久米宏さんがどこかに去っていた
ふと、久米宏さんのことを思い出した。
私が久米さんを初めて知ったのはTBSラジオのアナウンサー時代。
そのときはまだ新人アナウンサーとして人気深夜番組のパックインミュージックの2部のパーソナリティに抜擢された。
しかし、すぐに病気で降板。
レギュラーを失っていたところに、永六輔さんの勧めで、永さんのラジオ番組の中継レポーターとなり人気アナウンサーとなっていった。
TBSテレビの「ぴったしカンカン」でその人気は全国版となった。
「ほにゃらら」という言葉は、この番組で久米さんが作った言葉だ。
TBSのもう一つの人気音楽番組「ザ・ベストテン」でTBSの看板アナウンサーの座を獲得した。
その後、TBSを退社。
テレビ朝日の「ニュースステーション」のキャスターとして、今までにない大型報道番組に作成から加わり民放の報道番組に大きな変化をもらたらせた。
60歳を目前にして18年余りのキャスター生活にピリオドをうった。
それ以後は、大きな番組を担当することはなかったが、私はTBSラジオで「久米宏のラジオなんですけど」という番組をやっているのを見つけて、その番組を聴くためにラジコの有料アプリを登録した。
2年前に「久米宏のラジオなんですけど」も突然終了。
ラジオ終了と同時に「久米ネット」というインターネット番組を開設してユーチューブで流していた。
私はチャンネル登録をしていのだが、ゆーちゅぶの久米さんは「ラジオなんですけど」のときのような覇気がなくなっているように感じていた。
更新数も少なく、いつの間にか見ることを忘れていたのだが、ふっと気になって「久米チャンネル」を探してみたけど、新しい更新が見つからない。
いろいろ探していたら、去年の5月の「ヨットに乗って少し旅に出ます」という更新が見つかって、それを最後に更新が止まっていた。
私には久米さんがなにか居場所を失ってしまったことによる結果のように思えて寂しかった。
手ごたえが少ない中で発信することの空虚感ではないのか。
それは私が更新をとぎらせることになる感覚である。
そう感じて、逆に私は、意気込まずに自己確認のつもりでもうしばらくは続けていこうかと思いなおしたところである。
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