盛る 推し 引く
先日、文化庁が2022年度の「国語に関する世論調査」を公表した。
今年取り上げられていた新しい言葉として、よりよく見せようとする=「盛る」、お気に入りや、応援している人や物=「推し」、異様だと感じてきれる=「引く」などは、80%の人が気にならないと回答していた。
私も、「話を盛る」とか、異様な状況に対して「引く」とかいう言い方は使っている。
言葉は時代とともに誤用されることがあって、誤用されていた言葉がいつの間にか普通の使い方となっていくということを繰り返してきた。
テレビのバラエティー番組や、インターネットの世界で、誤用を無理やり流行らせようとして一時期的に使われて、結局誤用が定着しなかった言葉もある。
近年で、私が非常に不快に感じていたのが、「やばい」という言葉を、すばらしいとか、美味しいという賛辞の表現に使うことだった。
数年前に若者が使いだしたのをマスコミがとりあげ、それを芸人や若手タレントたちが若かぶって使っていた。
乗り遅れまいと若くない芸能人たちも使いだして、例えば木村拓哉くらいの年代のタレントたちが使いだしたときは、やめてくれと耳をふさぎたかった。
私の想像では、賛辞の表現に「やばい」を使うことは定着しないですたっていくと思っていた。
しかし残念ながら、「やばい」は生き残りそうである。
もう一つ、今、定着してもらいたくない言葉に、むずかしいことを「むずい」という言い方。
「むずかしい」というかわりに「むずい」と、5音の2音を省略することに、何の便利さを感じるのだろう。
これは言葉の破壊でしかない。
今日の最初に書いたが、言葉は時代とともに変化していくもの。
頑固に従来の使い方に固執するのは老人のこだわりなのだろうか。
私がテレビなどで感じる、言葉を壊す犯人は、人気お笑い芸人たちが多いような気がする。
言葉が時代とともに変遷してくのはしかたのないことだが、「やばい」や「むずい」のような無理くりの変化は勘弁願いたい。
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