2023年 平穏なお正月
今年はいつになく平穏な正月である。
今年は、じたばたすることなく正月を迎えたという感じである。
かといって、去年のことすべての決着をつけて正月を迎えたわけではなく、居直りして正月を迎えたといった感じである。
年末のテレビ番組を見ながら年を越してしまって、眠りについたのは2時前。
珍しく、夜中にトイレで目が覚めることなく朝までぐっすり眠ったようで、夜明け前に自然に目が覚めた。
時計を見ると6時35分。
当地(宮崎県の北端の町・延岡市)の日の出は7時15分頃だったはずだ。
家の近くの今山神社から初日の出を拝もうと思いたち、すぐに布団から抜け出し身支度をして家を出た。
我が家から今山八幡宮一の鳥居まで、徒歩で3分。
いつもなら、寝起きの1時間くらいは腰から膝にかけて痺れと痛みが走って歩くのに難儀する。
そろりそろりと、ゆっくり歩いていく。
しかしなぜか、今日はあまり痛みがない。
本殿まで長い階段をのぼっていくのだが、調子に乗って速足で階段を上っていると膝に痺れを感じ、歩みを緩めて登ることにした。
それよりなにより、息が切れて一歩一歩しかのぼれない。
階段の途中で小休止をとりながら、やっとのことで本殿にたどり着いた。
拙は、毎月1日と15日にこの今山神社に参拝している。
元日は年の初めの初詣。
初詣を済ませて、神社の一角の今山公園から初日の出を拝んだ。
いつもなら水平線には雲がかかっていて、その雲を抜けて太陽が顔を出すのだが、今日は雲が無く水平線からするりと太陽が現れた。
去年は帰省していた娘夫婦と初孫と、我家の屋上から初日の出を見たことを思い出す。
初詣をすませて家に帰ってから、仏壇に手を合わせ、そのあと妻の作ってくれた雑煮をいただていると、娘からラインが入る。
娘たちも初日の出を見に行ったたようで、孫と一緒に撮った写真が送られてきた。
朝食の後、届いている年賀状に目を通す。
ここ数年年賀状じまいをすることが流行りのようだが、30年以上、年賀状だけの付き合いになっている高校自体の友人から一言添えた年賀状をみるとうれしい。
迷惑かもしれないが、拙は、年賀状じまいの連絡をもらっている相手にも、こちらからはかまわず年賀状を出し続けている。
年賀状に目を通した後は、去年から今年に引きづいている仕事の見直しをして、今、久々にブログを更新している。
年末に池田先生から、「12月はブログの更新が1回しかないけどどうなっているのか」というメールをいただいていた。
実はこのところ思いがけない人から、「最近ブログの更新が少ないですね」と言われることがたびたびあって、実は12月は毎日更新し羅うと思っていて、実際には1日、2日、3日と3回更新している。
しかし、5日から9日まで旅行支援を使って孫に会いに名古屋に行っていて更新を休んでしまって、そのままなぜか大晦日を迎えてしまった。
このところ、あれよあれよという間に時間が過ぎ去る。
気が付くとすぐに3日、4日と過ぎてしまっていて、時間が塊となってドカンと去っていく感じである。
ということで、一年の計は元旦にありとばかりに、年の初めにあたって塊となって去っていった去年の出来事の整理をしている今年の元日である。
平穏なお正月だが、今年は歴史の大きな返還店になりそうな年になりそうな気もする。
身震いするような思いもするお正月でもある。
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