10テレビの功罪

2025年2月12日 (水)

米不足解消法

またしてもペテン師マスコミが、ニュース・ワイドショーで米不足をたきつけている。
米が消えた。
米は足りているはずだ。

値上がりを待っての買い占めが行われている。
早急に政府備蓄米を放出して価格を下げろ。
いや、政府備蓄米を放出しても価格は下がらない。
なぜ米が消えたか。なぜ値上がりをしたか。


キャスター、コメンテーター、専門家、有識者、知識人から芸人まで、それぞれがそれぞれの意見や聞きかじった知識をひけらかすための意見を繰り広げている。

データーでは、去年からのコメの生産量は下がってはいない。生産量としては十分足りているという。

マスコミがやるべきことは、そんなデータがあるのだから過剰な購入を控えましょうと喧伝することだ。

確かに値上がり目当ての買い占めもあるだろう。
しかし、米不足の一番の原因は、買い込んでおかないとさらに値上がりしてしまうという不安からの消費者の過剰な購入だろう。

コロナの時に、マスクが町から一斉に消えた。
今の世の中、多くの商品が、平常時には通常消費される量に見合った計算計画のもとに生産されている。
売れ残してはいけないし、在庫管理コストの負担のこともあるので、需要に見合った供給がされているのだ。
コロナの流行が始まったときは、一斉に普段マスクを使わない人までが購入に走った。
そこで実際にマスク不足が起こったのだけど、それでも消費者が必要以上に買い込まなければ、店頭からマスクが消えてしまうほどの不足は起こらなかったのだ。

当初、私が隣のドラッグストアーにマスクを買いに行ったとき、マスクはまだ十分にあった。
通常だと10枚20枚ていどのパックを買っていただろうが、用心のために50枚の箱入りを購入した。
次の日はマスクの棚が少なくなってきているなと感じた。

毎日のようにマスク不足が報じる。
テレビ各局は、競い合って、ドラッグストアー、スーバーの空のマスク売り場の棚の映像をかき集めての報道合戦。

かくして数日でマスクが店頭から消え。
次に、数日の入荷待ちの状態となり。
しばらくすると、次の入荷予定未定となった。

もともとは、一定の消費量に見合う生産をしていたものが、一気に通常の数倍、数十倍の需要が湧いてきたために、工場をフル回転して増産したが間に合わないという状況になってしまった。
マスク不足に輪をかけたのが、転売目的の買い占めもマスク不足に拍車をかけた。


入荷未定の状態が起きたもので、人々はパニックをやっきになって1年2年先の分まで買いあさった。

コロナの世界的な流行でこの時のマスク不足は1年近くも続いた。

この時、初期の段階で、マスコミが買い占めを控えるような報道に徹していればここまでのマスク不足は無かったかもしれない。


とはいえ、コロナの時のマスク不足は、マスクが命に係わる重大な品物だったから、人がマスクを買い占めにそ走ったのは止められなかったかもしれない。


しかし同じような例で、1970年代のオイルショックのときのトイレットペーパー騒動は、マスコミがパニックを抑えるための報道をしていたら防げた事件だったと思う。

当時、第4次中東戦争を機に、原油価格の高騰からの石油危機。
世界中が石油危機にみまわれ不況の波が押し寄せた。

日本も大きな不況にみまわれ、これを機に高度成長が終りを迎えていった。
当時私は東京で学生生活をしていたが、電力不足からテレビの深夜放送が中止され、街のネオンサインも消えたことが強く記憶に残っている。

このとき巻き起こったのが、トイレットぺーバー騒動。
石油不足とは関係ないはずのトイレットペーパーが街中から姿を消してしまった。
騒動を大きく騒ぎ立てたのがテレビを筆頭とするマスコミ。

下宿で下宿生の一人が、「スーパーでトイレットペーパーが品薄になっているらしいよ」と言っていた。
その時は、他の下宿生は、それぞれ自分が使う分のトイレットペーパーはあったので誰も問題視していなかった。

次の日。誰かが「やっぱりトイレットペーパーがなくなるそうだ。駅前のスーパーのトイレットペーパーが無くなっていたぞ」と言い出した。

それでも私は、まだ1か月分くらいのトイレットペーパーは保有していたので問題にしてなかった。

さらに次の日。下宿内では、「駅前のスーパーも、商店街のスーパーも朝からトイレットペーパーを買う人の行列ができている」とちょっとした騒ぎになった。

その前日くらいから、テレビでもトイレットぺーバー不足のニュースが報じられていた。

テレビでは、トイレットペーパーを求めてスーパーに行列を作る姿が、これでもかこれでもかというくらい報じられるようになった。

以来、どの店の店頭からもトイレットぺーバーが消えてしまった。

トイレットペーパー不足はどのくらい続いただろうか。

国が、買い占めを禁止する法律を作ったりして、半年くらいでトイレットペーパー不足は終息した。


トイレットペーパーは、今でもそうだと思うが、日本勢体の1日の消費量と、1日の生産量がほとんど同程度で生産され、配送されている。

だから、1家庭が通常ならまだ買う予定ではなかったトイレットペーパーを一斉に買いに行っくと、品切れとなってしまう。

必要以上に購入してストックしておく人や、買い占めによってあっという間にトイレットペーパーが消えてしまった。

だから、最初のうわさの段階でマスコミが余剰の買い込みを自粛しておけばあの騒動は無かった。

マスコミが、こんな解説をしたのはトイレットペーパー騒動が終わってからのことであるそ。

あの時、トイレットペーパー騒動になる前に、全マスコミがこのことに全力を挙げて報道していたら、騒動をもっと軽微なものにできたのではないか。


今回のコメ不足も、皆さんしばらくは米を食べる量を減らして、米の値下がりを待ちましょうと呼びかけ、買い占め屋が音を上げて放出するようにしむけるのだよ。

値上がり待ちの買い占め屋が、震えあがるくらい、国民の買い控えを誘導してみてはどうだい。

それがが世のため、人のためのマスコミ報道ではないのかな。

あんたらがその気になれば、できる。

人の浮気や下ネタばかりを騒ぎ立てず、こんな情報操作なら大歓迎されるぜ。

 

2024年9月 5日 (木)

米不足 冷静に

ニュースワイドショーがコメ不足をネタにしている。

ちょっと前には、日向灘地震のトラフ大地震報道でスーパー、コンビニから水が消えた。

コロナの流行り初めの深刻なマスク、咳止め、解熱剤、消毒用アルコールが枯渇したことも記憶に新しい。

そもそも、すべての品物は通常の販売量に見合う生産をしている。

作りすぎるて在庫が余り過ぎたら値崩れして損をしてしまうから、販売数にあわせた製造をしているのが現代だ。

だから、ちょっと異変があって不安にかられた人が普段より多めに買い込む行動に走ると、一時的に品不足がおこる。

品不足に出くわした人が、あわててさらに買い込むと、品不足が拡大する。

それにさらに拍車をかけるのがマスコミだ。

ワイドショーで商品不足を煽り立てる。

不安に駆られた人は、品不足が永遠に続くように思わされて、必要以上に買いだめをする。

かくして、品不足は拡大し品不足の期間も長くなる。

こんなことを、こりずに繰り返すのだなあ。

私は米派だけど、米の高騰が続くようであれば、落ち着くまではパンに切り替える。

私は、常日頃から、異常に値上がりしたものは買わない。

キャベツが値上がりしたらキャベツは食べない。

サンマが高級魚になったら、サンマは食べない。

卵が高くなり過ぎた時には卵は食べなかった。

幸い、まだ、代わりになるものはいくらでもある。

急激に値上がりしたものは買わずに、代替品を買うことだ。

いつか適正な価格に落ち着く。

 

米派の私は、米が高騰して高級食材になってしまうと困るが、買えないほど高止まりすることはないと思っている。

 

2024年7月 5日 (金)

お天気が最大の関心事って平和ってことなんだな

朝も、昼も、夜も、ワイドショー報道のトップの話題は猛暑。

どのチャンネルに変えても、猛暑争い。

猛暑猛暑で、これだけ暑いと、顔を合わせての第一声は「暑いですねー」で決まり。

日常の軽い挨拶の苦手な私にはありがたいこと。

人づきあいの不得手な私は、顔見知りとばったり会ったとき、うまく会話を繋げられない。

「こんにちは」「おひさしぶりです」「おげんきでしたか」と第一声を発生した後の会話が続かない。

これだけ確定的に暑いと、「暑いですねーー」と発生すると、相手もそれに乗っかってきて「暑い、暑い」の話題だけで会話が盛り上がる。

締めは「暑さに気を付けて、お体大切に」

私は、なんでもかんでも異常気象につなげておお騒ぎするのは好きではない。

自然の正常異常は、百年千年単位で見なくてはいない。

地球の歴史のほんのひとかけらの時間を切り取って、異常、異常と、平常を失ってはいけない。

猛暑日は、老人は不要不急の外出を控えなさいってな呼びかけも気に食わない。

なんでもかんでも人心を一つ方向にならわせようというのには反発を覚える。

それでというわけではないが、私は6月の半ばから、ウォーキングを始めている。

へそ曲がりで、老人はじっとしていなさいという流れに逆らっているわけではない。

今年になって、脊柱管狭窄症が奇跡的に回復してきて、弱った足のリハビリ的に軽くウォーキングをしようかなと思いつつ、1月、2月は寒いから春になったらと先延ばししていたら、春が来て、良い季節だからウォーキングを始めようと思っていたら雨が多くて、梅雨があけたら始めようと思っていて、梅雨の合間を見てウォーキングを始めていたのだが、梅雨が明けないまま6月だというのに30度を超える猛暑。

テレビは、異常気象的な酷暑だと騒ぎ立て、老人は余り外に出るなとやさしいお言葉をかけてくれている。

私は、倒れるまで現役宣言をしていて、昼間は仕事。

お言葉はありがたいが、晩飯の後、30分くらいゆっくりして、夜のウォーキングを楽しんでいる。

世の中、全員で暑い暑いの大合唱も辟易なのだ。

でも、お天気が民衆の最大の関心事ってことは平和だってことなんだよなあ。

 

 

 

 

 

 

2024年6月13日 (木)

傘が無い

地(宮崎県の北端の町・延岡市)は結構雨が多いような気がしていて、テレビの天気予報も一週間ごとに天気が崩れているような報道をしていたような気がしたのだ。

実際実際の私の感覚では、当地では晴れたり降ったりで晴れの日が続かない。ずっとはっきりしない天気が続いているなと感じていた。

実際、当家の傘立てに4,5本あった傘が1本しかなくなった。

本格的な雨の日には傘は忘れないが、降ったり止んだりだと、私はてきめんに傘の忘れ物をしてしまう。

雨降りには車で移動する。訪問先まで車で行って、車を降りる時に雨が降っていたら傘をさす。

そして訪問先を退出するときにも雨が降っていたら、さすがの私も傘を忘れることはない。

しかし、訪問先を出る時、雨がやんでいたら、98%の確率で傘を忘れる。

傘を忘れてたとき、会社に帰る途中で雨が降り出したときに傘を忘れたことを思い出す確率は40%くらいだろうか。

会社に戻ったときに雨が降っていて車を降りるときは、さすがにこのときには訪問先に傘を置き忘れたことを思い出す。

だが、会社に戻ったときにも雨が降っていなかったら、傘を置き忘れたことを思い出すことはほぼ100%ない。

思い出すのは、次に傘が必要になったときだ。

そうなると、どこに傘を置き忘れたのかは思い出せない。

 

そんなわけで、私の事務所にも家にも傘が無くなっているということは、降ったりやんだりのはっきりしない天気が続いているということに間違いないのだ。

1本だけは覚えている。

先週、誘われていったスナックだ。

私はの身に出る習慣はないから、夜にわざわざ傘を取りに行くことはしない。

今度、夜に出るのは1カ月以上先のことだろう。

そのときまで、傘は残っているのか。

悪意で取ってしまう人はいないだろうが、傘を持たずに来て、帰りに雨にあったお客さんがいたら、所有者不明の傘として誰かが使っただろう。

安物の傘だから、気兼ねなく返されることもなく誰かが使ってくれていることだろう。

 

そんなこんなで、雨が多いなと思っていたのに、昨日だったか、今日だったかのワイドショーで、ダムの貯水率が20%をきってしまたという渇水のニュースをやっていた。

干上がった田んぼを前に、このまま雨が降らなければ米には大打撃。

こんな状態は初めての経験だと苦悩する農家の人が取り上げられていた。

ついでに、水不足でそこが見えてきたダムの映像も流れていた。

こんなニュースに、中央新幹線のトンネル工事の影響で、岐阜県内のリニアの現場周辺で井戸などの水位が低下による水田の影響を考慮して、いる問題で、JR東海が工事を中断したニュースが重なって、全国的に水不足の梅雨になるかもしれないのか。日本も広いものだなーなどと思ってしまった。

話は飛ぶのだが、それで、このブログを書こうとして、現在の渇水状況をネットで調べてみた。

現在の渇水状況で検索したら、ダムの貯水率マップが見つかった。

リアルタイムで貯水率が表示されるようで、1時間前の日本中のダムの貯水率の状況が色分けで表示されている。

貯水率40%をきったダムは赤色系で表示されているのだが、日本全体をみると7~8割のダムは70%以上となっているように見える。

岩手を中心にした東北地方が、赤く表示されているダムが半数あるようだ。

サムネイル
ウエザーニュース

 

私が勝手に、日本中が渇水の危機にあると勘違いしたようだが、ニュースやワイドショーは視聴率を取るために、人が不安になったりするできごとをことさらに強調して報道するから、そのせいでもあるような気がする。

 

とにかく、なにはともあれ、今の私は、文字通りの「傘が無い」が一番の問題なのです。

 

 

 

2024年5月10日 (金)

パンダ犬 いいじゃないか

パンダ犬がちょっとした話題になっていた。

白と黒の配色。まるまる、ころころした姿は、一見パンダの赤ちゃんのようだった。

よく見ると犬。

どこの話かと思えば、中国の動物園の話らしい。

犬種はチャウチャウ。

もこもことしたぬいぐるみのようなチャウチャウの毛をパンダに似せて染めたものだった。

客寄せのためのアイデアだったようだが、その姿を見た客が画像や動画をSNSにアップすると、またたくまに広まって、連休中は毎日数万人を超える人が押しかけたそうだ。

話題になるとテレビがそれをまた追っかける。

そして話題が沸騰する。

すると、一方でこれは動物虐待ではないかという抗議の声がSNSに上がる。

ちょっとした火種があがると、テレビはここぞとばかりに、動物虐待の声を拡声する。

全体からみれば1パーセントに満たない数の人間の強硬な意見が、マスメディアがそれを取り上げることで流れが変わることがある。

是でも非でも、そんなにむきにならなくていいいじゃないか。

パンダ犬が痛い思いや苦しい思いをしているのなら虐待だけど、パンダ犬の行動を見ていると染められたことを苦にはしていない。

波風立てることでお金儲けができている人たちが、それぞれ自分の利益のために頑張っているのだろうけど、自分の感性を押し付けるやり方は好きではないなあ。

 

毎日のように政治屋たちのセクハラ報道が大きく取り上げられるが、これも、どうでもいいこと。

私はお笑いがすきなんだけど、下ネタで笑いをとる芸人は好きではない。

マスコミがやっているセクハラを糾弾する報道は、視聴者が下ネタをよろこぶと思い込んでいるマスコミの商魂にほかならないのだよなあ。

 

2023年10月 7日 (土)

男子バレー オリンピック出場を決める

面白いテレビ番組が無くて、だったらテレビを消せばいいのに、あちこちチャンネルをまわしていて、結局、男子バレーを見ることになった。

パリ五輪予選権ワールドカップ。

日本は現在、予選リーグの2位。

今日のスロベニアにストレートで勝つとパリ五輪出場が確定するのだという。


日本が世界ランク4位で、スロベニアは7位。

試合開始直後、スロベニアに連続得点されて5点差がついてしまった。

形勢不利。

スロベニアに1セットでもとられると五輪出場権は確定しない。

大した興味もなく見始めた試合だが、だめかと思うとつい応援に力が入る。

ここから日本は怒涛の猛反撃。

結局スロベニアにストレート勝ち。

最後は拍手をしてしまった。

 

良くも悪くも、まだまだテレビの力は強大。

テレビの功罪。

罪だけでなく功もある。

その力を人類の幸せのために使ってもらいたいもの。

2023年10月 6日 (金)

季節が無くなったのはテレビのせい

このところめっきり秋らしくなってきた。

朝、夕はちょっと肌寒く感じるが、日中は暖かくて心地よい。

私は、このころの季節が好きだ。

テレビでは、異常気象で猛暑の夏が終わらず、残暑残暑と、季節が無くなってしまったかのように騒いでいたが、しっかり季節はめぐって秋が来た。

最近、いい気候になりましたねという時期が無いように感じるが、それはテレビのせいではないのか。

何時までも暑い、暑いと大騒ぎして、異常気象だと煽り立てる。

そんな中でも、ちょっと涼しい日があっても、安心してはいけません、まだまだ暑い日は続きますと人を安心をさせることはしない。

そんな口の先が乾く間もなく、ちょっと肌寒い日が続くと、富士山や北の国の初冠雪の映像をかき集め、一気に冬が来るかのような予報に変わる。

季節の変わり目は、暑い日があったり涼しい日があったりするものなのに、暑くて大変と寒くて大変の間を引きずりまわす。

涼しくなりましたね。いい気候になりました。なんて、人がほっと安らぐ会話をすることを許さない。

私が小中学生の頃、10月10日は体育の日が運動会だった。

運動会の開会式では、偉い人が長々と祝辞をするのが恒例だったが、ある年はもう10月だというのに今日は夏のような暑さですと言い、ある年は、まだ10月だというのに冬を思わせるような寒さです言っていたという記憶がある。

テレビは、ことさらに異常を見せつけたがるが、それに踊らされてはいけない。

自然はゆっくり動き続けている。

2023年10月 5日 (木)

盛る 推し 引く

先日、文化庁が2022年度の「国語に関する世論調査」を公表した。

今年取り上げられていた新しい言葉として、よりよく見せようとする=「盛る」、お気に入りや、応援している人や物=「推し」、異様だと感じてきれる=「引く」などは、80%の人が気にならないと回答していた。

私も、「話を盛る」とか、異様な状況に対して「引く」とかいう言い方は使っている。

言葉は時代とともに誤用されることがあって、誤用されていた言葉がいつの間にか普通の使い方となっていくということを繰り返してきた。

テレビのバラエティー番組や、インターネットの世界で、誤用を無理やり流行らせようとして一時期的に使われて、結局誤用が定着しなかった言葉もある。

近年で、私が非常に不快に感じていたのが、「やばい」という言葉を、すばらしいとか、美味しいという賛辞の表現に使うことだった。

数年前に若者が使いだしたのをマスコミがとりあげ、それを芸人や若手タレントたちが若かぶって使っていた。

乗り遅れまいと若くない芸能人たちも使いだして、例えば木村拓哉くらいの年代のタレントたちが使いだしたときは、やめてくれと耳をふさぎたかった。

私の想像では、賛辞の表現に「やばい」を使うことは定着しないですたっていくと思っていた。

しかし残念ながら、「やばい」は生き残りそうである。

もう一つ、今、定着してもらいたくない言葉に、むずかしいことを「むずい」という言い方。

「むずかしい」というかわりに「むずい」と、5音の2音を省略することに、何の便利さを感じるのだろう。

これは言葉の破壊でしかない。

今日の最初に書いたが、言葉は時代とともに変化していくもの。

頑固に従来の使い方に固執するのは老人のこだわりなのだろうか。

私がテレビなどで感じる、言葉を壊す犯人は、人気お笑い芸人たちが多いような気がする。

言葉が時代とともに変遷してくのはしかたのないことだが、「やばい」や「むずい」のような無理くりの変化は勘弁願いたい。

 

 

 

2023年10月 2日 (月)

それをお前が言うか

今日の夜のワイドショーニュースは、各局とも、ジャニーズの性加害問題についての記者会見について多くの時間を割いていた。

記者会見場では、質問の時間が回ってこない記者たちが、大声を上げて騒ぎ立てる一幕もあった。

今やマスコミは、深い傷をおったジャニーズに集団で襲い掛かり、皮を食いちぎり内臓をえぐり取るかのような、すざまじい攻撃を浴びせている。

今回の悪の根源はジャニー喜多川だということに間違いはないが、その悪行を知りながら口をつぐみ続けていたマスコミはジャニー喜多川と同等の責任を負うのだという反省はないのか。

お前らがどの口をもって人を糾弾できるのか。

多少両親のあるコメンテーターたちが、「私たちも反省しなければならない」と、さらりと定型句のように言い訳の言葉を発することはあるが、それは傷を負って死に体となった獲物をなぶり殺しにするための上等文句でしかない。

マスコミがやるべきは、罪をあらわにして同じ罪を繰り返させないこと。

それ以上にやるべきことは、自らのジャーナリストとしての反省だ。

芸能ネタだけでなく、他にも追求しなければいけないことが山ほどあるはずだ。

 

 

 

 

 

2023年8月13日 (日)

日航ジャンボ機墜落事故から37年

昨日で、日航ジャンボ機墜落事故発生から37年。

御巣鷹山に墜落し、乗客524名。志望者520名。生存者4名。という大事故。

毎年この時期になるとニュースで大きく取り上げれるが、年々取り上げられる時間は少なくなっている。

遺族たちも高齢化が進み、自宅からリモートで慰霊する遺族もみられるという。

今日の朝日新聞天声人語の筆者は、事故後5年目に、取材のために墜落現場で遺族を待ち構えていた、当時の記憶をこんな風に記していた。

【早朝の山に降る雨は、夏とは思えないほど冷く、寒さで体が震えた。諦めて帰るか。もう少しねばるか。山道にひとり、立ち続けた。

 入社半年の新人記者は、事故で家族を失った生存者の女性が人目を避け、ひそかに慰霊に来ると聞いて、待っていた。

 少し雨が弱まったかと思ったときだ。目の前に登山服姿の数人が現れた。

 近づこうとすると「やめろ」。日航社員の男性に阻止され、怒鳴られた。

 「この人はとても悲しい思いをした。なぜ、悲しみを増やすんだ」。怒りに血走った目だった。

 私も必死だった。航空会社こそ、不幸を生んだ元ではないか。悲劇を繰り返さないためにも取材させて欲しい。

 青臭い言葉が出かかったとき、ちらりと女性がこちらを見た。ドンッと、体ごと吹き飛ばされた気がした。何とも言えぬ、苦しみに満ちた目 がそこにあった。

 あれから幾度となく思い出し、いまも自問を続けている。

 お前の取材は、誰かを悲しませていないか、それでもするべき取材なのか、と。】

 

テレビ報道を見るにつけ、拙がいつも思うのはこのことだ。

子供を亡くした遺族にマイクを突きつける。

「今のお気持ちは」

商業ジャーナリズムに浸かってしまうと、子供を亡くした人の気持すらわからなくなるのか。

自分の取材は、「誰かをかなしませていないか、それでもするべき取材なのか」

強く自問を続けて欲しい。

 

 

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