今日までそして明日から
1月も今日で終わり。
明日からは2月。
あわただしく日にちが過ぎていく。
なぜか、ふと、吉田拓郎の「今日までそして明日から」が頭をよぎる。
年甲斐もなく。
« 2021年12月 | トップページ | 2022年2月 »
1月も今日で終わり。
明日からは2月。
あわただしく日にちが過ぎていく。
なぜか、ふと、吉田拓郎の「今日までそして明日から」が頭をよぎる。
年甲斐もなく。
先週からウォーキングを始めた。
去年の11月に酷いぎっくり腰をやって以来、一日に2000歩も歩かない生活をしていた。
体力には自信があったのだが、年には逆らえないもので、みるみる体力が落ちていくのが身にしみてわかる。
自宅の2階に上がるのにも息切れをする。
良いお医者さんに出会って、腰の具合も少し良くなってきたので、健康年齢を延ばすために、先週から軽くウォーキングを始めることにした。
ウォーキングの時間は、夕食後の8時くらいから30分程度。
現在当地(宮崎県の北端の町・延岡市)は、まん延防止重点措置により飲食店の時短要請発令中。
私の家は延岡駅から5分程度のバス通り沿いにある。
ウォーキングコースは市街地のバス通り沿いの歩道の周回コース。
田舎町とはいえども繁華街を歩いているのだが、ほとんど人が歩いていない。
今日は、ちょうど夜の8時に家を出たのだが、4㎞ちょっと40分のウォーキング中、ただの一人とも人と出会わなかった。
交差点の信号は吐いているのだが車もめったに通らず、ウォーキング中に交差点で信号に止められることもなかった。
店はすべてシャッターをおろしていて、町に人の気配を感じられない。
コンビニにも人の姿が見えない。
ふと、地球上に自分一人になってしまったのではないかと不安になった。
朝になったら人が出てくるのだろうか。
そんな今日の出来事だった。
年初のことで、欠かさずブログの更新を続けてきていた。
更新を切らさないためだけの更新になっていたから、今日はちょっと長文のブログを書いていた。
なのに、スマートフォンで書いていたもので更新ボタンを押そうとしたらサイト移動をしてしまって、一瞬で記事が消えた。
日にちの変わる時間寸前のこと。
再度書く気力もわかず、またしても更新のための更新とあいなった。
す私の身の回りでも新型コロナに感染した人が複数出てきた。
当地(宮崎県の北端の町・延岡市)では、お正月はコロナの影はなかった。
それがこの1週間で、あれよあれよという間に感染が急拡大してきた。
今日は、仲良くお付き合いしている同業会社2社から感染者が出たという話を聞いた。
ちょくちょく顔を合わせている友達も感染したという。
朝にそんな話を聞いて、仕事である企業を訪問したのだが、駐車場に車を入れようすると、ただならぬ気配。
異変を感じ、駐車場に車を乗り入れずにやりすごし、ちょっと離れたところから様子をうかがっていたら、なにやら防護服を着た二人が駐車場内を動き回っていた。
よく見ると、駐車中の数台の車の中には人の姿があり、その方たちに防護服の人がなにか話をしている。
耳をすますと、「濃厚接触にはならない」というような言葉が聞こえる。
企業内でクラスターでも発生したのだろうか。
私の周りでは新年会はすべて中止。仲間内で集まって飲食をすこともせず、極力人の集まるところを避けて用心していても、かかってしまうのがオミクロン株のコロナらしい。
私は、従来から人付き合いが悪く出不精。酒がのめないので飲み食いをする友だちも無く、性格が皮肉れていて人に好かれるタイプではないので用もなしに訪ねてくる人も少ない。
そんな生活だから、コロナ感染の確率は少ない。
今日、コロナに感染したという人たちは、人との接触活動量が私に比べると20倍くらい多い感じだ。
今日聞いたコロナに罹ったという友人は、温厚で人付き合いがよく交際範囲は多岐にわたる男で、私の100倍くらいの人脈をもっているだろう。
人との接触の機会の多い人ほど感染の確率は高まる。
かといって、私みたいに人付き合いが少なくてもタイミングが悪ければ、かかるときはかかる。
罹らないことを祈るのみ。
久々に、安倍前総理が記者に囲まれている場面が報じられていた。
何やら明るい。
歴史的な税金の無駄遣いのアベノマスクが、希望者殺到で足りないくらいだと自慢気に発表していた。
7900万枚余っていて、すでに6億円以上の保管費がかかっていて、無料配布で希望を募ったら2億8000万枚の申込が入ったのだそうだ。
安倍さんは、こんなに国民から求められていたんですよとばかりにおおはしゃぎしていた。
マスクに使った税金は400億円。
400億円あったら病院がいくつ建てられただろうか。
失敗は人に押しつけて、知らん顔を決めこんで、おとなしくしていたのに、人が尻拭いをしてくれたら自分の手柄のようにしゃしゃり出るってどんな精神なんだろうなあ。
2年前のコロナ発生当時、「毎月100万円から200万円の持ち出しになっている」と嘆いておられたホテル経営者の方がおられた。
去年11月ころにお会いしたらずいぶん顔色がいい。
コロナが終息していたから利用客も少し増えてきているのだろう。
それて「コロナが終息してきてお客さんは増えてきましたか」と尋ねてみた。
すると思いがけない答えが返ってきた。
「去年は過去最高の売り上げだったんですよ」
回復どころではなく過去最高の売り上げだった?
コロナが終息してきて観光地は人出が増えているというニュースは見ていたが、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)は、いわゆる観光にはあまり縁のない地域。
「そんなに旅行客が増えたんですか?」と聞くと、「『ジモ・ミヤ・タビキャンペーン』のおかげですよ」という。
『ジモ・ミヤ・タビキャンペーン』というのは、宮崎県民の宮崎県内での宿泊に対する補助金がつく制度だ。
しかし、宮崎の観光地と言えば高千穂とか宮崎市青島や日南。
そんなに多くの県内客が当地に押しかけてくるとは思えない。
よくよく聞いてみると、ホテルの利用客は延岡市の市街地から遠い北方町、北浦町、北川町の人たちだったのだそうだ。
当地延岡市は、平成の大合併で北方町、北浦町、北川町と合併して九州で2番目の面積を誇る大きな市になった。
もともと、北方、北浦、北川町の人たちは延岡市街地に飲みに出て来ていたのだが、公共交通網が発達していないのでその足は車しかなく、帰りはタクシーか代行運転をつかうことになる。
合併前は延岡市とは違う行政区だったわけで、結構な距離があるのでタクシー・代行運転料金5千円以上になる。
私はその詳しい仕組みはわからないのだが、『ジモ・ミヤ・タビキャンペーン』を使うと5800円程度の宿泊費が実質無料になるのだそうだ。
それで遠方から延岡市街地に大挙してお客が押し寄せていたのだそうだ。
コロナ発生当初はどうなることかと経営の先行きが不安だったが、GoTo キャンペーンやさまざまな補助金で記録的な高収益をあげているとは驚きだった。
そして今日、また別なこんな話を聞いた。
久しぶりに偶然顔を合わせた、医療関係への納入業者さん。
私のお付き合いのある介護関係の経営者の方から、利用客が減っているし、予防や消毒に経費はかさむしコロナで職員の確保が困難で経営が厳しいという話を聞いていたので、「コロナの影響はどうですか?」と尋ねてみた。
すると、これまたどういうことでしょう。「この2年は記録的なの売り上げをあげているというのだ」
どういうことかと聞いてみると、「取引の病院が補助金で高収益をあげていて、設備を次々に新しくしている」ということだ。
政治屋を筆頭に、テレビに露出している専門家・評論家・医療従事者。それらにまつわる利権集団があるとは思っていたが、身近にもコロナ特需の恩恵を受けている人たちがたくさんいるんだと改めてびっくり。
東京のマンション価格がバブル期を超える高騰していると報道されていたが、福男の不動産業者さんも「今はバブルだ」と言っていた。
補助金ざぶざぶばら撒きは富裕国民により富を与え、その付けは一般庶民が背負うことになるのだろうなあ。
悲しいかな私は一般庶民。
仕組みが見えているのに恩恵にあずかる才覚がないことが、げに悲しい。
大相撲初場所優勝の御嶽海。
ゆりあんリトリィバァにしか見えないのだけど。
22日未明、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)を震度5強の地震が襲った。
突然ゴゴゴと地鳴りがしたか思うとギシギシと家がきしみ、家全体がワサワサと揺さぶられた。
このまま壊れてしまうのではないかというような不安で、床に這いつくばって次に来る揺れに備えていた。
しかし幸い、揺れは一度だけでおさまった。
深夜のことで、報じられるテレビ報道でもまだすべて気状況はわからなかった。
一夜明けて,貸家やアパートの入居者や住宅を購入したお客さんからの修理依頼の連絡を覚悟して待機していたが、少なくとも当社にはそんな電話は一本もなかった。
テレビの報道でも被害状況は同じ映像ばかりを繰り返して流すばかりだった。
思ったほどの被害映像は撮れなかったのだろう。
少なくとも私の知る限り、当市で建物に大きな被害を受けたのは1軒のみ。
その建物は、老朽化して物置代わりに使われていた建物のようで人が住んでいた建物ではなかった。
テレビのニュースではその建物が大きく壊れて見える角度からの映像だけを何度も流すので、市内に大きな被害が起こっているように見えたのだろうが、実際には驚くような壊れかたではなかった。
テレビが悲惨なシーンを探し回っても、その建物以上の被害は見つからなかったのだろう。
それで、昨日のブログには地震のことは書かなかったのだけど、遠方の友人知人から地震見舞いの電話をもらった。
テレビの報道を見て、大きな被害を受けているのではないかと心配をしてくれたのだが、当地では昨日は市長選挙の投票日で、地震よりその動向の方が市民の関心事だった。
地震が起きた瞬間からテレビは地震速報を流していて、テレビは災害時には実に頼りになるありがたい存在であった。
ただ、テレビは人を不安と恐怖を煽ることで大きな利益を得ることも職務としている。
被災情報を伝え被災者に情報を提供すると同時に、被災者の困窮状況をみずからの飯の種にするいう局面ももつ。
だから、大きな災害があるとテレビ各局が競い合って悲惨な映像を拾い集めて報道するわけだが、人に安心と平穏を与えることもあってもいいのになあ。
そう、つくづく思った今日の出来事。
ちょっと風邪気味かな。
鼻水が垂れる。
コロナではないことは確実。
だって、恥ずかしながら、人と密接な接触がないのだから。
今日は、それを口実に早目に寝ることにする。
先ほど、午前1時8分頃、突然の地震。
私の部屋は4階建ての4階。
地鳴りがして建物全体がガタガタときしむ。
半端じゃない大地震だ。
6年くらい前の熊本地震のときに経験した震度5弱の地震と同じくらいの揺れだ。
揺れは30秒以上揺れは続いた。
さらなる大きな揺れに備えて、うつぶせになって身構えていた。
揺れがおさまり、テレビをつけると震度5強。
熊本大地震の時は、2度3度余震が来て、何度も鳴り響いた緊急地震速報の警報音が恐怖を増幅させたことを思い出す。
今も、余震の不安を抱きつつテレビの地震報道を視聴している。
外を見まわす限り、大きな被害はないようだ。
ふ年々、正月の特別感は薄らいできていたが、この2年間のコロナ騒動でその傾向が極端に強まったように感じる。
昔は(具体的に何年前くらいの昔のことか曖昧な昔だが)、1月中に初めて顔を合わせた相手には「おめでとうございます」なんて言っていた。
さすがに20日過ぎにもなると、「おめでとうございます」はちょっと違和感も感じて、「あっ?今年初めてだから」という修飾語?をつけて「おめでとうございます」に「ですね」という接尾語?をつけた挨拶をしたりしていた。
今年は、私の感覚ではは成人式の後はお正月気分が全く失せていて、自分からは「おめでとうございます」という挨拶抜きで普段道理の「こんにちは」「おせわになります」と切り出してしまうことが多くて、相手から「あっ?今年初めてだから、おめでとうございます、ですね」なんて返されて、それに合わせて私も「そうでしたね。おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」なんてやりとりをしていた。
今日の気分はすでに2月に入っているような感覚で、私の身体からは正月はとうに過ぎ去ってしまっている。
ここ数年感じていなかった、今年はいい年にするぞという高揚感を感じている。
去年の暮れから持ち越した仕事に加えて新たな仕事がいくつか重なって押しかけてきていて、あわただしい毎日を過ごしている。
好事魔多し。
上滑りをしてしまうと奈落の底という不安も感じつつの1月20日の出来事である。
終息したかに思えていた新型コロナ。
デルタ株に代わって登場したオミクロン株のコロナは、感染力は大きいが重症化しないということで安心していた。
ところが想像をはるかに超えた感染拡大に日本中が大騒ぎになっている。
ここにきて、専門家と称される人たちの意見に統一性が無いことが露見している。
従来からの私の持論であるが、医療の専門家、感染症の専門家、薬学・化学の専門家というのはいるのだろうけど、新型コロナは今までに誰も経験したことのない未知のウィルスであって、経験のないウィルスがどう作用するのかウィルスにどう対処すればいいのか正確な回答はないのであって、新型コロナウィルスの専門家というのはなくて、それは今までに経験したことのある既知のウィルスのデータをもとにした予想や創造の世界でしかない。
だから専門家と称される人たちは、今までの経験から類推するととか、推測して、あーではないのかこーではないのかと「思います」という言い訳付きの意見を述べるというのが正直な専門家の態度ではないのか。
ところが、テレビに頻繁に登場する専門家と称される人たちは、推測で申し述べるべき意見を、さも究極の結論のように断じている。
しかしコロナは一向に終息には向かわない。
これは、誰の目にも見えない霊的なものを見えると称して、過去や未来に対して予言めいたことをいうインチキ霊能師やペテン占い師と同じ家業と言えるのではないだろうか。
テレビ的には人心を不安と恐怖に陥れることによって視聴率という飯の種を得ているわけで、感染者数が増えていることだけを競い合って報道することに熱狂している。
そのひとつが芸(能)人・著名人のコロナ感染報道。
芸(能)人・著名人が感染すると、トップニュース並みに大きく報道するが、それにどういう意味があるのか。
太平洋単独横断に挑戦していた人がコロナにかかったといえば大ニュースだろうが、人との接触が多い人気芸(能)人が感染するあたりまえのことで珍しい話ではない。
と前々から思っている、今日の私の出来事でした。
このところ仕事が多忙を極めていて、のんびりインターネットで遊ぶひまがないから余り不自由は感じないのだけど、パソコンのネット接続が不調が続いている。
本業のホームページの更新をしなければいけないのもあるから、明日は時間を作ってネット構築をせんといかんなあ。
スマートフォンで長い文章は書けない。
パソコンがどうにも不調である
私は文書作成もエクセルでやっていて、文書作成には支障がないのだが、インターネット接続ができない。
新規にパソコンやパソコン周辺機器を購入したり買い換えた時には、ソコンがどうにも不調である
私は文書作成もエクセルでやっていて、文書作成には支障がないのだが、インターネット接続ができない。
新規にパソコンやパソコン周辺機器を購入したり買い換えた時にや、新しいソフトを導入した時は全身全霊を動員してパソコンの設定をすることになる。
すべての設定が完了するまでには2,3日かかることもある。
設定中は、なんで買い換えることなく使えるパソコンができないのかと、腹立たしい気持ちを抑えながらひたすら設定に没頭する。
しかしパソコンってやつは、いったん設定が完了すると便利極まりない道具となる。
設定のあとは、食事の時に無意識に箸を使うように使っているのだが、箸と違うのは時々勝手に設定が変わってしまうことがあるのだ。
今がそれ。
インターネットの接続がうまくいかない。
パソコンが悪いのか、ネットワーク接続の危機が悪いのか、それがわからないからイライラする。
こうなってみると、今、パソコンで一番使っているのはインターネット関連の機能だ。
今日も,スマートフォンアプリでの投稿。
ストレスの限界。
し
ブログを書こうと思ってパソコンを開いたのだが接続できない。
何度やってもインターネット接続ができない。
スマートフォンで書こうと思ってアプリを開こうとしたのだが、11月25日からログイン方法が変わったとのことで、これまた繋がらない。
パソコンをあれこれ、スマホをかれこれ、いじくりまわしてみるが堂々巡り。
いらだちは沸点に達し、パソコンのディスプレイを叩き割ろうか、スマホを床に叩きつけようかといった衝動にかられるがそれをやっちゃおしまいと、腹の虫をなだめすかしてやっとのことでスマホからの接続ができた。
パソコン、スマホ 使っても使っても霧の中
今日の深夜というのか未明というのか、夜中の12時杉のこと、テレビを消して布団に入って眠りに入ろうとしたとき、どこからか防災サイレンが聞こえてきた。
当地(宮崎県の北端の町・延岡市)は、市の中心部に大きな川が3本流れていて、大雨の時にダム放流をしたときなどに防災サイレンが鳴る。
サイレンの音は、その時と同じような音だった。
しかし、このところ雨は降っていない。
なんのサイレンだろうと思って耳をすましてみる。
遠くから断続的にサイレンが鳴っている。
防災無線もの放送のような音声も流れているようだが、内容は聞き取れない。
消防車の非常案内の声も聞こえてきた。
今まで聞いた経験のない、町内会の有線放送からチャイムのような音もなった。
すわ!なにごとと思って、消防のアナウンスの声を聴くために起き出して窓を開けてみた。
よく聞き取れないが、やはり津波の警告のようである。
この時思ったのが、1回の事務所にあるパソコンの避難のこと。
私の住まいは事務所の上の3,4階だから、よほどの津波ではないと命に別状はないと思っているが、仕事のパソコンが水につかると大変なことになる。
防災無線放送も消防車の防災回覧も初めてのことで、私は一瞬動揺していた。
津波なら、テレビだ。
テレビをつけると、津波についての臨時ニュースをやっていた。
南太平洋のトンガでの火山の爆発により、津波の恐れがあるとのことだった。
それによると、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)は津波注意報のエリア。
まずは一安心。
今回の大噴火は1000年に1度の出来事らしい。
世界中には100年に1度、1000年に1度のできごとがいくつもあって、それがいつ自分の生きている時代に発生するのか。
そんなことなんだろうな。
新型コロナもそのひとつ。
こんな中で人類は生きてきたのだなあと思った今日の出来事。
来客があった。
お母さんと子供さん2人の3人連れである。
お母さんの顔には見覚えがある。
お母様の方は、以前取引があったというアピール顔だが、どちらのどなた様かは思い出せない。
それで、私があいまいな応対をしていると、「〇〇です。わかりますか。」と名前を名乗られた。
6年前くらいに中古住宅をお世話したお客様だった。
どうされたのだろう。
古い中古住宅だったから不具合でも出てきて、改装の相談だろうか?
それとも、母子3人で来店とということは、ご主人がなくなって相続の相談なのか?
それに伴う売却の相談か?
あるいは、なにか取引上の不備があっての苦情か?
ご無沙汰は無事の便り。
取引の後にお客様から連絡があるときは、なんにか取引に問題があったときで、取引に問題がないと年賀状でのご挨拶以外には縁を切らしてしまうことが多い。
ただし、取引上の問題があった場合の連絡は取引後1年か長くても2年。
今日のお客様のように取引後6年も経ってからの苦情ということはほとんどない。
それで、先に書いた「ご無沙汰は無事の便り」なのだ。
取引した物件が問題がないとご無沙汰してしまうということになるわけだ。
しかし、6年経って見つかった問題点も無くはない。
多少不安な気持ちも抱きつつの応対となる。
「ご無沙汰してます。お変わりなかったですか。今日はどんなご相談でしょう。」
多少、ドキドキである。
お客さんの要件は、私の心配には及ばないことであった。
子供さんたちが訪問介護の施設を開設するための家を探してくれということであった。
取引後に縁を切らしてしまう不動産屋も良くないが、取引後に重ねて不動産のご依頼をいただくことは少ない。
嬉しい一日となった今日の悪徳不動産屋のできごとだった。
オミクロン株のコロナが今までにない旧劇的な勢いで感染を広げている。
人間はなすすべもなく混乱を深めている。
それにもかかわらず、景気は回復しているし、昨年の国内の倒産件数は57年振りの低水準だという。
給付金と支援融資、支払い猶予といった政策のおかげだろう。
コロナ後はどうなることやら。
不気味は続く。
昨日、テレビ出演のセレブの皆様が口をそろえて絶賛していたハリッサを手に入れて、期待で胸をいっぱいに味見をしてみたけど、なんとも私の口にはあわなかった。
この美味さがわからないというのは私の口が貧しいせいで、テレビでハリッサが一番合う食材として餃子につけてみたらおいしいはずだと思って今日の晩御飯を餃子にしてみた。
私は、いつもであれば餃子のタレはポン酢とラー油。
今日のボンズの相棒はハリッサ。
鉄板で焼いた餃子を、ハリッサ溶かしたポン酢につけて試食。
珍味というのだろうか、変わった味。
パクチーの香りが口腔に充満する。
がまんして食べていれば、この味が病みつきになるはずだ。
テレビセレブ達が全員絶賛したハリッサ。
これか不味いと感じてしまうのは私の味覚が貧しいということになってしまう。
子供のころ最初に食べたチーズは、石鹸をかじっているみたいで吐き出してしまった。
子供のころ無理やり食べさせられて苦手だった白和えやひじきの煮つけや煮物なんかも、年を取ってくると美味しく感じるようになった。
サンマのはらわたも、いつからだったか鉱物になった。
ハリッサの良さがわからないのは私の口が未熟だから。
テレビセレブたちは口が超えているからは最初からおいしく感じたのだから、私の口を訓練すれば美味しくなるはず。
そう思って、不味い餃子をがまんして、2個、3個と食べ続けた。
いつももは美味い餃子なのだが、同じ餃子が今日はなんとも不味い。
ポン酢とラー油のタレにつけて食べてみたら、美味い。
不味いものをがまんして食べるのは馬鹿馬鹿しい。
ハリッサは即座にお払い箱に決定。
いつものポン酢とラー油で餃子をたらふく食って、小さな幸せに浸った、3流平民の今日の出来事だった。
どうにも、私の味覚は三流のようだ。
またしてもグルメ番組で紹介された美味しいものの美味さがわからなかった。
ずいぶん前に、なにかのテレビ番組で紹介されていた「ハリッサ」。
調味料博士と呼ばれる小学生が絶賛していた。
餃子につけると劇的に美味くなる。
マカロニサラダにかけてもいい。
おにぎりにつけても美味い。
びっくりするくらいどんな料理にも合う。
エスニックだけではなく、和食や中華料理にも使うことができる、まさに魔法の万能調味料なのだそうだ。
番組の出演者たちも全員大絶賛。
番組中にググってみたが、アマゾンも楽天も売り切れ状態。
販売中のお店をが見つかったと思ったら、超高値。
放送後の過熱状態が過ぎて、落ち着いてきたころに買ってみようと思って手帳にメモしていた。
すっかり忘れていたのだが、新年で手帳を切り替えるために去年の手帳を見ていて思い出した。と
ネットで調べてみたら、案の定安くなっていたので購入した。
今日商品が届いて、どんなに美味いものかと、早々になめてみた。
変わった味。
エスニックというのか、日常にない味とでも言うのか、とにかくどうにも経験したことのない味である。
変な味。
下級な私の味覚では理解のできない味。
不味い。
私の体が拒否反応を起こす調味料が入っている。
これはなんだ?!
どこかで経験した味。
うーーん。なんだろう。
ほのかに感じるかめ虫の味(におい)
これはパクチー?
原材料名を確認してみる。
パプリカ、菜種油、食塩、にんにく、唐辛子、玉ねぎ、砂糖、醸造酢、ごま、コリアンダー、クミンとある。
ん?怪しいのはコリアンダーかクミン。
コリアンダーをググってみたら、コリアンダーとはパクチーを粉末にしたもののこと。
これだ、私の舌と鼻がうけつけないのは。
パクチーは好き嫌いが大きく分かれる食材で、苦手な人も多い食材。
番組では、出演者全員が「ハリッサ」の美味しさをそれぞれに表現していたけど、一人だって「このパクチーの香りいいのよね」なんて言っていなかった。
少なくとも私の周りでパクチー好きな人はいない。
テレビに出るような流行に敏感な人種にはパクチー嫌いはいないのだろうか。
というか、パクチーの美味さのわからない私には、「パクチーの美味しさがわからないなんて、遅れてるー」と言われたくないからパクチーを嫌いだと言えない人々がいるんじゃないか。
裸の王様を見ても「素敵なお召し物だ」と賛美していた市民たちのように。
またしても、自分の未発達な味覚を思い知らされて、負け惜しみを言っている私の今日の出来事だった。
『オモウマい店』というパラエティ番組がある。
常識を逸した値段の安さや大盛りサービスなど、「ウマい!安い!おもしろい!」飲食店を紹介するという番組だ。
今日、番組で紹介されていた店は、レギュラーサイズ一人前にキャベツ4分の3玉を使い、野菜がどんぶりの高さの倍くらい盛られたチャンポンが人気の中華料理店だった。
山盛りに積み上げられた野菜がどんぶりからこぼれてしまっている。
野菜不足の人が多いから、安くたくさん野菜を食べていただきたいというのがこのちゃんぽんの誕生の理由。
このほかにも、皿からはみ出すほどの野菜の盛られた皿うどんやら、牛肉をたっぷり使った中華丼風の牛肉丼やら、近くにあったら絶対に行ってみたいお店だった。
開店から閉店まで客足はとぎれず、家族でやりくりしているお店は片づけが追いつかない。
店主は朝は5時から店に出て、仕込みにはいる。
なにせキャベツだけでも1日に30玉を使用する。
切り分けた野菜は全部湯通ししておかないと注文をさばけない。
朝9時頃に仕込みが終わると、店の隣にある自宅で仮眠,。
開店前から店の前には行列ができる。
開店すると、片づけが追いつかないほどの繁盛ぶり。
夜10時過ぎに閉店した後は店の掃除とと厨房の片づけ。
11時半。片づけが終わると、夫婦で遅い夕食。
食事の後は、次の日の食材の準備にかかる。
全部が終わって、寝るのは2時過ぎ。
睡眠時間は2時間半だと言っていた。ほとんど仮眠である。
お見受けした感じでは、店主の年代は70歳前後。
「いつまでお店を続けるんですか」というレポーターの質問に、「体の続く限りやるよ。だって楽しいから」と即答。
ん!? これって、私の「倒れるまで現役」といっしょだ。
だけど私は、「楽しいから」の域にはたっていない。
とてもその域には達することはできないが、「倒れるまで現役」に「だって楽しいから」と言えたらいいな。
オリンピック精神で行こうか。
オリンピックは参加することに意義がある。
楽しくやってみようと思うことにも少しは意義があるかもしれない。
昨日から大相撲1月場所が始まった。
夕方の時間、まるまる大相撲観戦はできないが、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)出身力士・琴恵光の相撲だけは見ている。
今は、ネット配信で好きな時間にいつでも見たい取り組みを見ることができる。
琴恵光の昨日は、体重さ50kg以上の碧山相手に力強い相撲で押し出した。
今日の相手は、今場所新入幕の王鵬。
王鵬は昭和の大横綱大鵬の孫で、大鵬のDNAを引き継いでいると、将来を嘱望される期待の新人。
残念ながら今日は、琴恵光は王鵬に惜敗した。
この王鵬、大鵬の3女の三男として生まれているので、まぎれもない大鵬の孫なのだが、元関脇貴闘力の実子なのである。
貴闘力は私が好きだった力士だ。
小柄ながら、張り手を交えた強力な突っ張りで、名前の通り闘争心丸出しの相撲が好きだった。
当時私が大ファンだった貴乃花と同部屋で、貴乃花のライバル曙をたびたび倒して、貴乃花の優勝のバックアップをしてくれたことが、さらに私を貴闘力のファンにさせた。
3役、幕の内上位に定着すし、大関も期待された実力派力士だった。
一時幕尻に下がったときに、史上初の幕尻での幕の内優勝をしていることも記憶に残る記録だ。
そして、大鵬の3女と結婚し大鵬部屋を継いだほどの大力士なのに、なぜか王鵬は大鵬の孫でとは紹介されるが、貴闘力の子供だとは紹介されない。
それは貴闘力が、野球とばくで大相撲協会から解雇されたからだ。
相撲協会は古傷に触られたくないから、マスコミはそれを忖度して大鵬の孫としか報じないのだろうなあ。
王鵬は、顔つきも体系も貴闘力のDNAの方が強く表れている。
貴闘力のスピードと激しい闘争心、それに大鵬のふところの深い相撲とのいいとこ取りで、これからずっと上が目指せるだろう。
おっと。琴恵光も今場所はいい相撲をしている。
琴恵光は小兵ながら真っ向勝負。
今の大相撲で一番きれいな立ち合いをしている。
上を目指してほしいなあ。
正月明けして、さあ仕事にかかろうかと思っているところに連休が来る。
正月休みあけの暖機運転が終わって、体も頭も仕事モードに戻りかけたところに連休が入ってしまって、一気に精神がよだき心(なまけ心)に侵されそうになる。
この連休で新年のやる気を維持しないとけないのだなあ。
今朝の朝日新聞「声」の欄の 「42.195キロ踏破、私の成人式の勲章」の題名が私の目に留まった。
私は、60歳過ぎて突如フルマラソンを走りたくなって、初出場で完走して以来、「マラソン」の文字に反応してしまうのだ。
今日は、「42.195キロ」の文字に反応してしまった。
その投稿は、40年余り前の成人式で、振り袖の貸衣装が7万円もするので、それなら普通の洋服で、と思っていたところ、市の広報誌で「42.195キロを歩ききって成人式会場に入る」という企画を見つけて、それに応募し完歩したときの思い出の話だった。
投稿をそのまま引用させてもらう。
『40年余り前。成人式に着る振り袖の貸衣装を母と見に行くと、7万円もするという。それなら普通の洋服で、と思っていたところ、市の広報誌で粋な企画を見つけ、短大の友人3人と応募した。 成人粋な企画を見つけ、短大の友人3人と応募した。
それは、成人式前日の午後6時に博多駅を出発し、42・195キロを歩き切って成人式会場に入るというものだった。コースは福岡国際マラソンとおおむね同じで、100人以上が10班に分かれて歩いた。友とは別々の班になったが、企画には一般の方々も参加可能で、私の班には新婚さんや還暦の男性もいた。ペースメーカー役の男性はかなりの早足で、脱落者が次々と救護バスに乗っていった。
途中、公民館に設けられた休憩所でお茶や甘酒などをいただいた。降るような満天の星を見上げて感動した。朝まで歩き続けてぼろぼろになったが、拍手に迎えられて会場入りし、とても誇らしい気持ちだった。足の血豆が私の成人の勲章だ。成人式は晴れ着を着てお酒を飲むだけではなく、心に残ることをしてほしいと思う。』
私も42.195キロを完走た経験があるので、投稿者の感激が今のことのように伝わってきた。
コロナが収まったら、どこかの市町村が企画するといい。
参加者が多くなると大変だから、成人式参加者限定にしてはどうか。
42キロ歩いて成人式に出たいというもの好きはそう多くはいないだろうから、管理運営はボランティアを中心として行政に協力してもらえばなんとか開催できるのではないだろうか。
そんなことを思いながら、私の職場に掲示してある「青島太平洋マラソン完走証」を見たら、初出場初完走が8年前だった。
2回目の出場(これも完走)が5年前。3回目(完走)が4年前。
私の記憶の中では、初出場が4,5年前で3回目の出場は2年前といった感じであった。
げに、月日の経つのは速いものと、違った感慨も抱かされた今日の出来事だった。
昨日、今日のワイドショーでは、コロナを追いやって大雪での混乱がトップの座をしめた。
テレビ局はこぞって雪情報戦。
各局、大雪での混乱映像を競ってかき集めての報道合戦。
テレビ局対抗雪合戦といったところ。
コロナだ株価だ、政局だ、環境問題だと真面目?な報道よりも、身近に起きている大混乱の方が視聴率が取れるのだろうなあ。
安寧な日は続かなかった。
昨日、一昨日と宮崎市と西都市でコロナの新規発生者が出たという報道があったが、ついに今日、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)でも新型コロナの発生者が出てしまった。
当地では2カ月くらい新規発生はなかったという記憶である。
発生者のいずれも東京関連、福岡関連による感染。
東京に訪問(報道では訪問という言葉を使っていた)した人、福岡を往来した人、福岡から帰省した人。
人口の多い大都会で感染が拡がり、これからさらに全国に感染が拡がっていくのだろう。
それにつけても腹立たしいのが駐留米軍からの爆発的な感染拡大。
敗戦後70年を経ても駐留米軍の乱暴狼藉になすすべをもたないのが日本の現実だということを再認識させられる。
今日、突然、ご近所の方が来訪された。。
何か紙のようなものを手にして、困りごとの相談があるような顔に見える。
「何かありましたか?」
私の質問に対して、ご近所の方の口から発せられたのは、「ソンポジャパンの電話番号を教えてもらえませんか」という言葉。
「ソンポジャパン」?
一瞬意味がわからなかった。
「損保ジャパン」だろうか?
その話番号をなぜ私に聞きにきたのだろう。
当社は損保ジャパンとは何のつきあいもないし損害保険の代理業務もしていない。
「保険会社の損保ジャパンのことですか?」
「そう。損保ジャパンの電話番号を控えていたのだけど、わからなくなったので電話番号を教えてもらえませんか」
なぜ、それを私に聞いてくるのかわからなかったが、こんなことはよくあること。
なぜか、なぜそんなことを聞いてくるのだという、当社とは関係のない飛び込み客が多い。
道案内を求めて入ってくるのは日常茶飯事。
「水道の出が悪いのだけどどうしたらいのだろう」「テレビの映りが悪いけどなぜか」「トイレがつまった」「どこか美味しい食べ物屋を知らないか」「車が動かないのだけどどうしたらいいだろう」「携帯電話をもらないので、タクシーを呼んでくれないか」
今回の「損保ジャパンの電話番号を教えてくれ」のような、なぜウチに聞いてくるのということがしょっちゅうだ。
電話番号だったら「104」で聞けばいいのだろうが、「104」も今は有料。
悪徳不動産屋を、無料で利用するコンビニのトイレみたいに考えているのだろうか。
ちなみに、なぜウチに聞きにきたのか訳を知りたくて聞いてみたら、最近電話番号を調べようとおもったのだがNTTから電話帳をもらってないの、ウチにはNTTの電話帳があるのではないかと思って・・・とモゴモゴ言っている。
こんなやりとりをしていても時間がかかるだけ。
私はちょうどパソコンを開いていたところだったので、「延岡にある損保ジャパンの電話番号を調べればいいですね」と確認して、ちゃちゃっとインターネット検索して調べてあげた。
悪徳不動産屋の面汚し。今日はコンビニの無料トイレになってしまった。
「箱根駅伝」の全国到達人数が約6471万人。平均視聴者数は約1891万人だったそうだ。
全国到達人数?平均視聴者数?ってなんだ?
【到達人数というのは、個人視聴率の中で、「4才以上における1分以上の番組視聴を見た人数」で、その番組をどれだけの人が視聴したのか(到達したのか)を推計した値。】
【平均視聴人数は、その番組の放送時間を通じて、平均でどれだけの人が視聴していたかを推計した値】なのだそうだ。
よくわからないが、とにかく多くの人が箱根駅伝を見ているということはわかる。
年を追うごとに箱根駅伝の人気は上昇しているように感じる。
今年なんぞは、他局が視聴率競争をあきらめたかのような番組編成になっているように感じた。
いつもなら、箱根駅伝を中心にしつつ、チャンネルをくるくる切り替えながら他局のバラエティー番組も見るのだが、今年は朝8時前のスタートから午後2時過ぎのゴールまで、 心置きなく箱根駅伝を観戦した。
人がなぜ箱根駅伝に惹かれるのかということがワイドショーで話題になっていたようだが、選手のひたむきさに人は感動するのだ。
箱根を走るために苦しい練習に耐え、タスキをつなぐことに自分の人生をかける姿に人は惹かれるのだ。
選手たちの努力のどれほどのことを自分はしてきたのか。
かなわない彼らに、声援を送り拍手をしてしまうのだ。
当地(宮崎県の北端の町・延岡市)では、この時期には「行縢おろし(むかばきおろし)」と呼ばれる、強い北西風が吹き荒れる。
今年は風のない穏やかな三が日だった。
南国宮崎。1月でも風が無い日は、陽射しは暖かい。
今年のお正月は、小さな太陽が我が家を暖かく照らしてくれていた。
正月休みが終わり、その孫は帰ってしまった。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。
でも、悪いことも長くは続かない。
そんな言葉があったなあ。
私の家は、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)で一番大きい神社である今山神社に近い商店街にある。
宮崎県では29日間、コロナの新規発生はなく、当地、延岡では2カ月くらいコロナの新規発生は無い。
それにもかかわらず、通りを歩く人の出は少ないように感じる。
諸外国に比べたら異例といえるほど感染者数が少ないのにマスクをつけて歩く日本の国民性は世界に誇れるものだろう。
コロナ発生以前のお正月であれば、大晦日の夜の12時45分くらいから今山神社に初詣に出かける人の声が聞こえはじめ、元日の2時くらいまで街がざわついている。
今、事務所に降りてきたが人の気配は全く無い。
車もまったく通ってなくて、街は真っ暗だ。
不気味なほど静かなお正月だが、私の家の中は例年になく大きな笑い声が飛び交うお正月だった。
コロナの中でも、それぞれの家庭が、それぞれのお正月を迎えている。
「夜明け前が一番暗い」という言葉がある。
ここを乗り越えれば、きっと明るい明日が来る。
そんな予感のする今年のお正月。
世界がそうなってほしい今年のお正月。
いいお正月を迎えている。
年末28日の夜遅くに、初孫を連れて娘夫婦が返ってきた。
去年2月、初孫が生まれたのだがコロナ騒動で、なかなか会えなかった。
幸い、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)も娘の暮らす長崎も11月からほとんどコロナの感染者が出ていない。
感染に気を配りながら孫を連れて里帰りをしてきた。
生後10カ月の孫は人見知りを始めていて、返ってきた初日と2日目は抱き上げると大泣きした。
3日目になると、抱き上げても大泣きすることはなくなった。
今日は、私たち爺婆と娘夫婦と孫とで、自宅近くの今山神社に初詣。
天気予報では、全国的には大晦日から三が日にかけて記録的な厳しい寒さだという予報だったが、当地は風もなく穏やかな天気。
神社はいつもより控えめではあるが縁起物やおみくじの販売所を設置していて、露店も何軒か店を開いていた。
きれいな青空と暖かい陽射しの境内の風景が、「男はつらいよ」のお正月の風景と重なって見えた。
例年、年末の大掃除が中途半端で、正月に事務所の整理をしていたのだが、今年は大晦日に大掃除を終わらせていたので、今日、明日は心おきなく孫の相手ができる。
3日には孫は帰ってしまうが、4日からは、いくつかいい話が進みそうだ。
申し訳ないような、いいお正月を過ごしている。
最近のコメント