07高齢・介護

2016年8月 2日 (火)

健康寿命は気持ちが大事

 「健康寿命」って知ってますか?

 健康寿命とは、ウィキペディアによると、日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間のこと大きな支障がなく日常生活を遅れる期間のこと。

 対する平均寿命というのは、日常的・継続的に医療介護に依存して、自立した生活ができない状態で生きることも含まれるということだ。

 厚生労働省の発表によると、2013年の健康寿命は、男性71.2歳、女性74.2歳。

 平均寿命との差は男性は約9年、女性は約12年。

 多くの人が、結構な長期間、不調を抱えて過ごしているというわけだ。

 認知症で自分がわからなくなって彷徨ったり、寝たっきりになったり、植物人間状態になって生き続けているひとも含んでの平均寿命だ。

 病気で寝込むことなく、亡くなる直前まで元気でいたい。

 ピンピンと元気でいて、コロリと死ぬ。

 「ピンピンコロリ」が理想の最後だと誰もが思っている。

 全国に「ピンピンコロリ」の御利益のあるパワースポットがあって、多くの参拝者で賑わっているそうだ。

 元気で過ごすには、規則正しい食事と適度な運動が欠かせないというのは良く言われること。

 寝たっきりになる、一番の原因は運動機能の障害だそうで、とりわけ運動が欠かせない。

 私も、そろそろ、そんなことを考えなくてはならない年齢に近づいている。

 今のところは健康に不安は無くて、食事は不規則だが、好き嫌いなくなんでも食べる。
 運動は、青島太平洋マラソンを目指して週に2回10㎞のジョギングをしている。

 しかし、朝起きるとき体のあちこちが痛い。

 匂いは無くなり、老眼は進み、物忘れが多くなり、根気が無くなっている。

 ただ、病は気から。

 年をとれば、誰だって、どこかここかに小さな不調はある。

 神経質に不調にばかり目をやると、不調はますます増加する。

 東京都健康長寿医療センター 高齢者健康増進事業支援室の大渕修一研究部長らの研究によると、「(自分は健康ではない」と思っている高齢者は「とても健康だ」とする高齢者と比べて要介護の発生確率が約70倍も高くなるそうだ。

 「同程度の衰えであってもそれをどうとらえるか、個人の主観が心身の健康を左右する。地域や家庭で役割を持ち、日々に張り合いを持って過ごすこともピンピンコロリにつながる」と大渕氏は助言している。

 年をとれば、こんなもんさ、と鈍感に生きるのことも大切だろう。

 こればかりは、いい加減に生きている私のとり得かもしれないなあ。

2015年11月17日 (火)

がんで死ぬのは悪くない

 俳優の阿藤快さんが亡くなった。
 
 69歳。突然の死だった。

 所属事務所が、14日の誕生日に祝福メールを送っても返信がないため、15日午後、阿藤さんの妹さんと自宅マンションへ様子を見に行ったところ、ベッドにあおむけで眠るように亡くなっていた。

 苦しんだ様子もなく、布団をかぶって横になっていた。

 声をかけたら起きそうな安らかなをしていたそうだ。

 「ピンピンコロリ」運動というのがある。

 元気に年をとって、病気で寝込むことなくコロリと死にたいというものだ。

 寝たっきりになって何年も生きたくない。

 自分が苦しむのはいやだし、家族に迷惑をかけることなく、コロリと逝きたいということだ。

 69歳は早すぎるが、阿藤さんのように、寝ている最中に苦しむことなく逝くなは理想の死に方だという人もいる。

 しかし、「ピンピンコロリ」が目指すのは、阿藤さんのような死に方ではない。

 80歳くらいまで元気に長生きして、長期間寝込むことはなく大往生をとげるのを理想としているのだ。

 だが、そうはうまくはいかない。

 食事に気をつけたり、適度な運動をして、80歳前までは元気で暮らすことはできるかもしれないが、永遠に元気でいることはできない。

 病気や老化で病の床につくことは防ぎようがない。

 治すことが難しい、積極的な治療法がない病ならば、延命治療を拒否して意味のない延命を避けることはできる。

 そのために私は、「尊厳死の宣言書」を書き、延命治療を望まないことを書面にして常に携帯している。

 だからといって、生きるのがいやだから死期を早めてもらうことはできない。

 病気によっては、延命治療にいたらずとも、長期間ベッドの上で生きていかなくてはいけないこともあるだろう。

 げに、人の死に方は難しい。

 とういう意味で、阿藤さんの死にかたを理想的だと言う人もいるわけだが、私は、知らぬ間に死んでいたという死にかたはしたくない。

 きれいごとを言えば、死ぬ前に心から感謝の言葉を伝えたい人がいる。

 お詫びをしたい人もいる。

 もうひとつ、急に死にたくない大きな理由は、死ぬ前に、誰にも知られることなく処分したいものが山ほどあるからだ。

 パソコンやスマートフォンの仕事のデータ以外のものは全部処分したいくらいだ。

 机や本棚の中にも捨ててしまいたいものがたくさんある。

 処分しようと思いつつ処分してない、人に見られたくないものがある。

 まだしばらくは死にたくはないけれど、死ぬとしたら、死期を知ることができたほうがいい。

 3カ月や半年は短すぎるが、2年か3年前、せめて1年前に死期を知るのがいい。

 こんなことを言っているが、死期を告げられた瞬間はパニックに陥るだろう。

 しばらくは落ち込んでしまって立ち直れないかもしれない。

 その時期は70歳過ぎにしてほしいが、その時を受け入れる心の準備をしておこうと思っている。

 こんなことを考えていたら、ガンという病気は悪くはないと思うようになった。

 むしろガンでしぬというのは理想的な死に方かもしれない。

 ただし、ガン宣告を受ける際、できれば余命は1年はほしい。

 勝手を言えば余命3年くらいにしてもらいたいが、がんで余命3年の診断はあまり聞かない。

 余命1年を宣告されたら、まずは身辺整理をし、思う人にお別れと感謝の挨拶をする。

 手術や抗ガン剤は、十分に検討してから受けるか受けないかを決める。

 さてさて、できるものやら。

2015年9月 5日 (土)

致死率100%

 「致死率100%」

 「どうやっても死からは逃れられない」

 400万分を超えるベストセラー「バカの壁」の著者養老孟子さんの口から、さらっと出た言葉である。

 「致死率100%」

 なるほど、その通りである。

 養老さんは、5歳で父親と死別。

 そして解剖学者として3000体の遺体を見てきた養老さんにとって、死は考えても仕方がないものだとおっしゃるのだ。

 そのとおりなのだが、なぜか衝撃をうけた言葉であった。

 

2014年9月30日 (火)

介護職員賃上げへ

 政府は2015年度から介護職員の賃金を引き上げると発表した。

 介護サービス事業者が受け取る介護報酬に職員の賃金を増やす原資を加算するという。

 これによって月額1万円程度の増額を目指しているそうだ。

 賃上げよって、深刻な人手不足の介護の人材確保につなげるためだ。

 高齢者の増加に伴い、介護従事者不足の深刻化が迫っているからだ。

 今年7月の介護関係の有効求人倍率は2.1倍。

 全産業の0.95倍の2倍以上だ。

 賃金以外に払う介護報酬は抑え、介護を支えるための保険料や税の負担急増を避ける方向だ。

 一方、厚労省の調査では介護職員の平均月給は23万8千円。

 在宅向けの訪問介護を手がけるホームヘルパーに限ると21万8千円。

 産業界の平均月給32万4千円を10万円前後も下回っている。

 学校で、自由競争市場では、需要と供給で市場価格と取引数量が決定されると習った。

 それにならうと、介護職の給与はあがらなくてはならないはずだ。

 それなのに、介護職の給料は下値安定している。

 これは、格差の固定化の象徴であるような気がする。

 政府が発表した内容を見ると、「賃上げで人材を確保につなげるために、事業者が受け取る介護報酬に職員の賃金を増やす『原資を加算する』」とある。

 。賃金以外に払う介護報酬は抑え、介護を支えるための保険料や税の負担急増を避ける方向だ。

 事業者が受け取る介護報酬の中の「賃金を増やす原資を加算する」というわけで、賃金以外に払う介護報酬は抑え、介護を支えるための保険料や税の負担急増を避ける方向だ。

 増やした原資をそっくり賃金を増やすことにのみ使わなくてはならないというわけではないようにも見える。

 政府は、実際に事業者が加算部分を基本給に反映させたかなどを点検することも検討するらしいが、ぜひ介護職の待遇改善につながるように目を行き届かせてもらいたいものだ。

 当地(宮崎県の北端の街・延岡市)でも、介護関係施設は雨後の竹の子のように開設が相次いでいる。

 多くの病院や診療所が介護施設を併設している。

 複数の介護施設を運営している医療機関もある。

 
 それは、介護が、なんだかんだといっても儲かる事業だからだろう。

 儲かる介護事業が、介護を担う末端の従事者の低賃金の上に成り立っているのでは、高齢化時代の介護の先行きは危うい。

 

2014年8月 5日 (火)

使い込んだ人生

 去年、65歳以上の人口が25%を占めた。

 テレビでも新聞でも「高齢者」という言葉が飛び交う。

 一般的、65歳以上を高齢者ということが多いようだ。

 まだまだ時間はあると思っていたが、そんなに遠くもない年齢になってしまった。

 数年前までは自分とは無縁の単語だと思っていたのだが、無視できない年齢になってしまった。

 日本の男性の平均寿命が80歳を越えたことが話題になっていたが、日常生活を支障なく送れる「健康寿命」は男性で「70歳」。

 それからすると、私に残っている時間は余り多くはない。

 田辺聖子さんが、自分の老いに向かって、「良く使い込んだ人生が自分の身にしっくり合ってきた」と、いうことを言っておられたそうだ。

 そんな話を聞くと、あせってしまう。

 私は、「使い込んだ人生と言い切る」には、ほど遠い生き方をしてきた。

 しっくりくるどころか、サイズの合わないちんちくりんの服をひっかけて、今日も右往左往している。

2014年7月21日 (月)

潔い死にざま

 家内の友人が亡くなった。

 まだ60歳になったばっかりだった。

 家内とは中学校時代の同級生なのだが、若いころはやんちゃしていて、年をとってもその頃を感じさせる雰囲気をもっていた。

 2度の離婚を経験していて、親とも余りうまくいってなかった。

 体をこわして、十年くらい前から生活保護を受けていた。

 私は余り好ましくは思っていなかったのだが、家内は「人間性はいい子なのよ」と言って、仲良くつきあいを続けていた。

 つきあいと言っても、月に1度か2度電話があるくらいで、会うのは年に1回くらいのものだった。

 ビールが好きで、電話をかけてくるのは、家で独りで飲んでいて寂しくなったときのようだった。

 その彼女に、去年、がんが見つかった。

 心配する家内に対して、「生活保護だから、手術代も治療代も自己負担がないし、治療に専念できるよ」と冗談めかして話をしていたらしい。

 がんは結構進行してたようで、地元の病院では対処できず、熊本の病院に入院し、その後、大分の病院に転院していた。

 入院してからは、電話連絡もとりにくくなっていたが、それでもときどき連絡を取り合っていた。

 先月は、「ちょっと用事があって延岡に帰って来たから会いに来たよ」と手土産をもって家内に会いに来ていた。

 そのとき、病状は余り良くないようだったが、こんなに早く逝ってしまうようには見えなかったらしい。

 本人も、「難しい病気のようだけど、負けないで頑張る」と言っていたそうだ。

 それから1カ月も経たない3日前の夜、彼女からメールが入った。

 また病院が変わったという連絡だったが、メールの中に「遊びにきてね」とあった。

 それを見て家内は、「見舞いに来てね」なんて言ったことないのに、どうしたんだろうと気にしていた。

 次の日の夜、彼女の子供から電話が入った。

 彼女の様態が悪いらしい。

 話がしたいから電話してくれと言われて電話してきたのだ。

 電話での彼女の声は、か細く、聞き取るのがやっとだった。

 「もう会えないかもしれない」という言葉に、「そんなことないよ」と、はげますのが精一杯だったらしい。

 さすがに、気がかりになって、次の日、大分の病院にかけつけたら、意識不明になり家族が見守っているところだった。

 緩和病棟で、一切の延命治療は施されてはいなかった。

 できることは手を握って、声をかけることだけ。

 家内が到着して1時間後、彼女は静かに息を引き取った。

 年齢的に、ここ数年、何人かの最期に立ち会った。

 みんな病院で、いくつもの管やコードをを体に装着されていた。

 彼女の最期は、ベッドの周りには、一切の治療道具はなく、ただ静かに看取られていたそうだ。

 周りの人に心配をかけないために、彼女は何も言わなかったようだが、彼女には余命が告げられていたのだろう。

 それとも、なにも言われなくても、自分の余命を感じ取っていたのかもしれない。

 彼女は、この1カ月、ずっと会っていなかった親にも連絡をして話をしていた。

 「ずっと会っていなかったけど、嫌いになったわけじゃない」ときちんと話をしたそうだ。

 他にも、気持ちが行き違いになって疎遠になっていた友人たちにも連絡をとっていたらしい。

 いい加減に生きてきて生活保護を受けるようになった、好ましくない家内の友人と思っていた人だったが、なんと潔い死にざま。

 自分は死に直面して、彼女のように潔くふるまえるだろうか。

 考えてみると、私も相当いい加減に生きてきた。

 せめて、人生の仕舞い方だけは、彼女のように潔く納めたいものだ。

 がんは怖いけど、がんも悪くはないかもしれない。

 

2014年6月21日 (土)

野垂れ死ぬはずのない二人が「野垂れ死にが普通になる」と言っている。

 「これからは野垂れ死にが普通になる」

 今日の朝刊に掲載されていた、曽野綾子さんと近藤誠さんの対談集の広告の題名だ。
 曽野綾子さんは、大ベストセラーとなった「老いの才覚」を始めとして、このところ人生のしまい方に関する本を次々と出版されている。
 近藤誠さんは、いしゃでありながら「がんは放置した方がいい」と主張しておられる。
 十数年前に「患者よ、がんと闘うな」という本が大ベストセラーとなり、最近は「医者に殺されない47の心得」がベストセラーとなっている。
 近藤さんは、がん放置療法を説くにとどまらず、現在の医療のありかたにも異論を唱えておられる医療従事者である。
 このお二人の対談本で、題名が「これからは野垂れ死にが普通になる」とくれば、内容はおおよそこんなものだろうと推察される。
 しかし、功成り名を遂げておられる二人が何とおっしゃろうと、野垂れ死にすることはできない。
 野垂れ死にしたくとも、野垂れ死にさせてはもらえない。
 そんな境遇のお二人が、「これからは野垂れ死にが普通になる」と説くのは、ひねくれ者のおじさんとしては、下々の者は野垂れ死にを覚悟しろと言っているように感じてしまうのだなあ。

2014年3月19日 (水)

元気をもらった。遅咲きすぎるDJ SUMIROCkさん。

 昨日の朝日新聞のコラム「ひと」に、嬉しい話が載っていた。

 「遅すぎるDJ SUMIROCKさん」のお話。

 御年79歳。

 東京・高田馬場で、父の代から60年続くギョーザ店を営む。

 ダンスが好きで、客としてパーティー通いにいそしんでいたが、主催者の勧めで一昨年にDJ(ディージェー)を始めた。

 本名は岩室純子(いわむろすみこ)。「純」と「岩=ロック」をとって、遅すぎるSUMIROCKと名乗る。

 「よく驚かれるけれど、自分では年取ってるなんて思わない。気後れすることもないですね」
 DJプレーの冒頭で必ず流すのが「鉄腕アトム」。
 
 年代もジャンルも関係ない。
 キャノンボール・アダレイのジャズ、セルジュ・ゲンズブールのシャンソン、ダフト・パンクのダンス音楽……。
 深夜、クラブなどでお気に入りの曲をかけては、孫ほども年の離れた若者たちを沸かせる。
 「自分のDJでお客さんが盛り上がってくれるのが、一番の喜び」と語る。
 
 「週1回、DJ学校に通って腕を磨く。機械操作だけで一苦労。曲と曲をスムーズにつなげられるように、一生懸命練習しています」というのだ。
 
 「選曲の幅を広げるため、レコード店で音源を「掘る」(探す)作業も欠かさない。
 
 特記すべきはここから。
 何があっても怖くない。生きてさえいれば、何だってできる――。空襲で家を焼かれ、命からがら逃げのびた戦争体験を通じて、そんな人生哲学を培った。
 夢はニューヨークでのDJデビューだ、と言う。
 「人間は、何歳になっても変われるんです」  だって。(朝日新聞 「ひと」より)
 このところ、人生の先行きに寂しい思いを抱くことのあった私を元気づけてくれる言葉だった。
 

2014年2月13日 (木)

団塊の世代の高齢化と診療報酬改定

 4月から診療報酬が改定されるそうだ。
 
 迫り来る超高齢多死社会に備えることを想定しての改定だ。

 2025年ごろまでに、団塊の世代が75歳に達する。

 後期高齢者人口が急激に増えることになる。
 
 それに伴い、医療介護の需要は急増する。

 また、25年の年間死者数は154万人になるという。
 
 これは10年時点の1.3倍である。

 今や8割の人が病院で亡くなっている。

 急増する高齢者と同じペースで病院を増やすことには無理がある。
 
 そのため、人生の最期を迎える安住の場所が足りなくなるのは目に見えている。

 そんな事情をふまえて、国がめざす高齢者医療の姿は「時々入院、ほぼ在宅」。

 患者が、自宅や施設で暮らすのを基本とし、入院が必要でも極力短期間とする形だ。

 今は、患者が病気になると病院に駆け込み面倒を見てもらう「病院完結型」。

 これを「かかりつけ医」や看護師が患者を訪ねて診療する「地域完結型」に変えていくという。

 この形に誘導するために診療報酬を改定するわけだそうだ。

 新聞にその内容が説明されていたが、読んでみても、私にその詳細は理解できなかった。
 往診の報酬を増やしたり、リハビリの実施で退院を促す場合にも報酬を増額することになっているようだ。

 考え方は正しいのだろうが、それはあくまでも性善説で人(医療関係者)が動くことを考えている。

 自宅介護を増やすことを目的として、往診報酬を増額したところ、医療機関が自ら高齢者施設を運営し、患者を囲い込んで効率的に往診を重ねたという実績がある。

 金儲けをすることが善である今の世の中では、制度を変えても、変わった制度を利用して金儲けする人たちが活躍することになるのだろうなあ。

2013年4月 5日 (金)

成年後見人の弁護士、3900万円着服。

 成年後見人になっていた弁護士が、依頼者の金を3900万円を着服したという事件が「とくダネ!」で報じられていた。

 この松原厚弁護士は東京弁護士会の副会長まで務めたというのだが、テレビで報じられるその様子は、正気を逸しているように感じられた。

 インタビュアーに「3900万円着服しましたね」との質問に、「3900万円は着服していない。着服したのは1400万円だ」と反論していた。

 その金額が3900万円なのか1400万円なのかはということより、弁護士が依頼者の金を着服したこと自体がが重大な問題だ。

 さらには、「着服したと言われるが、諸々の事情があるのだから、それを理解して欲しい」とも言っていた。

 2500万円は必要経費だと言い訳する弁護士に対して、「何に使ったのか」と問い詰めると、「必要経費は、依頼者のところに行く交通費が5、6万円かかるし、その途中にラーメンを食べることもある」とわけのわからない説明をしていた。

 2500万円の使途の説明に、ラーメン代を持ち出すなんてのは、その意味がさっぱりわからない。

 また、金を着服した諸事情として、「自宅のローン返済があったから」と、平然と言ってのけていた。

 当然の理由のように「自宅のローン」を諸々の事情の一つとしてあげていたので、依頼者の自宅のローンがあったのかと思って聞いていたら、弁護士の自宅のローンの支払いのためだったというではないか。

 この弁護士、弁護士という資格者だから正常だと勘違いしてしまうが、加齢による認知症にかかっているのか、認知機能が低下しているとしか思えない。

 そもそも、この成年後見制度とは、知的障害を持つ人や認知症のような、判断能力が不十分な人を保護するために、本人のために法律行為を行なったり、本人による法律行為を助ける者を選任する制度だ。

 裁判所の審判による「法定後見」と、本人が判断能力があるうちに後見人を選んで契約しておく任意後見がある。

 現在のところ、その多くは法定後見だが、法定後見の後見人は裁判所が選定することなり、弁護士や司法書士が後見人に選定されることが多い。

 後見人は、依頼者(被成年後見人)の財産管理もすることになり、その使途が問題になった事件が露顕することはまれではない。

 行政書士の中にも成年後見人を目指している人がいて、私の所属する宮崎県行政書士会にも成年高婚任活動をしている方がおられる。

 しかし、行政書士が後見人に選定されることは、まだまれなようだ。

 選定されるケースをみていると、財産が有り後見費用が見込める依頼人は弁護士、司法書士が引受け、費用が捻出できなくて引き受け手のない依頼者の後見を引き受けているのが実態のようだ。

 以前、ブログにも書いたことだが、その活動には頭が下がる思いがする。

 世間では、弁護士、司法書士というと法の番人であり、正義の使者ととらえられているが、特権的資格を利用して営利に走る人も少なくない。

 金がすべてを支配する世の中で、金にとらわれずに生きるのは難しいことだが、後見制度の運用については、今後ますます検討が必要になることだろう。

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