肛門の素晴らしい機能
今、新聞の書評で、売れている本と言うことで紹介されていた「すばらしい人体」という本を読んでいる。
表紙はこんな感じで
表紙をめくると全身の骨格図
理科の教科書みたいな本のように思えるが、中身は面白い(interesting)な読み物だ。
さらにページをめくって、「はじめに」で、たちまちこの本のとりこにさせられる。
「はじめに」はこう始まる。
医学生時代に経験した解剖実習で、大変驚いたことがある。
それは人体がいかに重いか」という事実だ。
脚は片方だけでも10キログラム以上あり、藻もち上げるのに意外なほど苦労する。
一見軽そうな腕でも、重さは4~5キログラムである。想像以上にずっしり重い。
私たちは、身の回りにあるものの重さを、実際にておしなくともある程度正確に推測できる。
だが不思議なことに、自分の体の「部品」だけは重さを感じない。
日常的に「持ち運んでいる」にもかかわらず、である。
その答えを求めると、楽しく精巧な伝隊の仕組みが見えてくる。
なるほどである。
歩いていて、10キログラム以上ある足を運んでいるなんて感じたことはない。
これに続けて、目の機能について触れている。
人は、走っている最中、頭が上下に激しく揺れていても視界は揺れない。
この話をきいて「うんうん」と頭を上下に振っても、視界が上下に揺れることは無い。
ところがスマートフォンのカメラを目の前に構え、走りながら動画を撮影すると、映像は大きく揺れ動き視聴に耐える画像にはならない。
私たちの視界と、カメラが収める映像の違いは何なのだろう。
それは、私たちの体には、視界が揺れないための精巧なシステムが備わっているのだというのである。
ここまで読んで、全面降伏。
次を読み進める。
次の話がもっと面白かった。
私たちが「おならができる」のは、肛門に近づいてきた物体が個体か液体かきたいかを瞬時に見分け、「気体であるときの排出する」という機能を持っているからである。
肛門が、おならと大便を識別できるという事実。
何にも考えず、当たり前のように使っていた機能。
おならなのか、うんこなのか、識別できないと大変なことになる。
おちおち、おならもできやしない。
いちいち全部、トイレに駆け込んでいたのではしごとにならない。
言われてみれば実に大切でありがたい機能である。
かくして一気に読み進めることになる。
著者は、医師として医学を学び、人体の構造・機能の美しさに心を奪われたと言い、その一坊で、この素晴らしい仕組みを損なわせる、「病気」という存在の憎らしさも実感してきた。
そして、病気の成り立ちを理解し、病気によって失われた能力を取り戻すのも、医学の役割であるとして、読む人を科学の世界に引き込んでいく。
なるほど、売れる本だなと思ってご紹介させていただいた次第。
ちなみに宣伝料はいただいておりません。
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