日記・コラム・つぶやき

2021年2月25日 (木)

PTSD

これが、ちょび。

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生まれて2、3ヶ月で捨てられて、腹を減らしてさまよっていたところを拾ってやった。

生後半年くらいのようだった。

同じ屋根の下に暮らしはじめて10年以上になるのに、いまだに近づくと逃げ回る。

ちょっとした物音にも怯えて、安らげるのは家内の膝の上だけのようだ。

それがかわいくないのだが、家内によると、前の飼い主に捨てられて、野良猫生活をしていたときにひどくいじめられた記憶が消えないのだろう。かわいそうな子よとかばう。

PTSDってやつだな。

今日も、その家内がいない。

少し逃げ回りかたが和らいだ気もする。



2021年2月20日 (土)

猫がじゃまする

 今日の締め切り間際。

 ブログを書こうとパソコンを開いたのだけど、猫がキーボードの上に乗ってくる。

 なぜ猫は、仕事や読書の邪魔をしてくるのだろう。

 少し嬉しくもあるのだけど。

2021年2月19日 (金)

森たたき終了

 この1週間、マスコミ総出でなぶりまわしてきた森さんたたきが、ようやく終わりを迎えたようだ。

 私が中学3年生のとき、私の教室でカーテン巻きたたきというのが流行ったことがある。

 教室の南側の窓にはカーテンが取り付けられていた。

 強い日差しを遮るためのもので、厚手で床まで届くような長いカーテンだった。

 ある日の休み時間に、窓際で数人の生徒が談笑していた時に、その中の一人がいたずらで、他の一人をカーテンでぐるぐる巻きにした。

 すると、周りにいた誰かがカーテンでくるまれた生徒を軽くポコリと叩いた。

 激しくたたいたわけではなくて、誰がやったかわからないだろうとからかった、ちょっとしたいたずらだった。

 叩かれた生徒がカーテンから解き放たれときには、周りにいた者は何事もなかったかのように無関係を演じた。

 叩かれた生徒は、叩いたのは誰だとみんなを問い詰めたが、みんな自分じゃないよと知らん顔。

 その時は仲の良い友達どおしの軽い遊びだった。

 だけど、別な日に、叩かれた生徒が別な生徒をカーテンでぐるぐる巻きにして、周りにいた生徒に叩けとけしかけた。

 すると、周りにいた数人がカーテンの中の生徒をポカポカと叩いた。

 その時も軽いいたずらで激しく叩いたりはしていなかった。

 軽いいたずらで始まったことだったが、どんどん流行りになってきて、休み時間に窓際で外を見ていたりしている生徒が次々とカーテン巻きの餌食になっていった。

 最初のうちは、ちょこんと叩くだけのことで、やった方もやられた方も笑いながらのじゃれあいだった。

 それが徐々にエスカレートしてきて、誰かか誰かをターゲットにして無理やりカーテンの中に押し込めると、周りにいる者全員でボコボコに殴りまわすようになった。

 みんな自分がターゲットにされないように警戒をしているのだが、ちょっと気を許した隙にカーテン巻きにされる。

 そうなると、もうあきらめるしかない。

 ワーッととりまかれて、いたぶりつくされる数十秒間を我慢するしかない。

 ただ、多少荒っぽいいたずらだったが、ケガさせたりすることないように手加減はしていた。

 今回の「森さんたたき」を見ていると、あのときのカーテン巻きを思い出す。

 「森さんたたき」だけでなく、こいつをターゲットにしようと決めると、みんなでよってたかってなぶり殺しにする集団リンチのようなやり方が横行している。

 だれかがカーテン巻きにされると、みんながワッとおしかけ、とことんいたぶり尽くす。

 それを見ている聴衆も、「やれ!やれ!」とけしかける。

 この集団リンチは、私の中学校のころのカーテン巻きとは違って手加減はしてくれない。

 私は、森さんの言動も、その後の言い訳や態度には憤りを感じた。

 しかし、追いつめられて自らの非を認め、お詫びし、辞任までしたらそこまでではないのか。

 リンチ集団はそれを許さない。

 不倫報道もそうだ。

 カーテン巻きのターゲットにされると、皮膚を引き裂かれ、内臓を食いちぎられ、ぼろぼろになって死んでしまっても、体に火をつけられ骨を砕かれるまでいたぶりつくされる。

 げに恐ろしきは、正義の仮面をかぶったマスコミたちだ。

 

 

2021年2月18日 (木)

順調に捨てている 捨てることは気持ちがいい

 私も、捨てられない人間だった。

 いつか使うかもしれない、なにかに使えるかもしれないと思って、ため込んでしまう。

 いつかも、なにかも来ないのだが、処分した時に限って取っておけばよかったと思うことがある。

 だから捨てられなかったのだが、いらないものをため込んでいると必要なものを見つけるの妨げになる。

 コビーの裏紙も、送られてきた郵便物の封筒も、消費する量より明らかに溜まる量の方が多い。

 もらったボールペンやメモ用紙もも溜まる一方。

 もらいもののエコバッグが何個もある。エコならぬ無駄遣い。

 必要になったら買えばいい。

 貧乏性で、まだ、ばっさばっさとすてるところまではいかない。

 売れるかもしれないものはメルカリやAmazon、ヤフオクに出品してしまう。

 でも、捨てることの気持ちよさはわかった。

 本棚がずいぶんすっきりしてきた。

 

 

 

2021年2月16日 (火)

「つらかったでしょうね」という言葉だけ。あとの言葉はいらない。それができないんだなあ。

 瀬戸内寂聴さんは、京都嵯峨野に開いた寂庵で毎月1回法話をなさっておられる。(コロナのために今は休んでいるかもしれない)

 その参会者の中に、子供や愛する人に先立たれて悲しくてしょうがないと目で訴えてくる人がいることがあるのだそうだ。

 そんな人に対する寂聴さんの接し方は、是非私が見習うべき話だった。

 寂聴さんは、慰めの言葉は言わなくても「つらかったでしょうね」と抱きしめてあげるのだそうだ。

 そうすると、安心して帰ってくれるのだそうだ。

 「仏さんがおっしゃってるから安心しなさい」なんて言っても、嘆き悲しんでいる人の耳には入りません。私が手を握ったり、抱きしめたりすることで、みなさん安心してくれます。」と言っておられた。

 私が人に悩み事や、悔やみ事の相談を受けた時、私はどう解決したらいいものかを真剣に考え、「こうしたほうがいい」「こんなふうに考えればといい」と精いっぱいの助言をする。

 私の考えを受け入れずに、悩み事、悔やみ事を言い続ける相手に対して、私は自分の解決案を強引に押し付けようとしてしまう。

 私は相手のために一番良い解決方法を考え抜いた結果なので、相手を自分の考えに屈服させようとしてしまう。

 そして、往々にして相談者は相談に乗っている私の考えには応じず、私が人の気持ちのわからない人間だとなってしまう。

 そんな時、よく私は家内にこう言われる。

 あたみたいに真剣に話をする必要はないのよ。

 悩みや不満を相談してくる人は、自分がいかに大変で苦労しているか、愚痴を聞いてもらいたいだけなのよ。

 だから、、ふんふん、へー、それは大変だね、あなたが正しいよ、と適当に相槌をうっておけばいいのよ。

 愚痴や不満を聞いてもらうだけで気が済むのよ。

 というのだ。

 しかし私の性格として、相談者が「こんなに嫌な思いをしているのだけど、どうしたらいい」という言葉にとらわれてしまうのだ。

 「愚痴を聞いて」と言ってきたのであれば黙って聞く。

 しかし相手は、「どうしたらいい?」「どう思う?」と聞いてきているのだ。

 その質問に対して私は、どうしたらいいのか、どう思うのかを答えるのが誠意ある答えだと思っているのだ。

 家内にそう主張すると、家内は「人は、どう思う?」と言っているけど、解決方法を聞いているわけではないから、「大変だね」とだけ言っておけばいいのだと譲らない。

 私も譲らず、かくして見解の相違で夫婦喧嘩となる。

 家内の言うことは納得できなかったが、寂聴さんの言葉を聞いて、家内の言い分も納得した。

 だけど、それができないんだなあ。

 

 

2021年2月15日 (月)

ペットボトルの水の賞味期限は?

 福島県沖地震は、人命にかかわる被害が無くてなによりだった。

 遠い地にいて、震度6強という強い地震に、もっと多大な被害を想像していたもので、被災された方からはお叱りを受けるかもしれないが、思いのほか被害が小さくて良かったと感じた。

 大きな震災があるたびに、非常袋を用意しておかなくてはと思うのだが、いつも中途半端に終わっている。

 それでも、1週間分の水と食糧だけは確保しているのだが、気になるのが賞味期限や消費期限。

 私は、日ごろから賞味・消費期限より自分の五感を大事にしている。

 それで、消費期限なんてやつは、はなっから問題にしていない。

 開封前であれば1カ月2カ月過ぎていても、口に入れて異常を感じなければ大丈夫。

 消費期限は無視はしないが、自分の五感を使って判断しなければならない。

 2,3日であればほとんど問題はない。

 しかし、4日、5日、1週間を過ぎてしまうとそうはいかない。

 研ぎ澄ませた五感をフルに使って慎重に判断しなければいけない。

 まずは見た目(視覚)。都合からは触ってみる(触覚)。

 次に匂いを嗅ぐ(嗅覚)。

 ここまでで、口に入れてはヤバいものは大体わかる。

 それでも大丈夫ではないかと思ったら、次に少し口に入れて、恐るおそる、一嚙み、二嚙み(常に謙虚な気持ちで是か非かを判断することが肝要)して味をみる(味覚)。

 五感を発揮してと言ったが、実際にはここまで。正確には四感である。聴覚は出番がない。

 四感が問題なしと判断すれば消費期限後の食品を食べても何の問題もない。

 人間は自分が生き物として持ち合わせている五感をもっと磨くべきなのだ。

 私は、昔の人(主には親たち)がやっていた,可食判断術を磨き続けて今に至っている。

 家内や子供たちにこの術を伝えてやろうとするのだが、我が家での食のサバイバル術は私の代で消滅してしまいそうだ。

 そんな私だが、まったく科学を無視して動物本能のみに頼っているわけではない。

 自慢にはならないが、小学校から高校まで科学はできがよかった子供だった。

 高校の時の化学と生物の成績は、年間の試験の平均は90点以上だったのである。

 科学的根拠をもたない奴らこそが、物が腐ることの意味を知らないが故に賞味期限の数字のみを頼りに生きるしかないのだ。

 科学的知識豊富な私は(えっへん!)、保存食はもっぱら缶詰とレトルト食品を中心にしている。

 缶詰缶は、蓋をして空気が入らないように密封し、密封した状態で缶詰に熱を加えて消毒する。

 熱消毒をすることにより、缶詰の中身は無菌状態になる。

 レトルト食品は、缶詰の缶のかわりに特殊なプラスチックフィルム(レトルトパウチ)を使った保存食品だ。

 無菌状態になっているので、缶やレトルトパウチに傷をつけないように適切に保存すれば、5年や10年はまったく問題ない。

 ペットボトルの水に至っては、水はHO。

 水素と酸素の化合物。

 不純物を取り除いて滅菌しているのだから腐るはずはない。

 というのが私の認識。

 どういう理由で賞味期限があるのだろうか。

 ということで調べてみた。 

 やはり、どうやらペットボトルは腐らないらしい。

 水に賞味期限が付いているのは、ペットボトルの容器は通気性があるため、長期保存していると微量ではあるが水が蒸発していく。

 すると、印字してある内容量よりだんだん減っていく。

 飲食品は、さまざまな法律を守らなければならないのだが、その一つに「計量法」がある。

 表示した内容量よりも少なくなると計量法違反となる。

 それで印字してある容量をきちんと保てる期間を「賞味期間」としているということなのだ。「

 水においては、賞味期限=おいしく飲める期間とういことにはならないようだ。

 つまり、賞味期限切れの水を飲んでも全然問題ないという私の五感と直感による判断は間違ってなかったようだ。

 私たちの学生時代、部活の練習中に水を飲むことは厳しく禁じられていた。

 当時、水を飲むと汗をかいてバテルというのが定説だった。

 苦しさに耐えかねて水を飲んだことが先輩に見つかると、激しいしごきを受けた。

 私の高校は田園地域にあって、学校の敷地の塀の外側沿いに農業用水路が流れていた。

 1年生の時、のどの渇きに耐えきれず、フェンスを越えたて水路に飛び込んだボールを拾いに行ったついでに用水の水をこっそり飲んだこともある。

 それでもこの年(実年齢は言いたくないが)まで生きてきた。

 賞味期限切れになった水を飲むのに抵抗がある場合は、レトルト食品を温めたり、米のとぎ水にしたり、手足や体を拭くための水として使えばいい。

 捨ててしまってはもったいない。

 若い方々!五感を鍛えておかないと非常時に生き残れませんぞ。

 

 

 

 

2021年2月12日 (金)

匿名発送 簡単で安心 メルカリのすすめ

 私は、本はネット購入することが多い。

 なるべく本屋さんで買おうと思っているのだが、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)のような田舎では、新聞の広告や書評を見て読みたい本があっても本屋さんに入ってこないものがある。

 それで、ついついネット購入してしまうことになる。

 ネット購入の欠点は、立ち読みして中身を確認できないこと。

 書名や広告のキャッチコピーだけで衝動買いするしかないわけで、従って買ってみたら全然期待外れということも少なくない。

 そんな場合、読み終わった本はすぐにそのままネット販売することにしている。

 賞味期限内であれば、2~3割引きの値段をつけておけばすぐに売れる。

 ネット販売にあたって、私は今まで、Amazonを利用していた。

 Amazonの中に、Amazonマーケットプレイスというシステムがあって、そこに自分で値付けして出品しておく。

 出版されて間もない本だと、新品の本の値段から3割くらい安い価格にしておけばすぐに売れてしまう。

 売れるとAmazonから購入者の住所氏名が通知されるので、自分で梱包して発送する。

 相手に品物が届くと、Amazonを通じて代金が振り込まれるという仕組みだ。

 しごく便利なシステムだと思っていたが、最近、Amazonで見つからなかった本がメルカリに出品されているのを見つけ、メルカリで購入した。

 メルカリはスマートフォンアプリが使いやすいし、中古の本が見つかりやすい。

 それに出品している本の状態も、複数枚の写真で確認できる。

 Amazonより使いやすいようなので、試しに私も本を出品してみた。

 もともと儲けようというつもりはなく不要な本を買ってもらえるなら儲けものという発想だもので、試しに出品した4冊の本のうち3冊がすぐに売れた。

 売れてびっくりしたのが、発送が実に簡単なこと。

 スマートフォンのアプリで支持されるとおりに手続きすると発送用のバーコードがスマートフォンに表示される。

 そのバーコードをコンビニで提示すると、レジでそれを読み取りレシートを渡される。

 レシートには買ってもらった人の住所も名前も表示されていないが、そのレシートを荷物にはりつけると相手に届けてくれるようになっている。

 私の名前も住所も相手にわからないまま取引が完了してしまうのだ。

 私は、今までにメルカリで物を購入したことはある。

 そんな時、自分の住所氏名は記載されているのに、匿名発送というラベルが貼ってあって購入した相手がどこのだれかわからない。

 今までは購入するだけだったから、自分の情報だけ相手に伝わって、相手の情報がこちらにはわからないというのは不公平なシステムだと思っていた。

 しかし自分が販売してみて、出品者にも購入者にも相手の情報を知らせずに取引できるようになっているのだということが分かった。

 実に使いやすい。

 私は、Amazonに物流を独占してしまわせてはいけないと、日本発の楽天やヨドバシカメラをなるべく利用するようにしていたが、メルカリも使うことにした。

 なんてったって使いやすい。

 

 

 

 

2021年2月10日 (水)

延岡十日えびす

 朝から、事務所の前の人通りがちょっと多いなと思ったら、今日は「延岡十日えびす」だった。

 「延岡十日えびす」は九州三大えびすの一つとして知られている。

 私の事務所の所在地は恵比須町。

 開催されている今山恵比須神社は私の事務所から200m足らずの距離にある。

 私の事務所のお隣のスーパー「サンフレッシュえびす」さんが100数十台の駐車場を備えているので、そちらに車を停めての参拝客が私の事務所の前を通るのだ。

 例年、露店もたくさん出るので家族連れの参拝客でにぎわうのだが、今年は新型コロナ感染防止のため露店も控えめになっていて、いつもの賑わいはないような気がする。

 とはいえは、商売繁盛や安全祈願をする人たちが、毎年十日えびすで縁起物の福笹や熊手を新しいものにして、古い福笹や熊手を返納するためにお参りする人の流れは変わらないようだった。

 今年は、福笹や熊手を買い求めたお客さんの願いが叶うように拍子木を鳴らし威勢のいい掛け声をかけてくれる巫女さんたちもマスク姿。

 みんながコロナ終息をお願いした十日えびすになった。

2021年2月 9日 (火)

またまた、懲りずに。マツコの知らない世界で絶賛の「オホーツク塩ラーメン」

 私の事務所には、毎日のように通販ショップから商品が届く。

 今日も2つ届いた。

 1つは一昨日頼んだ本だとすぐわかったが、もう1つの包みがなにかわからない。

 クリックポストで送られてきているが、送り主に覚えがない。

 送り付け商法などもあるから、身に覚えのない郵送物には警戒が必要だ。

 警戒しつつ封を切って中身を確認すると、2週間ほど前にネット注文したラーメンだった。

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 2週間前くらいに、マツコの知らない世界で絶賛されていた棒ラーメン「鳥中華」の食レポをした。

 マツコ氏が、この世にこれほど美味いものはないとばかりに絶賛していたのだが、私の舌には普通のラーメンだった。

 そんな記事を書いたのだが、またしても「マツコの知らない世界」で絶賛されていたラーメンを注文してしまったのだった。

 それが、これ。乾燥麺部門№1の「オホーツクの塩ラーメン」。

 早速昼食で食べてみた。

 麺の湯で時間は6分。ちょっと長め。

 麺は乾麺とは思えない、シコシコツルツル感。

 麺はおいしかった。

 スープは澄んだきれいなスープだったが、私の未熟な舌では、その素晴らしい繊細な塩味の違いは見極められなかった。

 スープの風味も、私の鈍感な味覚と収穫では鶏系なのか豚骨系なのか、魚介なのか判別がつかない。

 ああ、残念ながらまたしても、テレビ出演者の方々が絶賛されるような美味しさを私は味わえなかった。

 そしてまたしても、自分の貧しい育ちを思い知らされることになった。

 このラーメンが500円なら、私は、あと200円出して当地(宮崎県の北端の町・延岡市)の再来軒のラーメンがいい。

 再来軒でなくても、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)のラーメン店で食べた方が絶対に美味い。

 

2021年2月 8日 (月)

世界的なスポーツの祭典としてのオリンピックは開催できない

 森元総理の問題発言が騒動になっている。

 森さんの発言では、女性を蔑視した発言がとりわけ大きな問題となっていたが、私は「なにがあってもオリンピックは開催するんだ」という発言にもっと注目が集まるべきではないかと感じている。

 それは、森さんの発言を理由に聖火ランナーを辞退したことが大きな話題となっている田村敦氏も同じことを言っていた。

 田村敦氏に誘発されたわけではないが、オリンピックのボランティアを辞退するという動きも出てきている。

 スポーツの祭典と言われるオリンピックを開催することができないことは、マスコミも含めたオリンピックを利権関係者たちが暗黙のうちに共有している認識ではないのか。

 なぜなら、去年ボランティアに決定している人たちには、開催まで半年余りとなった今も何の連絡も届いていない。

 これは田村敦氏が言っていたことだが、今年なってからは、いまだに聖火ランナーの正式要請は来ていないというのだ。

 1年経てば、ボランティアの人達の事情もそれぞれに変わっているだろうに、引き続きボランティアをやってもらえるのかの確認をとっていないし、日程の通知もないのだ。

 かといって、ボランティアの追加募集の話は全く無い。

 これはオリンピックは中止ということの証だと、私は思う。

 低級国民の私はそう思うが、テレビを見る限り、このこと(ボランティアに関すること)を問題視した意見は見かけない。

 マスコミも上級国民。

 私ら下級国民には知りえない事情を、上級国民の方々はお持ちなのだろう。

 コロナで打撃を受ける人の陰で、コロナ利権の恩恵を分かち合う人もいるのだろうから。

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