大晦日 年取り 年越し
大晦日。
今年も残すところ1時間となった。
大晦日は、年越し、年取りの日である。
新しい年を迎える前夜で、この日を境に一つ年を取ることになる。
ちなみに数え年の数え方は、生まれた時点の年齢が1歳。
その後、正月を迎えると2歳。
以後、正月が来る毎に1歳を加算する。
お正月で1つ年を取るので、大晦日を「年取り」と言うわけだ。
大晦日は、新しい年の年神様を迎える年越しをするため深夜まで起きているという習慣があった。
子供たちも、この日は夜更かしが許される。
そして待ちに待った楽しいお正月を迎える。
ただ、私の年齢になると、お正月は楽しいばかりではない。
あー、またひとつ年齢を重ねてしまうんだなと、自分の年齢を強く自覚させられるのだ。
幸いこれまで、夫婦ともに大きな病気も怪我もしなかった。
子供も育ちあがって家を出て、今は不自由なく夫婦二人暮らしを楽しんでいる。
二人暮らしをしていて老化を感じるのは、夫婦そろって固有名詞が出なくなったこと。
テレビを見ていて、出演者の名前が思いだせないことが多くなっている。
顔なじみの俳優の名前が、さっと浮かばない時がある。
いっしょにテレビを見ていて、私が思い出せない役者の名前は、たいてい家内も思いだけない。
そんなとき、「あんたもこの俳優の名前を思い出せんじゃろ?」と聞くと、ほとんど正解である。
不思議と、私と家内で、名前を思い出せない俳優、女優、タレントが一致する。
出演者の名前がわからないとき、素知らぬ顔でテレビを眺めながら、相手に悟られないように記憶の箱を探し回って、競争で先に名前を思い出す作業をする。
先に思い出した方がすばやく、「〇〇」と大声で回答。そしてドヤ顔。
勝ち誇って、「うっ、ほっほ。勝った!」としたり顔。
そんな小さな戦いが最近の我が家の流行りである。
昔、「零細企業の経営者にはボケはいない。なぜなら資金繰りに頭を使っているからボケるヒマがない」という笑い話を聞いたことがある。
私は金儲けは下手で、家族に贅沢をさせてやれるような経済状態になったことがない。
私は、子供たちには、「我が家は金持ちじゃなくて贅沢な生活をしたことがないから、ちょっと美味いものを食べたときに、こんな美味しいものがあったのかと感動するし、欲しいものを手に入れたときに飛び回りたいほどの喜びを感じられるのだ。最初から金持ちの家に生まれた子供は、生まれたときから美味しいものばかり食べているから、美味しいものを食べても感動しないし、何を買っても飛び回るほどの喜びを感じないのだ」と言ってきた。
家内には、「お金が無い、無いと、不満を言っているけど、お金の心配をして頭を使っているからボケないのだよ。金儲けの下手な旦那に感謝しなさい」などと言ってきた。
そんなこんなではあるが、お客さんに大きな迷惑をかけることもなく、手数料をいただきながらも感謝の言葉をいただく仕事をさせていただいて数十年。
それを誇りに、この年齢まで来てしまった。
新しい年を素直にはよろこべない年になってしまったが、まだまだ新たな気持ちで新年を迎える気持ちの方が大きい、大晦日の私である。
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