04相続・遺言

2016年7月 6日 (水)

相続手続きを簡素化「相続情報証明制度」

存続手続きを簡素化する「相続証明制度」が新設されることになった。
 
  相続の手続きには、被相続人の出生から死亡までの戸籍謄本が必用で、相続人の戸籍と併せる度大量の書類が必用になる。
 
  現在は、相続の際、不動産相続の登記、相続税の申告、銀行口座の解約(預金の払い出し)、証券会社での株式・証券の相続等々、大量の書類一式をそれぞれの窓口に提出しなければならない。
 
 新制度では、誰かが亡くなって相続が発生した場合に、まず相続人の一人が全員分の本籍、住所、生年月日、続き柄、法定相続分などを記した「関係図」をつくり、相続人全員分の現在の戸籍と、亡くなった人の出生から死亡までの戸籍をそろえて法務局に提出する。

 ここまでは従来の相続の手続きと同じ書類を集めることになるのだが、新制度では、法務局は内容を確認したうえ、無料で公的な証明書として保管し写しを発行する。

 その後は、この証明書1枚ですべてが足りる。

 金融機関や証券会社では、証明書の写しの提出だけで手続きが行えるようになるそうである。

 各地に散在する不動産を相続する場合、手続きの煩雑さから、特に資産価値の低い土地では名義が書き換えられないケースがあった。

 このため、実際の所有者を特定するのが困難になるという問題が各地で起きている。

 東日本大震災でも、所有者不明で用地買収が難航し、復旧事業が遅れるというケースがあった。

 来年の5月からの運用開始を目指しているらしいが、これはなかなか良い制度改正である。

2015年11月 2日 (月)

胃カメラと公正証書遺言

 私の友人と、その同級生の医者の会話。

 「最近胃の調子が悪いので意の薬をだしてくれないか」

 「ずっと胃の検査をしていないようだから、胃カメラで検査をしたほうがいいよ」

 「胃カメラはいやだよ。苦しいから。」

 「今はね、鼻からいれる胃カメラがあるんだよ。従来の胃カメラより、ずっと細くなって、ぜんぜんきつくないよ。」

 「へー。そうなんだ。自分で試してみて、楽だった?」

 「いや。まだ僕はやったことは無いんだけど……」

 「なあんだ。ぜんぜんきつくないよなんて言ってたけど、自分がやったことはないのか。それじゃ、どのくらい楽なのかわからんじゃないけ」

 この医者を悪く思うわけではないが、往々にしてあり得る話である。

 この話を聞いて、私も、思い当たることがあった。

 私は日頃から、遺言の必要性を説いている。

 ことあるごとに、遺言は元気なうちに書いておくことを勧めている。

 そして、遺言書を書くなら公正証書遺言にすることを提言している。

 かくいう私はといえば、遺言書は毎年書き替えているのだが、公正証書遺言にしてはいない。

 公正証書が一番威力を発揮するのが遺言だ。

 相続というと、不動産や預貯金の相続でもめることが想像できる。

 実際相続登記では、相続人の戸籍を集めるのが大変な作業で、遺産分割をどのようにするかスムーズにいかないこともある。

 しかし、公正証書の遺言書があれば、直ちに相続登記が完了する。

 このことにもまして公正証書遺言が力を発揮するのは、故人の預貯金の取り扱いだ。

 金融機関は、預貯金の名義人が亡くなった事実を知ると、故人名義の預貯金を凍結する。

 故人が入院していた病院や施設の入院費等を支払おうと思っても、故人名義の預貯金には手をつけられなくなるのだ。

 遺産をどうわけるかということより、まず問題になるのはこのことの方だ。

 預貯金の処分方法と遺言執行任を指定した公正証書遺言があれば、預貯金を降ろすことができる。

 だから、公正証書遺言を勧めるのだけど、私も公正証書遺言はつくっていなかった。

 友人の話の胃カメラの医者を笑えた立場ではない。

 お客さんに、「あなたは遺言書を作ってますか」と聞かれたら、一言もない。

 早速、今書いてある遺言書を見直して公正証書遺言を作成しなくてはならないと思っている。

2014年10月28日 (火)

相続争い一般家庭で急増

日経新聞の「相続争い一般家庭で急増」という見出しが目に留まった。
 
 
  小見出しに「遺産5千万円以下10年で5割増」「遺言や生前贈与対策不足 」とある。
 
 
  5千万円以下の遺産をめぐる相続争いが増加しているというのである。
 
 
  司法統計によると、今年の1~9月に調停が成立するなどした遺産分割事件は約6200件。
 
 
 このうち、遺産5千万円以下の事例は約4700件と全体の75%を。

 さらには、1千万円以下の事例は約2千件もあったという。

 年間の件数でみると、遺産5千万円以下のケースが約6700件で、4400件弱だった03年と比べ50%以上増えている。

 遺産5千万円超のケースは13年に1684件と、10年前の1692件とほとんど変わっていないのとは対照的な現象だ。

 どうやら、「もめるほど遺産はないよ」というのは間違いのようだ。

 財産が少ないということで、遺言や相続対策をしていないことが原因。

 財産がある人は、生前贈与等の相続対策をしたり、しっかりした遺言書を作成したりしているのだろう。

 主な財産が自宅だけという場合にこそ相続争いが起こりやすい。

 不動産は簡単に分割できないので、もめる原因になるというわけだ。

 残る者がもめないような遺言書を作成しておくことは、残す人の思いやり。

 遺言は自分でも作成できます。

 ぜひ、元気なうちに遺言書を作成しておくことをお勧めします。

 遺言書には、法律で定められた方式があります。

 これを守っていない遺言書は無効になります。

 作成にあたっては、相続に関する書籍を参考にするか、法律の専門家に相談することをお勧めします。

 ちなみに、私、「行政書士赤池仁志事務所」も相談をうけたまわっております。

2013年11月22日 (金)

尊厳死の宣言書(再)

 昨日、深夜12時半過ぎ、突然電話が鳴り響いた。

 こんな時間になんだろう。

 不安がよぎる。

 電話は、義兄が救急車で運ばれたというのだ。

 電話は、義兄の妻からだった。

 「体調が悪いと言って、病院に連れて行ったんだけど、急に具合が悪くなって救急車で県立延岡病院に運ばれた」と言う。

 動転しているのだろう、言っていることがよく分からない。

 とにかく、急遽県立病院に駆けつけた。

 義兄は、緊急の処置室のベッドの上だった。

 全身に管が取り付けられている。

 医師の説明によると、肺が活動していなくて、身体に酸素が回らない状況だと言う。

 器械で酸素を供給しているとのこと。

 危機的状況で、命を救うためには人口心肺をとりつけるしかない。しかし、回復の見込みは薄いというのだ。

 助かったとしても、脳に障害が残る可能性が高いとも言う。

 そして、事態は急を要するので、人口心肺をつけるかどうかすぐに決断して欲しいと言うのだ。

 当事者である義姉は、答えあぐねている。

 ひごろ義兄は、「延命治療はいらない」と言っていたらしい。

 延命。苦痛。植物人間。多大な治療費。

 どうしよう。

 即答はできない。

 義姉は、「あんなふうに聞かれたら、延命をお願いしますとしか言えない。だけど苦しませるだけの延命治療はしたくない。」と、助けを求めてくる。

 決断することの責任の重さに耐えきれないのだ。

 私はここ数年の間に、同じ経験を2度している。

 身内の生死を決定する責任は思い。

 私自身は、10数年前から「尊厳死の宣言書」を常に携帯している。

 そしてそのことを、ことあるごとに私の家族や友人知人に告げている。

 しかし、それは私の死についての遺言であって、親がどういう最期を迎えたいのかは聞いていない。

 そして、人目。

 「生かさなくていい」という言葉を発することのためらい。

 私は、残る者にできる最期の小さな思いやりとして「尊厳死の宣言書」を携えている。

 そのことは、2010年9月14日のブログに書いた。

 今日、その日のブログを読み返したが、考えはまったく変わっていない。

 「尊厳死の宣言書」は、この日のブログに詳しく書いてあるので、興味のあるかたはお読みいただきたい。

 多くの人に「尊厳死の宣言書」について考えていただきたいと思っている。

 幸い、義兄は一命はとりとめた。

 

2013年10月30日 (水)

やなせたかしさん 遺産400億円(?)のゆくえは?

 「やなせかし氏が「あんぱんまん」で残した、遺産400億円の行方」という見出しが目に留まった。

 インターネットにあったもので、日刊ゲンダイの記事であった。

 400億円もの遺産があったのかと、その内容をよく読んでみた。

 「単行本としての総発行部数が7800万部」

 「アンパンマンのキャラクターを使ったオモチャや文具などのグッズは1000を超える」

 「本の定価は500円~2600円。その内10ぱーせんと「人気絶頂だった99年当時、日経ビジネスが、あんぱんまんのキャラクター昇進は、子供を相手に年間約400億円売り上げると報じた」

 「7800万部の印税を一部100円として、78億円」

 「キャラクター400億円の使用料が10億円」

 「別なデータによると、2010年までのアンパンマンを使ったグッズの総売り上げは1兆1000億円。このキャラクター使用料を2%で計算した場合220億円」

 「これに本の印税78億円とテレビ放映料、歌の作詩印税などを加えると全部で400億円になる」

 以上が記事の内容だった。

 「遺産400億円の行方」という見出しに興味をそそられたのだか、400億円は、やなせさんが稼いだ額のことのようだ。

 記事は、やなせさんは奥さんに先立たれ、子供も親戚もいないため、遺言で誰かを遺産の受取人に指名しているのか、それとも威厳を残さず遺産が国家に入ることになるのかが話題になっていると報じていた。

 相続は、配偶者は常に相続人になる。

 子供がいれば、配偶者と子供が相続人になる。

 子供だけの場合は、子供が相続人。

 子供がいないときは、親。

 親もいないときは、兄弟。

 兄弟が亡くなっている場合は、その子、つまり甥・姪が相続人になる。

 ここまでが法定相続人である。

 法定相続人がいない場合で、遺言もなく財産の受取人がいない場合は、特別縁故者といって、被相続人と生計を同一にしていた人や、被相続人の療養看護に務めた人など、相続人と特別の関係のあった人が、相続財産の分与の請求をすることができる。

 その詳細は民法に細かく規定されている。

 やなせさんの財産も、相続人も、特別縁故者もいない場合には、国庫に帰属することになる。

 ただし、著作権については消滅してしまう。

 やなせさんの場合、引き続き巨額の著作権料が発生する。

 やなせさんが遺言で遺産の受取人を指名していないとすると、今後発生する巨額の著作権は、行き場を失ってしまう。

  柳瀬さんは、金持ちでありながら、いっさい贅沢な暮らしはせず、地味な生活を続けてきたそうだ。

 膨大な財産を世の中の役に立てるように、遺言を残していることだろう。

 もし残していないとなると、巨額の財産をめぐるトラブルが発生しないともかぎらない。

 そんなことにならないためにも、遺言を作成しておくべきなのだ。

 そして、遺言は、気力、体力、判断力のあるうちに作っておくことが肝心だ。

 

2013年7月 2日 (火)

書き換えどきかな、尊厳死の宣言書

 「尊厳死の宣言書」のことは、2010年9月14日の私のブログに書いた。

 財布に入れて、いつも持ち歩いているもので、随分傷んできた。

 3年近く経っているし、そろそろ書き換えどきでもある。

 この「尊厳死の宣言書」は日本尊厳死協会のホームページにあったものをそのまま使用させてもらっていた。

 この宣言書の内容は、死期を引き延ばすためだけ延命措置はしないで欲しいというものだ

 私は10数年前から、この宣言書を書き、携帯している。

 これまでは、私にとっての死は、不慮の事故によるものでしかなかった。

 交通事故に遭って植物状態に陥った状況での延命措置はいらないという意味合いでしかなった。

 しかし、私も自分の病気による死がまったく非現実な問題ではない年齢になってきている。

 高齢介護が、人ごとではなく自分の問題となりつつある。

 病気で動けなくなったときの治療をどうするか。

 認知症で、判断能力がなくなったときにどうするか。

 新聞や雑誌で、そんな記事がやたらに目につくようになってきた。

 最近見た新聞の記事によると、自分で判断ができなくなったときに備えて、どんな治療を受けたいか書面に遺しておく必要性に70%の人が賛成している。

 しかし、書面を作成しているのは3%。

 死が現実的なことになる前でないと、書面にすることははできないだろう。

 私は、近々「宣言書」を書き換えるが、胃ろうを始めとして、具体的な治療方法についての希望も書面化しておこうと思っている。

2013年6月13日 (木)

悪徳不動産屋 相続登記

 先月は、相続登記がからんだ取引が2件あった。

 お一人は、四国 香川県高松市にお住まいの方。

 もうお一人は、東京都調布市にお住まいの方。

 どちらも延岡市出身の方だが、延岡で暮らした時間より
延岡市外で暮らした月日の方がずいぶん長くなっておられる。

 高松の方は、相続原因は昭和26年6月。

 つまり、被相続人であるお父さんが亡くなって62年間、
相続登記をせずに放置していたことになる。

 物件は土地で、延岡に帰って来て家を建てるつもりだったが、
延岡には帰らないということで売却することになった。

 この方のお歳は75歳。

 相続権者は、被相続人の配偶者(相続人の母親)と兄弟姉妹5人。

 最高齢者は85歳。

 母親と姉が亡くなっていて、代襲相続人(亡くなった姉の子ども)が3人いた。

 相続登記には、相続権のある人の実印と印鑑証明書が必要だ。

 相続した土地を売却するわけで、分け前のない相続権者に印鑑を
もらう段になると多少なりとも金銭を要求されることがある。

 この方の場合、兄弟関係がうまく継続していたことと、
親が不動産をたくさん持っていて、兄弟姉妹もそれぞれ
土地を相続していたので、問題なく印鑑をもらえた。

 「財産が少ないから遺言は関係ない」「相続はお金持ちのこと」と
思われがちだが、
相続での財産争いの3割が相続財産1000万円以下
だというデータもある。

 現金や不動産等の財産がたくさんあれば、金銭的解決の道はある。

 逆に、財産は親の家だけといった場合は、簡単には分けようがない。

 調布市にお住まいの方の場合は、財産は親の家と、
なにがしかの預金
という事例だったが、一人っ子で
相続人はこの方だけで、相続はスムーズに終わった。

 このお客さんは、こちらで葬儀を済ませてすぐに相談があった。

 仕事の都合で、度々はこちらに来ることができない
ということでの相談だった。

 もうこちらには帰って来ないということと、新築後40年以上
経過した建物で管理も手がかかるということで、売却の方向で
考えたいとのことだった。

 しばらくは延岡に来られないということだったので、
相続登記を依頼する司法書士に本人確認をしてもらっておいた。

 現在、不動産の登記の際には本人確認が義務付けられていて
本人確認成しに司法書士は登記ができない。

 本人確認をしておけば、あとの手続きは私が代理ですすめることもできる。

 高松のお客様の場合も、
しょっちゅうはこちらに帰って来れないとのことで、
こちらに帰って来たときに本人確認だけしておいた。

 どちらも問題無く登記は終了した。

 登記の手続はすべてまかせていただいて、
登記終了後の「不動産登記権利情報」(権利書)も
私が預っている。

 悪徳不動産屋をここまで信用しては危険なのだが、
世の中にはお人好しが少なくないようだ。

 私に騙されなかったからといって、誰でも信用しては危険ですぞ。  

2013年4月 6日 (土)

責任重大。長生きしなければ。

 昨日、久々に飲みに出た。

 出たついでに、1年くらい顔を出してなかったスナックに顔をだしてみた。

 このスナックのママさんからは、土地を買っていただいている。

 ご主人の、「人家が密集していない環境で、かつ利便性の良いところ」という、むずかしいご希望だったが、たまたま希望に合致する土地が見つかって、そこにセンスのいい自宅を建築された。

 ほぼ希望通りの土地、家を手に入れられて、満足して暮らしていたのだが、それから間もなくして、ご主人は他界された。

 癌だった。

 奥さんは結婚前からスナックをされていたのだが、下戸の私は、お店には年に1、2度顔を出すだけだった。

 昨日、久し振りにおじゃました。

 昔話で盛り上がった。

 話題が将来のことになって、ママさんから「情報館さんは、子どもさんにあとを継がせないんですか?」と聞かれた。

 私の子どもに店を継がせる気持ちはない。

 そう答えると、ママさんは「それでは困る」とおっしゃる。

 なにが困るのかとたずねると、このご夫婦には子どもさんがいらっしゃらなかったので、ママさんは自分が死んだら自宅は福祉団体に寄付するという遺言書を作成しているというのだ。

 かつて私がなにかの際に、公正証書遺言の話をしたのを覚えていて、ご主人が亡くなったあとに公正証書で遺言書を作られたらしい。

 その遺言書によると、どうやら私が遺言執行者的な形になっているようだ。

 このママさんは私より一回りも若い。

 順番からすると、私が先に死ぬことになるだろ。

 公証人さんが作成した遺言書だから、それを承知していない私が正式な遺言執行者にはなっていないのだろうが、手続きを私に頼むことにしてあると言う。

 どんな内容なのか確認してみたいのだが、そのすべはない。

 しかし、ママさんがそう思っているのであれば、責任重大。

 長生きしなければと、意を新たにした。(ふーーー)

 私一代で終りにする予定だった会社の後継者をつくらなくてはいけないのかな?

 

2013年3月10日 (日)

終活と住宅内の荷物

 昨日、解体住宅内の荷物について書いた。

 それに関連して、最近話題の「終活」の必要性を切実に感じた。

 「終活」とは「しゅうかつ」と読み、人生をよりよく終えるための活動といった意味だ。

 就職活動の「就活」の語呂合わせ的に創り出された言葉だ。

 単に死と対峙するということではなく、人生の終焉をしっかり見つめることにより、今をよりよく生きるという活動でもある。

 自分の葬儀や墓の準備や、遺言書を作成して、円滑な相続を手助けしたり、残された人への感謝の言葉を残したりするという作業である。

 また、身辺の整理をして不用な物を片づけておくことの必要性も解かれている。

 遺言書というと、つい財産の分け方に目が行ってしまうが、残る者へ余計な物を残さないことも重要なことだと、最近の一連の経験でつくづく感じさせられた。

2012年10月22日 (月)

養老孟司さんの悟り

 「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」を読んだ。

 キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、神道と、それぞれの宗教に詳しい人との対談も交えて偏ることなく解説している。

 テレビでの解説と同じく、非常にわかりやすい説明になっている。

 歳のせいか宗教興味を覚えていた私にとって、非常に意義のある本であった。

 池上さんは、私の考えと同じ歩幅をもっているのではないかと感じ、すっきり読めた。

 そのことについては、いつか書きたいと思っている。

 そんな中で今日は、この本で池上さんと対談していた養老孟司さんの話は、おおいに共感するところがあった。

 養老さんは、「人間の致死率は100%」なのに、日常生活で死は「あってはならないもの」になっている状態を、異常だと言っている。

 それなのに、年をとってから急に「自分が死んだときどうする」って慌てると指摘している。

 養老さんは職業がら、年がら年中死体を相手にしてしきたから、「いずれ俺もこうなるって嫌でもわかっていた、と言う。

 それについて、池上さんが「若いころから死について考える習慣をもった方がいいということですか」と聞くと、「私の場合は、自分が死んだ後のことまで知ったこっちゃないと思っているから参考にならないかもしれない」と言い切っている。

 「死んだあとのことは知ったこっちゃない」

 「死んでしまえば、あれこれ悩む必要がなくなる」とも言っている。

 これはもう、お釈迦様の悟りの境地だ。

 解剖学者として日常的に死体を見続けてきた結果の悟りなのだろうか。

 私は、とても養老さんみたいに達観した境地にはなれないが、死んだあとは「無」ではないかと思っているところなのだ。

 ただ、「葬式を自分の思い通りにしたいなんてのは私にはわからない。生き残る人間が考えればいいことだ」

 「(葬式は)結局は『世間の都合』で、そこを日本の文化は上手に残してあるし、今後も社会的な構造として残すしかない」という考えには諸手を挙げての賛成はできない。

 養老さんほどの名声のある人は、それここ「世間の都合」で葬儀は執り行われることになるだろう。

 それを思っての養老さんの発言になったのだろう。

 しかし、一庶民である私は、自分の葬式が、残る者にとって負担のないものになる遺言は書いておきたいと思っている。