運不運の人の命
今日の朝日新聞『声』に、52年前に誕生した子供さんの話があった。
まさに、運が人の生き死にを支配するという恐ろしい話だった。
投稿者の方は52年前、長男を出産した。
元気な産声を上げて誕生した子供は、生後2週間の頃、飲んだお乳を噴水のように吐き、おなかをすかせて大泣きし、授乳の度に用意したタオルをびしょぬれにした。
大きな病院でみてもらったが良くならず、子供さんの体重は増えず不安が募った。
3度目の受診日。担当医からは、薬を変えて様子をみようと言われた。
その時たまたま通りかかった別の医師が、息子の顔と血液で汚れたおむつに目を留め、カルテをのぞき込んだ。
「すぐに手術だ」。その声を聞いた後どう時間が過ぎたのか思い出せない。
ただ、 検査室に運ばれる息子の泣き叫ぶ声だけが耳に残っている、と語っている。
長男さんの病気は、胃の内容物が十二指腸に流れにくくなる幽門狭窄(きょうさく)症だった。
手術は無事終わり、そのときの息子さんは現在も生活をしておられるようだ。
「そのまま帰宅していたら手遅れだったと聞き、背筋が凍りついた。
天恵とも言える先生との出会い。あのご恩は決して忘れない。」と感謝の言葉を述べられていた。
息子さんが診てもらっていたのは、大きな病院。
息子さんは、たまたま通りがかった他の医者に築いてもらったから命が助かったが、その医師とたまたま出会うことがなかったら命を落としていたかもしれない。
担当医は病気を見つけることができず、薬を変えて様子をみてみようという診断だった。
医師も万能ではないから病気を見つけられないこともある。
私の同級生の医者が、「すべての患者を救うことはできない。運不運で人の生死が決まることがある」ということを言ったことがある。
その話の中で、まだ若い頃、大学病院の給与が安いので、民間の病院の当直のアルバイトをししている時代があった。
当直のある日、呼吸困難で危険な状態の患者が運ばれてきた。
友人の医者は循環器を専門としていたので、即座にその患者が気胸であると診断し、注射針を肺に刺して肺にたまった空気を抜く処理をして緊急を脱出した。
この時自分が当直でなく別の診療科の医者だったら、この患者は死んでいたかもしれない、と言っていた。
(これは、40年くらい前の私の記憶による話だが、「気胸」という病名と症状に、そして自分が死んでいたかもしれないという話しについては記憶に間違いはない)
私は、その話が実に印象に強く、友人の話をしったり納得した。
そして、人の気持ちが読めなくて、思ったことをそのまま口にしてしまう私は、「それじゃ、君の専門外の病気で運ばれてきた患者を君が助けられなかったこはもあるの?」と聞いた。
すると友人は、「そういうこともある。すべての人を助けることはできない。悲しいけど、人の死は運不運ということもあると感じるよ」と、答えた。」
後で私は、すぐに、友達とはいえ、ずいぶん失礼なことを言ってしまったと大いに反省した。
それだけに、その時の場面は今も私の頭の中に強く残っている。
医者も人間。万能ではない。
助けられない命もある。
私は、それは重々承知している。
しかし、医師に求めたいのは、患者が何度も不調を訴えるのに原因が良く分からないときに、そこに命を脅かす病気が隠れていないかという気持ちをもって診断してもらいたいということだ。
自分の技量だから見つけられないけど、なにか大きな病気は隠れていないかと思うことによって、考えられる他の病気があったら、その専門医に見てもらうことを選択肢のひとつとして持っていただきたい。
医者は命を預かる仕事であることを深く認識していただきたい。
誤診とは言わないが、もっと慎重に診てもらっていたら、亡くなっていなかった近親者を持つ私の思いである。
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