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2024年12月

2024年12月31日 (火)

大晦日 

 このブログの、過去の大晦日の記事を読んでみた。

 毎年、毎年、何もしてこなかったことの反省と後悔。

そして、来年からは頑張るぞの誓い。

凝りもせず同じことを繰り返してきた。

2020年のブログにはこう書いてあった。

「ぽつりぽつりと友人や同じ年代の人の葬儀に参列することが出てきたが、早すぎる死だと思っていた。
まわりの同年代の人がみんな元気だから、まだ平均寿命までは時間があると感じていた。
 
そういえば、同世代の者が集まると病気と孫の話になっている。
幸か不幸か、私は病院とは縁がないし、まだ孫もいない。
だから、そんな話には加わることができなくて、他人事として聞いていた。」
健康年齢という数字を前にして、改めて自分の年齢を再認識させられて、今日は、リセットできないことを痛感している大晦日となった。
 
いつものように、のんきに来年こそはとは思えない大晦日だが、私が思うに、60歳くらいまでは、みんな戸籍の年齢通りに年をとるが、60歳を過ぎてからの年齢には個人差がある。
厚生労働省も、平均寿命が長いのは良いことですが、同時に忘れてはならないことが健康寿命です。生きている限り、いくつになってもはつらつと楽しみをもって過ごしたいもの。

健康寿命を延ばすために、適度な運動や打ち込める趣味や勉強など、できることからはじめてみてはいかがでしょうかと呼びかけている。
私は、はつらつと楽しみをもって仕事をしていると言い切るほどの自信はないが、適度な運動もしているし、まだまだ仕事のために頭も体も使っているし、勉強もしている。
今年の年頭の言葉は、「倒れるまで現役」だった。
その思いも、新型コロナの猛威の前に混乱に陥ってしまって、ぐずぐずと終わってしまいそうになっていた。
今年最後の日、改めて言葉を思い起こして、リセットのできない現役活動を続けようと思っている。

今日の気持ちは、4年前の大晦日と変わっていない。
来年も、同級生たちとの病気自慢の話には加われないかなと思っている。
ただ、あの日と違っているのは孫ができたことだ。
孫自慢の話には割り込んでいけるなと思った、今日の出来事。

2024年12月30日 (月)

まだ終わらないけど 心安らかな晦日前

毎年、この時期になると頭を渦巻く、高浜虚子の「去年今年(こぞことし)」の句。

だけど、今年はちょっと違っている。

今日も、例年のように、ためこんだ仕事の残骸を片付けているのだけど、なんだかちょっと違う。

いつも心臓がざわざわしているのだけど、なぜか今年は心安からな年の終わり。

明日も一日中、片付け物をすることになるのだろうけど、いつもとちょっと違う、良い感じ。

 

 

 

2024年12月29日 (日)

ベルーナ おせち15,000件配送できず

 通信販売大手のベルーナが、28日夜、年末に到着予定だった、おせち料理のうち約1万5000件が配送できなくなったと発表したという。

 物流上の手配ミスがあったのだそうだが、お正月を3日後にした今日、こんな連絡を受けた人の気持はいかばかりか。

 今の世の中、コンビニは開いているし、お正月からやっているお店もたくさんあるから、腹を減らして路頭をさまようってなことはないだろうけど、折角のお正月にコンビニの弁当や総菜で過ごすことになるのはいたたまれない気持ちになるだろう。

 テレビを見ていると、能登では、まだ壊れたままの家が手つかずで避難所生活していて、おせち料理どころではない人もいて、そんな人に比べたらまだ幸せだと自分に言い聞かせたとしても、年に1度家族団らんでお正月を迎えようと愉しみを膨らませていた人にとっては、大震災級の災害だろうなあ。

2024年12月28日 (土)

悪徳不動産屋の年末 営業は終わったけど 終わらない仕事

今年は、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)の不動産会社のほとんどが今日から正月休みに入っているようだ。

私も世間と足並みをそろえて今日からお店は休み。

しかし、慢性的にやり残している仕事が山積していて、心身完全休養はできない。

今日も、1人だけカレンダーをお届けするのを忘れていて、そのお客さんにカレンダーを届けてきた。

当社が家主のアパートに住んでいる90ウン歳の女性。

5,6年前まで、やはり当社所有の雑居ビルで店舗も借りてもらっていた。

スナックをやっておられたのだが、当時80歳半ばで、この方曰く、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)で一番古いキャリアをもっているということだった。

私は酒を飲まないものでお店に行くことはめったになくて、様子が気になってたまーーに店を覗きに行くのだが、お客さんがいないときが多かった。

それでも、お店と住宅の家賃で12万円くらいの家賃が遅れたことはなかった。

アパートは、当社事務所から私の足で5分くらいのところにあるので、毎月歩いて家賃を持参していただいていた。

月に1度私の事務所に家賃をもってきて、ひとしきり昔話をして帰られていた。

5,6年前に大病を患って手術をした後、店は絞められた。

そして、市役所に補助を受けられることになって、それに合わせて家賃を下げて引き続き住まってもらっている。

その後めったに顔を合わせることはなかったが、たまに近くのスーパーに買い物に来ておられるのに遭遇した。

お元気なのだが、コロナ以後はめっきり顔を合わせることがなくなっている。

90歳を過ぎての一人暮らしだから、安否も気になるところなのだが、しょっちゅう連絡を取るのも、いかにも安否確認と言った感じで気が引けてここ10カ月くらいは全くお会いしていなかった。

市の保護で週に何度かはデイサービスを受けているようだが、この寒さは大丈夫なのかと気がかりだった。

カレンダーを届けに行って、寝込んでいたらどうしようなんて思っていて、つい先延ばししていて届けるのが遅れていた。

それで今日、意を決して、お歳暮でもらった果物をおすそわけに持参してカレンダーを届けに行った。

いつも鍵をかけてないのは知っていたので、ドアのノブに手をかけると心臓がちょっとドキドキしたが、意識的に大きな明るい声で「スズキさーん(仮名)。ひさしぶりでーす。お元気ですかー。カレンダー持ってきましたよ」と声をかけた。

一瞬私の顔がわからなかったが、すぐに嬉しそうな顔で迎えてくれた。

言葉もはっきりしておられるし、ヘルパーさんがきているのか、以前より室内もきれいに片付いていた。

「お歳暮でもらったリンゴのおすそわけで申し訳ないけど」と差し出すと、喜んでくれた。

「ずいぶん会ってなかったから、どうしているかと思っていたけど、元気そうでよかったでーす。寒くなるからエアコン付けて暖かくしてくださいね」

「そんなに元気だったらなんでも食べられそうだから、またお歳暮にもらった物をおすそわけ持ってきてもいいですか」と言うと「よければ、持って来たらたべるよ」と言ってくれた。

この人のことが、ここしばらく私の心配の種だったのだが、最後の年の締めの嬉しい今日の出来事だった。

さあ、事務所の片づけがまだまだ残っている。明日から3日間、事務所の大片づけだ。

2024年12月27日 (金)

こんなときに限って

一昨日、突然パソコンのインターネット回線がつながらなくなった。

一昨日は、郵便局のCMで「年賀状は25日までにお願いします」日の、1日前。

何につけても、締め切り間際になってあわててやっつけているの私。

その日は、やっとのことで朝から年賀状作成に取りかかっていた。

去年のデータを引っ張り出して、今年の干支のデザインをどれにするか選んでいた。

こんな時に限って用事が入って、ちょっと外出して会社に戻ってきて、 作成途中の干支のデザインをどれにしようかなとパソコンを開いたのでが、そのそのソフトが動かないのだ。

デザインを選ぼうとするのだが、エラー表示になってしまう。

パソコンを再起動してみたが、同じ症状がなおらない。

いろいろ試していたら、どうやら、この年賀状作成ソフト名のIP アドレスが見つからないという表示が出た。

試しにインターネットやメールにつないでみたのだが、パソコンがインターネット接続されていない。

年賀状ソフトの中の住所録は表示されるので、宛名だけを先に印刷しておこうと印刷のボタンを押したのだが、業務用のプリンターもエラー表示が出る

それなら、Excel、Wordで作成した年末年始の挨拶状を印刷しようと思ってプリントボタンを押したのだが、これまた印刷できない。

A4までの書類を印刷するために机の脇に置いているプリンターだと印刷できた。

 やはり、パソコンは正常に動いている。

プリンターはリース契約している複合機なのだが、どうやらこれもネット環境の中で動いているようだ。

これは、大変困ったことになった。

年賀状作成は急がなくてはいけないし、メールがつながらないとなると仕事に支障が出る。

すぐに、NTT西日本の故障係に電話したのだが、いつものごとく「ただいま電話が大変込み合っております。おかけ直しするか、このまま電話をお待ちいただくか、おかけ直しください」のアナウンス。

「修理予約についてはNTT西日本のホームページからだとすぐに予約できます」というアナウンスがあったのだが、パソコンからのインターネットがつながらないのだ。

ことは急ぐので、スマートフォンでインターネットサイトにつないだ。

これが、NTT西日本のホームページにはすぐにつながったものの、肝心の修理を依頼するページがみつからない。

悪戦苦闘していろいろやってみたが、同じところを堂々巡りさせられるだけで目的のページにたどり着かない。

結局、電話をかけなおし担当につながるまで待つことにした。

幸いなのは、携帯電はかけ放題の契約にしていることで、待ち時間の通話料を気にしなくていい。

スマートフォンをスピーカー機能にして、つながるまで待機。

「大変お待たせしております。順番でおつなぎしますのでこのままお待ちください」のアナウンスが流れ続ける。

すべての企業の電話サービスが、購入申し込みの電話は必ずすぐにつながるように対応しているが、注文以外の、サポート、問い合わせ、修理、クレームについての電話は絶対にすぐにはつながらない。

「ただいま電話が大変込み合っております。おかけ直しするか、このまま電話をお待ちいただくか、おかけ直しください」となっている。

本当に急ぐときは、電話をきらずにひたすらにつながるのを待つことだ。

私はそれを知っていたから、昔は待つときの電話代は有料だったが、それでも緊急の時は高い通話料を負担してでも待ち続けた。

そのころに比べて、今、幸せなのは、通話かけ放題の契約にしておけば待ち時間の通話料は無料。

電話をスピーカーにして、他のことをしながら待つことにしている。

NTT は善良な大企業だから、比較的つながる時間は早いほうだが、それでも20分30分待たされることは覚悟している。

今回は10数分待ってつながった。

いろいろ症状を説明して、結局修理に来てもらうことになったのだが、「修理も込み合っていて最短明日の午前中になります」とのこと。

モンスタークレーマーに豹変したいところだが、飲み込むしかない。

「はい。よろしくお願いします」

ということで、無事開通。

昨日、今日、泣きたい気持ちになりながら、なんとか年賀状も出し終えた。

 

それにしても、知らない間に複合機のプリンターもネット回線を介して動いていることも初めて知った。

昨日は、日本航空のネット回線がハッキングにあって混乱していたが、今やすべてがインターネットの力を借りていることの怖さを思い知った、今日の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年12月23日 (月)

東野圭吾の「架空犯」 予約2年半待ち

今日の朝刊に、東野圭吾の「架空犯」の広告が掲載されていた。

3段通しの大きな広告。「第一位」「今年最後に最高の推理小説を」のキャッチコピーが目に飛び込んできた。

私は、推理小説は余り読まないのだが、コピーにつられて、即座に、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)市立図書館にインターネット予約を入れた。

何と、予約結果は56人待ち。

私の図書館利用歴、最大の予約数だ。

本の貸出期限は2週間。

みんなが貸出期限まで借り出していたら、私に順番が廻って来るのは2年半後になるのだなー。

 

 

 

2024年12月20日 (金)

北九州 中学生殺傷事件

北九州の中学生殺傷事件は、比較的短期間で犯人が逮捕された。

今回の事件で私は、犯人の目撃情報や防犯カメラの映像など犯人像につながる情報が一切報じられなかったことに大いに疑念を抱いていた。

最近の事件では防犯カメラの映像が犯人逮捕につながることが多い。

それなのに、警察が防犯カメラの映像をすぐに公開しない場合が多々ある。

すぐに防犯カメラの映像を公開することが犯人逮捕につながるはずなのに、警察が防犯カメラの映像を公開しないというケースが少なくない。

数カ月犯人逮捕につながらず、事件の記憶が薄れたころになって防犯カメラの映像が公開されると、すぐに犯人が見つかるということもよくある。

それは、なにか警察の都合によって防犯カメラの映像を隠しているのではないかと、警察に不信感を覚えることもあった。

しかし、今回の早期逮捕に際して知らせされたことだが、警察が犯人を特定して捜査している場合には、警察は犯人像や防犯カメラの映像は公表しなのだという。

犯人は自分が犯人と特定されていることがわかると、逃走をはかる。

それで警察は、逃走を防ぎつつ、しっかりとした証拠固めをして逮捕に至るのだそうである。

 

それはこの年になるまで知らなかったなー。

ストンと腑に落ちた出来事であった。

 

 

 

 

 

2024年12月19日 (木)

北九州 中学生殺傷事件犯人逮捕

北九州市のファストフード店で、女生徒を殺害し男生徒に重傷を負わせた容疑者が逮捕されたというネットニュースが飛び込んできた。

インターネットで、このことに関する記事を読んだら、近辺に住む43歳の男だという。

容疑者の近隣に住む人の話では、容疑者は以前から夜中に拡声器を使って大声を出すなどの迷惑行為をしていて、警察もたびたび出動していたとのこと。

精神的に問題を抱えていて、先々大きな問題を起こしそうな様子がみられたようだ。

しかし法律で拘束できるような状態ではなかったのだろう。

そして、まだ将来のある若者を殺してしまうという、許し難い、取り返しのつかない殺人事件を犯した。

こんな事件が起きると、起訴前にかならず精神鑑定を行うことになる。

起訴されて裁判となると、弁護士は刑法39条の心神喪失、心神耗弱を原因として容疑者を弁護することになるのだろう。

15歳の若い命を奪っていながら、心神喪失となれば無罪、心神耗弱としても刑が軽減されることになる。

責任能力の有無を判断するのは精神科医だが、精神耗弱を装う犯人をどうやって見分けることができるのか。

精神的疾患が治癒したという判断のもとに退院した男が、退院してまもなく、バスジャック事件を起こして殺傷事件を引き起こした事件を思い出す。

この時は、正常をよそおう精神病患者を治癒したものと誤診したわけだ。

しかし、罪を逃れるために異常者をよそおう正常者を見分ける方がそれより難しいだろう。

殺人事件において弁護側は必ずと言っていいほど刑法39条を持ち出す。

今回の許し難い事件も、弁護士は刑法39条で犯罪者を守ろうとするのだろう。、

2024年12月16日 (月)

すっぽり3日間

うーん、と。

ここ数年、とぎれとぎれで、もうボロボロのブログを、とりあえず書き続けてみようと思った12月だったのに、またして空白の日々。

今日は時間が無くて、だからといって空白を埋めるだけ内容の無いものを書いたってしょうがない、と言いわけしつつ1日休んでしまったら次の日も同じことをしてしまった。

そうしたら次の日が日曜日。

日曜日は会社が休み。

使っているブログサービスの会社のIDとパスワードがわからなくなって、自宅のパソコンやスマートフォンではあくせくできなくなってしまった。

ブログサービスのシステム変更があったようで、会社のパソコン以外で接続しようとしたら、ある日突然あらためてID、パスワードを求められた。

使っているIDとパスワードはノートにメモしているのだが、そのメモを見ながら入力してもIDまたらパスワードが違いますといって接続できなくなった。

ということで、昨日の日曜日は更新していなくて、気が付けば3日間の空白。

今日、なんとか穴を埋めておかないと、さらに空白が増える。

ということで空白を埋めるだけの更新でした。

も、今年もあと半月となった。

「さあ、次のハンチャン」という気持ちである。

2024年12月12日 (木)

不思議な存在・ふるやつねひら=古谷経衡さん

先週の土曜日、すぐに書こうと思っていて忘れていたこと。

絶対に書かなくてはいけないと思って、ラジオを聞きながら、手元にあったチラシの紙にこの人の名前だけを書き留めていて、そのメモを紛失していた。

私、子供のころから人の名前を覚えるのが苦手で、最近は老化でさらに名前が覚えられない。

テレビを見ていても、顔はしっかり覚えているのだが名前が出てこないってことが日常になっている。

この人も、顔はテレビでもよく見かけるし、なかなかアクの強いコメントをする人で印象は強いのだけど名前を覚えられない。

名字は普通だが名前の方の漢字が難しくて、読めない名前で何度見ても覚えられない人だ。

今日、机に溜まっている書類を整理していたら、土曜日にメモしたチラシが出てきた。

その人は、「ふるや常平」さん。「古谷経衡」と書く。

この人だ。

古谷 経衡(フルヤ ツネヒラ)|オーディションサイトnarrow
写真は日本タレント名鑑より無断拝借しております

言い訳をさせてもらえば、ワープロで「つねひら」と打っても当然のように「経衡」は表示されない。

「つね」で変換しても「経」はなかなか出てこなくて、私のパソコンでは20番目くらいに「経」が表示された。

「ひら」で「衡」は表示されないままだ。

それで、均衡という単「衡」の字を拾い出した次第。

(このブログを書き始めて気づいたのだが、グーグルで「ふるやつねひら」さんは何者かということを検索したら、あっさり漢字表記が見つかっていたなあ)

古谷経衡さん

さんはWikipediaによると、「時事評論家で文筆家」となっている。

確かに私がテレビでお見かけした古谷経衡さんは、ワイドショーで時事評論化的な発言をしておられた。

髪を金髪のメッシュにして、ラフにくずした服装で、いかにも社会の先端をはしっているようなビジュアルで、ビジュアルの通り、ちょっと通常人とは違った視点で世の中を論評するというのを持ち味としているようにみえた。

 

先週の土曜日、古谷経衡さんが「田村淳のニュースクラブ」という番組のゲストコメンテーターとして出演されていた。

田村淳さんがなかなかの論客。出演するコメンテーターも一味違った評論を展開する人たちだ。

古谷さんは、この番組の準レギュラー的なコメンテーター。

この日の番組で古谷さんのコーナーで「日本流行語大賞」のことをとりあげていた。

「日本流行語大賞」には、いろいろな評価があって私も意見があるのだが、それはいずれとりあげることにして、その日の番組でも今年の流行語大賞について疑問を呈する場面があった。

今年の大賞には、TBS系大ヒットドラマ「不適切にもほどがある!」の略称「ふてほど」が選ばれたわけだが、私は「ふてほど」という言葉を耳にしたことが無い。

大賞受賞を聞いて、ミーハーじじーの私ではあるが、寄る年波で流行に乗り遅れているのかと思ってしまった。

しかし、私が知らなかったのは当然のことだった。

主演俳優の阿部サダヲさんが、「 自分たちで『ふてほど』といったことはないけど、周りで言っているのもきいていないけど・・・・」みたいなスピーチをしていた。

田村淳さんも当然このことを話題にし、今年は流行語大賞の不作の年だった。一番みんなが知っている言葉は大谷翔平選手の「50-50(ヒフティ ヒフティ」じゃないかな、と古谷さんに話しをふった。

それに対して古谷さんは「50-50」って何のことですかと聞いてきた。

あの大谷選手50-50を知らないんですか。いくら野球に興味がないと言っても、50-50の話題に接触しないことはありえないでしょうと突っ込んでいた。

田村淳さんは古谷さんと交流があるようで、古谷さんが野球には全く関心がないということを知っているようだった。

その突込みに対して、「いや。ほんとにまったくなんのことかわかりません」「僕はまったく野球に関心がないんです」存在自体に無関心だというような答えを続けた。

3往復くらいそんなやり取りをかわしても、平然と「まったく知らない」を突き通す古谷さんに対して田村淳さんが「日ごろはまったく野球に縁のない女の子でも、80代のおばーちゃんでも、幼稚園の子供でも大谷翔平の活躍は知っている。この話題に触れずに生きるってことがありえないですよ」と突っ込んでも、「ほんとに、わからない」を押し通していた。

ビジュアルどおり、風変りを売り物にしている時事評論家なので、風変りを強調し変人をキャラクターにする作戦なのかもしれない。

しかし時事評論家を生業にするのであったら、作戦失敗でしょう。

日本中、いや世界的にも大きな話題になっているこの状況をまったく知らないというのは、致命的な事態であることに気がつかないのだろうか。

古谷氏は、テレビや新聞・雑誌といった一マスコミ、メディアからの情報は一切取り入れないということなのだろうか。

直近の兵庫県知事選挙に際して、若い人を中心に、テレビ、新聞と言った大手メディアが、旧態然とした既存勢力として扱われる傾向があることに注目されていた。

ネットの世界では自分が肯定する意見ばかりを集約的にかきあつめて、自分と対立する意見や自分が興味のない出来事には接触しないという問題点が指摘されていたが、古谷さんはまさにその標本的な生き方をしているということなのかもしれない。

日本で普通に生活をしていて、太田選手の活躍に一切接触なしで生きていくことは至難の業だろう。

こんなに偏った情報収集をして世の中が見えない人が時事評論家として成り立つのかと疑問に思った土曜日の出来事だった。

 

2024年12月11日 (水)

悪徳不動産屋日記 警察からの電話

机上の電話が鳴った。

ちらりと着信電話番号を見ると、市内の固定電話の番号からであることが分かった。

最近は、固定電話から受ける電話は少ない。

受話器に手を伸ばしながら着信した電話番号を見ると、電話番号の下4桁が0110となっている。

何か見たような番号だなと思いつつ受話器を取った、その瞬間、これは警察署の代表電話番号ではないかと気づいた。

何か警察にご厄介になるようなことをした覚えはない。

もしかして、家族の誰かが交通事故にあったのか。

ひょっとして、気が付かないまま交通違反でもしたのだろうか。

それとも、管理しているアパートで事件でもあったのか、はたまたアパートの住人が問題を起こしたのか。

それでなくても、町を歩いていて警察官とすれ違うと、何も身に覚えが無くても緊張してしまうし、車の運転中にパトカーの姿が見えるとスピード違反をしていないかとブレーキを踏んでしまうものだ。

ADHDの私の頭の中は運動会、警察からの電話に、一瞬にいろんなことを想像してしまう。

心臓がきゅっと縮まる思いだ。

しかし、どう考えても私が警察の御用になル幼なことはしていない。

気持を整えて電話を取る。

「はい、不動産情報館です」と電話に出ると、相手は案の定、「こちらは延岡警察署です」と名乗る。

気持は冷静によそおっているが、私の心の緊張感はマックス。

「はいなんでしょう」

「〇〇町に、御社が管理している駐車場がありますよね]

ちょっと一安心。私が起こした問題ではないようだ。

駐車場内で車どうしがぶつかったのか、それとも車上荒らしでもあったのか。

「はい。その駐車場でしたら当社で管理していますけど・・・」

続く警察官の言葉は、バラエティ番組のお笑い芸人だったらドタッとこけるようなセリフ。

私の緊張の糸は一瞬でほぐれて、お笑い芸人よろしく電話を持った手をガクリと倒してしまった。

「駐車場に無断で車を停めている人がいるのですけど、誰が停めているかわかりませんかね」というのだ。

契約者の車も、全部ナンバーを控えているわけではない。

駐車場の管理をしていると、契約者から無断駐車をされていて自分の車が停まらないので、なんとかしてくれという苦情を受けることがある。

自分は駐車場を借りているお客だ!すぐに何とかしろ!」と、どなりつけてくる人が少なくない。

自分の車が停められないと困るだろうし、腹立ちはわかる。

しかしそう言われても、契約者の車のナンバーはわかるが、無断駐車をしている人がどこのだれやらはわからない。

一方、警察は車のナンバーから所有者がわかる。

だからこんなとき、不動産会社として警察にお願いすることもあるのだが、そのときの返事は「警察は民事の問題には関与できないので、自分でなんとかやってくれ」と言われることが多い。

それを説明しても、「自分は金を払って借りているんだから何とかしろ」と、許してくれないお客さんも、また多い。

それで当社の駐車場契約書には、「無断駐車については、地主及び仲介業者は一切責任は負いません」という条項を付けている。

このことは、契約締結前にきっちり説明することにしている。

納得していただけないお客様には、「無断駐車は警察に頼んでもなかなかすぐに撤去はできないのですよ。『すぐに無断駐車をどけさせろ』と言うお客さんがいますが、私にはできないのです。だから、これが納得のいかないお客様には駐車場はお貸しできないのですよ。」と説明して、納得していただいたお客さんとだけ契約をしている。

加えて、警察は、これが管理不動産屋の仕事だからと思って協力してくれないのかもしれないという気がします。

経験としては、お客さんが警察になんとかしてくれと厳しく注文をつけると協力してくれているようですよという余計な助言をすることはある。

実際、今回の警察の方が動いたのは、この駐車場を借りている人が警察に苦情の電話を入れたのがその理由だった。

それにしても、不動産会社に「無断駐車の犯人はわかりませんか」と警察の方が聞いてくるのはお門違いですよね。

それを教えて欲しいのは私たちの方です。

警察の方はナンバーから所有者を見つけることができるんですものね。

困り切って警察に問い合わせをしても、それは個人情報で教えられませんと言われてしまいます。

そして、「警察は、民事のことには介入できません」ということもよくある話です。

これは警察の怠慢ではないのです。

警察には、野良猫がいて迷惑だからなんとかしてくれとか。犬がはねられて死んでいるのでかたづけろとか、道路にゴミが散らばっているからなんとしろとか。

とても警察の仕事と思えないようなことでも行ってくるヤツがいる。(というようなニュース報道を見たことがある)

民事のことや、刑事の範疇でも事件性の小さい軽時のことに全部掛り合えないのは知っている。

だから、ひょっとしたら管理している不動産屋で無断駐車をしている人がわからないかなと、わかり駐車してどこかに行ってしまった人のことは、多少神がかり的な神通力をもっている悪徳不動産屋の私にもわかりません。

ともかく、なにごともなく平穏に終わった今日の出来事でした。

 

2024年12月10日 (火)

土地337㎡付きの古家 38万円

今日は、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)地元専門ローカル新聞・夕刊デイリー新聞に広告を掲載した。

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その中に、土地337㎡(102坪)付きの古屋というか、古家付土地というべきか、価格38万円という物件に問い合わせが集中している。

新聞広告の枠には限りがあるので、地積、建物面積、構造、築年、交通等の最小限の情報しか載せていない。

ずいぶん僻地の物件ですよとわかるように、最寄りのバス停からの距離ではなくJR延岡駅より21㎞と表示した。

築年は昭和25年。なんと築後70年超の古家(流行りの言葉でつくろえば古民家)である。

内容の詳細については新聞広告では限りがあるので、ホームページではしつこいまでに詳しく説明している。

安いのは市街地から遠い僻地(お住いの方には申し訳ありません)ことと、古い家を残置物が付いたままで売るためで、残置物の片づけだけでも50万円以上かかる。片づけを業者に頼むとそれ以上かかると思いますよ。

住めるようにするにはお金がかかると思うので、自分で家を改装することを楽しむ人にお勧めします。

と説明をつけている。

しかし、問い合わせの電話をいただく方は38万円にしか目が行っていない。

「場所はどこですか」

「国道からは近いですか」

「ちょっと手を入れれば住めそうですか」

「雨漏りはないですか」

すごい掘り出し物なのではないかという思いで聞いてこられる。

しばらくは問い合わせの電話が鳴りやまないかもしれない。

DIYで自分の手で改造することを趣味にしている人にのみ、お勧めできる物件です。

 

 

 

 

 

2024年12月 9日 (月)

悪徳不動産屋日記 古いやつだとお思いでしょうが

電話が鳴った。

着信番号をみると、付き合いのある〇〇不動産からであった。

電話に出ると、「〇〇不動産の△△です」と名乗った。

△△さんは、若くて比較的社歴の浅いフレッシュマン。

会社としてのつきあいは30年以上になるが、若い社員さんとの交流はあまりない。

私なんぞ、あちらから見たらお父さんの世代か、ひょっとしたら(ひょっとしなくても)お祖父さんの世代なのかもしれない。

私が若い頃には、年上の古参の不動産屋さんと話すときには緊張したものだが、今の若い人はまったく物怖じするところがない。

感じのいい明るい声で「あ、どうもおせわになります。凸凹町のバス通り沿いにある月極駐車場の空きはありますか」とたずねてきた。

凸凹町の月極駐車場?まったく思い当たる土地はない。

そもそも当社はブログの表紙に書いている通り、小さな不動産屋。

管理している物件数も大したことはない。

老いたとはいえども、自社で預かっている物件はすべて頭に入っている。

凸凹町に売地は預かっているが、バス通り沿いではない。

「バス通りに管理している月極駐車場は無いよ?何かの勘違いじゃないの?」と言うと、「いや。御社の月極駐車場の看板が立っているところです」と返してきた。

それでわかった。

その土地は、確かに月極駐車場にしていたものだ。

私の知人が自宅を新築するつもりで10年前の東日本大震災の後に、自宅を高台に移転するつもりで購入した土地だった。

高台で交通の便の良いバス通り沿いの人気のある場所だったもので、「売りませんか」「売ってもらえませんか」と、しょっちゅう不動産屋が押しかけて来るので困っているということで、当社が月極駐車場の看板を立てて駐車場として管理していた。

震災から5年過ぎても建築にかからないので、私も折を見ては「家を建てないのなら、売らない?」と声掛けをしていた。

それからは、当社の方にさまざまな不動産会社から売らないだろうかという話しが来ていたが売る話にはならなった。

ずーーっと、売らないということだったのだが、今年になって、良い話があったら売ってもいいかなということになり、4月に売却した土地だ。

当社が月極駐車場の看板を立ててから6年余、毎月1、2回は不動産仲間や建築会社から「売ってはもらえないか」という電話をもらっていた。

〇〇不動産からも電話をもらったことがある。

〇〇不動産の△△さんも、看板が立っていたのを知っていて電話をしてきたのかもしれない。

それで、「その土地は今年の春頃に売れたから看板は撤去してるはずだよ」と言うと、「いや看板はたってますよ」と言う。

私の頭は混乱する。どこかあのちかくに看板を立てた土地があったかな。

まだ脳みそは老化していないという自負があったが、気が付かないうちに脳も老化したのかと不安になる。

「えっ?場所はどこ?」と聞くと、「こうこうこんなところです」と状況を説明してくる。

場所は、やはり春に売れた土地に違いないようなのだが、電話の様子では現地で看板を見て電話をしてきているような感じだ。

建築が終わっていると思うのだが、敷地のどこかに私が取り忘れた看板が残っているのかもしれない。

「今、現地には新しい家が建っていると思うのだけど、看板はどうなってる?」と聞くと、「いや、家はたってないですよ」と言う。

「あなた、その看板はどこで見たの?」と言うと、グーグルマップのストリートビューを見ているというではない。

私は常日頃からバイクを移動手段にしているので、商談にかかって物件を探す際にはバイクで物件を見つけに行くようにしている。

「あんたね。ストリートビューは日々更新されているとよ。現地にはもう家がたっているはずだよ。」と教えてあげた。

 

「△△君。不動産屋は、まず現地を踏まないとダメだよ。」と講釈をたれたかったが、パワハラじーさんと思われるのが恐くて何も言わなかった。

私が逆のことをして古株の不動産屋にこんな忠告を受けたら、恥ずかしくて腹を切りたくなって、でも腹を切ると痛いから切らないけど、もは宇合わせる顔もなくて町を捨てて逃げ出したくなったことだろう。

しかし△△君は肝が据わっている若者だった。

「あー。そうなんですね」で電話は終了。

 

私の頭に、鶴田浩二の「傷だらけの人生」の歌詞がよぎった。

「古いやつだとお思いでしょうが  古い奴ほど新しいものを欲しがるもんです・・・・」

「なんだかんだと お説教じみたことを 申して参りましたが そういう私も日蔭育ちのひねくれ者・・・・」

 

悪徳不動産屋のじいさんは、インターネットやIT関連情報が大好物。

スマートフォンも、先月、Galaxy Zfald6(折りたたみ携帯)に変えたばかり。

仕事もせずに、ひねもすパソコンの前に座って遊んでいる。

昔なじみの不動産仲間といっしょになると、なんだかんだと正論を振りかざしてお説教じみたことを言う。

 

やっぱ 古い人間なんでしょうかねー

2024年12月 8日 (日)

悪徳不動産屋日記 こんなことしてもいいのかな

朝、枕もとの携帯電話が鳴った。

時間を見ると、まだ9時前。

起きてはいたのだが、ベッドでTBS「サンデーモーニング」を見ていた。

発信者は高校の恩師。

直接の担当教師としてのお付き合いはないが、テニス部の顧問としてお世話になった先生だ。

入居者募集を頼まれているアパートの家主さんでもある。

先生は自宅の敷地の一角に、4世帯のアパートを持っておられる。

今日の電話は、このアパートの件だとわかった。

4年前のこと、テニス部の先輩の声掛けで、先生の喜寿のお祝いの会に出席した時、部屋が空いているのでなんとかならないだろうかという相談を受けた。

複数の他の不動産会社に頼んでいるのだが、1年以上空いたままだという。

聞けば、場所も、家賃も悪くない。

なぜそんなに空いているのだろうと思って、依頼している不動産会社の名前を聞いたのだが、いずれも当地(宮崎県の北端の町・延岡市)の賃貸部門では3本の指に入る大手の不動産会社だった。

そんな不動産会社で決まらないものを、私が依頼を受けたからといってもすぐに決まるものではないとは思ったのだが、「なんとかしてくれ」というを断るわけにもいかない。

とりあえずは、「微力ながらではありますが、全力を尽くします」ということでお預かりした。

すると、どういうはずみか、ホームページ掲載と新聞広告で、1,2か月後に契約できた。

先生からは、「これで満室になった」と喜んでいただいたのだが、その1年くらい後のことだったか、また空き室が出た。た。

この部屋が1年以上入居者が決まらないのだ。

先生からは信頼を受けてしまって、他の不動産会社には頼まないので、なんとか決めてくれと言われているのだが、たまに案内が入るのだが決まらない。

立地は良いし、家賃も高くはないのだが、これがなぜか決まらない。

決まらない理由もなんとなくわかるのだが、これはいたしかたのないこと。

信頼をいただくのも、私には重荷となる。

この1年、申し訳ないやら、情けないやら、気になって仕方がない物件になっている。

年が明けると不動産賃貸部門の繁忙期となる。

去年の繁忙期は決まらなかった。

今年の繁忙期を逃すと大変だ。

それで昨日、私の方から先生に電話で、繁忙期を前に他の不動産会社にも斡旋を頼んでおいた方が良いですよということをお伝えしたのだ。

これは前々から先生にお伝えしていたことなのだが、「君を信用しているから、そんなに気にしなくてもいい」と言われていた。

昨日の電話でも、「どんな不動産会社があるかわからない」と言う。

先生には、私の方から私のつきあいのある不動産会社に依頼するということもできるが、不動産会社のシステムとして他社が頭に立つ物件より自身が直接依頼を受けた物件の方を優先することになるので、家主から直接不動産会社に依頼した方がいいですと説明するのだが、どこに頼んでいいかわからないとのこと。

もともと私に依頼する前に頼んでいた不動産会社もあるはずなのだが、そこには頼みにくいのかもしれない。

「新聞広告とか、インターネットで目につく不動産会社で気になるところに電話してみたらいいですよ」と言っても、インターネットは見ないし新聞も全国版の朝刊しかとっていないとおっしゃる(当地の不動産会社は広告には、当地専門の夕刊紙を利用している)。

それで昨日は、私がつきあいがあって信頼ができる賃貸に強い不動産会社の名前を3,4社お伝えした。

今日の電話は、そのことについての重ねての相談なんだろうと思った。

案の定、改めて、不動産会社の名前を教えてくれとのことだった。

かといって、4社も、5社も依頼するのはよくない。

私の出身会社と、物件所在地に比較的近くて社長がと仲良くしている不動産会社、そして賃貸部門地域トップクラスと自称する不動産会社の3社を紹介した。

悪徳不動産屋がここまでしなくてはいけないのかなとも思うし、責任逃れの悪徳不動産屋なのかなとも思った今朝の出来事だった。

 

日中商事さん、和光産業さん、ハウジング情報プラザさん、よろしくお願いします。

 

2024年12月 4日 (水)

Kodak FZ55

昨日のブログで赤い羽根の写真を掲載したが、その写真を撮ったのがこれ。

P1070109

 Kodak FZ55

私が直近まで使っていたスマートフォンの半分くらいの大きさで、厚さも1cm程度。ワイシャツのポケットに入れてもまったく邪魔にならないほどの大きさだ。

P1070110

今年の春、私がスマートフォンを開くとこの機種の広告がやたら張りついてきていて、YouTubeでも性能を絶賛する記事が溢れていた。

19,800円程度で買えるということだったので、買ってみようと思ってネットのショッピングサイトを開いてみたのだが、どこにも売っていなかった。

Amazonにも楽天にも、ヨドバシカメラにも正規価格での出品が無い。

いわゆる、インターネットの世界でいうところの大バズリして、品切れ状態になっている状態のようだった。

Amazonや楽天で出品されているのものが見つかったと思うと25,000円とか、29,000円という価格なっている。

メルカリを探してみたが、中古品でも23,000円、25,000円。

Kodakのメーカーサイトを見てみても製造停止ということはないようだったが、価格はオープン価格となっていた。

価格は需要と供給の関係で上がり下がりするというのは資本主義経済の常。

無いとなると余計に欲しくなるというのが人の心理。

しかし、高くは買いたくない。

ネットで探しまくるものだから、さらに広告や商品紹介記事や商品解説のYouTubeなんかが張り付いてくる。

なおさら、手に入れたくなるというスパイラル。

数日ネット検索をした成果で、モノタロウが19,800円で予約受付をしているのが見つかった。

納期が2カ月先の9月だったが、これを予約した。

それでひと段落、私の熱も収まったと思っていたら、モノタロウから納期が少々遅れますのメールが入っていた。

お急ぎの方はキャンセルしてくださいということだったが、そんなに急いぐ必要もないから予約は取り消さなかった。

しかし、その後再度メールが入り、納期が年明けになるとの連絡。

そのころにはメーカーの製造が整ってきたようで、ネット販売が最下されてきたのだが、価格が23,000円以上に設定されている。

あと3カ月は待てばモノタロウから商品が届く予定になっいたのだが、どうにも待ちきれず23,500円で購入してしまった。

そもそも、私はスマートフォンでも写真を撮ることは少ない。

手にした途端に熱は冷めて、1,2回ブログ用の写真をとった後は放置していた。

 

昨日、赤い羽根を写真に撮ろうと思って、久しぶりにFZ55を思い出した。

写真を撮ってブログにアップしたのだが、これがなんとも軽快で使いやすいということがわかった。

熱くなって買ったものの、使っていなかったこのカメラの使い道がわかった。

さきほども言ったように、私は日ごろ写真を撮るという習慣がなく、ブログに写真をアップすることも少ないのだが、FZ55をブログ用のカメラにしたら気安く写真をアップできそうだ。

 

 

 

2024年12月 3日 (火)

赤い羽根共同募金 

赤い羽根共同募金が始まった。

運動期間は、毎年10月1日から翌年3月31日までの半年間のロングラン。

解散総選挙の際、テレビに登場する政治屋さんたちが、胸に赤い羽根をつけていた。

共同募金開始当初には大型スーパーの入り口に募金を呼び掛けるボランティアの人が立つ。

この間に私は大型スーパーで2度、ホームセンターで1度、募金活動に遭遇した。

店の入り口に、募金箱をもった小集団が立って「赤い羽根共同募金にご協力を尾根以外します」と声掛けをしている。

1度は婦人団体?。

1度は高校の先生と生徒たち。

そして、小、中学生、幼稚園児が混じったボランティア。

私が苦手なのは、小中学生、幼稚園児たちの募金活動だ。

募金運動期間中には、大型店舗の前での募金活動に何度か遭遇することになる。

また、所属団体やからの募集協力を受けることもあるし、行きつけの金融機関に備えけている募金箱にも募金している。

私は気が小さいもので、すでに何度か募金をしていても、、募金箱をもって募金を呼び掛けている人たちを無視して通り過ぎることには大きなためらいを感じてしまう。

もう今年は数千円募金をしてるよなー、と思いつつも、百円玉を募金箱に入れることになる。

相手が大人の場合は、もう何度も募金しているのでごめんなさいね、ってな顔をして無視して通り過ぎることもできるのだが、相手が子供の場合だとそうはいかない。

特に、年少の子供たちは、一所懸命声を張り上げて「おねがいしまーす」と言っている。

子供たち多くの大人たちも私と同じことで、募金箱を無視して通る人が少なくないのだが、子供たちにはそんな事情は分からないだろう。

なんと大人たちは冷たいものかと悲しい気持ちになるのではないか。

子供にそんな気持ちを味わわせるのは気が重い。

それで子供が混じっての募金活動に遭遇すると募金せざるを得ない。

募金活動の首謀者たちには、子供たちを人質にしたような募金活動には腹が立つのだが、しぶしぶではあるが募金することに。

いい年して5円や10円というわけにもいかない。

それで、せめてもの気持ちして100円ということになる。

 

これから年末にかけて、歳末助け合い募金と併せての街頭募金活動が行われるだろう。

 

そこで、私が数年前からやっている赤い羽根募金対策がある。

赤い羽根共同募金期間になると、私の取引の延岡信用金庫の窓口に募金箱が設置される。

募金箱の脇に赤い羽根が並べてあって、自由にとって自分で胸に付けるようになっている。

この赤い羽根には、胸に刺す針が粘着テープになっている。

100_0249

テープのシールをめくるとテープ部分が現れる。

100_0251

これでペタンと赤い羽根を胸につけることができる。

赤い羽根をはずしたら、このシールを再度テープに戻すことができて、何度でも再利用できるようになっている。

私は、募金運動期間の最初のうちに延岡信用金庫で500円か千円を募金して、赤い羽根を5枚いただくことにしている。

その赤い羽根の1枚を手帳に挟んでおくのだ。

大型店に買い物に行ったと、入り口に募金箱を持っての募金活動をしるのを見たら、そこに近づく前に手帳から赤い羽根を取り出して胸に付ける。

そして、募金活動をしているそばを通るときには、「ごくろうさまです」と、にこやかな顔をして通り抜けることにしている。

すると相手も、「ありがとうございます」と返してくれる。

 

気が弱くて、せこい性格の方におすすめしたい、せこい大人の知恵はいかがでしょう。

 

 

 

 

 

2024年12月 2日 (月)

ふっと 不安

私は、若い頃から腰痛を抱えてきた。

いわゆる、ぎっくり腰というやつである。

直近では脊柱管狭窄症に苦しめられた。

一時は、のたうち回るほどの激痛で、手術を覚悟していた。

しかし現在は、医師もびっくりするほどの回復をしている。

そんなこんなで、過去にもどうなることかと思うような病気をしても、自然治癒ということで乗り切ってきた。

私は、私の師匠から「鉄人」と言われたこともあって、自分は深刻な病気にはかからないのではないかという漠然とした楽観をもって生きてきた。

寄る年波、同級生や年下の人の葬儀に立ち会うことが多くなったし、念のために、簡単な遺言書は書いているけど、真剣に死を意識したことはなかった。

しかし今日、突然に、自分もいつ大病を患うかもしれないと、ふっと不安を感じた。

体に、何の前兆もないのだが、なぜかいままでの人生の中で一番の不安感を覚えた。

これも、お年頃。 ということか。

 

 

2024年12月 1日 (日)

気の迷い

今日は、一日(ついたち)。

毎月一日は、自宅の近くにある今山八幡宮を参拝します。

今日は、神社参拝の前にお墓参りにも行ってきました。

お墓も歩いて5,6分のところにあります。

神社はお願いをするところ。

お墓は先祖の供養と感謝を表するところであって、願い事をするところではないといいます。

私は、神社は毎月一日と十五日に参拝していますが、墓参りの方は毎月は行っていなくて、願い事をするために神社には毎月言っているようで申し訳ないような気もして、最近は月に1回程度墓掃除に行くようにしています。

ま、仏壇には毎日、水と線香をあげているので、申し訳なくは無いよなと思っています。

こんなことを言っていますが、私は根本のことろで、あの世とか神様と言ったものは無いと思っています。

ただ、生きているときになにもしてあげていない親に、感謝とお詫びの言葉をつぶやいています。

それと、ひょっとして神様というものがいるのなら、ないがしろにして罰をあたえられるのがこわいので、神様がいるものとして畏敬の念をこめてお参りをしています。

そういいながら、こんなことをいうと罰をあたえられるのかもしれませんが、私は、人を救うのが神であって、神にそむいたからといって人間に苦痛を与えたり、人を不幸に貶めることをするのは悪魔だと思っています。

私は、神にはひたすら幸せを祈ります。

それで、神社で私が一番に願うのは世界平和です。

きれいごとをいうようですが、まずは「世界平和 人類皆幸福」を願い、それから家族の健康、自分の健康を願っています。

人を救うのが宗教だと思うのですが、宗教が金儲けにつながるところに対立が起こっているのだと思います。

 

墓参りと神社参拝に行ったということを書き始めたら、変な話になって、削除して書き直そうかとも思ったのですが、そのままアップします。

 

今年も残すところあと一カ月。

毎年書いている、高浜虚子の「去年今年(こぞことし) 貫く棒のごときもの」。

メリハリ付けた年末にしなくてはと思っています。

 

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