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2025年11月

2025年11月29日 (土)

悪徳不動産屋日記 また私の黒歴史の一幕がおりた

まったく知らぬ間に、近所の洋装店が店仕舞いしていた。

このお店は婦人服の店だったが、この数年は男性の店主一人できりもりされていた。

わが社と同じ通りにあって、一旦停止の標識のある角地にある。
私は日ごろからバイク移動しているため、週に、1、2回はこの店の前で一旦停止させられていた。
そのとき、かなりの高確率で店頭で煙草を吸っている店主を見かけていた。

私と店主とは40年以上前からの知り合いであったが、あることがあって顔を合わせても互いに知らぬふりをするような関係になっていた。
私が一旦停止したときに店主と出くわしても、互いに知らぬ顔。
顔を合わせてしま合わせてしまうと気まずい空気が流れるもので、一旦停止をしたときには店の方に顔を向けないようにしていた。

そんなことをしていたもので、この店の閉店に気が付かなかった。

今日、閉店を知ったのは、数日前に息子がこの店の前を通ったときに、不動産業者と関係者のような数人がこの店に入っていたけど何かあったのかなと言たので、気になって店の方に目を向けたからだ。

店は空っぽで、閉店しているようだった。
店の入り口に手書きの張り紙が貼ってある。
バイクを降りて内容を確認してみたら、10月20日付で閉店していた。
「創業40年。閉店セールにて多くのお客からはげましの言葉をいただき、第二の人生を歩んでいきます。」とあった。

当社のすぐ近くにあって、店主とは40年以上も前からの知り合いだった。
40数年前、私はこのお店の近くで、実家の靴屋の支店の店長をしていた。
そのとき、この店主は私の店の斜め前にある『寿屋』という百貨店(小規模の)のブテック部門の店長だった。
互いに年が近くて、ファッション品を扱う仕事だったもので、公私ともに良く話をする仲になっていた。

数年後私は、実家を出て不動産会社に入り、その数年後彼は独立してこの店を出した。

職場が変わっても、もともと私の住まいがこの近辺だってもので、買い物の際などに挨拶を交わす仲だった。

 

それなに、すれ違っても、互いに顔をそむけるような仲になってしまっていた。

これは、私がASDの傾向があって、嫌なことをされると根に持つ性格のせいである。

原因は、はっきり記憶している。
私が独立して開業したのが20年ちょっと前。
そのとき、この店長は寿屋百貨店を辞め、独立して自分の店を開いて10年以上経っていた。

彼が独立した時は、バブル景気の最中。
店は繁盛し、店員さんも数人抱えていた。

私の店の回転の際には、お祝いの品はくれなかったが、来店し祝福の激励をしてくれた。
そのとき、相談があるという話しをしていて、数日後、彼の店に呼ばれた。

彼の店は賃借物件だったので、自己所有の不動産を買う相談かと楽しみにしてでかけていった。
あにはからんや、話しを聞くと、なんだか雲行きが悪い。

というのは、数年前に彼が務めていた寿屋百貨店とともにこの地域の商店街の核店舗だった『アズマヤ百貨店』が倒産して閉店してしまった。
 『アズマヤ』は『寿屋』は、商店街の中心部に隣り合わせに店をひろげ、互いにライバル店と競い合ってきた。
商店街は、この2つのデパートが呼び込むお客さんでで賑わっていたのだが、郊外に広大な駐車場を備えた大型店出店の波に押され、人通りが減ってきていた。

そのせいで『アズマヤ』が倒産し、残る『寿屋』も経営不振がささやかれ、商店街の人通りが減って、店の売り上げは激減していた。

店主は、昔はよかったという話題で話を始めたが、すぐに、今は人通りが減って以前の商店街とは全く違ってしまったという愚痴をとうとうと話し続ける。
私は独立して開業したばかりのことで、今から頑張るぞと前向きに営業していた時なので、あまり聞きたい話ではなかった。
早々に話しを切り上げるタイミングをはかっていたのだが、切り上げる前に店長さんから本題の話が出た。

郊外に大型店が出店し、人の流れが変わって商店街への人の流れが減少している。
それで、自分の店も経営が厳しくなっているので、家賃を下げる交渉をしてくれないかということであった。

木枯し紋次郎ならずとも(この意味わかるかなー?わかった人は高齢者)、「あっしにはかかわりあいのないことで」と、聞き流したい話だった。

私は、この店の契約に携わったわけではないし、家主さんとは面識もない無関係な立場。
そんな私が、家賃の値下げ交渉などできるわけがない。
そもそも、家賃を下げてくれといって、ほいほいと快く下げてくれる家主さんなどいない。
家主にとっては、なんという失礼な奴だと思われるだけだ。

値下げの家賃交渉に快く応じてくれる家主はいないし、しぶしぶでも応じてくれる家主はいない。

ましてや、まったく無関係の私がそんな話をする筋合いはない。
家主を不愉快にさせて、追い返されるだけだ。
そもそも、なぜ、そんな話を私に依頼するのか理解できない。
しかも、大きな困難が伴う、嫌~な仕事なのに、私への報酬のことは一切頭にはない様子。
私に値下げ交渉をする権限も義理もないし、即座に断ったのだが、人通りが少なくなって、今の家賃は高すぎる。家賃が払えないという自分勝手な理屈を並べ立てて、なんとか協力してほしいとあきらめない。

私は、家主が家賃を下げることを了承することはないと思うという私の見解を説明し、自分の窮状を真剣に説明して自分で交渉しないとだめだという意見を述べたのだ、すでに何度か交渉したが了解してくれないというのだ。

すでに何ども交渉してできないことを頼まれても、私にできるはずがない。
家賃が高いというのであったら、近隣に、閉店して安い家賃で募集している空き店舗がいくつかあるからそこに移ったらどうかという提案もしたのだが、立地が良く自分で店づくりをしてきたこの場所は移りたくないという。

まったく無視のいい話で、固く断り続けたのだが、あきらめない。

無理だと言って、頑なに断り続けるのだが、私なら不動産に詳しいから家主を説得できるだろう。なんとか助けてほしいとあきらめない。
情に迫ってこられて帰ることもできない。
ぬきさしならなくなって、家主は絶対に了解するはずがなく、断られることを承知でとにかく家主に話しをすることにして、この場を逃げようと思った。

「わかった。無理とは思うが話だけはしてあげる。それで、だめだったら、私にそれ以上のことを求めないでくれ」ということで、その足で天日の2階にある家主宅を訪問した。

案の定、すこぶる迷惑そうな対応だった。
ただ、まったくの努力なしで帰ろうとは思っていない。
無理だとは思いつつも、私もなんとか少しでも家賃を下げてもらうための話をしたが、まったく聞く耳を持たない。

私は、最後の説得として、「ここ数年、商店街の人通りが少なくなって、何店舗も空き店舗が出て、何年も空いたままの店舗が増えている。この店が撤退して空いてしまうと、次の入居者はなかなか決まらないと思いますよ。だから、少しだけ家賃を下げてあげて、引き続きいてもらった方がいいと思いますよ。」と言ってみた。

すると家主は、「退去するなら退去してもらったほうがいい。自分も年を取ってきて足が悪くなって、二階に上がるのが大変になってきたので、1階の店舗が空いたら、1階を改造して部屋にしたい」とのこと。
しかも、家主さんの言うのには、「家賃がずいぶん遅れていて、催促するのも苦痛だから出てもらった方がいい」というのだ。

家賃が滞っていたということは聞いてなかった。
これでは、まったく太刀打ちできない。

この言葉を聞いて、私は即刻、退却。

2階の家主の部屋を出て、その足で1階の店舗に立ち寄った。

「今、家主さんのところに行って、空き店舗にするよりは家賃を下げて、いてもらったほうがいいという話しをしたのだけど、足が悪くなって階に部屋を作って住みたいと思っているので、出てもらった方が良いということだったので、家賃の交渉は無理だわ」と報告した。

そして、「家賃が遅れているということを言われたけど、家主に話しをするのには、まずは家賃を払ってからのことだよ」と言葉を足した。

私はASD。空気を読まない。忖度しない。
何の義理もない立場なのに無報酬で家賃交渉をさせられ、家主に家賃が遅れていることを知らされ、ぎゃふんと言わされ追い返された。

黙っておけばいいのに、「まずは家賃をはらってからだよ」なんて苦言を呈してしまった。

しかし、私は、何も悪いことをしたとは思ってなかった。

 

その数日後、私がその店の前で一旦停止したとき、この店主と顔を合わせた。
私が軽く会釈をすると、店主は不快そうに顔をそむけた。

 

それ以来、私は店主と顔を合わせても挨拶をしないようになった。

その店も無くなった。

また、私の黒歴史の一幕がおりた。

 

 

2025年11月15日 (土)

オーバーツーリズムは世界規模の問題点

11月13日の朝日新聞国際面に「住宅見つからず、価格も高騰」の大きな見出しが目に留まった。
「自治体、仲介サイトを次々提訴」「住宅見つからず 価格高騰」「欧州委員会も問題視 対策へ」の小見出し。
 
日本の有名観光地もオーバーツーリズムの影響で同様の問題が起きている。
気になって記事を読み進めた。
 
記事が取り上げていたのは、フランスのオレロン島という淡路島の3分の1ほどの面積の観光地だ。
パリから電車と車を乗り継ぎ約5時間。本土から橋でアクセスできるという人気の観光地で、人口2万人のしまに、夏のピーク時には1日30万人の観光客が訪れるのだそうだ。
 
ここで問題にしているのは、民泊仲介サイトを使って、観光客目当てに一般の住宅やアパートを民泊施設としての利用が増えていることだ。
 
その原因となるのが民間の民泊仲介サイトだ。
もともとが、島内の住宅には別荘や民泊向けのセカンドハウスが多数あったのだが、民泊サイトによる民泊客の増加をみこして、10年くらい前から投機目的の民泊向け住宅が急増している。
そのせいで、民間の賃貸住宅は競争率が高くなり、公営住宅は入居まで2年待ちという状況になっていて、車中泊を強いられている住民もいるという。
 
フランスでは、民泊業者からも宿泊税が徴収できるようになったが、それに応じない民泊業者も多く、自治体は民泊業者に対して宿泊税の支払い請求の提訴に踏みきり、宿泊税と罰金の支払いの判決を勝ち取っている。
 
 
これも、インターネットの過剰効果。
すべてが両極端に拡散され、人が1極に集中してしまう。
 
 
 
ともあれ日本も、入域税、入国税を導入して、オーバーツーリズムによる混乱を減らせることや、オーバーツーリズムによる交通網の整備やごみ処理費用の増大に、その金を充てることを考えるのは世界標準の正当な方法なのである。
それによる観光客の減少など心配することは無い。
喜ぶべきか悲しむべきか、日本の物価は世界水準からすると低い。
人気観光地では、外国人専用の店として特化して、日本人がみると高額過ぎる観光客用メニューの営業で盛況な店もある。
日本が、物価が安くて安心安全親切な国で、世界的な人気観光地であることは間違いない事実。
外国のお客さんは、多少の税金をとっても、安いものだと気持ちよくお金を払ってくれるはず。
1,000円、2,000円のことで文句を言うような奴は、無断で進入禁止の地域に入り込んだり、ゴミをぽい捨てするようなやつに違いない。
自信をもって、入国税、入域税の導入を至急検討することを提言する。

2025年11月14日 (金)

夢の中へ

文具メーカーのコクヨが2022 年に行ったアンケートによると、1日のうちに「探し物」にあてている時間は平均で13.5分であったそうだ。
これは年間に換算すると約54時間。2日以上も「探し物」に時間をかけていることになるのだそうだ。
片づいていない家の中で暮らしている人はその何倍も時間をかけているかもしれません。
 
これは、片付けを勧める本の内容で、その記事によると、探し物をしている時間というのは、いちばん生産性のない時間だと断定されている。
片づけていれば、この不毛な時間をグンと短縮することができ、浪費した時間が戻ってくると説かれている。
 
その通り。
それができないのだ。
 
それができない人が多いから、手を変え品を変え、そして名称を変えて、いろんな本が出るし、整理収納のカリスマ的なコンサルタントが何人も誕生しているのだろう。
 
もともと、ADHD(注意欠陥多動症)の傾向のある私は、子ど背の頃から忘れ物、探し物が多かった。
さらに最近は、加齢による認知機能の低下が加わり、我ながらあきれるほど多くの時間を探し物に使うっている。
 
今、手にしていた資料が見つからない。
今、持って出ようとしていたカバンが消えた。
今、手にしていたペンが行方不明。
携帯電話。
鍵。
 
朝から晩まで、トータル数時間を探し物につかっているような気がする。
 
 
今日の時間をかけた探し物は、お歳暮用のカタログ。
私は、甥っ子が郵便局に勤めているもので、お歳暮の一部を甥っ子の売り上げに協力して、毎年注文している。
これが便利がいいのは、去年贈った相手の名前や住所が送り先となった申込書がついてくることだ。
去年贈った品もわかるし、出し忘れが無い。
それに、11月中に注文すると早割の割引もある。
 
今朝、そのことをふっと思い出し、カタログを探したのだけど見つからない。
私は、せこい性格なので、どうせなら早割の期間中に注文した。
そろそろ早割の締切日ではないのかと焦りを感じ、机周りの本棚、引きだしを探しまくったが見つからない。
 
私の机周りの本棚、書類棚にポッと置いたことには違いないのだが、これが見つからない。
こうなると、意地になる。
絶対に見つけてやるぞと、すみからすみまで、数十分かけて探したのだが見つからない。
 
ここにいたって私のもう一つの習慣は、いったんあきらめること。
いらいらして熱くなってしまうと、混迷の泥沼に入り込んでしまう。
すっかり記憶から消し去って、なにか他のことをしていたら、あっ、こんなところにあったと見つかることが多い。
 
インターネットで郵便局の早割の締切日を調べたら、締切日は11月28日。
まだ時間はある。
また時間のある時に探せばいい。
 
「探すのをやめたとき、見つかることも良くある話で」
井上陽水の『夢の中へ』の一節を口ずさみながら、探すのをやめて仕事に復帰した。
 
それから間もなく、資料を取ろうと本棚に目をやったとき、さっき探したはずの本棚の本の上に、ポツンと置かれているかたろぐがめにとまった。
 
えーっ。ここはさっき見たぞー。神様が意地悪して一時隠していたんじゃないか。
こんなとき、いつもそんな気になる。
 
まさに、「探すのをやめたとき、見つかる事もよくある話」
井上陽水さん、見事に表現しているよなー。
 
 
 

2025年11月11日 (火)

悪徳不動産屋日記  事業用借地? 事業用定期借地権

私(わたくし)、変に言葉にこだわる癖がある。

常日ごろから気になっていることの一つに、ロードサイドのちょっと広めの土地に建っている「事業用借地」という看板がある。

借地というのは借りている土地という意である。

不動産会社が「借地」として看板を立てているのだから、その土地を借りてくれる人を募集するための看板だとは思う。

しかし、借地というのは借りている土地なのだから、借地という看板は看板を立てている不動産会社が、自分の会社が借りている土地だと主張していることになるのではないかと感じてしまうというのが、私が変に言葉にとらわれるという現象なのだ。

前々からずっと気になっていたことで、この看板の前を通るたびに「借地じゃなくて貸地だよなあ」とおもっていて、ブログのネタとして頭の中に留まり続けていた。

今日、私が何回か取引させてもらったお客さんから、気になる土地があるのだが「事業用借地」という看板が立っている。これはどういう意味かという問い合わせがあった。

看板を立てている不動産会社が土地を借りていて、そこに建物を建てる予定だという表示なのか。という問い合わせだった。

やはり、「事業用借地」の看板に感じていた私の言葉の感覚は、やはり正しかったようだ。


このブログを書くにあたって、まずは広辞苑で調べてみた。

「【貸地】土地を借りること。また、借りた土地。」とある。

やはり私の違和感は正しいのであって、借地ということは借りた土地という意味である。

貸地を貸家に振り替えてみるとわかりやすい。

「貸家」という募集看板はあるが、「借家」という募集看板は無い。

 

看板は、「借地」に「事業用」という単語を組み合わせた「事業用借地」となっている。

借地借家法に「事業用定期借地権」という規定がある。

これは、もっぱら事業の用に供する建物の所有を目的に、存続期間を10年以上50年未満として設定される借地権で、通常の借地権とは異なり、契約の更新や建物買取請求権が発生しないなど、貸主にとって契約の解除が保証されて土地運用の計画が立てやすいというメリットがある。

従来の、土地を貸してしまうと永遠に返してもらえないという地主の不安を解消し、土地を有効に運用するために規定された法律だ。

「この「事業用定期借地権」の設定を条件として貸したいという土地で、この「事業用定期借地権」という法律用語にとらわれて「事業用借地」という看板になっているのだろう。

なぜか「事業用借地」という看板は、この会社だけではなく、他の会社でも「事業用借地」という看板を立てている土地を見かける。

 

わかればいいことで、どうでもいいことなんだけど、一番意味が伝わりやすいのは「貸地」という看板ではないだろうか。

 「貸地」であれば、この土地は貸したいんだなと、誰でもわかる。

当地(宮崎県の北端の町・延岡市)では、一般人や会社が土地を借りて建物を建てたいだとかという需要は少ない。

事業用借地権を利用しての土地の賃貸借は、大型店など大手の法人に限られる。

「貸地」を必要とする人・法人は、「事業用借地権」の意味合いを理解している。

「事業用の定期借地権」にこだわるのであれば「事業用貸地」とするほうが、私は腑に落ちる。

いかがなものか。

どうでもいいことを、つらつらと書いて時間を費やす。

講釈のおおい悪徳不動産屋のたわいのない今日のつぶやき。

 

 

 

 

2025年11月10日 (月)

立花容疑者だけではないことの怖さ

「NHKから国民を守る党」の党首・立花孝志容疑者が、死亡した元兵庫県議の名誉を毀損した疑いで逮捕された。
 
立花氏は、「生前、故・竹内を中傷していましたよ」と抽象していたことについては認めている。
 
これが、名誉棄損に当たるかどうかの容疑に対する審議がどう進むかは分からないが、亡くなった人に対して「(政治家が中傷されたぐらいで、死ぬなボケ」と、大衆の前で演説していたことは納得ができない。
 
その演説に拍手、喝さいを送る聴衆がいることには、さらに納得できない
 
このような人が政治を動かす立場になったとき、すべての国民の幸せを考えて国を動かしてくれるのだろうか。自分に賛同する人たちだけが幸せになれる政策をかかげる人の台頭がめだつ世の中になりつつあることに恐怖を覚える今日この頃である。

 

2025年11月 8日 (土)

運不運の人の命

今日の朝日新聞『声』に、52年前に誕生した子供さんの話があった。
 まさに、運が人の生き死にを支配するという恐ろしい話だった。
 
 投稿者の方は52年前、長男を出産した。
 元気な産声を上げて誕生した子供は、生後2週間の頃、飲んだお乳を噴水のように吐き、おなかをすかせて大泣きし、授乳の度に用意したタオルをびしょぬれにした。
 大きな病院でみてもらったが良くならず、子供さんの体重は増えず不安が募った。
 
 3度目の受診日。担当医からは、薬を変えて様子をみようと言われた。
 
 その時たまたま通りかかった別の医師が、息子の顔と血液で汚れたおむつに目を留め、カルテをのぞき込んだ。
「すぐに手術だ」。その声を聞いた後どう時間が過ぎたのか思い出せない。
 ただ、 検査室に運ばれる息子の泣き叫ぶ声だけが耳に残っている、と語っている。
 
 長男さんの病気は、胃の内容物が十二指腸に流れにくくなる幽門狭窄(きょうさく)症だった。
 
 手術は無事終わり、そのときの息子さんは現在も生活をしておられるようだ。
 
 「そのまま帰宅していたら手遅れだったと聞き、背筋が凍りついた。
 
 天恵とも言える先生との出会い。あのご恩は決して忘れない。」と感謝の言葉を述べられていた。
 
 息子さんが診てもらっていたのは、大きな病院。
 息子さんは、たまたま通りがかった他の医者に築いてもらったから命が助かったが、その医師とたまたま出会うことがなかったら命を落としていたかもしれない。
 
 担当医は病気を見つけることができず、薬を変えて様子をみてみようという診断だった。
 医師も万能ではないから病気を見つけられないこともある。
 
 私の同級生の医者が、「すべての患者を救うことはできない。運不運で人の生死が決まることがある」ということを言ったことがある。
 その話の中で、まだ若い頃、大学病院の給与が安いので、民間の病院の当直のアルバイトをししている時代があった。
 当直のある日、呼吸困難で危険な状態の患者が運ばれてきた。
 友人の医者は循環器を専門としていたので、即座にその患者が気胸であると診断し、注射針を肺に刺して肺にたまった空気を抜く処理をして緊急を脱出した。
 この時自分が当直でなく別の診療科の医者だったら、この患者は死んでいたかもしれない、と言っていた。
(これは、40年くらい前の私の記憶による話だが、「気胸」という病名と症状に、そして自分が死んでいたかもしれないという話しについては記憶に間違いはない)
 
 私は、その話が実に印象に強く、友人の話をしったり納得した。
 そして、人の気持ちが読めなくて、思ったことをそのまま口にしてしまう私は、「それじゃ、君の専門外の病気で運ばれてきた患者を君が助けられなかったこはもあるの?」と聞いた。
 
 すると友人は、「そういうこともある。すべての人を助けることはできない。悲しいけど、人の死は運不運ということもあると感じるよ」と、答えた。」
 
 後で私は、すぐに、友達とはいえ、ずいぶん失礼なことを言ってしまったと大いに反省した。
 それだけに、その時の場面は今も私の頭の中に強く残っている。
 
 医者も人間。万能ではない。
 助けられない命もある。
 私は、それは重々承知している。
 
 しかし、医師に求めたいのは、患者が何度も不調を訴えるのに原因が良く分からないときに、そこに命を脅かす病気が隠れていないかという気持ちをもって診断してもらいたいということだ。
 
 自分の技量だから見つけられないけど、なにか大きな病気は隠れていないかと思うことによって、考えられる他の病気があったら、その専門医に見てもらうことを選択肢のひとつとして持っていただきたい。
 
 医者は命を預かる仕事であることを深く認識していただきたい。
 
 誤診とは言わないが、もっと慎重に診てもらっていたら、亡くなっていなかった近親者を持つ私の思いである。

2025年11月 7日 (金)

大谷 3年連続シルバースラッガー賞

大谷が3年連続シルバースラッガー受賞。

大谷が受賞に際して発する言葉、そして、大谷の受賞に対して発せられる大谷のライバル、シュワーバーやジャッジの言葉。

今まで私が読んできた、どんな啓蒙書も、彼らの言葉には及ばない。

2025年11月 5日 (水)

縮む街 老朽化する下水道、重荷で浄化槽へ逆戻り

今年4月、埼玉県八潮市で道路が陥没し、トラックが転落した事故でトラックの運転手の救出から3月もかかったことは記憶に新しい。
原因は下水道管の老朽化による破損だった。
 
その後、全国各地で同様の下水道管は損による道路陥没のニュースが相次いで報道されてきた。
全国の下水道管の多くが、標準耐用年数の50年を超えていて、下水道管路の劣化により腐食や水の侵入などが原因による道路陥没も増えつつあるのだそうだ。
それに対処する予算が追い付かなくて今後の対策が問題視されているという報道もたびたび目にしてきた。
 
そんな折に、今月3日の朝日新聞に、「縮む街・老朽化、下水道重荷に」という見出しの記事があった。
 
下水処理の維持管理にかかる費用が重荷になって、整備済みの下水道を浄化槽に転換する自治体が出て来ているのだというのだ。
 
私が不動産業界に入った40年前、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)の下水道化率は25%くらいだったと記憶している。
残る75%の内半分ちょっとが浄化槽で、残りはまだ汲み取りトイレだった。
市は全域好況下水化を目指してきた。
現在当地の下水道普及率は80%弱。
当面の目標を80%に据えている。
 
下水道整備については、下水処理場新設や管路設置には国から補助金が出るが、汚水処理の維持管理にかかる費用は料金収入でまかなう独立採算が原則となっている。
下水道整備が完了している地域に住んでいる市民は、水道料金の使用料に比例した下水所領を支払っている。
市民から徴収している料金収入が足りない場合、自治体が一般財源から補填することになる。
ここでも、問題になるのは人口減少。
このため国土交通省は10年ほど前から整備計画を見直すよう促してているのだそうだ。今夏に、整備済み下水道を浄化槽に転換する意向があるか全国の自治体に調査したところ、97自治体が「ある」と答えたという。
 
下水道計画は人口増加が続くと考えられていた1990年代につくられていて、採算性も甘く見積もられていたものが多いのだそうで、人口減少で採算がとれないことに自治体が気がつき始めた結果、下水道計画が見直されているのだという。
私が若いとき、文化生活の象徴として進めてきた下水道=水洗トイレの生活だったが、多額の費用がかかる下水道事業は、これからの更新期を迎えて、今後浄化槽への切り替えが進むだろうと予測されている。
 
なんにつけても、人類の歴史が大きく変わる転換点にあるのだなあと、つくづく感じる今日この頃の出来事であった。

2025年11月 3日 (月)

日本で一番の話題 ワールドシリーズ

昨日、書きたかった一番大きな出来事はワールドシリーズだった。

テレビの画面からも、ドジャース、ブルージェイズ両軍の勝利に向けての鬼気迫る気迫が展開されて、画面から目を離すことができなかった。

3回に大谷がホームランを打たれ3点を取られて降板した時は、だめかもしれないと思った。

だけど、4回にドジャースが1点をかえし、6回にさらに1点を追加したときは、ドジャースの逆転を期待した。

しかし、その裏の回にブルージェイズから1点を奪われてしまって、やはり今回の商社はブルージェイズかと悪い予感をいだきつつ祈るようにテレビ観戦を続けた。

互いにチャンスとピンチをくりかえしながらの9回。ドジャースが同点の1点を加え延長戦へ。

延長戦には、昨日投げて勝利を勝ち取った山本由伸が登場。

10回で決着がつかず、11回を迎え、そのときには18回延長になった第4戦を思い出した。

この試合でそんなことになったら、ピッチャーはどうなるのだろう。

そんな悲観的な私の想像を打ち払ったのが、捕手スミスのソロホームラン。

これでドジャーの勝ちを確信していたら、山本が先頭のゲレロに二塁打を浴び、続くカイナーファレファが送りバントで一死三塁となった。

犠牲フライで1点。

やはり駄目かと悪い予感。

山本は、次のバッターを四球で歩かせ、逆転さよならかと、マイナス発想の私は最悪のケースを考えた。

期待は併殺。

しかし、ブルージェイズは好打者ぞろい。

同点はやむを得ないと思っていたのだが、なんとぴしゃりと併殺。

そのままスポーツ漫画になりそうな劇的な試合だった。

拙は、大のスポーツファンというたぐいではないのだが、感動で涙が出た。

スポーツで感動をもらうというのはこういうことなのだろう。

 

昨日も、今日も、テレビは日本人トリオの活躍で優勝したワールドシリーズ一色。

しばし感動に浸らしてもらおう。

 

 

2025年11月 2日 (日)

遅ればせながら冬物の服の準備

10月の中旬まで夏日が続き、暑い暑いと言っていたら、急に涼しくくなって秋物の服を出さなくてはと思っていたら、天気予報が12月上旬だか下旬の気温がやってくるので着るものにご注意くださいなんて言っている。

日常バイクで移動しているのだが、この数日ワイシャツ一枚では肌寒くて簡単なベストを羽織っていたが、今日はそれれでは寒そうだ。

押し入れにしまい込んでいた冬物の収納ケースを引っ張り出して、遅ればせながらの衣替えをした。

身なりに一切気を遣わない性格なので、冬物と言ってもプラスチックの収納ケース2個だけ。

ケースから長そでのシャツを引っ張りだそうとして気が付いたのだが、今年7月に夏物の服をしまい込むときに秋物を一緒にしまい込んでいた。

今日の気温がこのまま進むのであれば、秋物に分類できる服は着ることは無いだろう。

今年の冬物をしまい込むのが7月終わりになったもので、秋物もいっしょにしまい込んだのだが、今年はもう秋物を着ることはないだろう。

日本に、まだ四季はあると感じているのだが、秋、春の期間が短すぎることを実感した昨日の出来事だった。

 

 

 

 

2025年11月 1日 (土)

11月1日 奇跡が起こった来年の手帳

11月。霜月。1日。

11月ともなると、今年も終わりが近いことを感じる。

つくづく時の経つのは早いもの。

巷では9月になると来年の手帳が本屋さんや、さまざまなショップに並び始める。

10月からが来年の手帳のシーズン。

今年一年、また、なにもやらずないままに終わってしまったことを後悔し、来年こそはは新しい手帳を手にする。

私は、そんなことを60年以上続けてきている。

ここ十年くらい、ラコニックのバーチカル型の手帳を使ってきた。

使ってきたというのはおかがましくて、購入してきたという方が正しい。

A5型の大きな手帳で、公私なんでも書き込めるスペースがあるのだが、毎年1月から空白が始まる。

今年は、陰山手帳を購入して、綿密にスケジュールを立てて規律正しく仕事に取り組もうと思っていた。

2月の途中まで続いたが、3月からは空白がめだつ。

恒例行事のごとく、10月はじめから今年の手帳をどうしようかと迷っていて、嬉しい奇跡がおこった。

10数年購入してきたラコニックの手帳が、本棚の上段に埃をかぶっておいてある。

ぱらぱらと数冊をてにとって開いてみると、みごとにほとんど1月までしか埋まっていない。

1冊2,500円以上の品だから、大いなる無駄使いである。

そのうちの1冊、2020年の手帳は1月の第3週までしか書き込んでいない。

しかも、だい3週の記載は数行のみ。

記入しているのは、実質2週間程度。あとは新品同様。

記入している部分は修正テープで簡単に消せるくらいの内容しかない。

いつものことだった、どうせ1カ月しか使わない。

少しだけ手間はかかるが、日付も修訂テープで消して手書きすればいい。

ここでたまたま手に取った2020年の手帳の1月1日を確認すると水曜日。来年のカレンダ―をみると1月1日は木曜日。

これは日付を書き換えるのに都合がいい。

それで今日、1月1日からの日付の部分を修訂テープで消して、来年の日付を書き込んでいった。

1ページに日付は7つ。

ピピっと修正テープで日付を消して、スマホで来年のカレンダーを見ながら来年の日付を記入する。

1ページにつき30秒もかからない。

単純作業はやりだすと楽しい。

1月の日付の書き換えが2~3終わったので、2月までやっておこうと続けた。

調子が出てきて、3月までやっておこうと3月のページを開いた。

するとどういうことでしょう。

3月1日が、去年も今年も日曜日になっている。

一瞬、混乱した。

どこかで日付の記入を間違えたのか?

間違えていたら、もう一度やりなおしだ。

やりなおしとなると面倒だなーと思いながら、書き換えた日付をさかのぼってみたが、記入間違いはない。

それで、はたと気が付いた。

途中にうるう年がまじっていたせいかもしれない。

確認してみると、2020年が、うるう年だった。

それで、3月からは日付の書き換え不要。

嬉しい奇跡。

なんだか、ずい分得をした気になった今日の出来事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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