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先々週の14日、I先生にブログ更新の督促が気になってブログを更新した。
更新が途切れていたのは仕事が忙しかったから、という内容だった。
その後、またしても10日くらい更新していない。
I先生の目が気になる。
先週ブログの更新が途切れているのも、仕事が忙しかったせい。
ちょっと金額の大きな契約と、決済があった。
決済の方は東京の住友林業系の不動産会社との契約だったのだが、これが非常に手間がかかってストレスのかかる仕事だった。
このことについてはまた、悪徳不動産屋の口として、その詳細をお伝えしたいと思っている。
今週は、怒涛の2週間が過ぎ、ちょっと時間に余裕がある。
それでキーボードを一叩き。
今日の朝日新聞で、安い服が流通していることについての問題を取り上げられていた。
その記事の中に、「アパレルは完全な機械化が難しい」という言葉があった。
私はカタカナ語が大の苦手で、「アパレル」という単語も、意味不明瞭なまま耳にしていた単語だった。
何気なく使っていて、衣服とかファッション(ファッションはカタカナ語であっても、身に染みて感じている単語)関係の単語であるという認識だった。
今日の新聞記事の「アパレルは完全な機械化が難しく、人の手が必要とされる産業」という言葉をみて、「アパレル」の意味をしっかり全身に焼き付けようと思ってググってみた。
解説は、「衣服。特に既製服」。
納得。
今日以後「アパレル」は私の全身に焼き付いた単語となった。
しかし、いつも思うのだが、なぜ「衣料産業」ではいけないのだろうか。
私は、言葉がその国の国民性を形成すると思っている。
日本語で育ち生活することによって日本人の国民性が形成される。
英語で育ち生活する人には英語圏の国民性が形成される。
英語を学ぶのは、その国民性の違いを知ること、という高校1年の時の英語の先生の言葉が私の全身に焼き付いている。
国民性という言葉で説明できない言葉に「アイデンティティ」という言葉がある。
「アイデンティティ」という言葉を日本語で置き換える単語は見当たらない。
そんな言葉(単語)はしかたがないが、通常の日本語で表せる言葉があるのに、わけのわからないカタカナ語に置き換えることは日本人のアンデンティティを放棄することにほからならないというのが私の憂い。
学生時代、英語の勉強をなおざりにして英語が苦手な年寄りの遠吠えでもある。
お前たちの言葉もわからんなあ
今、ブログを書こうと思ってパソコンを立ち上げ、ブログの管理ページを開いたところ、4月7日のブログが公開されずに下書きに保存されいるのをいた発見した。
書きたいネタがあるのでパソコンを立ち上げたのだが、この話もしておきたい。
ということで、4月7日に書いた記事を本日公開。
よかった、よかった。なにかにつけてついている今日この頃だ。
マスターズ・トーナメントの「チャンピオンズディナー」のメインディッシュに宮崎牛が提供された。
「チャンピオンズディナー」とは、初日の2日前の火曜日に、前年の優勝者自身がメニューを選び、歴代の優勝者にでィナーを振る舞うという格式の高い行事。
今年は、去年の優勝者松山秀樹選手がメニューを決定した。
そのメインディッシュに宮崎牛が使われた。
我が郷土宮崎で開催されるダンロップフェニックストーナメントには数多くの有名選手も数多く参加していて、宮崎牛の美味しさには定評がある。
フェニックストーナメント経験者であるジョーダン・ピークスは、ディナーのメニューを知り「宮崎の牛肉は最高なんだ。本当に楽しみだ。」と喜んでいたという。
宮崎県民として嬉しいかぎりだ。
実は、河野宮崎県知事が、松山選手が日本人初優勝を果たした際に、祝福の手紙と宮崎牛を送り、その手紙の中で「来年のチャンピオンズディナーのメインディッシュに宮崎牛を」と提案していたのだそうだ。
河野県知事の大あっばれ、大手柄ですね。
気がつけば、またしても、10日もブログの更新が途切れていた。
そろそろI先生から、「どうなってるんだ」とのメールが入るころ。
ちょっと余裕ができたので、手短に更新。
実は今週は、不動産売買契約3件、決済1件という、私の不動産業界歴40年で一番の忙しさだった。
元来、私は、自分でもあきれるほどのよだきんぼ(宮崎弁で、怠け者)で、複数のまとまりそうな商談を抱えると、ほっとしてしまって、自分の都合でスケジュールを組んで、仕事を調整してしまう癖があった。
全部の仕事を一気に仕上げて、爆発的な成績をあげようなんて欲が無い。
これとこれを今月の契約にして、これは来月に持っていこうなんて、そんな『よだきんぼ(宮崎弁で、怠け者)』な営業マンだった。
それは私が、慎重で臆病なせいでもあって、これは『よだきんぼ』の言い訳なのだろうが、3つも4つもまとまりそうな商談を同時に進めると、どれか間違いを犯してしまいそうな不安があって、一つ一つ方づけていこうというやりかたでもあった。
その真偽のほどはとにかく、やり手のトップセールスマンなら朝飯前のことなのかもしれないが、現実的に一週間に3件の契約は私にとって初めてのこと。
ということで、このところブログを書いている余裕はなかった。
明日もう1件契約が控えているが、今日、2件目の契約を終わらせ、ちょっと余裕が出たのでI先生から「どんげしたっけ?(どうしたのか?)」というメールをもらう前にと、キーボードを叩いている次第。
私が忙しくしているのは、今、いっしょに不動産業務をやっている清水君のおかげ。
彼は、私が試験のこつを伝授して宅建の試験に合格したいきさつもあって、清水不動産として開業して今、私の会社と業務提携して共同で仕事をしている。
ついでのことに自慢をさせてもらえば、私の指導で宅建を合格した人はこれで3人目。
3人の宅建合格の奇跡はまた、話題が無い時に使わせてもらうことにしよう。
ともあれ、今、不動産業の新人清水君と二人三脚で仕事をしているのだが、おこがましいが、いわば私が師匠で彼は弟子。
この弟子が、信じられないほどよく動くのだ。
物件調査。人との面談。
次々に、新たな案件の相談がかかる。
彼は、1日に8時間以上の時間のすべてを不動産の仕事に費やしているようなのだ。
私の長い不動産業歴の中で、多くの中の良い同業者たちと過ごしてきたが、不動産屋は「よだきんぼ(怠け者)」が多い。
1件1件の収益額が大きいから、要領が分かってくると、あまり几帳面に細かく動き回ることをしなくなる。
これは私の思い込みではなく、昔読んだ不動産屋の裏話的本に「不動産屋は怠け者の集団」という話しがあった。
このブログを書くにあたって仲の良い不動産業者に、ちらっと内緒でブログのネタにするという目的を隠して、「1日に何時間仕事していると思?」という質問をしてみた。
「完全な仕事と言う意味での時間は2時間かなあ?3時間かなあ」という返事が大半であった。
情報交換と名目での仲の良い同業者との雑談、人脈作りという名目の気の良い仲間との集まり。こんな時間を仕事の時間にカウントしないで、実際の契約に向けての仕事に絞って計算すると2,3時間と言うのが昔流の不動産屋の仕事量なのだ。
しかし、若く、不動産業と職業に意欲に満ちた若者は違っていた。
私はこう見えて(どう見えているかはわからないが)、人の目を気にしながら生きてきた人生。
弟子の目を気にして、師匠たらねばならないと、手を抜けなくなっている。
その結果が、1週間で3本の契約という結果になった次第。
こんな言葉が身に染みる。
「負うた子に教えられ浅瀬を渡る」。
教えるつもりが教え子に、私の生涯目標である「倒れるまで現役」の力添えをしてもらっている。
今日、午前10時28分、救急車両の緊急サイレンで消防署の防災案内ダイヤルをまわすと、「こちらは延岡市消防本部です。ただいま博労町付近で建物火災が発生してます。」のアナウンス。
博労町といえば、私の住む恵比須町の隣接。
どこだろうと事務所から外を見ると、すぐ目の前に大きな火の手が迫っているではないか。
事務所の前のバス通りを隔てて、2軒先の家のようだ。
表に出ると、火災になっている建物の近くに人だかりができている。
ちかづいてみると、大きな炎が民家の2階の屋根を突き破っているのが見える。
まだ、消防車の姿が見えない。
心配してあつまった群衆から、消防車が遅いとの声が上がっている。
西側の道路を隔てた隣家から煙が上がっているのが見える。
類焼しないように水をかけないといけないと思ってみているのだが、放水作業の様子はない。
しばらくやきもきして見ていたのだが、東側の隣接が大きな介護施設なので、延焼を恐れて、消防車はそちらに回っているようだ。
介護施設側から放水しているのが見えた。
見えるところにも、やっと消防車が到着した。
未知が狭くて大きな消防車が入らなくて消防に手間取っているようだ。
火災発生から3時間以上経ったが、火は収まっていない。
今年は、近くに2件目の火事である。
ただ、ただ、恐怖である。
ウクライナの人々の恐怖はいかばかりか。
和田秀樹著「70歳が老化の分かれ目」を読んでいて、私の長年の疑問であった、サザエさんのお父さんの謎が解けた。
和田氏は、前後日本人の栄養状態が改善されたことで日本人の寿命が延び、体格も良くなり若々しい元気な高齢者が出現してたきたと解いている。
そのことをわかりやすく説明するエピソードとして、サザエさんのお父さんをこう取りあげている。
「サザエさんの連載が始まったのは1947年。父親の磯野波平は54歳の設定だった。今の私たちから見ると、どう見ても60代半ばに見える。それくらい現在の日本人は若返ってきた。」
なるほど!そういうことだったのだ!
私の長年の疑問が晴れた。
サザエさんの連載が始まったのは、1947年(昭和22年)、 戦後間もない頃。
日本中が焼け野原なって、物が不足し満足に食べるものもなかった時代だ。
そういえば、私が子供だった頃の記憶をたどると、近所にいる60歳代の人はすごい老人だった。
この時代、定年は55歳ではなかったか?
記憶を正確にするためにググってみたら、やはり定年は55歳だったようで、1980年代になって定年55歳から60歳に引き上げることを努力義務とすることが法制化されている。
高齢者の仲間入りした私でさえ、今の時代のサザエさんのお父さんの容姿には違和感を感じる。
今の若い人たちは、サザエさんを、私たちが時代劇を見るような感覚で見ているのではないだろうか。
昭和の時代に生きてきたわたしたちが、江戸時代を舞台とした時代劇を楽しんできたように、令和からの先の時代の人は、昭和の時代を舞台としたドラマが時代劇として楽しく観ることになるのかもしれないなあ。
この子は14歳。最近少し動きが悪くなってきた。
昔は10歳まで生きる猫は珍しかった。
昔は、だしを取った後の煮干しの入った味噌汁をご飯にかけたものが餌だった。
今は、キャットフードや缶詰やレトルト食品だものな。
やはり栄養状態がよくなって猫も長寿になってきたのだなあ。
「半藤一利 昭和史」という本を読んでいる。
半藤一利さんは、私にはなじみの薄い人である。
ウィキペディアによると、ジャーナリスト、戦史研究科、作家とある。
私にとっては、私が高校生のころに話題となった映画「日本の一番長い日」の原作者であるいうことがうっすら記憶にある程度の人だった。
「半藤一利 昭和史」は、去年亡くなられた際に「日本の一番長い日」といっしょにとりあげられていたもので、そのときからずっと読んてみたいと思っていた。
1カ月前くらいに図書館から借りて来て、ちょっと読んだだけで、返却期限が来ていったん返却していた。
日露戦争、満州事変、第二次世界大戦の歴史を語り下ろした500ページの長編の本で、登場人物の名前を覚えるのが苦手な私は、最初の数十ページでギブアップしたのだった。
ただ、満州事変の話がちょうどロシアのウクライナ侵略と重なる部分があるように感じた。
語り下ろしのせいか、歴史小説の苦手な私にしては読みやすいと感じた。。
返却期限に追われて返却したものの、その後のロシアのウクライナ侵攻の様を見ていると、もう一度読んでみたくて再度借りて読んでいる。
プーチンの暴走とロシア国民の感情は当時の日本の一部の軍人の戦略と日本国民の姿と大いに重なるものがある。
今は日本には報道の自由がある。
報道制限が行われることのないことを願っている。
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