瀬戸内寂聴さん 八田武己さん 安らかにおやすみください
瀬戸内寂聴さんが亡くなられた。
99歳だった。
瀬戸内さんは、つい最近まで執筆をしておられた。
毎月第2木曜日、朝日新聞の土曜版「be」に「寂聴 残された日々」と題してエッセーをお書きになっていた。
つい先月10月も配信されていて、筆の力はまったく衰えを感じさせないものだった。
週刊朝日には、横尾忠則さんとの往復書簡「老親友のナイショ文」を連載されていた。
半世紀のお付き合いのお二人の、自由奔放でユーモラスなやりとりを楽しく拝見させてもらっていた。
10月15日号(10月5日配信)から、瀬戸内さんが風邪をひいて体調が悪いので用心のために療養しているということで、瀬戸内さんお気に入りの秘書の瀬尾まなほさんが瀬戸内さんのリリーフして筆をとっていた。
すぐに復帰するということでのリリーフだということだったが、復活はかなわなかったようだ。
ペンを握ったまま、机の上の原稿用紙にうつぶせになって死ぬことが理想だと言っておられた瀬戸内さんだったが、その理想に近い最期だった。
そんなおり、今日、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)限定ローカル紙夕刊デイリーに八田武己さんの訃報が報じられていた。
81歳だった。
当地の最長老と言える不動産屋さんだった。
今年拙は、「倒れるまで現役」を宣言した。
しかしここ数年、拙が目標にしていた師匠をはじめとする先輩の不動産会社の社長がつぎつぎと後進に道を譲っていかれる。
そんな中八田さんは、現役で会社の最前線にたって仕事を続けておられた。
拙は、八田さんといっしょに仕事をしたことはなかったが、今年に入って、80歳を越して現役でやられている八田さんに話を聞きに行こうと思っていた。
つい先日、11月1日、八田さんの片腕のベテラン女性社員さんとばったり出会い、「八田さんは元気でやってるの?」と聞いた。
「変わらず会社に出てますよ」ということだったので、「近いうちに八田さんにお話をききに会社に伺います」とやりとりをしたばかりだった。
夕刊デイリーの訃報広告に、「故人は、亡くなる5日前まで出勤し当日まで電話で指示するなど、最期の最期まで現役を貫き通した仕事一筋の人生でした」とあった。
人生をまっとうされたお二人にはただただ敬服するのみ。
拙は、今死ねば、「まっとうした」と胸をはって言える人生ではない。
瀬戸内さんの、「今からでも好きなことを全力でやればいいのよ」という言葉は心の支え。
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