紙の片づけ
机の周りが雑然としているので片付けにかかった。
不用な紙類の山。
積み上げてある紙類の5割は、即座に処分しておけばよかったもの。
3割は、保存資料。
2割が、要処理、進行中の書類。
重要な2割の書類が、不要な紙の中に埋没している。
不用な紙を処分して、気持ちがすっきりした。
これも、毎度の繰り返し。
そして、すき間を埋めるだけのブログ。
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机の周りが雑然としているので片付けにかかった。
不用な紙類の山。
積み上げてある紙類の5割は、即座に処分しておけばよかったもの。
3割は、保存資料。
2割が、要処理、進行中の書類。
重要な2割の書類が、不要な紙の中に埋没している。
不用な紙を処分して、気持ちがすっきりした。
これも、毎度の繰り返し。
そして、すき間を埋めるだけのブログ。
早や、ゴールデンウィーク。
毎年、3月くらいまでは正月を引きずっていて、「もう今年も3月になってしまったね」なんて言っている。
さすがに4月になると正月の影は薄れるが、「ああ、もう4カ月たったんだな」と時の流れを思う。
そして、ゴールデンウィークでやっと正月の尾っぽがとれて、今度は今年も半分が過ぎてしまった、またあっという間に今年が終わるぞなどと焦りに似た感覚を覚える。
まいとし、ゴールデンウィーク中に、今年になってからの手抜きの部分の修正をしようと思うのだが、世間の雰囲気はお休み気分。
その雰囲気につい流されて、なにもしないまま連休が終わり、正気に戻れば6月。
えーい、こんなことではすぐに来年の正月が来てしまうぞと思って、気を引き締めるのは言葉だけ。
あっという間に師走。そしてまた新しい年を迎える。
ということを何十年もやってきた。
悔いを残すのも業腹。
それでもここまで人に迷惑をかけることなく無事過ごせてこれたのは、それはそれですごいことだと自分を納得させている。
トランプ大統領の暴走が止まらない。
地球規模で権力主義者の暴走が繰り広げられている。
トランプさんと比べると、はるかに格下の格下の権力主義者だが、前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏にはミニトランプの様相を感じる。
世界中で亜トランプ、ミニトランプが、ポピュリズム権力者となって社会をひっくり返そうとしている。
今、私たちは、人類史上最大の歴史的転換に立ち合わされている。
ともあれ拙は、天下国家を憂うより、危うい自分の足元をしっかり踏み固めることをしなければならぬ。
今日の朝刊一面トップの、「備蓄米、小売店には0.3%」という見出しに目が引かれた。
さらに小見出しには「農水省追跡 初回分の先月流通量」とある。
記事の内容のポイントをまとめた前文を読むと、「3月10~12日に放出した14.2万トンのうち、同月30日までにスーパーなどの小売店に届いたのは0.3%の426トンだった」のだそうだ。
そして、その理由として「トラック不足などで流通に想定以上の時間がかかった」と報じている。
アホか!である。
だれがアホなのか。農水省の官僚がアホだと言いたい。
農水省は「初動のためトラックの手配や精米などの時間がかかった。特別なボトルネックがあるわけではない」と分析している。
これがアホか!なのだ。
民間企業が自分の利益につながることであれば、どんな手段を使ってでもトラックを手配し、精米機をフル稼働させる。
たった0.3%しか流通させられないというのは、まっとうな価格設定では全力を投じて動かすほどの利益が出ないからだろう。
中抜きして、まっとうな利益以上の利益を出してもいいとなったら14万トンなんてすぐに全国にいきわたる。
トラックが手配できないというが、今回の備蓄米については通常の流通システムを無視して、スーパー等の小売店や給食等の業務店に、備蓄米を最初に買い入れた集荷業者から直接販売することを認めれば、大型小売店はトラックを仕立てて買いに来るだろう。そして自社精米するよ。
キャリア官僚は東大を出た頭のいい人だらけのはずだが、末端のいやしい金儲けのことだけを考える凡人の悪だくみは見えないのだろう。
インターネットの世界で、ホワイトハッカーなる職種がある。
ホワイトハッカーとは、コンピューターやネットワークに関する高度な知識や技術のある人が、サイバー攻撃をしたりフィッシング詐欺をするハッカーがいるが、そのハッカーの技術を持つ人が、悪意をもって攻撃してくる「ハッカー」の視点から、攻撃的ハッカーの手法を先回りして防御する人たちのことだ。
国を動かす官僚組織も、詐欺師の集団からでも人材を育成して、詐欺師の視線で詐欺行為を阻止する部門を作るといい。
私が若ければ、その組織の一員に加えてもらいたい。悪徳不動産の悪の知識を活用できるといい。
珍しく当社に立ち寄った友人と楽しく話をしていたときに、来客があった。
恥ずかしながら、めったに来客がないのに、こんな時に限って来客がある。
しかも、あまり相性の良くないお客さんである。
このお客さんは古くからの顔見知りではあるが、これといった付き合いはない人である。
2カ月か程前に、当社が売却いらいを受けている中古住宅を3度ほど案内していた。
物件は、建築後30年以上経過した、雨漏り等もあるリフォーム必須の中古住宅。
だから、価格は650万円と安い。
1度目は本人のみで内見された。
2度目、3度目はリフォーム業者さんを同行しての内見だった。
真剣に検討していたのだろうが、思たよりフォーム費用がかかりすぎるということで成約にはいたらなかった。
その後私は、このお客さんの後追いはしていなかった。
というのも、このお客さんには過去になんどか煮え湯を飲まされような仕打ちを受けている。
できたらこの人とは商談はしたくないというのが本音で、私が直接の売主だったら商談はしないところだが、仲介物件は売主さんの利益を無視するわけにはいかないから内見をしてもらった。
幸か不幸か(?)気にいらなくて、いったん商談はダメになっていた。
その人が、何を言ってきたのだろう。
この時、久しぶりの友達との話が盛り上がっていて、まだまだ積もる話があった。
よりによってこんなときに来なくてもいいのになというのが私の本音。(こんなところも悪徳不動産屋のゆえん)
今の私にとってはこの人との商談より友人との話の方が大事。
友人に、小さな声で、「帰らなくてもいいよすぐ終わると思うから」と言ったのだけど、友人は仕事の邪魔をしては悪いからと言って帰ってしまった。
さてなにごとかと、お客さんにお伺いすると、先日見た物件の話だという。
どんな話なのかは分からないが、悪徳不動産屋の心はときめかない。
むしろ、どんな無理難題を投げかけられるのだろうと気持ちが重くなる。
だって私は悪徳不動産屋、性格が悪いのだ。
お客さんは、すぐに用件に入った。
「あの物件が350万円であれば買おうと思うのだけど、どうだろうか。売主に話をしてもらえないか。」というのである。
正直なところ、悪徳不動産屋の気持ちは「唖然」。
少なからずこういうお客さんがいるのです。
安ければいいということで、本来の値打ちを無視するようなひどい値切り方をする人がいるの出す。
こんな時、数年前の私なら、「無礼者!」といいたいがさすがの悪徳不動産屋と言えども「無礼者」とは口にしないが、そんな値切り方はいけないと正したものだ。
そんな交渉はできない。この物件は売主さんがいるんですよ。不動産屋が売主であれば物件は商品。商売で売るのだから、なんぼ値切ろうとかまいません。しかし売主さんが売りに出しているこの物件は、売主さんの財産です。愛着のある財産に対して、その価値を無視するような値切り方はいけない。許される数字と許されない数字がある。」と血相を変えて諫めていた。
そんなとき、なんだこの不動産屋はとお客さんからは変な顔で見られた。
そんな私は悪徳不動産屋だと扱われる。
寄る年波、自分の正義感を押し付けてお客様を不快にさせるのもよくないと思い出したここ数年、こんなとき私は「うーんどうでしょうかね。ムニャムニャムャ・・・」と曖昧に受け流して相手にしないようにしている。
今回の客は、顔なじみの関係。無視して遠ざかることもできない。
それで、いろいろ説明を加えて、この価格では売主の承諾は取れないだろうという説明をしたのだけど、こちらの話の内容をまったく理解しようとはしない。
350万円が相当だという自己流の理論を展開する。
それで話の途中に、400万円であれば、私が不動産屋として仕入れてもいい。400万円だったら私が買ってもいいくらいの物件ですよという話しをぶち込んだのだが、その話も一切無視。
実際の私の気持ちとして、350万円で交渉して400万円か450万円になったら私が買うことを考えようかなと思っていた。
そうなったときに、このお客さんから横取りしたと思われると業腹だから、牽制球的にそう言ったのだ。
欲に目がくらんだ人間は何にも見えない。
私の言っている言葉が聞こえていないのか、言っている意味を理解できないのか、とにかく350万円にならないか交渉してくれということを言い続けている。
これ以上話をしても仕方がない。
「はい。折を見て打診してみますね」ということでお引き取り願った。
このとき、価格交渉をする気はなかった。
このまましばらく放置していて、お客からどうなったと問い合わせがあったら「ダメでした」と答えておこうと思っていた。
悪徳不動産屋としては、こんな話をする客に腹が立つ。
それに下手にこんな交渉をすると、馬鹿にするなと腹を立てるお客さんもいるのだ。
それから2日たって、私も冷静になった。
売主さんに、こんな馬鹿な話はないですよねという前提で「350万円にならないかというお客さんがいたけど、どうします?売らないですよね」と報告してみることにした。
350万円はあり得ないけど、ひょっとしてこんな話をして400万円か450万円までなら下げてもいい言うようなニュアンスがあったら私が買うことを検討しようかなとも思ったからだ。
「ご無沙汰してます。先日案内して以来連絡してなかったんですけど、先日内見をしたお客さんが昨日お見えになって、350万円なら買うという話しをしていたけど。そんな値段では売らないでしょう」と言ってみた。
答えは「そんな馬鹿な値段で売るわけないでしょう!」だった。
450万円とかいう価格にもなりそうもない雰囲気。
予測された通りの答え。
私、「ですよねーいたこんな馬鹿値段で売るはずないと思っていたから、勝手に断っておいたんですよ。それでよかったですよね。また、他の商談で頑張ります。」という話で収めた。
今日、値切り交渉をしてきたお客に報告の電話をいれた。
「お世話になります」(お世話になってないなー。お世話してるのはこっちだと思いつつ。こう思うのが悪徳不動産屋のゆえん。)
「先日の件、価格交渉してみました。結論は、即答で売らない」という返事でした。と伝えた。
「即答で」というところが、私のせい一倍の皮肉。
皮肉を感じてか感じないでか、お客の返答は「そうですか。わかりました」と不機嫌そうな声。そしてプツリと切れた。
役に立たない不動産屋とでも思っていることだろう。
これが善良で良識あるお客様の姿。
かくして、私はまた、悪徳不動産屋となってしまったのである。
今年になっ、仕事の話が、ここ数年に無いくらい舞い込んでいるのだが、去年の暮れから悲しい知らせが続き、そのせいではないのだが、仕事を滞らせている。
もともと、仕事が遅い傾向はあって、それが一番の原因なのだが、良い話になりそうな商談があるのにどれもまとまらない。
これも天罰で、駄目になってしまうのかと言うと、罰するよりも救いの手のひら方がまだ少し大きいようで、てんてこ舞いになりそうな日々。
救いの手のひらからこぼれてしまわないようにしないといかん。
今や世界を毎日騒がせているトランプさん。
その報道を見るたびに、毎日朝日新聞土曜日別冊版『b』に連載されている東海林さだおさんのエッセイの一節が頭の中でとびはねる。
私は40年来の、東海林さんの漫画とエッセイのファンなんだけど、3月の第4土曜日の『be』のエッセイはその中でも特に面白かった。
「♯いーけないんだ、いけないんだ
先生にいってやろ」
子供のころ友達が悪いことをすると、こうやって、はやし立てたものだった。
お巡りさんにいってやろ、でもよかったのだが、それだと大げさ過ぎる。
先生あたりにとどめておこうというところに、子供ながらの分別があったような気がする。
この程度の「いけないこと」は、いまの世の中にはいっぱいあるのではないかと話が展開してゆき、冷凍食品が「いーけないやつ」で、このいけない冷凍食品に対して ♯いーけないんだ、いけないんだの大合唱をすべきときなのではないか。先生にいってやるべきときなのでないか。
というのだ。
そして、ここからの展開が面白い。
だが、今、先生は無力である。
お巡りさんも無力である。
わかるわかる。
では、
誰に訴えればいいのか。
と、考えたときに、いました、強力この上ない人物が。
トランプ氏である。
米国大統領トランプ。
何物をも恐れぬ男、トランプ。
不可能を可能にしてしまうトランプ。
泣く子も黙るトランプ。
♯いーけないんだ、いけないんだ
トランプにいってやろ
といいさえすれば、泣く子はすぐ黙るし、黙ってる子はすぐ泣く。
そうだよねー。そのとおりだよねー。
トランプさんは、いまや「霊長類最強男子」
でも、ひょとすると人類を破滅させるんじゃないかと思ってしまう。
トランプさんこそ「♯いーけないんだ、いけないんだ
〇〇にいってやろ」と大合唱をすべきじゃないかと思うんだけど、だれに言ったらいいんだろう。
4月も10日となった。
朝は、ちょっと肌寒くて、曇り空。
午後からは、曇り時々雨って感じのはっきりしない天気だったけど、さすがにもう冬に逆戻りってことはないみたいだ。
今月はいろいろあって、ブログを開くことが少なかったとは思っていたが、たった2回しか更新していないとは思ってなかった。
個人的にはいろいろあったが、世界中をトランプさんが一人でかきまわしている。
世界最強の権力を手にして、思いついたままやりたい放題をやっているのか、それとも計算ずくなのか。
設置場所秘密で、高さ1000フィート(305メートル)のジェットコースターの計画がネットで密やかに噂されているが、トランプさんの行動は、まるでこのジェットコースターみたいに人を恐怖のどん底まで連れていく。
ジェットコースターは細心の計算で作られるのだろうから死ぬことは無いが、トランプさん運行のジェットコースターは大量の死傷者が出るのだろう。
Caesar、チンギスハン、ナポレオン、ヒトラーより後世に名を残すことになるかもしれない。
人類の歴史を変える怖ろしきもの、インターネット
4月1日に、亡くなった友人の見送りをした。
そのことを2日のブログに書いた。
その日。ブログを書き終わる前に、亡くなった友人から封書が届いていた。
封筒を見た瞬間は、故人の家族からの葬儀の手伝いのお礼の手紙だと思った。
しかし、差出人の名が故人の名前になっている。
差出人がしっかりわかるように、大きな文字で故人の名前が記されていた。
消印を確認すると、投函日はお通夜の日になっている。
すぐに開封した。
想像はしていたが、闘病中に書いた死を予感しての手紙であった。
「同級の皆様へ」という太字の見出し。
友は、2年前に肝臓がんになり、先進医療の陽子線治療で完全寛解したと言っていた。
術後は、すぐに大好きなビールを飲んでいた。
アルコールは肝臓に悪いからやめたほうがいいんじゃないかといっても、「禁酒まではしなくていいと言われているし、体調はかわりなく、これが美味いんだよね。」と言って、少し量は減らしたものの、毎日ビールを飲んでいた。
私が、「がんを患って、よくそんなに平然としていられるね」というと、「そうはいうけど、体調は依然とまったく変わらんとよ。もし再発したりして、ダメなときはダメ。落ち込んでいてもしょうがないじゃろ」と言っていた。
その後、咽頭癌を発症した時も、別に動揺することもなく、「うろたえてもしかたがないことだから」といって平然としていた。
激しい痛みや苦痛が無いからこんなことが言えるのだろうと思っていたが、去年の暮れから体調をこわし、今年1月27日から入院治療を受けることになっても落ち着いていた。
入院期間中に3度だけ電話で話をしたが、 痛みが激しくなってきていて、「大変だな」と同情の声をかけたときも変わらず、「そのときは仕方がない」と覚悟を決めているようなことを言っていた。
手紙には、「病状が改善しないのでリスクの大きい治療を受けることになった。成功すればいいなと思ているが、死んだら仕方がないと腹をくくっている」とあった。
そして、「それで、今回死んだときにこの手紙を同級生・友人に出してもらうことにしました。(原文のまま)」と記してあった。
「家族が一番で、同級生が二番となります」とあり、
最後の2行は、大きな文字で
同級生のみなさん、長い間おのお付き合い、本当に感謝します。
心からお礼申し上げます。本当に、本当にありがとうございました。
と感謝の言葉で結んであった。
3月9日の日付である。
リスクのある治療を受ける直前に書いて、家族に託したのだろう。
私が最後に話したのは、2月の下旬。
私が彼の奥さんのお母さんのお通夜に行ったことに対して、お礼の電話をしてきたのだった。
そのときは、まだ亡くなるような気配は感じなかった。
ただ、ぜんぜん病状が良くならず体が苦しくなる一方だといっていた。
苦しいのは電話でも感じられたが、これほど悪かったとは思わなかった。
礼儀に対しては厳しい男だったから、苦しい中でもお礼の電話をしてきたのだろう。
2日のブログで、自分の健康に感謝して明日から気をとりなおしてしっかり生きていこう、と書いたのだが、空虚感から抜け出しきれない今週だった。
近年、更新が途切れがちの私のブログだが、毎月1日だけは更新を切らさないようにしていたのに、昨日は更新ができなかった。
昨日は、先月29日に亡くなった60年来のつきあいの同級生の葬儀だった。
31日がお通夜。
そして、昨日が葬儀だった。
私は、一昨日のお通夜から、昨日は朝から葬儀に参列し、火葬後の収骨。その後、お寺での初七日の法要まで列席。
結局昨日は、事務所に戻ったのが夕方5時くらいになってしまった。
彼には、なにか伝えそこねたことがあったようで、今日になっても、ほかのことに手をつける気がしない。
一昨年から今年にかけて、恩師や親しく付き合っていた友人の、重なる突然の死に遭遇し、「ポックリ逝ってはいけない」という思いをブログに書いた。
今回の同級生の死は、やはり思いもかけない早い別れで、もっと話しておきたいことがあったと悔いは残ったが、数度にわたるがんの治療期間中に、こういうこともあると思って話をする時間はあった。
最後の入院中でも、まだ死が現実的ではない病状のときに、「これから先どうなるかわからない。万が一のことがあっても覚悟はしてるとよ」と、しごく平穏に言っていた。
私も、慰めじゃなく「まだ、そんなことはないと思うけど、よくそんなに平然としていれるもんだね。」と言葉をかけた。
回復して帰ってくるものはは思っていたけど、本人は、最期になることもあるかもしれないと思って話をしていた。
そんな会話ができたことだけでも、彼はよかったし、私もよかった。
そう思いながら私は、今日は一日事務所の机の前に座っていた。
元気で長生きできていることに感謝して、そして残りの時間は限りあることを強く認識して、明日からをしっかり生きていかなくてはと痛切に感じている。
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