更新できてました
今、確認したら、更新できてました。
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今、確認したら、更新できてました。
ココログのブログにログインできた(ようです)。
1月18日を最後に、ブログの更新ページにログインできなくなってしまった。
ココログのアップデートでワンタイムパスワードを入力するシステムになってしまったのだが、ワンタイムバスワードを受信するためのメールアドレスがわからなかった。
ココログでブログを始めたのは十数年前のこと。
当初、試しに登録してみただけだったので、Yahooのフリーメールを連絡用メールアドレスとして登録していた。
当時、Yahooのフリーメールは無制限に作ることができたので、インターネットで一時利用するだけのメールアドレスはフリーメールで登録していた。
しかし、あれから十数年。
私は、フリーメールを使うことはなくなった。
Yahooメールも、一定期間使っていないものは削除されるようになっている。
ココログの運営会社niftyは富士通の子会社だったのだが、今は別の会社の子会社となっている。
富士通が雲煙している頃は、サポート体制も充実していたのだが、今は書き込み掲示板でのサポートになっている。
登録メールアドレスがわからなくなって、ログインすることができなくないのでどうしたらいいのか掲示板を探しまくったがみつからない。
掲示板でわからないときの電話問合せの番号に電話したが、旧契約(私が加入した当時のこと)の内容についてはわからないと言われ、ほとほと困っていた。
Googleであれこれ、あれこれ、あきらめずに検索をやってみたのだが、サポート掲示板に行き当たるだけで、メールや電話でサポートを受け付けてくれるところが見つからない。
今や登録者数十人しかいないブログに時間は割けない。
あたらしくブログを始めるか、やめてしまうか。それとも今までブログ一辺倒で、手つかずだった、Twitter、フェイスブック、Instagramをやってるか。
とにかく、撮っかかるまでが遅いのが最悪の欠点であるよだきんぼ(宮崎弁で、怠け者)じじい。
今日、Googleを数時間かけて調べまくって、受付をしてくれそうな電話番号を見つけた。
ここでも、登録メールアドレスはわからなかったが、ワンタイムパスワードでの確認をはずすことができるとのこと。
それでログインしてみたところ、ログインできたようで、この更新書き込みをしているところです。
今から、公開設定の状態で「保存する」のボタンを押します。
ここ数年、ブログの更新が少なくなってきたのは、会社のパソコンからの更新はできるけど自宅のパソコンやスマートフォンからは更新できなくなってしまったこと。
会社のパソコンでつなぐとパスワードの入力をしないままつながるのだが、他のパソコンやスマートフォンでつなごうとするとパスワードの入力をしないとつながらない。
ワンタイムパスワードを登録のメールアドレスに送りますと通知があるが、現在使用中のどのメールアドレスにもワンタイムパスワードが届かない。
心当たりがあるのは、十数年前にココログでブログを始めたとき、登録メールアドレスをYahooのフリーメールにしたのかもしれないということ。
ココログのサポートは運営者が行わずに、会員同士の掲示板でやっていくしかないという状況になっているようで、頼るサポートもない。
先程、パソコンでパスワードの変更をしたのだが、その時再度ログインするときにはワンタイムパスワードの入力がいるという知らせがあった。
しかし、ワンタイムパスワードは登録してあるメールアドレスに届くことになっているようで、もしそうなるとココログにはつながらなくなってしまうのかもしれない。
もし、そうであれば、私のブログはこれが最終回になるのかもしれない。
そうであれば、オプションの会費が口座引き落としになっているので、退会したいのだが、それもできない。
そもそもココログを始めたのは富士通がniftyを運営していた時代。
その後、富士通がniftyを売却してからブログの管理が悪くなって、それが私の更新がとぎれがちになった要素の一つであった。
さてさて、今日これから更新ボタンをおして、ログアウトしてしまったら、ココログつなぐ方法は見つからないかもしれない。
幸か不幸か、現在は1日のアクセス数が20件程度の幽霊ブログに近い状態だから、そうなれば新しいブログをたちあげようかな。
これが無料ブログサイトを使ってのブログ作成の危険性。
さて、どうなることやら。
数少ない読者の皆様、今後更新が無いときはそういうことですので、ご了承ください。
去年、12月22日金曜日の朝、
誤って沸騰したお湯を手首にこぼしてしまって
大きな水膨れを作ってしまった。
沸騰したお湯をかぶった瞬間、火傷の応急処置としてすぐに流水でひやした。
しばらく流水で冷やした後も、保冷剤で冷やし続けた。
すぐに冷やし続けたもので、当初は痛みも我慢できる程度で、皮膚がが赤く炎症を起こしている程度だった。
保冷剤をガーゼで巻いて冷やしていると痛みも和らぎ、このまま治ってしまうのではないかと軽く考えていた。
昼過ぎに保冷剤を交換するためにガーゼをはずすと、小豆大の小さな水泡が3、4個できていた。
あとから水泡ができるというのは初めての経験で、時間がたつごとに水泡が少しずつ増えてた。
さらには、小豆大だった水泡が大豆大に大きくなってきた。
さらに時間が経つと、大豆大が梅干し大に膨れていった。
数時間すると、膨らみ続けた隣同士の水泡が合体して市田柿くらいの水泡になった。
病院に行った方がいいかなと思いながら、そのまま様子をみていたら夕方には、膨らんだ水泡が合体して干し柿大の水泡が3個。
このとき病院に行けば良かったのだが、冷やしているせいで、ひどく痛むこともなかったもので、明日にでも病院に行けばいいと甘く見ていた。
すると夕方には、さらに水泡が合体して、大きな2つの水泡になった。
膨らみに膨らんで、なかで水がぷよぷよしている。まるで水ヨーヨーみたいだった。
さすがにまずいかなと思ったが、すでに病院の診療時間終わりの時間だった。
救急外来に行くまではないだろうと、ガーゼでとネット包帯で水泡を潰さないようにカバーして、明朝、病院に行くことにした。
次の日の朝。こわごわ手を見ると水泡はつぶれていなかった。
しかし、写真のごとく前日2つだった水泡は、つながって一つの水泡となっていた。
朝、何科の病院に行ったらいいのか、知り合いの内科の先生に相談したら、皮膚科がいいということで皮膚科に行った。
医師は、火傷の状況を見るなり、「これはひどい火傷ですよ。どうしてすぐに病院に行かなかったんですか。」と大きな声を出した。
整然としている私の態度を見て、老人でことの重大さがわかっていないとでも思ったのか、「これは相当ひどいんですよ。わかってるんですか。本当にひどい火傷なんですよ。」と繰り返す。
私としても、今の状況を見ればひどい火傷だということはわかっている。
昨日の夕方には、すぐに病院に行けばよかったと後悔していた。
しかし、昨日の朝、お湯をかぶった瞬間は、ちょっと皮膚が赤く炎症を起こした程度で、どう考えても病院に行くほどではなかった。
お昼過ぎに小さな水泡ができ始めたが、これも病院に行くほどではないと思っていた。
3時くらいには、水泡が大豆大の大きさになってきたが、それも病院に行くほどではないと思えた。
それが夕方にかけて、あれよあれよと水泡が大きくなってきて、これは大変な火傷だったと思った時には、病院の通常の診療時間が過ぎていたのだ。
火傷したのが22日金曜日。病院に行ったのが23日土曜日。
お医者さんは、「今日は土曜だし、来週は病院が正月休みに入るから、満足な治療もできないですよ。昨日のうちに来ればよかったのに。」と、ぶつぶつ言いながら看護師さんに処理を指示した。
「薬を出しますので、朝晩2回傷口を石鹸で、きれいに洗って薬を塗ってください。そして、月曜日にまた見せてください。」という指示を受けた。
次の日曜日。この日の朝は、水泡がつぶれていた。傷口を石鹼で洗うとしみるのではないかと思ったが、さらりと洗って薬を塗った。
言われた通り、朝晩傷口をきれいにして薬をつけた。
そして月曜日、再診。
先生は傷口をみて看護師に指示。薬を塗ってガーゼと包帯。
木曜日から正月休みになるので、水曜日にもう一回診察に来なさいということであった。
お正月休みが終わった4日に再診。
次の診察の予定日は言われなかった
数日分の薬を出してもらっていたので、朝晩患部をきれいに洗って薬をつけて、ガーゼと包帯と絆創膏で傷口をガード。
水泡が破けた内側に、新しい薄い皮膚ができているのがわかる。
年寄りだけど、まだ自然治癒力はあるようだ。
月曜日から包帯をとった。
火傷からの生還。
今週から、心置きなく、新年の仕事に取り組むことになった。
今年の正月は異例の始まりだった。
元旦に大地震発生で、お正月のテレビ番組が震災報道番組に切り替わった。
日を追うごとに次々と報じられる甚大な被害の映像に、なんだか気持ちが落ち着かない。
1月も15日。
なにもしていない自分の足元を見直して、やることをやらなければいけない。
元旦に発生した能登半島地震。
地震発生の瞬間からテレビの正月の特別編成の番組がすべて地震と津波の報道に切り替わった。
被害が大きかったからこそ、被害の状況はすぐには映像として報じられなかった。
日を追うごとに甚大な被害が明らかになってくる。
淡路阪神大震災、東日本大震災、熊本地震に匹敵する大きな地震だったことがわかる。
市民の猛反対で実現しなかったが、この震源地に近い、能登半島の突端にある珠洲市に原発が計画されていた。
地下に活断層があるという研究成果があったのでだが、このとき原子力委員会は活断層はないという見解を出していた。
辺野古でも、マヨネーズのように軟弱な地盤が推進90mのところにあるという研究結果を、防衛相が依頼した研究機関は70mだというデータを発表している。
岸田首相が13日に現地視察するという。
遅いという批判もあるが、東日本大震災の時に、菅直人首相がヘリコプターで現地視察した際には、首相の視察には多大な人手がかかるので迷惑だという批判もあった。
そんなことを考慮してのことかもしれないが、岸田首相の現地視察に同行する馳石川県知事が現地に足を運ぶのが地震以来初めてという報道には驚いた。
政治はどこに向かって行われているのか。
どうにも、やりきれない思いである。
今日は、午後からは書類棚の大掃除。
去年の暮れに売買に進む商談を2件持ち越していた。
近々契約になるので、去年準備していた資料を取り出そうしたのだが見つからない。
未処理、要整理のファイルがいくつもあって、肝心の資料が見つからない。
未処理のままの書類や紙類が積み上がっている。
それらのファイルを一つ一つ確認すると、すぐに処分してしまえばよかったものが山ほどある。
不用な書類に埋もれて肝心の書類や資料が見つからない。
これは拙の積年の不始末。
いらないものは捨ててしまおうと整理の必要は重々感じているのだが、とりかかるとすぐに頓挫。
なかなかやる気が継続しない。
ここ数年、ま、そのうちにと先送りしてきた。
今日はどういうわけか、片付けに気持ちが入り、午後から4時間机周りの資料棚の資料の片づけをしていた。
はまり込んでやってみると、不要なもののなんと多いこと。
不用な書類はすべてシュレッダーに直行。
まだ、5分の1くらいしか終わっていないが、40ℓのごみぶくろがシュレッダーで刻んだ書類の残骸でいっぱいになった。
断捨離本に、いらないものを捨てると気持ちもすっきりして、良い運気が入ってくると書いてあるのだが、なるほどそんな気がしてきた。
明日も片付けになりそうな、そんな新年。
こんなことでいいのかしらん。
夕刻、女性のお客さんが来店された。
おそらく、賃貸物件をさがしての来社だろう。
対応のため入り口カウンターに向かうと、すぐにお客さんの方から要件を切り出してきた。
しかし、お客さんからよく受ける質問のパターンとはちょっと違っていた。
「一戸建の貸家をさがすのに保証人というのが必要なのでしょうか」というような質問であった。
通常とちょっと違っていると感じたのは、通常なら家を探しているのであれば「一戸建ての貸家はありますか」といったような質問になる。
よくあるパターンのように、「一戸建ての貸家はありますか」ということだったら、当社でお預かりしている1戸建ての貸家は1件のみ。
その物件の説明をするだけでおしまいなのだが、このお客さんがかもしだす雰囲気は、初めて貸家をかりることになって賃貸借契約のシステムがよくわからないので教えて欲しいというような感じだった。
それで、椅子をお勧めして、「どういうご相談ですか」というと、貸家を借りる場合は絶対に保証人が必要なのか、また保証人なしで貸してもらえる貸家はないのかとのこと。
おそらく、すでに数件の不動産屋をまわり、保証人なしの物件がなくて、困り切って当社におみえになったのでなかろうか。
そう思い、「不動産屋は何社かまわられましたか」とお聞きすると、「いや、ここ(当社)が初めてです」とおっしゃる。
飛び込みで来店されるお客さんに、どこか他の不動産屋を回っているのかと聞くと、他の不動産屋には言っていないという方が多い。
当社は小さな不動産屋。特に、近年はインターネットの普及で貸家の場合インターネット検索で下調べして、物件の多い大手の不動産を何軒かはしごして、さらに掘り出し物はないかと当社のような小さな不動産屋を訪ねてくるお客さんがほとんどだ。
しかし、そのほとんどのお客さんが、おたずねすると他の不動産屋はあまりまわっていないとお答えになる。
拙がすでに回っている不動産屋をお聞きするのは、その会社と重複しない物件をさがすためなのだが、お客さんとしては、他社と二股三股をかけると失礼だと思ってことなのかもしれない。
それで、拙の趣旨を説明して重ねて質問をすると、次の答えは1社か2社の名前を出されるというお客さんが多い。
しかし、その後いろいろ物件を説明していると、それは見た、それは知っているということで、このお客さん何社の不動産屋を駆け回っているんだろう。拙より詳しいじゃん、と思うようなお客さんもいる。
そんなこんなで、拙が時間をとって応対することになるお客さんは、不動産のシステムや取引の流れについての質問をしてきたお客さんであることが多い。
お金にはならない相談なのだが、そんな話に時間をとってしまうというのが拙の性癖。
今日のお客さん、そんな方で、家を借りるのになぜ保証人がいるのか納得がいかず、保証人なしで借りれる物件がなくて困り切っているという相談なのかと判断した。
それで、椅子にすわることをお勧めしたのだが、お座りにならずにたったままである。
拙は、「保証人を取るのは、一番には、家賃が遅れたときに確実に回収するため」ということを代表に、健全な賃貸経営を保全するために保証人をとるのだという説明をするのだが、お客さんは何か自分の思ったように貸家がみつからないということで、自分の聞きたいことを聞いてくる。
とにかく、当社には保証人なしでお世話できる物件は持ち合わせてないから、お引き取り願いたいのだが、なぜかお客さんは保証人なしでなぜいけないのかと食い下がってくる。
保証人なしで借りれる物件はないか、方法はないかということで頭がいっばいなのだろう。
お客さんの方から、「今は家賃を保証する会社があって、そこが家賃の保証をしてくれたら保証人はいらないということもあるんじゃないですか」とも聞いてきた。
たしかにこの知識は正しい。
しかし、それは家を借りる人(賃借人)が安定した仕事をしている場合のこと。
賃借人の年収が低かったり、安定しない業種だと保証会社をつけても、保証会社が賃借人に保証人をつけるように求めてくることが少なくない。
この説明もして、「ところでお客さんのお仕事は何ですか」と聞くと、「無職です」との答え。
拙は唖然とした。
ひょっとしたらしっかりした会社勤めかもしれないと思っていたのに、無職ではどうにもらない。
会社が絶対に保証にをつけてくれということになりますよ。
15分くらい後には約束がある。
悪いが、もう、話は打ち切りにしたい。
最後の助言として、「保証人が要らない物件は少ないけど絶対にないということはないですよ。インターネットとか、新聞広告で「敷金礼金無、保証人不用」という物件もみかけますよ。他にいっぱい不動産屋はあるので、電話ででも問い合わせてみてはどうですか。」と話を打ち切ろうとしたが、すぐにはお帰りになりそうにもない。
なにか方法はないのかと、いろいろたずねてくる。
いろいろな質問の中に、「たとえば1年分の家賃を前払いすれば、保証人なしでやってくれるんじゃないですか」という質問もあった。
それに対して拙は、自分が思った通りのことを正直に答えた。「それで入居させてくれる家主がいるかもしれないけど、それでも保証人なしでは入れたくないという家主もいると思いますよ」
拙はそんな条件はのまないが、その条件なら契約してもいいと思う家主さんがいるかもしれない。
20分くらいそんなやり取りをしていただろうか。
いろいろ、やりとりをしていると、他の不動産屋をまわっていた経験から出る内容がちょろちょろと見え隠れする話が出てくる。
そこで拙が、「お客さん、不動産屋は当社が初めてと言ってましたけど、本当に初めてですか?」と、たっぷり嫌味を込めて問いかけてみた。
何せ拙は、悪徳不動産屋なのだから。
すると、お客さんから吃驚する答えが飛び出した。
「今年は初めてです」
拙は、思わず「コントか!」と突っ込みたくなった。
今日は1月11日。
正月休み明けで、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)の不動産では、実際に本格的な店開きは昨日の10日という会社が多い。
拙は、悪徳不動産屋。「コントか!」と突っ込もうかと思った後には、すぐに怒りの気持ちが湧いてきた。
「お客さんそれは詭弁というものですよ。今年は初めてなんて、今年になってまだ10日ですよ」
その言葉に続けて「私は嘘をつく人とは話はしたくはありません。お帰り下さい。」と言いたかった。
しかし今日はまだ正月。ことを荒立ててはいけない。
それに拙も、昔に比べて少し穏やかになっている。、その言葉はぐっと飲み込んで代わりの言葉を探した。
「正確な話をしてもらえない方と、お話はできません」
お客さんは詭弁という言葉を理解しているかしていないのか、「本当に今年は初めてなんだから、初めてですと言っただけです」と引き下がらない。
その後、拙は口を開くのをやめた。
1,2分の沈黙。
そのお客さんは、目に怒りを込めて立ち上がり、恨みをこめた声で「ドウモ アリガトウゴザイマシタ」と言って店を出ていかれた。
正月早々、またお客さんを怒らせてしまった。
明日から気をとりなおしてがんばらなくてはと思った今日の出来事でした。
朝日新聞の記事に、「政府は9日の閣議で、能登半島地震の被災地への物資支援のため、今年度予算の予備費から47億4千万円を支出することを決めた。」とあった。
岸田文雄首相は「(被災地の要請を待たない)プッシュ型支援を加速させるため迅速に執行し、被災地の状況改善に充ててほしい」と述べた。」と言っている。
拙の岸首相に抱いている先入観なのだろうが、岸さんのは内容の無いに空虚な言葉に感じてしまう。
言葉通り被災地支援を迅速に執行してもらいたい。
47億円というのは熊本地震の2倍にあたる額なのだそうだ。
当面の物資支援のための予算だから47億円なのだろうが、その原資である予備費の今年度分で残っている額は4618億円という数字からすると47億円だけでいいの?と言いたくなる。
一方、閉会後は撤去することが決定している大阪万博の大屋根の予算が350億円。
誘致決定時の総額の予算は1250億円。
それが徐々に予算が膨らみ、最終的には2500億円だ、3000億円だと、どこまで予算が膨らむのか。平気で数百億円の予算が上積みされていく。
拙に、億円の金の値打ちの実感はないが、万博の予算のどこかをちょっとだけ削ったら、数百憶何なんてお金は簡単にひねり出されるのではないか。
47億円で被災者がなんとか助かるというお金であるのなら、それに100億円200億円予算を上積みしたら被災者をもっと楽にすることができるんではないか。
大きな金を動かしたことのないか旧国民の拙としては、そんなことを考えてしまうのである。
インターネットを立ち上げて、画面に表示されるネットニュースの「さんま 巨額財産、IMALUと息子に残さない」見出しが目に留まった。
見出しをクリックして記事の内容を覗いてみた。
4日放送のMBS「春一番!笑売繁盛」の中の、明石家さんまさんと西川きよしとの対談での話だった。
西川きよしさんが、ぶっちゃけ質問で「何十億、何百億稼いで、どうするの?そんなに財産持って」と聞いた。
それに対して、さんまさんが「息子と娘には財産は残さない」と言っていると答えていた。
そんなことはないのだろうが、仮にさんまさんが本当にそう考えているのだったら、専門家に相談して対策をとっておかないと、できない話だなあ。
新年、仕事初めから2日目。
今年は、元日の大地震、2日に大きな航空事故と大きな事件が起こって、正月だと浮かれた気分にはなれない。
日を追うごとに伝えられてくる地震による被害の大きさに、他のことをどう取り扱ったらいいのか戸惑ってしまう。
また違った意味で、自分を見失わないようにしなければならない。
1月5日の恒例行事は、今山八幡宮で発展会の新年祈願。
発展会というのは、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)の不動産会社の任意の親睦の会。
現在11社が加盟している。
会が発足してから50年以上の歴史がある。
仲の良い不動産業者の情報交換と親睦の会として、発足してから50年以上も続いている。
全員が不動産業者で、いわばライバル関係にあり、仕事上利害が対立することもあるわけだが、いがみあうこともなく50年も続いている不思議な会だ。
発足当時からの会社は私の記憶では、2社。
最初の元興しをしたのは私の出身会社である株式会社日中商事の故谷平興二会長。
その当時からの会社のもう1社が、株式会社五ヶ瀬不動産。
当時、いずれも創設間もない会社で、仲の良い数社が加わり、不動産の情報交換をしながらの親睦の会であったと聞いている。
加盟業者が5社のときは5店会、7社になったら7店会。加盟業者の増減の度に名称を変えていた。
加盟業者が8社の時期が長く続いた時期があり、そのとき8店会を発展会として、以後は加盟業者数に関係なく発展会で固定することになった。
私の人生の師匠である、発起人の谷平会長が去年亡くなり、その盟友の五ヶ瀬不動産の甲斐会長も会への出席はずいぶん前からしておられない。
もう1社古株で、不動産会社兼建築会社の株式会社和光産業さんがいるが、こちらも初代社長は会長職に就き、現社長は全国を飛び回っているので会への出席は社員さんになっている。
残りすべての会社が、若い2代目社長や若手の会社で、会の当初からのいきさつを知っているのは拙だけとなった。
会は若返っているが、正月にメンバーがそろっての新年祈願は力づけられる。
今山八幡宮は我が家から徒歩5分。
長い階段を上るので御社殿までは徒歩10分。
日ごろ、発展会の物件情報会は毎月第二、第四金曜日の午前10時からやってるのだが、拙は毎回遅刻寸前に駆けつけている遅刻常習犯。
新年から遅刻はいけない。
最近足腰が弱くなっているので、10分前には到着するように余裕をもって家を出た。
到着は集合時間の15分前の10時15分。
境内にはメンバーが一人もいない。
すわ、日時を間違えたか。
集合時間が10時15分だったのかもしれない。
それとも日にちを間違ったか。
あせって、スマートフォンの手帳アプリで予定を確認すると、なんと集合時間は10時45分となっている。
30分前に来てしまったのだ。
やってしまった、正月早々のチョンボ。
しかし、遅れるよりははるかにいい。
待たせるよりは待つ方が良い。
いいスタートになりそうな新年祈願となった。
元旦から大地震、航空機衝突事故と、おめでとうという言葉を遠慮しないといけないような不穏な年の初めとなった。
そんな中で、我が家はかわいい盛りの2歳10カ月の孫娘が家族みんなの気持ちを和ませてくれた。
当社は今日が仕事始め。
去年の暮れに飾った、手のひら位の小さなしめ縄と、みかんの大きさ位の鏡餅が拙を出迎えてくれた。
シャッターを開けて事務所に入ると、正月らしく片付いていて清々しい。
こんなに片付いている事務所は何年ぶりかのこと。
同業者は今日まで休みのところも多く、本調子とは言えないがね例年になく気持ちが落ち着いている。
明日は同業者11社合同での新年祈願祭。
今年が平和で幸せな世界になるようにお祈りしてきます。
元日、夕方から、すべてのテレビ局がお正月の特別番組を中断して能登半島大震災と津波警報の報道に切り替わった。
災害は場所も時間も選ばない。
いつどこで起きてもおかしくはない。
しかし、なぜお正月に。
拙は、「お正月。なぜこの日なのか。」とつぶやいている。
2日。テレビの画面には、次々とニュース速報が表示される。
数分おきに震度5クラスの地震の速報が入る。
震度3や4は無視してもいいのではないかという頻度で震度5の速報が入る。
夕方6時ころ、また地震の速報かと思ってニュース速報の表示を確認すると、羽田空港で飛行機が炎上していると表示されている。
羽田?
羽田発の飛行機が北陸の空港の着陸に失敗したのか?
一瞬意味が理解できずにいると、次々に飛行機事故の速報が入ってきた。
さらには、飛行機が炎上している映像が流される。
大型航空機のようだ。
乗員乗客が400人と報じている。
テレビ報道はすべて羽田空港の衝突事故に切り替わった。
新年3日目の今日。
ニュース番組で被災地の被害状況が次々に報じられる。
崩れ落ちた家屋。
基礎から倒れてしまったビル。
大きくひび割れた道路。
陥没した地面。
断水、停電。
寒い中、家を失ったり、建物の中に閉じ込められている人もいる。
死亡者の確認数も増えてきている。
こんな大きな災害や事故が、なぜお正月に。
言ってもどうにもならないことだが、なぜお正月にと言わずにはいられない。
今日は、終日、事務所にて溜め込んでいる未整理の書類の整理をした。
もともとは12月中に事務所の大掃除をして未整理のまま山積している書類を片付ける予定だったのだが、予定は未定であれよあれよという間に時が流れ、事務所の掃除もしないまま、書類の整理には手をつけないまま年が明けてしまった。
これはいつものことで、例年なら居直って放置したままずるりと新しい年に持ち越してしまうのだが、今年はちょっとだけ改善。
大晦日には、事務所内の来訪者から目につく表面部分だけは大掃除をしてきれいにした。
来訪者から目につかない私の机周りのシークレット部分を新年の開店日までに片付ける作戦をたてた。
この作戦も、例年なら延長延長で結局実行しないまま撤退となる。
今年は、瀬戸際で踏みとどまって、今日は終日私の事務机の周りに山積みになった書類、請求書、役所からの文書等々の片づけをした。
日ごろからすぐに処理すれば簡単に終わってしまうものを、あ と で とやってしまうものだから、いらないものに紛れて必要なものが見つからなくて、1日に数時間探し物をする時間にとられてしまう。
そんなとき、毎度毎度、大いに反省するのだが、わかっちゃいるけどなおらない。
どうやら明日も終日ファイルの大掃除になりそうだ。
しかし、ここ数年の澱の掃除ができてずいぶん気持ちが軽くなってきた。
今年は例年になく、いい年になるかもしれない。
あけましておめでとうございます。
あけましてだが、元日の今年初日のブログの更新を空けるわけにはいかない。
ということで気をとりなおしてのブログ更新。
今年の我家の正月は格別なお正月。
昨日から孫が泊まりに来ている。
拙にとっての初孫。
初孫は、コロナが流行の初期、全国的に外出制限や他県への移動制限が始まった3年前の2月に長崎で誕生した。
他県への移動の自粛要請が出ている時期で、誕生した月にはちらりと会いに行っただけ。
その後、移動制限の隙間を縫って2度ほど会いに行った。
孫は、1度目はこちらの顔の見分けもつかず機嫌良く抱かれていたが、2度目に会ったときは死と見知りが始まっていて、会いに行った初日には抱っこしようとすると泣いていやがった。
2日目に、やっと慣れて抱かれるようになったと想ったら3日目はお別れ。
それでも長崎は車で4時間程度。
観光地として見所も多くて、ときどき遊びに行くのに適度な距離感で悪くないと思っていたのだが、子供たち夫婦の仕事の都合で孫が生まれて1年ちょっとで名古屋に引っ越し。
名古屋となると、簡単には行けない。
それでも孫の顔を見たくて、名古屋まで2回行った。
1回目は人の見わけがつき始めた時期で、拙が怖い顔をしているせいか抱かれようとしなかったが、2回目はすぐになついてきた。
そして、拙たち夫婦が帰るときには別れが悲しいのか、泣くのをこらえるような顔をしていた。
それがかわいそうで、1日帰りを延ばそうかと思ったことだった。
その孫が去年11月、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)に帰ってきた。
今回は、子供たちの仕事がこちらになって当地に居をかまえた。
住まいが、歩いて6,7分のところだから、ちょくちょく遊びに来る。
孫は来年の2月で3歳。
今度はこちらに帰ってきたその日から、ジジババ、一撃の笑顔で拙夫婦にまとわりついてくる。
今まで、まわりの友人知人が口をそろえて「孫はかわいい」と言うのを聞き長々していたが、本当に孫はかわいい。
このところ急に言葉数が増えて、いろいろ話をしてきて、かわいい、かわいい。
孫を持っている人たちの言葉を聞いて創造していたより数倍かわいい。
その孫が初参加の正月。
かわいいけど、動きも活発で1日相手をしていただけだけど、同居はかんべんしてもらいたいかなと思いつつ、賑やかなお正月に浸っている。
と、幸せな正月を満喫していたところに、突然北陸地方での大地震のニュース。
石川県では震度7の報道。
津波の恐れがあるということで、テレビでは、正月の特別番組すべてのテレビ局が地震、津波警戒報道に切り替わった。
お正月の初日。なぜこの日なのか。
家を失った人たちのことを思うと気の毒でならない。
戦争で家や家族を亡くしている人たちのことも思い出さされた。
テレビの画面を見ながら、複雑な正月になってしまったと感じた。
自分の幸せに感謝し、今年を大事にしなくてはと思いを新たにしている。
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