« インターネット 引き続き不調 | トップページ | もう、私の感覚では2月に入った気分 »

2022年1月20日 (木)

芸(能)人・著名人のコロナ感染報道に意味があるのか

終息したかに思えていた新型コロナ。

デルタ株に代わって登場したオミクロン株のコロナは、感染力は大きいが重症化しないということで安心していた。

ところが想像をはるかに超えた感染拡大に日本中が大騒ぎになっている。

ここにきて、専門家と称される人たちの意見に統一性が無いことが露見している。

従来からの私の持論であるが、医療の専門家、感染症の専門家、薬学・化学の専門家というのはいるのだろうけど、新型コロナは今までに誰も経験したことのない未知のウィルスであって、経験のないウィルスがどう作用するのかウィルスにどう対処すればいいのか正確な回答はないのであって、新型コロナウィルスの専門家というのはなくて、それは今までに経験したことのある既知のウィルスのデータをもとにした予想や創造の世界でしかない。

だから専門家と称される人たちは、今までの経験から類推するととか、推測して、あーではないのかこーではないのかと「思います」という言い訳付きの意見を述べるというのが正直な専門家の態度ではないのか。

ところが、テレビに頻繁に登場する専門家と称される人たちは、推測で申し述べるべき意見を、さも究極の結論のように断じている。

しかしコロナは一向に終息には向かわない。

これは、誰の目にも見えない霊的なものを見えると称して、過去や未来に対して予言めいたことをいうインチキ霊能師やペテン占い師と同じ家業と言えるのではないだろうか。

テレビ的には人心を不安と恐怖に陥れることによって視聴率という飯の種を得ているわけで、感染者数が増えていることだけを競い合って報道することに熱狂している。

そのひとつが芸(能)人・著名人のコロナ感染報道。

芸(能)人・著名人が感染すると、トップニュース並みに大きく報道するが、それにどういう意味があるのか。

太平洋単独横断に挑戦していた人がコロナにかかったといえば大ニュースだろうが、人との接触が多い人気芸(能)人が感染するあたりまえのことで珍しい話ではない。

と前々から思っている、今日の私の出来事でした。

 

20211031_085131

 

 

 

 

« インターネット 引き続き不調 | トップページ | もう、私の感覚では2月に入った気分 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

10テレビの功罪」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« インターネット 引き続き不調 | トップページ | もう、私の感覚では2月に入った気分 »

2023年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ