節分 感謝しつつ恵方巻を美味しくいただく
今日は節分。
節分とは、その言葉の通り(季)節の分かれ目のこと。
昔は立夏、立秋、立冬、それぞれの前日のことを節分と言ってた。
現在では立春の前日だけが節分と言われるようになった。
従来、節分と言えば豆まきだった。
季節の変わり目には邪気が生じるといわれ、それを追い払い幸福が舞い込むことを願って豆をまいた。
父親が追い払われる鬼になって子供たちからのたちから豆をぶつけられる役目を引き受けさせられたものだ。
それが何時の頃からか、恵方巻が節分の最大行事となってしまった感がある。
拙の記憶の限りでは、元来、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)には恵方巻を食べる習慣はなかった。
20年以上前か30年前か記憶は定かではないが、拙が大変お世話になっている方から、「節分に恵方巻を食べるって知ってる?」と電話があり、「知らないです」と答えると、「拙の分の恵方巻を用意しているから取りに来ないか」ということでお伺いし、家族の分までの恵方巻をいただいた。
その時に教えてもらったのが恵方巻のいわれとその正しい食べ方。
その年の恵方を向いて、恵方巻は切らずに丸かじり。願いをかけながら言葉を発せずに一気に食べなければいけないのだそうだ。
それ以来数十年、毎年節分には恵方巻をいただいている。
その年その年いろんなお店に予約注文して取り寄せしたものだ。
せっかくのご厚意。拙は、教えられた通り、その年の恵方を向いて、一言も言葉を発せずに恵方巻を一気に丸かじりしてきた。
この恵方巻、拙にとってはなじみがなかったもので、そのいわれをちょっと調べてみたが、諸説さまざまにあるようだ。
調べる中に、岩崎竹彦さんが、スーパーなどのチラシに書かれた説と、彼の調査が行われた1990年当時、大阪海苔問屋協同組合の事務局長の職に就いていた藤森秀夫からの聞き取りで得られた由来とをまとめたものを見つけた。
それによると
幕末から明治時代初頭に、大阪・船場で商売繁盛、無病息災、家内円満を願ったのが始まりで、一説には若い女性の好きな人と一緒になりたいという願望から広く普及したとする説。(すし組合のチラシより)
船場の色街で女性が階段の中段に立って、丸かじりして願い事をしたらかなったという故事にちなむとする説。(スーパーU社のチラシより)
節分のころは新しい香の物が漬かる時期で、江戸時代中期、香の物入りの巻き寿司を切らずに丸のまま恵方を向いて食べ、縁起をかついだ。これが、やがて節分に恵方を向いて、巻きずしを丸かぶりすると、その年の福がさずかるという招福の習わしになったとする説。(スーパーD社のチラシより)
船場の旦那衆が節分の日に、遊女に巻きずしを丸かぶりさせて、お大尽遊びをしていたことに端を発するという説(当時の大阪海苔問屋協同組合事務局・藤森秀夫からの聞き取り)
戦国時代の武将が、節分の日に丸かぶりして出陣したら戦に勝ったので、以後瑞祥としたことに端を発するとする説。(藤森秀夫からの聞き取り)
宣伝集のぷんぷん匂う説や後付けの節も入り混じっているようで、大阪発祥の風習が徐々に広がっていく中、コンビニが販売戦略として大々的に宣伝を始めたことにより現在の爆発的流行となったというのが実態のようだ。
調べる中に、大阪の旦那衆が遊女が太巻きを口にほおばる姿を見て楽しんでいたという、ちょっと卑猥な姿を連想させる説を見るに至っては、恵方巻の開運招福のありがたみは薄れるばかりである。
それに、せっかく贅沢な太巻き寿司頂戴しながら、味わうこともできず一気に丸かじりなんてのは、いかにももったいない。
頂戴している相手様の意向に背くようで申し訳ないが、拙はずいぶん前から、いただいている相手様に感謝の気持ちと、その方とご家族の幸せと拙たち家族の幸せを祈って手を合わせ、その後に食べやすいサイズに切り分けて、お茶をのみながら美味しく味わいながらいただいている。
今日は、本当に幸せな節分でした。美味しい恵方巻、どうもありがとうございました。
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