悪徳不動産屋日記 こんな人もいる うれしい話
先月、朝、シャッターを開け事務所に入って窓を開けていると、老人(失礼)がこちらに手を振りながら歩いてくる。
マスクをしてニット帽を深々とかぶっているもので誰だかわからない。
誰だろうと思いながら窓から外を見ていると、どんどんこちらに近づいてくる。
3~4メートルまで近づいてきて、手を振るのだが誰だかわからない。
目の前まで近づいても誰だかわからない。
そんな拙の不安もおかまいなしに、かの老人が「おーーい」とだけ声を発して事務所のドアを開けて入ってきた。
ごく親しげであるが誰だかわからない。
目元は笑っているが、何も言わずに立ったまま。
「最近は、どうけ?」(最近、どう?」と言ってきたが、マスクと帽子では皆目誰だか検討もつかない。
「どちらさまでしたかね。マスクをして帽子までかぶっているので、どなたさまだかわかりません。マスクと帽子をとってもらえませんか」と戸惑いながら答えると、「なんだ俺がわからんのか!」と言って、帽子を脱ぎマスクをはずした。
正直、それでも顔だけでは誰だか分らなかった。
しかし、声を聞いて誰だかすぐに分かった。
40年前に親しく付き合っていた方で、年は私より10歳以上。80歳くらいになっているはずだ。
30年くらい前に郊外に引っ越して、それからは、4,5回くらいしか会っていない。
ここ7、8年はまったく会っていなかったが、すっかり立派なご老人になられていた。
一瞬では顔はわからなかったが、特徴のある声は昔そのままで、すぐに昔の顔を思い出した。
「なんだ、浅野さん(仮名)か。すっかりおじいちゃんになってわからんかったよ」と憎まれ口で返すと、「馬鹿言ってんじゃないよ。ぜんぜん変わっちょらんじゃろ。俺の顔を忘れるなんて、あんたのほうがもうろくしちょるよ」と、これまた昔のまま口が悪い。
「実は、ちょっとあんたに相談があってよ」
突然連絡もなくの来訪は、なにか相談事でもあるのだろと思っていたら、やはり相談事だった。
浅野さんは30年くらい前に、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)の郊外に家を建てて引越しをしていた。
広い庭があるところで畑でも作りながらのんびり田舎暮らしをしたいということだった。
郊外で田舎暮らしと言っても、当地での住宅圏(人の暮らせる範囲)は狭いもの。
足は自動車。車は、一家に一台というよりも一人に1台である。
市の郊外といってもある程度インフラがととのっている地域であれば、市の中心部から遠くても車であれば20分から30分といったところである。
40代、50代から60歳代であれば車さえあれば、市街地での暮らしとなんら変わりない生活ができる。
問題は80歳も近くなって、体の調子が悪くなり病院通いをすることになったり、車の運転がおぼつかなくなった時だ。
浅野さんの相談は、ちょうどその年に差し掛かって、今はまだ運転に支障をきたすというほどではないが、奥さんが病気がちで毎日の病院の送り迎えが大変で、家の近くにちょっとした買い物をするところがないので、今まだ元気なうちに家を処分して、市街地に引越しをしたいということだった。
浅野さんは昔不動産屋にいたもので、不動産のことは多少わかっている。
家は建築後40年になるし、立地が不便なところにあるので、売るといってもなかなか売れないだろうし、売れても大した金額にならない。
だから、安くてもいいから売れるうちに処分して、いくばくかの金に換えて、市営住宅に入れないかというのが希望だった。
浅野さんの考えでは、家は売れないだろうから家を解体して土地として売ればちょっとは金になるだろうということだった。
浅野さん夫婦は非常に几帳面な方だったので、家は古いが充分使えるような手入れはしているはず。
場所は辺鄙なところにあるが、市街地まで車で20分くらい。
家は解体せずに浅野さんが考えているよりは高く売れると思える。
そう説明すると、すぐに売れないだろうから、売る話は別にして、売ることを前提にして先に市営住宅にはいれないだろうかというのが一番の相談の要点だった。
そんな相談ならたやすいこと、市営住宅の入居の手続きをしているのは拙も所属する延岡宅地建物協同組合の仕事。
すぐに調べておくよ、ということで担当の人に相談に行く。
最近、そんな相談が少なからずあって、可能だという。
手続きの段取りの詳細を教えてもらい、浅野さんに連絡し教えておいた。
ただし、家を売るにあたって家の登記簿を調査すると登記上の問題点がみつかり、その解決方法も教えてあげた。
浅野さんは、「まだ今すぐ売るわけではない」だとか、「すぐに市営住宅に入るわけではない」だとか拙に気を使って、やけに拙に手間をかけて申し訳ないと、言い訳めいたことを言っていたがそんなことはどうでもいい。
昔なじみの相談に答えてあげただけ。
やったことは、土地建物の登記簿をとったり、市営住宅のシステムを調べたり、その流れをあれこれ工夫するのにちょっと頭をひねった程度。
こんなことは不動産屋ならば、どうってことないこと。
拙は、「迷惑なんて全然掛かってないよ。その気になれば希望通りに進められるので、家族と話し合いをして、その気になったらまた拙が相談にのってあげるからいつでもまた相談にきたらいいですよ」ということで一件落着となった。
終わったことだと忘れていたのに、昨日、浅野さんがまた突然来訪した。
家族との話に進展があったのかと思い応対に出た。
すると開口一番、「赤池さん。いろいろ手間をかけてしまって申し訳ないのだけど、今回の話はなかったことにしてくれ」と言って封筒を差し出してきた。
封筒はお金が入っているのだろう。
そんなお金はいただけない。
こんなことで、見ず知らずの他人からだってもらわないが、ましてや昔なじみの友人みたいな関係の人。
びた一文だってもらえるわけがない。
「これはなに?こんなことはしなくていいよ」と言うと、「大変申し訳ない。こんなものでは済まないが、おさめてくんね」
「本当にこんなことしなくていいっちゃが。なんにも迷惑してないから」というと、「自分は不動産屋をやっていたのであんたが、どんだけ動いたかわかっているこんな金額じゃすまないが、気持ちとして受け取ってくれ」という。
封筒を受け取らない拙にたいして浅野さんが「2万円ぽっちじゃすまないんだけど、これが自分にできる今の気持ちだから受け取ってくれ」という。
お互いに封筒を押したり引いたりで話は堂々巡り。
浅野さんは引き下がりそうにない。
それで拙はこう決めた。
「浅野さん。それじゃ1万円だけいただくよ。それだけいただければ沢山すぎる。それで収めましょう」と言うと、「それでいいとけ?それならそうさせてもらう」とひきさがってくれた。
そして何度も何度も「本当にいろいろ助言をもらって感謝している。助かったよ。さきざき困ったときはまた相談にのってくんねよ」と言いながら、やっとのことで帰って行かれた。
なんともうれしい話。
拙は悪徳不動産屋となり果て、善良なる消費者様はその悪徳不動産屋をただでこき使う。
いくつもの不動産を調査させ、案内させ、交渉させてもタダ働きが当然と思っていらっしゃる善良なる消費者様が普通になった昨今。
今、案内看板の前にいるのだけど内見したいのですぐに来てもらえないかと案内しても、気に入らなければ、「お手数をかけました」というお客さんは多くはない。
不動産屋は使いこなすものと思っているお客さんも少なくない。
そんな中で、こんなお客さんに会うと無料で何でもしてあげたくなる。
こんなわがままな性格だから拙は悪徳不動産屋なのだ。
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