恒産恒心
朝起きて立ち上がると、腰から脛、そして足首まで激痛が走る。
自己判断では脊柱管狭窄症による坐骨神経痛である。
かかっている整形外科医でも同じ診断を受けている。
脊柱管狭窄症とは、主に加齢により脊椎の神経が通るトンネルである脊柱管が狭くなって、神経が圧迫を受け下肢にしびれや痛みが発生する病気だ。
拙の場合、加齢によるもので完全な自然治癒はできないものと認識している。
医師の指導を受けながら自分でもいろいろ本を読んで、脊柱管をひろげるための姿勢やストレッチをして悪化を阻止しようとしているのだが、このところ症状がひどい。
強い鎮痛剤を処方してもらっているのだが、ここ数日、とくに寝起きから昼過ぎまでは歩くことが困難で、立っていても痛みがでる。
このままの状態だと手術を考えなくてはならないのだが、夕方前から痛みが和らいで就寝前までは症状が安定するので、なんとか手術をしない保存両方でなんとかやり過ごしたいと思っている。
しかし、これだけ痛いと一日中ほとんど痛みの方にばかり神経がいってしまう。
恒産恒心という言葉がある。「恒産なくして恒心なし」という言葉で、安定した財産や職業を持っていないと、安定した道徳心を保つことは難しい」という意味だ。
高校の漢文の時間に習った言葉だが、なぜか心に残っている言葉で、よく頭のなかに沸いてくるだ。
自分が痛みを伴う病気になって思ったのは、健全な心は健全な体に宿るという言葉。
自分が健康な体で不安のない生活をしているときでないと、人のことや、まわりのことに思いが及ばないということ。
始終頭をよぎる井上陽水の「傘がないの一節」自分にとって一番大事な「傘」は脚の痛みが消えること。
拙は、拙の尊敬する師匠から「あんたは鉄人じゃ」とまでいわれた丈夫な体が唯一の自慢。
快方に向かうのだという自信は捨てていない。
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