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しばらくブログの更新から遠ざかっていたという意識はある。
ということで久々にブログのページを開いてみた。
私の意識では4,5日は更新してなかったなという感覚。
パソコンを開いてみて驚いた。
前回の更新から1週間以上経っている。
時間があっという間に過ぎてしまう今日この頃。
仕事についても同様。
しかし、仕事で8日も時間の空白をけてしまうわけにはいかない。
だから仕事については、手帳に記録することにしている。
記録をもらしてしまうと大変。
と思いつつ、後で記録しておこうと思って記入してないこともたびたび。
こんなときには、あわててしまう。
それを補うのが、スマートフォンのメモ機能やら、スケジュール機能。
中でも頼りになるのがスマートフォンの通話の全録音機能。
通話内容を確認してメモ漏れの保管をしている。
通話内容の全録音機能はすこぶる便利のいい機能で、電話での会話はいちいちメモしなくてもいい。
通話相手の電話番号や住所を聞いたり、時間の待ち合わせをする際もメモをしなくていい。
これに慣れてしまって、ついつい会社の固定電話で話をするときにメモを取り忘れることがあるので、固定電話にも全部録音の機能のある電話機を導入している。
自分に自信がないもので、こんな便利な器械の機能を利用してなんとか支障なく仕事を続けている。
さて、明日から忙しくなりそうな1週間が始まる。
お前が一番いいよなあ
くる黒田東彦日銀総裁が、自身の「家計が値上げを受けいれている」という発言について、「まったく適切でなかった」と撤回した。
黒田氏は6日の講演で、東京大学の渡辺努教授の家計への調査を引用したもの。
「なじみの店でなじみの商品の値段が10%上がったときにどうするか」との問いに、「他店に移る」と回答した割合が昨年8月に比べ、今年4月は減少したことなどを踏まえ、「家計の値上げ許容度も高まってきている」などと発言していた。
発言については、相次ぐ値上げで家計の負担が増す中、認識がずれているとして批判が高まっていた。
衆議院財務委員会で「消費者と認識が違う」などと発言の撤回を求められる等、批判の声は高まるばかり。
それに応じる形で謝罪したのであるが、偉い人たちの謝罪会見というのはどうしてこうも反省のかけらもないものになるのだろう。
黒田氏は「家計が苦渋の選択として値上げをやむを得ず受けいれているということは、十分認識している。家計が値上げを受けいれているという表現は適切でなかった。誤解を招いた表現で申し訳ない」と述べた。
十分認識しているというのは嘘だろう。
自分にとって都合のいい調査結果が発表された。
それが権威ある『東京大学』の『教授』から発表したされたものだと言えば、平民はそれに屈服するだろう。
そんな浅はかな魂胆だったのだろう。
あにはからんや、調査結果の反応を見間違えたのはお山の大将の総裁とその周辺だった。
お偉いさんたちの謝罪の定型句のように、「誤解を招いた表現で申し訳ない」と結んだが、「誤解を招く表現になってしまった」というのは、「自分は間違ったことは言ってない」という言い訳。
まったく謝罪にはなっていない。
平民は誤解なんかしていない。
平民は、あんたらが思っているよりずっと賢いのだ。
「あなたの認識は間違ってるぞ」と、全員で糾弾しているのだよ。
平民をなめてはいけない。
平民はなめられてはいけない。
こいつは、なめてはくれない。拾ってきて13年になるが、いまだになつかない。
当社で、日向市美々津町に中古住宅の売却の依頼を受けている。
美々津は神武天皇が大和の国(奈良県)へ向かわれたときのお舟出の地として知られている。
売却依頼を受けている中古住宅は、美々津を走る国道10号線から100メートルくらい坂を上った高台にあり、太平洋を一望できる。
お船出の神話にちなんでデザインされた石灯籠型の灯台、通称美々津の灯台を眼下に見下ろす景勝の地で、私は気に入っている物件なのだがなぜかなかなか売却が決まらない。
そんな中、久しぶりに先日問い合わせが入ったと思ったら、庭に置いてある大きなコンテナ倉庫のみを売ってもらえないかという話だった。
思いがけない問い合わせで、正直相手にしたくはない話だった。
売りに出している中古住宅の倉庫だけを売ってもらえないかとわざわざ電話してくる心境が私に理解できなかった。
倉庫なんてホームセンターかなんかで買えばいい。
売りに出している中古住宅の倉庫なんてなくてもいいはずだから安く譲ってもらえるのではないかというくらいの発想だろう。
私は悪徳不動産屋。こんな話を売り主さんに相談するのはメンドクサイ話でしかない。
私が売り主であれば即座に断るはなし。
しかし物件は私の所有物ではない。
なにがしかの対価の支払いがあるのであれば売り主さんは売りたいと思うかもしれない。
それで、「売ってくれという話ですが、いくらくらいであれば買いたいと考えていますか」と聞いてみた。
すると、「相場はどのくらですか」ときた。
こんな倉庫が頻繁に取引されているわけではない。
繰り返し言うが私は悪徳不動産屋。ストレートに「こんなもの相場もへちゃちゃもないですよ。いくらなら買ってもいいと思っているのですか」と聞く。
すると、「売り主さんはどのくらいなら売ってくれるでしょうかね」と聞いてきた。
悪徳不動産屋は答える。「売り主は倉庫だけを売るなんて考えはないのだから、高ければ売ってもいいと思うだろうし、タダみたいな値段を考えているのだったら売らないでしょう。大した金額を考えている訳ではないだろうし、そんな話の間をとって調整するのもメンドクサイ話で、いくらなら買ってもいいという数字を出せば聞いてあげます。」
すると、「10万くらいだったらどうでしょう…」というので、「10万ですか」と、おそらく私のことだからぶっきらぼうに確認すると、「15万円くらいまで考えます」とのこと。
家がなかなか売れていない状態で、倉庫のみの売買の話で手数料なんかもらえる話ではない。
私にとって手間はかかるが、残念ながら善良なる消費者様から感謝されることもないので楽しい話ではないが、売り主さんとしては15万円なら売ってもいいと思うかもしれない話だ。
それで、売り主さんにはそのまま意向を伝えた。
売り主さんの第一声は「どちらがいいと思います?倉庫があった方が売りやすいか、なくてもいいか。どう思います。」
私が今まで、案内をしたお客さんは、全員倉庫があることはセールスポイントとしてとらえてくれていた。
私は、それを強調した。
倉庫があるとなにかと便利がいいというお客さんばっかりで、倉庫がないほうがいいというお客さんはいなかった。
だから倉庫だけ売ってくれという話は断りましょうかと誘導するつもりで話をした。
売り主さんは考えて返事をしますとのこと。
しばらくして電話があり、15万円なら売りますとのこと。
売り主の返事を、倉庫購入希望の方に連絡。
これまた、考えて返事しますとのこと。加えて、一度コンテナの中を見せてもらえますかとのこと。
ほれほれ、中も見ないで買いますってことにはならないよね。
それから2日、返事がなかった。
15万円なら購入したいといったものの、よく考えたらやめますってことかな。
悪徳不動産屋は、むしろ、そうなってくれることを希望していた。
ところが今日の朝まだ開店前に倉庫のお客さんから(私に収益をもたらせない人なのだけど、お客さんなのか)電話が入った。
今日、中を見せてもらえますかとのこと。
美々津までは車で片道約1時間。
行ってきました。
コンテナについて私は説明を求められても答えるすべを持っていない。
挨拶をかわして、コンテナのシャッターを開けて、勝手に見てもらうしかない。
いろいろ質問を受けても答えようがないので、「私は不動産屋で、これは不動産屋の仕事ではなくて、ホームセンターか古物商の分野の仕事ですから、質問を受けてもお答えできません。どうぞこころおきなく見てください。」と先制宣言。
お客さんは「それは、そうですね」と快諾。
何にコンテナを使うのか。今どちらにお住まいなのか。もともと美々津のご出身なのか。この近辺の土地相場はどのくらいだと考えていますとか、私の聞きたい情報収集をさせていただいた。
結局、想定通りコンテナの購入については即決はされず、検討してご返事しますということで別れた。
往復の時間と内見の時間の3時間とガソリン代を使って、どちらに転んでも私は1円の収入にもならない話であったが、売却依頼を受けているお客さんへのご奉仕と思っての仕事。
ただ、このお客さんとの会話の中で思いがけない情報収集ができ有意義な時間となった。
果たして、倉庫は売れるのかな。
売れることになると、商品の受け渡しと代金の授受。責任は負わされそうだが、その見返りのない仕事。わりにはあいません。
こんな愚痴を言うからこその悪徳不動産屋。
双方がこのブログを見るかもしれないけど、腹に一物は私の主義に合わないものでご容赦いただきたい。
ただし、裏をかくようなことは絶対にしない。
悪徳不動産屋を自負しているが、漫画の正直不動産の主人公の考え方と行動が私に似ているなと思っている今日この頃。
テレビドラマは見ていないが、単行本は現在14巻
先週に引き続き今週の日曜日にも賃貸物件の案内を希望する電話が入った。
お客さんが「今日は休みですか」と聞いてきたので、「一応休みです」と答えた。
「一応」をつけるのは私の小さいな良心。
先週の日曜日のように、どうしても今日案内してほしいと言われればその要請に応じるつもりである。
このお客さんは、私のわがままをすんなり了解してくれて、「明日は何時からやってますか」と聞いてきた。
結局10時半に案内することになった。
案内にあたっては、まずは当社事務所に来ていただいて同行案内するのが原則なのだが、物件の場所はわかっているので直接現地に行ってはいけないかとおっしゃる。
この物件は、住宅街から入り込んでいて、東と南と西が山に囲まれている。
そんな立地だから、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)の家賃の相場からして格安にしているのだが1年くらい空いたままになっている。
超格安な家賃設定のせいで内見を希望するお客さんは多い。
不動産屋から見て、家賃を考えたらそこそこ優良物件だと思うのだが、ホームページの写真写りが良いのでお客さんの期待値が高すぎるのか、なかなか決まらないのだ。
この1年で30件以上の案内をしたが決まっていない。
決まらない一番の理由は立地。
このお客さんは、この物件の近くに住んでいて場所は知っているという。
立地が気にならないのであれば、家自体は気に入るはずだ。
やっと決まると思って、約束の時間の15分前に到着。
玄関を開け、室内の窓も前回にして空気を入れ替え、お客さんの到来を待った。
約束の10時半になったがお見えにならない。
宮崎は、日向時間と言って時間の約束にルーズなところがある。
お客さんが10分くらい遅れるのは当たり前のこと。
そう思いつつも、いらいらしながら到着を待つ。
この物件は場所が入り込んでいるといったものの、徒歩6、7分のところにセブンイレブンがある。
だから、せめてセブンイレブンで待ち合わせにしたかったのだが、お客さんか場所はわかっているので現地で待ちたいというので、この物件のすぐ近所に住んでいるのか、もしくはすぐ近所に親せきか知人の家があるのだろうと思っていた。
歩いてこれるところにいるのだから、15分以上遅れることはないだろうと思って待っていたのだが、まだこない。
さすがに、これはおかしい。
電話を入れてみる。
「〇〇様ですか。今日10時半のお約束だったですよね」と尋ねると、「はい。私は物件の前で待っているのですが、どうなっているのかと思ってました。」と言う。
「えっ!どこで待たれてるんですか?」というと、セブンイレブンの近くだと言う。
セブンイレブンのすぐ近くらしい。
なぜ、そんなことになったのか。私は混乱した。
「場所は知ってますということだったけど、そこではないですね。」
ということでセブンイレブンにて落ち合うことにした。
お客さんは、恐縮して私の方に駆け寄ってきた。
手にしているIpadの画面を開いて私に見せた。
「この家でしょう?お宅の会社のホームページの写真と同じ家でしょう?」と、私を責めるように言う。
家の形は似ているといえば似ている気もするが、形も壁の色も屋根も周囲の景色も違っている。
決まると思って喜んで案内に来たのだが、これは無理。
ここで解散しても良かったのだが、お客さんは一応見てみたいということで案内。
予想通り気に入っていない、と私は感じた。
お客さんは、「ちょっと考えてから返事します」とのこと。
私は悪徳不動産屋。そんな言葉を期待して連絡を待っているのは時間のロス。
「私は、こちらから押しかける営業はしませんから、連絡はいたしません。お客さんも、借りたい時だけ電話してください。断りたいときは連絡はいりませんから」と伝えた。
なんと愛想の悪いことだろう。
お客さんから、「猫ちゃんかわいいですね」なんて言われてしまった。
このお客さん、当社のホームページから私のブログも見られたようだ。
このブログも読まれるのかもしれない。
これゆえに、私は悪徳不動産屋と言われるのだ。
かわいいって言われたのは、どのこだ?
先週の日曜日。
私の店は日曜日は定休日。
全国的に不動産会社の定休日は水曜日が標準のようだが、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)では日曜日を定休日にしている不動産会社が多い。
社員5人以上の会社は日曜日もやっているところがあるが、個人経営的な不動産屋はほとんど日曜日を休みにしている。
不動産会社は同業他社の物件も紹介しあって成り立っているので、同業他社の大半が休みをとる日曜日に開けていても仕事にならないという局面もあって、それを口実に当市では大半の不動産業者が日曜日を定休日にしているのだが、実のところ日曜日に休みたいから休んでいるというのが本当のところだろう。
少なくとも、私はそうだ。
ということで、私はお客様の要望は無視して休みにしているのだが、電話はすべて転送にしてどうしても日曜日に商談をしたいというお客さんには対応するようにしている。
そもそも結構ヒマな不動産屋だもので、めったに日曜日に案内してくれとか日曜日に相談に期待というお客様は少ない。
電話がかかっても、不要不急の話しであれば、「今日は休みです」とまず答えると、ほとんどのお客さんはこちらの都合に合わせてくれる。
というか、こんなやる気のない不動産屋は相手にしたくないということで他の不動産会社に行ってしまうのかもしれないが。
先週の日曜日には、それが通用しないお客さんから電話が入った。
知らぬ中ではないお客さんで、といってもお客さんの定義を当社に利益を与えてくれた人とすると、当社では制約をしたことはない人で、飲食店をやっていてその店を利用して私はその店に利益を与えているから私がお客さんなのかもしれない、そういう意味ではお客さんというよりも知人とするべき人からの電話だった。
要件はその方の経営している飲食店の近辺にワンルームの賃貸物件は無いかということだった。
職業がら、不動産会社に知り合いが多いようで、私もその他大勢の不動産屋の一人として物件情報を求められてきた。
それもありがたい仕事だが、私は悪徳不動産屋。休みの日にはなるべく仕事はしたくない。
一件要望に該当する物件があるのだが、「今日は休みで、今(隣町の)日向市に来ているところだから明日ではいけないか」と聞いてみると、なんとか今日案内してくれないかとのこと。
「なんとか今日」という理由は、今日、他の不動産屋からも近くを案内してもらうことになっている。できたら一緒に済ませたいので、今日にならないかと言うことなのだ。
私が管理している部屋は、この人の店から徒歩1分の場所にある。
決まる可能性は低くはない。
しばらく空いたままになっている物件なので、せっかくのチャンスだからと思って、日向市から早々に帰ってきて案内をした。
内見には同伴者を連れてきていて、私が紹介した物件のほうが距離的には断然近いのが利点だという言っていた。
即決しそうな感じだったが、「もう一つの物件と比較して、明日連絡します」ということで別れた。
私の感想は、決まりだろうなと思った。
しかし、次の日連絡はなかった。
私は、「またか!」と思っただけ。
この人には、物件情報の問い合わせは何度も受けてきている。
探している最中や相談事があると、しつこく(失礼、訂正)熱心に連絡をしてくる。
しかし、私は仕事に熱心でない悪徳不動産屋。
こちらからはしつこい連絡はしない。
今回も、また他の不動産屋で決めたようだ。
私は悪徳不動産屋だけど、こんな強烈に案内を要求した人が、お手数をおかけしましたとも、何にも言ってこなくても、善良なる消費者様はこんなもんさと独りごちるのみ。
お前は太平楽。そんな寝相で体は痛くならないのかい?
街を見下ろす超高層ビルの高層階。
全面ガラス張りのフロアーから立ち並ぶビル群をながめる男性の後ろ姿。
そこにテレポートして現れた、若くイケメンでやりてのIT営業マンが男性に声をかける。
「社長テレワーク進んでますか?」
男性はイケメン営業マンのクライアント会社の社長なのだろう。
社長はたずねる。
「頑張っている社員たちをちゃんと評価するにはどうすれば?」
イケメン営業マンはそれに答える。
「それには結果だけでなく、プロセスを見守ること。テレワークも見える化すれば、隠れた努力が見えてくるんです。」
その答えに社長はつぶやく。「努力を見落とさないIT運用管理」
その言葉にイケメン営業マンの言葉が重なる。「はい。それがスカイシークライアントビューです。」
テレワークの運用管理のシステムを販売する会社のCMだ。
「がんばっている社員の隠れた努力を評価する」という言葉が、ねじ曲がった根性の私の耳には「さぼっている社員を監視してさぼらせないように働かせる」と聞こえてしまう。
成功者勝ち組は、きれいごとを言いながら弱者を搾取していく。口は重宝なものよのお。
お前たちは、人目も気にせず寝てばかり。スカイシークライアントビューなんて関係ないよなあ。
今日も3つくらいブログのネタを思いついたのだけど、いざ書こうとパソコンの前に座ったら、まったく思い出せない。
馬上(ばじょう)、枕上(ちんじょう)、厠上(しじょう)という言葉がある。
馬上というのは馬に乗っているとき。今であれば車や乗り物にのっているとき。
枕上というのは布団に入っているとき。
厠上もいうのはトイレの中。
これを3上といって、ものを考えたりアイデアをひねり出す場所として適している場所だとされている。
私がブログのネタを思いつくのは、車やバイクに乗っているときのことが多い。
運転中だと書き留めておくことができない。
思いついたときは、絶対忘れないようにしようと脳の引出しにきちんとしまうことにしているのだけど、みごとに引出しの鍵を無くしてしまう。
なんとか今月は、毎日更新を続けてみたい。
お前はなやみはないのだろうなあ
「あれ、あの、あれ。あれなんというんじゃったかね。」
「ほら、あの人。えっと、かわいい女優を奥さんにしたお笑いがいるじゃん。えっとなんという名前だったかね。」
我が家ではこんな会話が飛び交う。
いつもなら出てくる名前が出てこない。
有名俳優だったり、大物歌手だったり、お笑いタレントだったり、「あの、その」と言って、思いつく特徴をあれこれ言って出てこない名前を家内に問いかける。
あれこれ言っていると、以心伝心、家内もその俳優だか、大物歌手だか、お笑いタレントの顔は思いつくようで、「ああ、あれね」となる。
長年いっしょにくらしてきた杵柄というのか、同じ老化の道を歩んでいるからなのか、私が名前が出てこない対象の人が誰なのか家内には伝わっていて、思い出したときの正解率は98%くらいなのだが、これが不思議と同じタイミングで私も家内も名前が出てこない。
これって、夫婦仲が良いってことだよななんてなぐさめあっている。
人物の名前が出てこないというのは、周りでも、テレビを見ていても良く聞く話だが、まずいことに最近は普通名詞の単語が出てこない時がある。
考えてみると、一日のうちにこれを書きたいということがいくつもあって、そのうちのいくつかがブログのネタになっていた。
最近ブログの更新が途切れているのは、書こうと思うと長文になりそうで、長文に取り組む気力がなくてかけないことが原因のひとつだが、一番の原因は、日常活動の中で、これはブログで記事にしたいと思うことが何回かあるのだがいざ書こうとすると忘れているということだ。
仕事をしていたり人と話をしていたり、テレビを見たり新聞雑誌に目を通していて、これはブログのネタになるというアイデアがわくことがある。
短くて面白いネタだから今日の更新はこれでチャチャっとやっつけられるなんて思うことがあるのだが、さて時間が空いてパソコンをひらくとそのネタが思い出せない。
なんだったかなあ。短くまとめられて面白い話になるネタだったのだがなあと、一日を思い起こすのだがまったく思い出せない。
そんなこんなで、3,4日更新が途切れてしまうと、もういいかなんてあきらめの心境になってしまう。
月の初めだけは、今月から続けようと気持ちをふるいたたせるということをここ数カ月続けている。
今日は3日。
今日やらないと3日坊主にもなれない。
ということで3日坊主にならないための更新でした。
最近の流行りでよく目にする「DX」なる単語がある。
なにやらIT関係の言葉のようなのだが、「DX」 で「デジタルトランスフォーメーション 」と発声している。
「D」がデジタルなのはわかるけど、「X」がなぜ「トランスフォーメイション」となるのか、さっぱりわからなかった。
おまけに「デジタルトランスフォーメイション」の意味も見当がつかない。
私が見聞きするのはテレビCMでのことなのだが、このところしょっちゅう目にしてしまって気になってならない。
それでなくても老化で能力の低下した頭が混乱してしまうので、頭を整理するためにグーグル検索してみた。
答は簡単だった。
曰く、「デジタルトランスフォーメーションとは、テクノロジーにより産業構造を変化させることを意味します」とある。
テクノロジーはなんとなくわかる。
「そのテクノロジーにより産業構造を変化させること」と言われてみると、これまたなんとなくわかるような気がする。
さらにグーグルは、それをなぜDXと略するかの意味も教えてくれる。
DXと略するのは、英語ではDigital Transformationと書くのだそうだ。
TransformationのTransはラテン語の「trans」が由来で、「変える」や「超える」といった意味を持つ。この場合の「trans」は、「交差する」という意味の 「cross」という言葉と同義なのだそうだ。「
「cross」は省略して「X」と書かれ、同じ意味の「trans」も「X」で代用されるようにな交差するという意味があるため、交差を1文字で表す「X」が用いられているのだそうだ。
また、頭文字をとったDTだけではプログラミング用語とかぶってしまうため、DXという略語になったのだそうだ。
無事、混乱して発狂しかかった私の頭は沈静化。
ありがたや、グーグル様々である。
なにも考えずにネット検索に頼ると思考力低下につながるというけれど、こんな知識はいくら頭をひねって解決できない。
未知の言葉に反応して興味を持つというのは、老化防止に役立つものと思ってどんどん利用している。
ぜんぜん出てこなくなった人の名は、ウンウン苦しんで思い出すようにしている。
老化を楽しみつつ老化に怯える今日この頃である。
この子は私と同世代。このところずいぶん痩せてきた。
私は全然痩せないなあ。
今日は6月1日。
いつもながらではあるが、私にとって1日は特別な日。
6月1日の「1日」は「ついたち」
小学校の時に先生から日にちの「1日」は「ついたち」と読まなくてはいけない。
日にちを言う「1日」「2日」「3日」「4日」「5日」「6日」「7日」「8日」「9日」「10日」は、「ついたち」「ふつか」「みっか」「よっか」「いつか」「むいか」「なのか」「ようか」「ここのか」「とおか」と言うのが正しい。
「いちにち」「ににち」「さんにち」なんて言ってはダメですよと教えられ、今でも、日にちを言葉にするたびに先生言葉をを思い出す。
「今日は6月1日」の「1日」は「ついたち」と読んでもらえるだろうが、「私にとって1日は特別な日」という文章の「1日」を「ついたち」と読んでもらえるのか気がかりだ。
「ついたち」と読んでもらいたい「1日」を使う時は(ついたち)と読み仮名を入れたくなる。
ちなみに「ついたち」は「月立」「朔日」という漢字も充てられる。
「月立」は、なるほど「だから、ついたちと言うのか」と思える漢字だが、果たして一目で「ついたち」と読んでもらえるのか。
「朔日」にいたっては、読めない人も多いのではないかと言うほどなじみの無い感じだ。
ということで、「私にとって『1日』は特別な日」という文章を書くとき、「1日」には(ついたち)と読み仮名を添えたいと思ってしまう。
私にとって特別な日というのは、この年になるまで、なにごとも3日坊主で思ったことが継続できない質で、これは私が最近流行りの体質(症状)ADHDの性ではないかと言い訳しているのだが、すぐに中座したものを、年単位では毎年元日、月単位では「ついたち」、週単位では月曜日にリセットを続けてきていて、すべてをリセットすることのできる特別な日ということなのだ。
ということで「1日」の今日、気を取り直して、中断していたブログを久々に更新している。
この数カ月、毎日なにかと忙しくて日々の仕事に追われてあっという間に日にちが立ってしまうという感じなのだ。
その感覚を、前回の5月21日のブログに「ジャネーの法則」という題で書いた。
とにかく、最近は、1週間が日が1日の感覚で過ぎ去ってしまう。
3,4日前のことのように思って、手帳やスマートフォンで自分の行動を遡ってみると、20日1カ月前のことだと思い知らせれ愕然とする毎日なのだ。
ともあれ、今日は「1日(ついたち)」
吉田拓郎の「今日まで、そして明日から」の歌のフレーズが頭の中に流れる。
『私は今日まで生きてみました
そしていま私は思っています
明日からもこうして生きていくだろうと』
吉田拓郎の歌の意味とは違うのだけど、この年になって(実年齢は言いたくないが)も「明日から、明日から」だなあと、つくづくあきれている。
さあて、今日から、明日から。
お前たちは、いいなー
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