
オリンピック開会まだ1カ月余りとなった。
主催者各位の姑息なうやむや作戦成功で、ここまで来てしまえば、どういう形であれオリンピックは開催されるのだろう。
どたばたの中で、すっかり忘れていたが、オリンピック・パラリンピック開催のために今年限定で祝日が移動している。
7月23日のオリンピック開会式に合わせて、その前日の7月22日に7月19日の「山の日」が移動。
開催当日の23日には10月11日の「スポーツの日」が移動している。
オリンピック閉会式の8月8日には,8月11日の「山の日」移動。
この日が日曜日のため、次の日8月9日月曜日は振替休日となる。
祝日移動には法改正をしなくてはならないのだが、法改正が正式に交付されたのは昨年の12月4日。
次の年のカレンダーや手帳の販売は前年の7月、8月くらいに始まっているから、多くのカレンダーや手帳が祝日移動に対応していない。
ということで、今朝、手作業で書き換えをした。
やってみたら、結構面倒。
大事な朝からこんなことをやっていて、他にやることないのかよ!
7月 訂正前 7月 訂正後 19日の日付は黒マジックで上塗り
突然、残忍に、命を奪われた女性。
殺した男。
殺した男は名前も顔写真すらも報じられない。
不条理に命を奪われた女性は、名前も職業も晒される。
女性は風俗嬢。
殺人の場所はラブホテル。
ハイエナマスコミが舌なめずりして襲い掛かる。
ラブホテルは新型コロナの影響で売り上げをダウンしているはず。
殺人事件でさらなる売り上げダウンになるだろう。
ホテルも大きな被害者。
私は殺人者の人権はだんじて認めない。
人を殺したヤツを更正させるために数千万円もの税金を投入するのであれば、その金を被害者救済にあてるべきだ。
誰もがそう思っているだろう。
る 国会で新型コロナウイルスに関連して、特別措置法と感染症法の改正案が成立した。
国会の協議の中で問題となったのが、違反した場合の罰則が「罰金」なのか「過料」なのかということだ。
どうして問題になるのかというと、罰金は刑法で決められた刑事罰である。
罰金刑は前科となるのだ。
過料は行政罰で、行政上の処分として反則金を納付することになるが前科はつかない。
交通違反の反則金も過料の一つである。
交通違反を刑事罰としてしまうと、国民の多くが前科者になってしまうという事態になる。
それでは具合が悪い。
だから行政罰として反則金を納付するだけでよく、刑事罰には問われない。
日常会話では罰金と言う言葉でひとくくりにしてしまうが、法的にはまったく別物なのである。
国会で罰則を罰金にするのか過料にするのかが問題になったのは、そういうことなのだ。
ホントは、菅原前経産大臣が議員辞職をしたことについて書こうと思っていて、その前置きで書き始めたのだけど、時間がなくなったのでこれにて終了。
そんなの、わたしには、関係ない。
ぐっすり、お昼寝です。
6月1日。
月の初めの日だから明るい話を書きたいのだけど、どうにも明るい話題が思いつかない。
今日は朝から、快晴。
空気もからりとしていて気持ちがいい。
晴れた空をアップするだけというのも芸がないなと思いつつ夕方になった。
夕方に届いた、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)限定ローカル夕刊紙「夕刊デイリー」に楽しい記事があった。
一面に「アユ漁解禁」の大きな写真。
今日は当地の五ヶ瀬川水系のアユ漁が解禁日だった。
「愛好家『初日はお祭り』ワクチン接種の県外組も」の小見出し。
当地の鮎を目的に県外からの釣り人も訪れている。
アユ漁が解禁になると本格的な夏が訪れる。
今日は暑かった。
車の温度計は、外気温30℃を表示していた。
新型コロナ渦中でのオリンピック開催が危ぶまれているが、高温多湿の危険対策も忘れてはいけないんだよなあ。
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