2月25日 このはなウォーク 晴
当地(宮崎県の北端の町・延岡市)はは、この1週間ずっと降ったり止んだりの雨模様だった。
今日は「このはなウォーク」の最終日。
朝から雨があがり薄日がさして、昼からは青空が見えてきた。
写真は「延岡花物語実行委員会」のパンフレット写真を掲載させていただいてます。
空から、「お天気を心配していた人がいたでしょう。安心してください。晴れるんです。」と、とにかく明るい安村みたいなキャッチフレーズで、鶴瓶みたいな顔をした谷平会長が、「とにくかく私のやる行事は、必ず晴れるんです。台風が近づいていた時も、私がやる行事の日だけ避けてくれたみたいなことが何度もあるんです」なんて、自慢気に叫んでいるのだろう。
私が会長の下で働いていた時、会長の快気祝いで100人以上の人を招待して大々的に開催した快気祝いのお礼の会食パーティーは、猛烈な台風の最中に決行した。
この人が何か催しをするとき、以上に根回しを徹底していた。
まず招待状を出す。
出欠の葉書をいれているが、受け取った人が確実に出欠の葉書を出すとは限らない。
だから、私たちに出欠の確認の電話を入れさせる。
葉書を受け取ったと思われる数日後に1回目の電話をする。
開催日の1週間前に2回目の電話。
開催日の数日前に3回目の電話。
開催日の前日に、最終確認の電話。
電話を受ける相手の人からは、「あんたところは、くどいね。出席すると言ってるだろう。」
そうやって苦言を呈される人も少なからずいた。
しかし、すべて会長の命令。
この快気祝いのお礼の会の日は、テレビでは数日前から台風が直撃するという報道だった。
前々日、前日には参加予定者から、快気祝いは中止でしょうという確認の電話が集中した。
私たちも無理だと思っていた。
しかし、決行。
このときは、会の前日だけでなく当日まで、私たちは「会は開催しますと」いう電話連絡をさせられた。
招待客の全員が、「そんな話はないだろう。無理だよ。」とあきれられた。
当日、朝から嵐。「昨日の会は中止でしょう」という問い合わせの電話が殺到した。
私たち社員は朝から何度も、会の開催と出席要請の応対をすることになった。
「うそだろー。この嵐の中でやるのか。できるわけないだろう。」の声に、「すみません。会場は用意できてますので、ぜひ出席をお願いします。」と、平身低頭で出席をお願いした。
こうして、台風の最中、快気祝いの会は開催された。
招待客100余人。欠席者はゼロだった。(これは、私たち社員の涙と冷や汗のたまもの)
盛会のうちに会はお開きの時間を迎えた。
外は、大嵐。台風でタクシーが動かくなくなるといけないので、帰りのタクシーの手配をして、私たちは招待客のお見送りをした。
タクシーの運転手が、台風の風で瓦がとんでいるよ。運転していて危険を感じる。なんて不満をもらしていたくらいだった。
帰りのお客さんたちからは、「谷平さんらしいよ」なんて楽しい笑声だけが聞こえてきた。
私は会長が、自分は晴男だと自慢するとき、ときどきこの時の話をして突っ込みを入れた。
会長も、あのときのことは覚えていた。
「そうだったなー。しかし、あの台風の中一人も欠席せずに、みんな参加してくれたんだからありがたかったよなー。すごいことだった。」
よく言えば常に前向き。
常識的に人の迷惑なんてことをちまちま考えていたんで事は成し遂げられない。
延岡花物語だって、多くの人を迷惑の渦の中にまきこんでこそ誕生したんですよね。
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