日記・コラム・つぶやき

2024年9月16日 (月)

警察からの電話

電話が入った。

表示されている番号は、市内の固定電話の番号だった。

なんだか見覚えのあるような気もする。

ん? 末尾が0110。

これって、警察署の番号だ。

警察からの電話となると、なぜかドキッとする。

警察にごやっかいになるような悪いことをした覚えはないのだが、警察からの電話というのは楽しい話ではないことは確かだ。

なんだろう?

子供が交通事故にあったのではないか?

管理しているアパートで事件でもあったのか?

不安がよぎる。

同時に、一昨日から、普段の買い物用のダイレックスのクレジットカードが見つからなくて、家の中で紛失したと思っていたのだが、外で落としていて警察に届いているという電話なのか?という都合のいい想像もした。

まさか、昨日のブログで警察の悪口になる内容を書いたことでの苦情の電話ではないかということはあり得ないことだろうが、まったくないとは言えないなと、ちょっとだけ不安がよぎる。

一瞬で、いろいろ想像しながら受話器を取った。

「こちらは延岡警察署からですが・・・・」

やっぱり警察署からの電話だった。

犯罪をした覚えはないのだが、なぜか緊張がはしる。

「延岡駅近くの〇〇ビルの管理は、そちらでやられていますか」

想定していた内容のひとつだった。

泥棒が入ったのか。入居者が問題を起こしたのか。

入居者のことで問い合わせを受けた経験も何度かある。

何だろう?

「はい。〇〇ビルは当社の管理ですが、なにかありましたか」

気の弱い悪徳不動産屋としては、不安をいだきつつも平静を装って冷静に応対する。

「実は、〇〇ビルに長期間放置されている自転車がありまして、そのことで管理者様にお話があるので、お伺いしたいのですが・・」

私が責められる話ではないようでほっとしたが、自転車置き場のないビルだから、入居者が路上に放置しているのでなんとかしろというはなしだとちょっと面倒だ。

「どういう話でしょう?」と聞くと、警察で放置自転車の処分をするので管理者様の同意の署名と印鑑をいただきたいのですが、ご協力願えませんでしょうか」

私は、ここで完全に心が安らいだ。

ラッキーなことに、近所の人から警察に放置自転車があるという苦情があって、警察で調べてみたら盗難車だったというのである。

盗難車であれば、警察が収容することになる。

そのために、自転車の放置場所の管理者としての印鑑をもらいたいというのである。

 

これは、はなはだ幸運なことなのだ。

これが盗難車でなかったら、法にのっとって処分するとなると、なかなか大変なのだ。

空き地とか駐車場と言った私有地に不法に放置された車や自転車は、勝手に処分すると窃盗罪や損害賠償で訴えられることになる。

私の経験でも、私有地に無断で放置されたままになってた車の撤去について警察に相談しても、民事問題だからということで警察は撤去はしてもらえなかった。

悪意で、ナンバープレートをはずした車を放置されでもすると、結構大変なことになる。

壊れかかっててゴミみたいな車であっても、勝手に処分はできない。

法律違反になるから、まっとうな車の解体業者さんだと、移動も引き取りもしてくれない。

正統な法律手続きをとって処分するには、弁護士に依頼しなければないが、40,50万円の費用がかかってしまう。

 

さらに私にとってラッキーだったのは、担当の警察官がうら若き、かわいい女性であったこと。

こんなことを言うとジェンダー差別だと叱られるかもしれないが、相手がいかつい男性警察官であったら、なんとなくこちらが緊張してしまう。

まだ赴任して間もないようで、非常に恐縮した感じで丁寧に手続きの書類を作成されていた。

 

重ねての話になるが、私有地に悪意の放置車両の処理は大変です。

ということで、今回はラッキーでした。

 

昨日のブログの話とは外れるが、多くの場合は警察は国民の安全を守ってくれているのですよ。

 

 

2024年9月15日 (日)

憲法 どうなっているの?

今回、憲法を読むきっかけになったのは、つい最近出版された角川歴彦著「人間の証明」を読んだことだ。

角川歴彦さんは、角川書店創業者の次男。

「人間の証明」は、森村誠一著で同名の本がある。

映画化もされ累計700万部を超す大ベストセラー森村誠一の代表作である。

しかも出版は角川出版。

なぜ、出版会社が経営者の手による手記本を出版したのか気になって私は本を手にした。

角川歴彦さんは東京オリンピック贈収賄の疑いで逮捕され、一貫して無罪を主張し続け226日もの長期にわたって勾留された。

角川歴彦さんの「人間の証明」は、自らが体験した、拷問とも呼べる「人質司法」の非人道性、違法性を広く世に問うとして、森村誠一さんの遺族の了解のもとに出版されたものだった。

「『人質司法』をなくすために、死力をつくして最後の闘いをする」という氏の使命感が語りつくされている。

 

昔、私の知人で、虚偽の通報により逮捕され1カ月くらい勾留された人がいる。

1人は婦女暴行事件。

もう1人は賭博の罪。

2人とも、まったく事実無根の通報がされ、それに伴って逮捕された。

逮捕については新聞テレビで報道された。

幸い、通報者の通報内容があまりも不自然で、虚偽の通報であることが判明して無罪放免となった。

しかし、無罪となったことは新聞テレビでは報道してくれない。

まったくの無実の罪であったが、2人とも1カ月近い勾留を受け、その間一切の外界との接触が遮断された。

無罪釈放されたが職を失い、人生は大きく狂ってしまった。

せめてマスコミが救済してくれるといいのだけど、こんな金にならないことにはかかりあってもらえない。

 

憲法34条には、「直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ、抑留又は拘禁されない」とある。

憲法38条には、「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」「不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない」とある。

 

しかし現実には、逮捕されると罪を認めるまでは、一切の外界との連絡は遮断されてしまう。

角川さんの勾留期間は226日。

郵便不正事件の村木厚子氏は164日。

衆議院議員だった鈴木宗男氏の未決勾留日数は437日。(なぜか、鈴木氏の勾留日数については、なかなか検索結果が得られなかった)

 

だれかに恨まれて、虚偽通報されて逮捕されると、通常の場合そこで人生は破綻してしまう。

テレビドラマで「弁護士を呼んでくれ」は、実際には通用しないのだ。

 

心配性の私は、そんなことになったらどうしようと不安になって憲法を読み直した次第。

 

憲法の条文には、「直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ、抑留又は拘禁されない」「不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない」と書いてあるのだけど、法の番人裁判所はどう解釈しているのだろうか。

 

2024年9月12日 (木)

憲法

今、私は憲法を読んでいます。

日本国憲法です。

憲法は103条。

ページ数におさまる短編です。

いろいろな事案や裁判において、違憲だ合憲だと話題に上がるが、はずかしながら私は、全条文をじっくり読み解いたことがない。

なにを血迷ったのか、今日、ふと憲法とは何なのかが気になって、座左(私の事務所の本棚は事務机の左にあるので座右の書とはならない)にある小六法を開いて第1条から読み始めました。

今、電話が入って中断します。

 

 

私は毎日、何もしない時間が結構多いのですが、何かやろうとすると用事が入ります。

昨日も、一昨日も、ブログを書き始めたところに電話が入りまして、2日間更新が空白になってしまいました。

 

 

 

 

 

2024年9月 6日 (金)

河野さんを総理大臣にしたら大変だ!

次期自民党葬参戦に立候補している河野デジタル大臣が、年末調整を廃止し全国民が確定申告をする仕組みを導入することを公約に掲げている。

この人、自民党の異端児といわれ、実行力、突破力を売り物にして官僚を引っ張りまわして、新しい世の中を作ってくれるかと期待していたのだが、どうもスタンドプレーの人のようでガッカリしている。

デジタル大臣になったときには、突然保険証を廃止してマイナンバーカードに置き換えると言い出して、作成は任意だったはずのマイナンバーカードを、実質強制的なものとした。

私はこの時、近々保険証が廃止になるのであればポイントをもらったほうがいいと思ってマイナンバーカードを作った。

しかし、私の行きつけの病院でマイナンバーカードが使えるようになったのは河野さんが言っていた保険証が使えなくなった時期よりはるかにあとのこと。

前日社会でのマイナンバーカード導入にあたっての混乱にの解消には、河野さんの姿は見えなかった。

印鑑廃止もそうだ。

押印が必要な行政手続きが14,992種類あって、この99%以上の14,909種類を廃止すると高らかに打ち上げたが、現実社会ではまったくその成果を感じない。

私は仕事柄、役所に申請書をだしたり証明書を取りに行ったりすることが多いのだが、印鑑廃止の効果を感じない。

実際、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)市役所で、お客様に依頼された証明書を取る際に認印を求められることが多いのだが、その認印は市役所内の売店で販売している。

こ市役所の窓口で認印の押印を要請されることがあるのだが、受付窓口のすぐそばにある売店で認印を購入して押印し、その書類を提出したら証明書を交付してもらえるという局面がいくつもある。

私はひねくれものだから、その場で購入してきて押印したとわかるようなタイミングで申請書を提出したりするのだが、それをとがめられたことはない。

故河野さんのいう、市販の認印でも住むような印鑑は不要というのは、実に正しい。

ただ、それは見せかけだけのスタンドプレーで終わっている。

 

国民全員が確定申告するなんて言っているが、河野さんはマイナンバーカードでの混乱をどう感じているのだろう。

混乱したら、担当者をどなりつけるだけなのでは?

自分が思いついたことは、その結果を十分検証せずに口に出し、自分が口にしたことは強引に押し通す。

総理大臣になって、こんな政策をやられたのでは国は大混乱することになる。

岸田さんが、総理大臣になることが総理大臣になった理由だと揶揄されているが、河野氏も似たようなもののようだ。

総理大臣になるために、突拍子もない政策を振りかざしているようにしか思えない。

 

 

2024年9月 4日 (水)

安らぐことを許さない

台風10号が去って、朝夕に秋の気配を感じるというか感じたい、昨日今日。

連日、真夏日、猛暑日の連続の8月だった。

9月に入り、わずかな気候の変化を見つけ出して、秋が来るのだなあと一息つきたい。

今朝は、ちょっと涼しい朝だった。

テレビをつけると、TBSの朝のワイドショーの天気予報コーナーだった。

やはり全国的にも涼しい朝を迎えているようだ。

猛暑の中でやっと涼しい日が訪れたのだから、「今朝は過ごしやすい朝になりました」などと人の心を安らげる会話をすればいいものを、今日は一転6月の気温で肌寒い朝となりました」と話を展開する。

街を歩いている人の一人を人を丸く線で囲んだので、なにごとかと見ていると、「長ズボン、長そでの人も見受けられます」とのコメント。

次の画面では上着を羽織って歩く女性を取り上げ「上着姿の人もいます」などと肌寒いという表現を用い、急激な温度の変化で体調を狂わせないようにご注意くださいなどと心配してくださる。

「この涼しさも今日限り。明日からはまた真夏日の暑い日が続きます」と、人々を絶望の淵に追いやろうとする。

最近は、春と秋の期間が短くなったと感じるが、テレビのせいでそれをより強く感じさせられるのではないか。

私は日ごろバイクを移動手段にしているのだが、9月に入ると、夏日の炎天下の中でも、バイクイクで切る空気の中に秋の気配を感じることがある。

そんなとき、地球の温暖化で季節を感じにくくなっているけど、それでもしっかりと季節は変わっていっているんだなあと感じる。

まだ、温暖化を止めるのに手遅れにまではなっていないのではないか。

本気で、人間が住み続けられる地球にするために、一人一人が、自分にとっての小さな便利さの一つを少しずつ我慢しなければならないのかもしれない。

 

 

2024年9月 3日 (火)

世界中、権力者のための政治

アメリカは大統領選の真っただ中。

日本は次期総選挙を目指しての自民党総裁選。

イスラエルでは、ガザで人質6人が殺され、ネタニヤフ首相の停戦交渉の進め方に不満が高まり30万人がデモに参加。「戦争をやめろ」「最も大切なのは人質の生還だ」という国民の声が高まっている。

しかしネタニアフは攻撃の手を休めようとはしない。

「ネタニヤフ氏は選挙で負けることを恐れて戦争を続けている」とも言われているとおり、ネタニアフ首相の岩盤支持層はイスラエルのパレスチナ攻撃の支持者だからだ。

ロシアのプーチンが絶対安全なところにいて自国の若者を戦地に追いやり、ウクライナで殺戮を続けているのはわかりやすいが、それに徹底抵抗するウクライナのゼレンスキーも、自分は死なない場所にいて戦争継続の声を発し続けている。

ウクライナ国民の本音は、戦争の勝敗よりも停戦を望んでいるはずだ。

戦争に負けてたとしても、苦痛と死の恐怖からは免れられる。

ネタニアフも、プーチンも、ゼレンスキーも違いはない。

そしてアメリカも、日本も、ある意味大きな違いはない。

なにがアメリカのためだとか、何が日本のためになることだとか、何が人類のためになるのかということで政策を講じるのではない、どうすれば選挙に勝てるかということで政策は練られるのだ。

大統領選は、どのような政策を掲げることが大統領の道に近づくのかということで演出をしている。

日本でいまやっている自民党の総裁選は、誰に日本の将来を託すことが国民の幸せなのかということより、次の総選挙で誰を自民党の顔にすれば自分たちが選挙で勝てるのかということで自分たちの代表を選ぶのだろう。

太古の昔から、為政者は自分に都合のいい世のために権力を手にしようとするのだ。

 

平民は、今できる範囲で、自分たちの権利を主張できる世を維持するにはどうしたらいいかを考えることだ。

仮想敵国を作り、国防の重要性を強調し国民を国防増強に向かわせる。

しかし、国防増強を進めて侵犯してくる敵国と戦うことになると、国民は国のためという名のもとに死地に向かわされる。

それを指揮する権力者たちは絶対に弾の飛んでこない安全なところで作戦を立てている

2024年9月 1日 (日)

9月1日

毎度毎度言ってきたことだが、私にとって月の初日・一日(ついたち)は特別な日になっている。

私は「すべてが先送り病」という厄介な病気を背負っていて、この病気は当地(宮崎県の北端の町・延岡市)の方言では「よだき病」という病気で、すべてのことを先送りにする性癖があっていつもやり残した仕事を抱えている。

正月には年に一度の大リセットをして今年こそはと気持ちを新たにするのだが、それが長続きせず、次には毎月毎月の1日(ついたち)にまたリセットをするということを繰り返してきた。

私にとって一日(ついたち)は、気持ちを切り替えて前向きな気持ちを取り戻す日だった。

しかし寄る年波、最近はリセットも聞かない年代になったと、流石に自覚させられて、一日(ついたち)は後悔にさいなまれる日になっている。

この年になっても直っていない悪癖。

馬鹿は死ななきゃなおらない。(これも何度も言ってきたこと)

体の心髄のところが小学生のときと変っていない。

 

9月1日。

こりもせず気持ちを新たにしている。

2024年8月30日 (金)

台風

台風10号は、またしても当地(宮崎県の北端の町・延岡市)では、想像していたよりは軽微な被害で通り過ぎてくれた。

とはいえ、被害が全くなかったわけではなく、警備ないうと被災された方からはお叱りを受けそうだが、風速50メートル以上九州では積算で1200mm以上の大雨をもたらし、酷い風水害におびえていた私にとっては軽微に感じられた。

雨戸がない窓のガラスにはテープベタベタと補強し、水害に備えてパソコンは4階の自室に持ち込んで待機していた。

昨夜から、テレビはつけっぱなしにして台風情報を常時確認していた。

まだ鹿児島にも近づいてない時間帯にも、こちらでも大雨が吹き荒れていた。

鹿児島では風速70mという経験したことない瞬間最大風速の予想が出ていた。

6年前の台風21号と似た進路を通るということで、そのときのトラックが転倒したり、建物が吹き飛んだりする場面が何度も報じられた。

その21号より強力な勢力の台風ということで、身の縮む思いで夜を過ごした。

朝、台風が鹿児島に上陸したということで、鹿児島、日南、宮崎市の洪水の様子も報じられる。

台風のスピードが遅く、強風と大雨が何時間も続くという。

鹿児島から熊本の方に進み、そこで進路を東に変えて大分を通って四国に抜けるという予想図になっていた。

そうなると当地は昼から台風の影響を最大に受けてしまうだろう。

そう覚悟していたのだが、午前中に風も雨も止んできた。

今、熊本で方向を変えているのだろうと、災害に備えて身構えていた。

なのに当地では風も雨も止んだまま。

テレビ報道では、台風は東かえて、その影響で大分市、佐伯市は大水害が起こっている。

どういうわけか、当地はなにごともなく夕方を迎えた。

またしても、九州でも当地だけ大きな被害を免れた。

この数年、史上最大級の台風が当地に向けて進行してくるという予想図が出て、こんどこそは当地も大きな被害が出るかと思いつつ、思ったほどではなく台風がそれてくれたという経験を何度かしている。

いいつまでも、幸運が続くわけではないのかもしれないが、私は我が町にあるお大師様のおかげではないかと感謝している。

 

2024年8月26日 (月)

台風10号 あわてて買いだめはダメ

台風10号が、当初の予想進路図から大きく西に向きを変えた。

今日現在の進路図だと、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)を台風の真ん中が通りそうだ。

私の家のお隣のディスカウントスーバー「ダイレックス」には、今日はまだ水があった。

昨日の夕方のニュースショーの取り上げ方次第では、明日には水が姿を消すかもしれない。

今月初めにあった日向灘地震の時には、南海トラフ地震に関連するかもしれないとの注意報が発表されたもので、スーパーコンビニから水が一切消えてしまった。

ウチはダイレックスさんのすぐ隣で、ダイレックスには毎日、深夜、早朝多くの商品が運び込まれている。

近くにコンビニもあるが、コンビニも深夜、早朝に商品の運び込みをしている。

スーパーもコンビニも余計なストックはせずに、その日、その日の売れる予測に合わせて商品が入荷している。

だから、テレビ報道で水が無くなったなんて報道されて、それに煽られていつも買わない人までが一斉に2日分でも買いだめをすると、賞品は枯渇してしまうのだ。

毎日買い物をしていない人までが3日分、4日分と買いだめをすると、配送システムはパンクしてしまう。

あわてて買いだめしないことだ。

普通の家庭なら、冷蔵庫や食品棚に3日分や4日分の食べ物はあるはずだ。

パニクッて買いだめ、買い占めをしないことだ。

落ち着いて食べ物をなかよく分け合うことだ。

 

台風、それてくれないかなーー。

 

 

 

2024年8月25日 (日)

8月25日 夏休みが終わる

8月25日。

小・中学校だったら、夏休みの最終の週。

私の小・中学校時代は、このころになっても夏休みの宿題にはほとんど手を付けていなかった。

7月中は、まだ先は長いと、宿題なんて気にも留めていなかった。

8月に入ると、少し始めたほうがいいかななんて思いつつ8月半ば。

お盆が過ぎると、そろそろ始めないと、間に合わないぞ。最後に大慌てしなければならないと、心で思う。

毎年、夏休みの最終日、泣きたい気持ちで宿題に取り組んでいた。

親からは、毎日のように宿題はすんだのかと聞かれる。

しかし、それでも取りかからない。

さすがに夏休みも残り10日を切ると、気になって机に向かって宿題にとりかかる。

1カ月以上遊びほうけていて、ボケた頭に宿題の内容が入ってこない。

そこで、職場?放棄。

去年も3,4日でなっとかなった。

本気でかかれば1週間もあればなんとかなると、なぜか楽観してしまう。

1週間前になっても気持ちが入らないが、とりあえずはとりかかる。

とりかかってみると、これは大変なことをしてしまった。とても間に合わないぞと悲観的になる。

しかし、遊びほうけていてボケた頭にエンジンがかからない。

絶望。

絶望の淵に立ってやっと本気になる。

そこからは、泣きたい気持ちで夜遅くまで宿題に向かう。

とても間に合いそうにない宿題の山を抱えて、来年こそは少しづつやっていくぞと、後悔のどん底で誓う。

結局、全部を終わらせることはできなくて、処刑場に連行される囚人のような気持ちで新学期の学校に向かう。

教室に入ると、そんな生徒は私だけではない。

私よりひどいやつもいて、ほっとさせられる。

そんな生徒が多いから、先生も、今日持ってきてない者は〇〇日までにはちゃんと出しなさいと救いの言葉をかけてくれる。

本当の宿題を片付けるのは、新学期の登校日から2,3日間。

 

私も、巷で言われる終活世代。

やらなくてはいけないことが山ほどあるのだが、まだまだやってみたいこともたくさんあって、どちらも遅々として手つかず状態。

そんな、今年の8月25日。

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