トルコ大地震 神はいるのか
発生から10日。
トルコ・シリア大地震での死者数が4万2千人を超えた。
240時間以上経過した中で、がれきの下から救出される人がいる。
救出された子供の親は、「神様に感謝します。神は偉大なり。」と喜びの声をあげていた。
その姿を見ていて私は、偉大な神がいるのであれば、なぜこんなに悲しい出来事から救ってはくれないのかと複雑な気持ちでいっぱいになる。
私は、来世とかあの世とかはないと思っている。
それに私はキリスト教とかイスラム教をはじめとする宗教の「神」とか「主」と言う主体の存在を信じることができない。
だが、私は毎朝仏壇に線香をあげ手をあわせる。
1日と15日には家の近くの今山神社に参拝に行く。
その他ことあるごとにいろいろな神様に神頼みをする。
仏壇に手を合わせるのは、一番は私に生を与えてくれた親に感謝の意を伝えるため。
それに加えて、亡くなる寸前まで反発し続けて、親孝行の一つもしてやることのなかった父親と、なにもしてげられなかった母親に毎日詫びている。
神社で神に手を合わせるのは、まずは自分と家族が健康に区していることへの感謝。そしてこの幸せが続くことを祈る。次におこがましいが、世界平和。そして自分の仕事が大過なく全うできること。
そのほかにも、いろいろな局面で種々雑多で勝手放題な神頼みをしている。
しかし、私が神頼みをする神と、「主」「キリスト」「アラー」「ご本尊様」という対象は違う。
何がちがうのだろうかと、常々、もやもやする感情(観念)蛾あったのだが、佐藤愛子さんの「幸福とはなんぞや」というエッセイ集のなかに、そんな私のもやもやが、うっすらと晴らしてくれる話があった。
佐藤愛子さんは死後の世界はあると考えるのだそうだ。
あの世はあると考えるから、現世での幸福だけを考えなくなった。そして現世は「束の間」だが、あの世はいつまでもつづくから、あの世の安息こそ大切で、その支度をするのが老後になすことだと思って今を生きているそうだ。
ここは私とは違う。
しかし佐藤愛子さんの神についての考えが、わたしの
もやもやを払ってくれるものだった。
佐藤さんの思う神は、「偉大な力を持っていて、創造はするがそれ以上はなにもしない」。「神とは宇宙の意志、天地創造主としての存在で、そういう意味での神を私は信じる」というのだ。
そして、「神は人間を造ったが、造っただけであとは見ているだけ。助けることもせず、教えもせず、罰しもしない」と言う。
私の気持ちを一番納得させてくれたのは、「神とは人々の精神の波動を受け止めるだけの存在のように思う」という言葉だ。
さらに、「だから神に頼みごとをしたりご加護を祈ってもしょうがない。ただ感謝していればその気が神に届く。それでよいのではないか。今はそう思っている」という言葉だ。
これの言葉が、ふわっと私の腑に落ちた。
トルコ大地震の惨状を見ていて、こんなふうに感じてしまった。
ただ、ひたすら祈ることはします。
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