兵庫県知事選挙その後 昨日の続き
兵庫県知事選挙で、県議会で全会一致の不信任決議を受けた前知事が大勝での復活劇がマスコミの格好の餌になっている。
再選された斎藤知事は、自分を否定した県議会、県職員との今後の関係についての質問に対して、「自分は民意を得て県知事になったということを踏まえて県政を振るうということを言っておられた。
その表情に、私は、斎藤知事は「民意」を後ろ盾に強権を振るっていくのだろうなという印象を受けた。
斎藤さんは多数決の原理で当選したが、有権者の過半数の支持を受けたわけではない。
斎藤に対立する意見にも耳を傾けるべきだろう。
私の昨日のブログの続きだが、「スーパークレージー君」さんが宮崎市議会議員選挙でトップに続く2位という多数の支持を受けて当選したのだが、そのときの選挙戦と今回の選挙戦の姿が重なるところが多いという感想を述べておきたい。
「スーバークレージー君」さんは宮崎市生まれ。宮崎市の中学校を卒業し21歳で上京している。
ウィキペディアによると、複雑な家庭環境の中、中学校3年の時に暴走族のメンバーとなり、暴走行為と大麻所持で合計5年間少年院に入っていた。
3度目の収容中に祖母の死に目に会えなかったことで会心したとなっている。
その後、2020年6月東京都知事選に「スーパークレージー君」のつうょうで立候補。
この時は、通称の使用が認められず、政治団体「スーパークレージー君」の投手の肩書で本名で出馬。
22人の候補者中11番目で落選。
同年10月。つくば市議会議員選挙では、「スーパークレージー君」党公認で蓋だ恵みを擁立したが、候補者41人中40位で落選。
2021年1月。戸田市議会議員選挙に立候補。このときはYouTube配信等で「スーパークレージー君」の名称で広く活動していたことによりで通称名の使用が認められた中、36人の候補者の中25番目で当選した。
その内容はともかく、ユーチューブ等の動画配信で名前を知られていたことが当選の原因だったと思われる。
ただしこのときは、当選した物の選挙区に3カ月以上の居住実態がないということで当選無効となっている。
2022年3月。戸田市長選挙に立候補。このときは、無投票になりかけた戸田市長選挙に対して、選挙無しではいけないということで立候補したが落選。
2022年。生まれ育った宮崎市に住民票をうつし、マスコミに出馬の意向を発表し出馬準備。正式出馬したが大差で落選。
そして2023年。1月にTwitterにて4月の宮崎市議会議員選挙に立候補することを表明。候補者61名中2位の大量得票を得て当選した。
このときの選挙戦が、今回の兵庫県知事選挙と同じ様相だった。
それまでに「スーパークレージー君」の名前で世間を賑わしてきていて、知名度は抜群だったが、最初はきわものあつかいされていてだれも相手にしていなかった。
それが、SNSで「旧来の宮崎市議会に若い人の声を届けたい」と訴えて出馬。
徐々にSNSで、過去の「スーパークレージー君」とは違っていて、本当に宮崎市に新しい風を送ってくれるという声が立ち上がり、徐々に支援者が増え、選挙日が近づくにつれ観衆の輪が広がっていった。
その時の様子は、スケールは違うが、ちょうど兵庫県知事選挙の終盤戦の様子と同じだった。
SNSは、あるとき一気に大きな流れになることがある。よくも、わるくも。
流れに翻弄されず、流れを冷静に見つめることが必要である。
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