07高齢・介護

2024年5月12日 (日)

IT依存の恐怖

現在私が、かろうじて継続しているブログはニフティ・@niftyのココログというブログサービスを利用して書いている。

最初にブログを始めたのは小泉政権発足の時だったから、ブログを始めて20数年前くらいになる。

一時は、1日に数千件以上のアクセス数を得る記事もあって、平均では数百アクセスという時期があった。

当時は、Twitterもフェイスブックもなくて、1日に1万アクセスのブログを作ったらちょっとした小遣い銭が稼げそうだった。

それで私も1日に1万アクセスを狙っていたのだが、平均400~500アクセスというところで足踏みが続き、更新が途切れることが多くなった。

ブログの更新にモチベーションを保てなくなった一因に、ブログ運営の主体会社であった富士通が、この部門を手放したこともある。

私がココログでのブログを続けたのは、無料サービスでありながら、アクセス解析がむちゃくちゃ充実していたことだった。

アクセス解析でブログ更新のモチベーションが高まっていた。

そのアクセス解析が、年々簡素化されてきた。

ブログがSNSの主流ではなくなってきたせいもあるのだろう。

もう一つ、私を不安にしているのが、サイト側が行うバージョンアップの度に、私撮って必要なものがなくなっていった。

最近、私のブログの更新が極端に少なくなっているのは、事務所で使っているパソコン以外からの更新ができなくなってしまったことが大きな原因である。

突然、ログイン方法が変わっていて、事務所のパソコンではログインできるのだが、スマートフォンやタブレットからのログインができなくなった。

一番困っているのは、自宅のパソコンでもログインできないこと。

サポートセンターに問い合わせようにも、ココログのサポートはサイト内の掲示板がメインになっていて、サポート専用窓口が見つからない。

ココログに限らず、一時はSNSの主役だったブログは、今では主役の座からははずれてしまった感がある。

ブログ全盛期には、数多くなブログサイトが会員拡大競争をしていたが、消滅しているブログサービスも少なくない。

ココログの運営会社が破綻したら、登録しているブログは一瞬で消え去ってしまう。これがインターネットの怖いところだ。

これはIT事業が抱えている恐ろしい問題なのだ。

私は、Evernoteというメモアプリのクラウドサービスを利用している。

クラウドサービスの展開の初期、様々なクラウドサービスの中で私はEvernoteを選んだ。

Evernoteは、文字情報、画像、Webサイトを、メモする感覚で保存できるサービスで、ドロップボックスと双璧のクラウドサービスだった。

その後GoogleのGooglekeep、マイクロソフトのonenote等々、類似のサービスが展開されている。

IT事業が恐いのは、まずは利用会員数の獲得競争のため、当初はどの会社も無料で使えるサービスを提供する。

会員数を増やして勝ち残った事業者は、次に有料化を進めていく。

Evernoteもそうだった。私はずっと無料で使っていたが、さらに使い勝手がよくなる機能を求めて月々500円程度の有料会員になった。

会費はクレジットカード払いで、自動更新というのがミソというか使う方からすると地雷だ。

数年前、年会費を引き上げてきた。解約するのも面倒だし、わずかな値上げだったからそのまま継続していた。

すると今年は、またまた値上げ。おまけに無料のサービスでは使い物にならないような容量しか与えてくれない。

もっと恐ろしかったのは、Evernoteの日本法人を解散するという報道があった。

私は、たいそうなデータを保存してはいないが、十年以上にわたって保存してきたデータを全部移動するとなると大仕事だ。

ITは便利だが、一瞬にすべてが消えてしまうという危険を抱えている。

今、自分のブログの見直しと、さらに新しいSNSに手を染めようかと、少々悩んでいる。

終活の年齢。整理・処分のほうが現実的かな。

2024年5月11日 (土)

みんな行く道

今朝のラジコで聞いている、ラジオ番組TBSの「まとめて土曜日」で、大宅映子さんが、「物を探すのに一日の三分の一の時間を使っている」と嘆いておられた。

実に、同感、同感と、なぜか心が安らぐ思いがした。

朝にそんな出会いがあって、そして先程読んだ、楽天マガジンに配信されてきた今週号の週刊新潮の、五木寛之さんの連載コラム「生き抜くヒント」で、五木さんが同じようなことを書いておられた。

「モノが忽然と消え失せるということは、私にとっては日常茶飯事である。 やれ万年筆がない、老眼鏡が見当たらない、さっき脱いだばかりの帽子がない、などと言うのは日常生活の一部だ。

つい今まで使っていたハサミがない。机に入れておいたはずの健康保険証がない。読みさしの文庫本が見つからない。
度絵に立てかけておいたはずの杖かない。大事な印鑑が出てこない。

腕時計は?サングラスは?

 

一日に2度までも、私よりちょっと年上の知識人さんの物忘れの告知を見聞きした。

私も何度か書いた覚えがあるが、今使っていたボールペンがないとか、今持ちだそうとして用意していた書類が消えてしまったとか、私の印象では神隠しとしか思えない事象が毎日たびたび身の回りに起こる。

私の数歩先(いや、数百歩先、数千歩先)を歩いておられる、人たちも私と同じ現象に悩んでおられるのを知って、なぜか勇気が湧いてきた。

私の場合は、老化による物忘れという症状の前にADHD(注意欠陥多動性障害)という発達障害の特性を兼ね備えている。

だから若い頃から、物忘れは直せないことを前提にして、それをカバーする対策をとっている。

例えば、老眼鏡は20本以上持っていて、仕事机の前にぞろりと常備している。
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れが私の机の前のメガネと文房具の収納グッズ。(これもダイソーの収納ネットとネットかごを使って。
この他、事務所内のそこかしこに、置忘れのメガネが散乱しています。

このほかに車の中に2,3個。居間に2,3個。寝室に2,3個。風呂場とトイレにも1個ずつ。

こんなことができるのも百均のおかげ。百均は物忘れ人(ビト)の強い味方だ。

探し回る常習品は、百均でまとめて購入、事務所、自宅、車の中にそれぞれ常備している。

2024年5月 9日 (木)

認知症 65歳以上では3人に1人

今日の朝日新聞の1面トップに、「認知症 2040年に584万人」の大きな見出し。脇見出しには「前段階含めると3人に1人」

全段階と言うのは「軽度認知障害」のこと。

軽度認知障害と言うのは、 記憶力の低下などの症状があっても、家事や買い物などの日常生活では支障が出ていない状態のこと。
認知症となる手前で、その後に生活機能障害が出て、認知症に移行する場合もあるが、生活習慣の見直しといった認知症予防の取り組みによって、健常な状態に戻る可能性もある。

厚生労働省によると、MCIの人のうち、5~15%程度の人が1年で認知症に移行するが、16~41%程度の人は1年で健常な状態になるという。

新聞の見出しの65歳では3人に1人というのは、軽度認知障害を含めての数字。

軽度認知障害から認知症に移行するのは、概ね10%程度の話で、65歳以上の人が認知症になる割合は4~5人に1人といったところか。

身体の衰えを感じて不安を抱えている高齢者に対して、65歳以上になると3人に1人は認知症になるぞなんて大げさに驚かすと、それが原因で頭がパニックを起こしてしまい、認知症に陥るのではないか。

軽度認知症のような状態になっても、生活習慣の見直しと言った認知症予防の取り組みによって41%の人は健常なの状態に戻るってところを強調するべきでしょう?

軽度認知症のような状態からでも生活習慣の見直しで健常な状態になるということは、生活習慣次第で軽度認知症になることも抑えられるってことで、このことをもっと強調するべきでしょう?

気弱になっている老人を、見出しから脅してはだめですよ。

3人に1人が認知症にかかわる症状があるのだというのは、3人に2人は認知症なんて関係ないよってことでしょ。

私は2人の組に入る。

みんなが前向きにこんな強気で生活すれば、健常で生活できる人は、3人に2人から5人に4人になるだろう。

ぼけない老人にならないための生活習慣のすすめといった記事をもっと頻繁に大きく報じたほうがいいんじゃないのかな。

病は気から。

私の周りは、ぼけない頑固な老人が大きな顔をして生きている。

そんな老人たちに、ぼけないための、よたひょろにならないための生活習慣ってのを、懲りずに繰り返し繰り返し指導していただきたいものだ。

 

 

2023年7月30日 (日)

認知症検査の結果報告

もうずいぶん前の頃からだが、「あれ。このタレントの名前なんだっけ?」ってことがよくある。

顔は思い浮かぶんだが名前が出ない。これもよくあること。

これは、名前と顔を記憶する脳の場所が違っていて、顔は思い出しやすい場所にあるけど、名前というのは思い出しにくい仕組みになっているという説明を聞いたことがあるので、あまり問題にしていなかった。

しかしちょっと前から、たまに顔を合わせることのある人の名前や仕事上の付き合いのある会社の社員際の名前が出てこないことがある。

これは、まずい。

久しぶりに顔を合わせて、「あら、久しぶり」と挨拶を交わしながら、名前がわからないはずはないのに一瞬名前が出てこない。

顔はニコニコ、会話を続けながら、「あれ、名前なんだっけ?」と頭の中は大混乱ってことがある。

これは、認知症のまえぶれではないかと、軽い不安を覚えることがある。

これも、脳の名前と顔の記憶場所が違うせいだと、そう深刻には考えなかった。

ただし、名前が出てこないというのは、人の名前、すなわち固有名詞に限ってのことだった。

しかし最近、普通名詞が出てこないことがある。

といっても、めったにないことなので、具体的にどんな固有名詞が出てこなかったのかという説明はできないのだが、めったに使わない品物の名前が出ないことがあるのだ。

この年になると(実年齢は伏せさせていただきますが)、名前が出てこなかったり、ちょっと忘れ物をすると、「認知症が始まったのかもしれない」と、ふざけて軽く口にすることがある。

それは口だけで、本当のところは、拙はまだまだ並み以上の頭脳の持ち主だと思って生きているのだが、本音のところ少々不安になるときがある。

だから、新聞や雑誌の健康記事には全部目を通している。

全部というのは、拙は、雑誌は楽天が運営している「楽天マガジン」という1200誌以上の雑誌読み放題サービスを利用している。

週刊誌は一般週刊誌だけで15誌くらいに目を通している。

最近の若い人は紙の新聞や週刊誌を金を出して読まなくなっているという話をよく耳にする。

実際、今年5月に日本最古の週刊誌「週刊朝日」が休刊に追い込まれた。

今や、週刊誌なんてのを読むのは高齢者だけのようで、したがって週刊誌にはふんだんに高齢者を対象とした記事が盛り込まれている。

15誌の週刊誌全部を読む時間はない。

目次にさっと目を通し、気になった記事だけ読む。

今日目についたのが、「週刊フラッシュ」の「30点以上なら大丈夫。認知症チェックシート20」という記事。

早速やってみた。

20の問題がこれ。

外出する際、車や家の鍵を5分以内に探して見つけ出すことができる
買ったことを忘れてしまい、同じ商品を買うことはほとんどない
今日の日付や、曜日を5分以内に思い出すことができる
夏はTシャツ、冬はコートなど季節や気温に合わせた服装ができる
今までできていた料理は今もスムーズにできる
部屋は整頓されており、物が溢れ、足の踏み場かない状態ではない
通勤電車や通勤する道順を週に1度以上問違えることはない
入浴、歯磨き、髭剃りを3日間以上サボることはない
会社の同僚や知人の名前を10人以上挙げることができる
徒歩10分程度で着いた場所まで15分かかるようになっていない
ペットボトルの蓋は、固くても手であけることができる
片足で30秒以上立つことができる
階段を一段抜かしで登ることができる
月に1度以上、運転する車をぶつけたり、壁に擦ることはない
飲食店などの接客についてイライラしても本部にクレームの電話をすることはない
セクハラやパワハラで会杜から注窟を受けたことがない
知らない店や、新しい旅行先に行ってみたいと思う
性欲があり、異性への興味を持っている
酒の場で喧嘩をするなどトラブルを起こしていない
コンビニやスーパーで何を買いに来たのか忘れてしまうことはほとんどない

20問、それぞれの質問に1点から3点のポイントがついていて、合計40点。

30点とれれば心配なし。

30点を下回ると、最近話題の軽度認障害(MIC)の危険性があるので要注意ということだ。

こんな問題で30点取れなかったらヤバイだろう。

 

拙ができなかったのは、

買ったことを忘れてしまい、同じ商品を買うことはほとんどない
部屋は整頓されており、物が溢れ、足の踏み場かない状態ではない

の、2つのみで38点だった。

認知症にはまだ遠い。自身が確信に変わった瞬間であった。

 

 

 

2022年9月 3日 (土)

ちょびが逝った

昨日が最後の別れになると思っていたが、私と家内の見つめる中で、ちょびは静かに眠り続けていた。

朝起きてすぐに様子を見に行ったが、死んだように横たわっている。

体をさすっても動かないが、かすかに呼吸していた。

 

私は仕事で事務所に出ていたが、午前10時過ぎ、突然、「ウォーッ」という少し大きな鳴き声がして、それがちょびの最期だった。

捨てられて、餌を求めて私に近寄ってきたのが縁で飼うことになった猫だった。

餌をもらいたくて自分から私にすり寄ってきたのに、家に連れて帰って飼い始めたその日から、家内以外の者が近づくと逃げ回る猫だった。

懐かせようと私が餌やりの係をしたのだが、14年間一緒に暮らしてきて、餌やりの時以外は私が近づくだけで逃げ回る。

家内にだけは気を許しているみたいで、自分から膝に乗っていったりするが、家内から近づくとさっと逃げてしまうこともあった。

捨てられて、腹を減らして町を彷徨っている間に、人間にひどくいじめられたトラウマがあるのだろうということだ。

それにしても、いくらかわいがっても懐かないのだから、私とっては最後までかわいい存在ではなかった。

「おまえなー。同じ屋根の下に10年以上いるのだから、そんなにびくびくして暮らしていたら楽しくないだろう」

そう言う私に、家内は家内は「それが猫なのよ」と、それでもかわいいらしい。

 

 

そんな14年間。

死んでも涙が出ないだろうなと思っていたのだが、不覚にも涙がでた。

これも年のせい。

年を取ると涙腺がゆるむ。

 

我が家には、あと2匹の猫がいる。

私たち夫婦の年齢を考えると、この2匹が最後。

私は、命をいたずらに死期を伸ばすだけの延命治療はしないと決めている。

死期をのばすだけの延命治療は苦痛でしかないことを理解している。

だから、猫や犬たちにも延命治療は受けさせない。

幸い、今までに看取った猫や犬たちは大きな病気をすることなく天寿を全うした。

私もそうありたいと、今は思っている。

 

 

近づくと逃げていたから、おまえ単独の写真が少ない。

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2022年9月 2日 (金)

飼い猫の一番の古株のちょびが眠っている

私は大の「よだきんぼ(宮崎弁で怠け者)だ。

そんな私にとって1日(ついたち)は、怠惰につぶした日々のリセットの日だった。

リセットの一つがブログの更新だった。

昨日は、そのブログの更新もしなかった。

 

今日は、我が家に3匹いる猫の中で一番の古株の「ちょび」が去っていこうとしている。

ここ2カ月余り、その予兆はあった。

 

食が細くなり、ここ数日は「ちゅーる」しか口にしなくなって、今日は「ちゅーる」を一口なめただけ。

老衰。

苦しむこともなく、泣くこともなく、静かに一生を終えようとしている。

長尾和宏医師の著書「平穏死」について書いた本にあった、終末期の手本として猫や犬の姿。

10年後の自分への手本にしたいような姿である。

私と家内は、ただ黙ってその姿を目に焼き付けている。

 

 

 

元気なころの、ちょび

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2022年8月18日 (木)

高齢閑話 金持ちのおじいさんはかわいそう

本をながめていたら、面白い見出しが目に留まった。
「お金があるおじいさんはかわいそう」との見出し。
最近の雑誌は高齢者を相手にした記事が主流。
若者の本離れは、雑誌にも及んでいる。
400円もの金をだして週刊誌を買うのは中高年だけなのだろう。
したがって週刊誌は高齢者に向けての記事ばかりだ。
週刊誌記事の最近のトレンドは、子供に対しての相続対策の話から高齢者自身の生活対策に移行してきている。
曰く、老後の資金がないと悲惨。
老後世話になるからと思って、子供に住宅資金や孫の教育費をどれだけ援助していても、いざ面倒を見てもらおうと思ったときには子供たちにそんな余裕はない。
自分たちの生活でいっぱいで、迷惑がられるだけ。
お金を持っていてこそ、子供や周りは面倒見てくれる。
お金は自分のためにしっかり握っておきなさいという風潮だ。
「お金=老後の安心」のはずなのに、「お金持ちのおじいさんはかわいそう」ってどういうことだと記事に目を通してみた。
曰く、お金がある人が再婚しようとすると子供たちが絶対にダメと猛烈な反対を受ける。
これが金のない親が結婚するというと反対はされないというのだ。
だから、「金持ちのおじいさんはかわいそう」というわけだ。
なるほど。
財産を持っている親に再婚されると、その瞬間に親の財産の半分は再婚相手のものになり、子供たちの取り分は半分になってしまう。
しかし、金のない親だと、再婚相手に親の老後の面倒を見てもらえて、自分たちが老後の面倒を見ないで済むというわけだ。
だから、年を取ってきた親の結婚は、むしろ歓迎されるのだろう。
60歳を過ぎたくらいで連れ合いを亡くしたら、残された者の人生は20余年。
ドラマで、親に「まだ若いんだから再婚相手でもみつけなさいよ」というのは大きな財産をもたない家庭の場合の話。
20年も親の面倒見れないし、60歳と言えばまだ若い。
「まだまだ、これからの人生を楽しんだら」ということになる。
しかし、親に多大な財産がある場合は、すんなりこうはならない。
「お父さん、いい年をしてなによ。身の回りのことはお手伝いさんでも雇って自由に気ままに暮らせばいいじゃない。今さら、新しい人をお母さんなんて呼びたくないよ」などと猛反対されることになるだろう。
それもそのはず。
仮にこの親に2億円の財産があったとして、子供さんが2人だったら、親が再婚しないままだとそれぞれが1人億円ずつ相続できる。
親が再婚すると、2億円の半分の1億円は奥さんが相続。
残りの1億円を2人のこどもで半分ずつの5000万円となる。
親が若い嫁さんでももらって子供でも出来たら、その子供も入れて1億円を分けることになるので、さらに取り分が減ってしまう。
命がけでも再婚を阻止しようとするのもむべなるかなである。。
、「金持ちのおじいさんはかわいそう」となるのである。

2022年8月 1日 (月)

8月1日 いつになく楽しい月の始まり

8月1日。

何度も書いているが1日(ついたち)は、私にとって特別の日。

怠惰に過ごしてきた時間をリセットして、今日からやるぞとなる日。

この日だけは、義務的にでもブログを更新してきた。

しかし、今日の1日(ついたち)は、ここ数年にないちょっと気分のいい月の始まりだった。

1か月前から入っていた、工事の一つの山場の予定日。

工事現場の工程の都合で、近所の月極駐車場の契約車両約20台をこの一日いっせいに移動してもらわなければならなかった。

協力のお願いはしてきていたが、全員の方が忘れることなく約束を守ってもらえるか。

実は、先週の木曜日からまったく動いていないままの車が一台あった。

予定日前日の昨日、他の車は全部移動してくれているのだが、夕方になっても1台の車だけ停まったままになっている。

気になって夕方から1時間おきに見に行っていたのだが、夜9時になっても停まったまま。

明日の朝までに移動してもらえなかったら、レッカー車で移動させてもらってもいいのだろうか。

そんな不安に押しつぶられそうになっていたら、夜9時半、見に行くと車がいなくなっていた。

そこで、さっそく駐車場の入り口を閉鎖した。

 

そして今日、無事予定工事は終了した。

 

ここ数年にない良い気分を味わっているのは、このことだけが原因ではない。

この1,2週間ほど、去年の10月から悩まされていた脊柱管狭窄症の強い痛みが治まってきたのだ。

立っていると下肢がしびれ痛みが走る。

5分も歩くと太ももからふくらはぎやすねにかけてしびれや痛みが出て歩けなくなる。

少し休むと治まってまた歩けるようになるため(これを間欠跛行という)、歩いたり休んだりすることを繰り返さなければならない。

ここ数年、そんな痛みと共存しながら暮らしてきていた。

幸、私の仕事は不動産業。

重いものを持ったり、立ちっぱなしをしなくても仕事はできる。

長時間は歩けないが、ちょこちょこ腰かけながらでも仕事はできる。

不動産屋でよかったな、なんて、そんな深刻に考えこむことなく、やり過ごしてきた。

ところが去年の10月。(だったかな)

どうにもこうにも、どんな姿勢をとっても、腰から足先まで痛みが走った。

歩くことも、立っていることもできない。

こんな時に限って、暦は連休。

連休明けに、なんとか痛みをこらえて病院に駆け込んだ。

すぐには治らなかったが、痛み止めの薬と適切な治療でなんとか1週間くらいで、少しは動けるようになった。

そこからは、また痛みと共存しながらの生活。

病院の先生の治療と生活指導。それに加えて、何冊かかった腰痛本の中で自分の症状にあった腰痛体操を続けてきた。

他の人たちの深刻な病気と比べたら自分はまだ幸せだと思いながら仕事を続けてきた。

気が付くと、この1週間くらい、間欠跛行が無くなっている。

ためしに軽くウォーキングをしてみたら、1時間くらい歩ける。

生来私は、健康には自信があったのだが、ここ1,2年は脊柱管狭窄症の痛みに悩まされ、健康の自信が揺らいできていた。

そこで、「70歳からの〇〇」とか「80歳を乗り切るための〇〇」的な健康本や、雑誌の生地を読み漁ってきた。

世は高齢者向けの健康本ブーム。

そんな中に、私より一回り以上年上の方が元気で暮らしている生活本を何冊か読んだ。

ベストセラーになった佐藤愛子さんの「90歳何がめでたい」「98歳戦いやまず」

樋口恵子さんの「老~いどん」「老いの福袋」も面白かったが、私が一番力をもらったのが「87歳 古い団地で愉しむひとりの暮らし」と「89歳 お金がなくても幸せな日々の作り方」の2冊。

普通の87歳の女性と普通の89歳の女性。

ご自分の生活をYouTubeやTwitterで綴りながら、新しい人生を歩いておられる。

一番私が影響を受けたのは、「89歳1人暮らし」の大崎博子さんが、なんでもいいから毎日1つはつぶやいてきたという言葉。

私は、どこかに、何かいいこと書こうというスケベ心があった。

だから、更新のためだけの意味のない文章を書くことが多くなってきて、それでは意味がないなと思って、書くことから遠ざかっていた。

今日はいい天気で気持ちがいい。今日はなんにもしなかった。

なんでもいいから一言書く。

それもいいなと思って、今、キーボードをたたいている。

 

なぜか脊柱管狭窄症の間欠跛行がなくなって、1時間でも歩けるようになった。

代わりに肩が痛くなったのだけど、ここ数年悩んできた脊柱管狭窄症に痛みがなくなったことのほうがうれしい。

仕事も順調。

頭も動き出して、アイデアも湧くようになって体も動く。

 

私は酒も飲めないし、趣味もない。

遊ばないから友達も少ない。

女性にも奥手だった。

仕事をやめたらすることがない。

だから死ぬまで現役で動けたら幸せ。

そうできたらいいなと願っている。

 

 

 

 

 

 

 

2022年3月 8日 (火)

幸せは健康が連れてくる うわっ!全部入っている!

昨日の楽天マガジン配信の「週刊現代」の表紙コピーに身につまされるものがあった。

「幸せは健康が連れてくる」

「さあ、死ぬまで元気に生き抜こう」

「脊柱管狭窄症・ヘルニア・膝痛、股関節痛、肩・首」

「薬に頼らずにつらい痛みを消す」

うわっ!やばい!全部私だ!

昨日、腰痛の原因を調べるためにMRI検査をしたのだけど、結果は脊柱管狭窄症と椎間板ヘルニアの併発だった。

これは私の自己診断と同じ検査結果。

私には腰の他に膝も股関節も痛みはある。

ここ数日は肩と首の痛みがちょっとひどい

これは自己診断によると頚椎ヘルニアに起因する痛みだ。

若いと思っているのだが、寄る年波。

着実に立派な高齢者の道を歩んでいる。

しかし私は悲観的にはならないことにしている。

だって、この程度ですんでいるのだから。

せいぜい見栄を張って、元気を演じていこうと思っている。

 

 

 

この子は14歳(我家の同居猫になって13年余)。
人間の年齢にすると私と同じくらいのはずなのだが、今年に入って急に食が細くなって、寝ている時間が長くなった。
老け込むには早い。もう少し元気でいろよ。
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2020年2月17日 (月)

野村克也さん風呂場で急逝 当日まで元気だった

 野村克也さんが亡くなった。

 84歳というご高齢ではあったが、亡くなる当日まで元気にしておられたそうだ。

 亡くなった当日、元気に仕事をこなし、外食を済ませて深夜12時頃帰宅。

 1時くらいに一人でお風呂に入ったが、1時間以上経っても出て来ないことに不審を感じたお手伝いさんが浴室のドアを叩いて呼びかけるも応答がない。

 扉をあけると、浴槽でぐったりしている野村さんがいた。

 あわてて救急車を呼んだが、時にすでに遅し。午前3時半搬送先の病院で死亡が確認された。

 死因は、虚血性心不全。

 虚血性心不全とは、心臓に血液が行かなくなって、心臓が壊死して死亡にいたる状態の総称。

 その多くは、心筋梗塞や狭心症が原因だ。

 前にもとりあげたが、風呂場で亡くなる人は年間に16,000人にものぼる。

 去年の交通事故での死者3,200人の5倍の人が風呂場で亡くなっている。

 風呂場で亡くなる要因がヒートショックであることは、テレビ等でもたびたび報じられている。

 温かい部屋から急に寒い脱衣室に行って裸になると、血圧が30以上も上昇する。

   血管に負担がかかり、心筋梗塞や脳卒中を引き起こすというわけだ。

 これを防ぐためには脱衣室を温めておたり、風呂に入る前に風呂場をシャワーを出しっぱなしにして温めておくことが大事だ。

 また、温かい湯船につかっていると血管が拡張して急に血圧が下がり、低血圧により浴槽で意識を失って溺死する人も珍しくない。

 長湯も注意ということである。

 

 私はこの年まで(正確な年齢は言いたくない年齢)大病をしたことがない。
 
 健康には根拠のない自信があって、定期検診もしておらず、年に2回の献血の際の血液検査を健康診断代わりにしている。

 この30年、血液検査の数値がすべて正常値で変動しないもので、それが私の健康に対する自身を助長する結果になっている。

 そんな私だが寄る年波、しかも臆病な性格ゆえ、新聞雑誌の健康記事は気にしていて、体に良くないというと慎しみ、体に良いということはやっるようにしている。

 そして、体に変調がないかを結構気にしている。

 そんな中ただひとつ、数年前から少し血圧が高くなってきたことだけが気がかりだった。

 それで、薬に頼らずになんとか血圧を下げようと、ジョギングをしたりウォーキングをしていた。

 運動するとてきめんに血圧は正常化して、やはり自分は鉄人だと自己満足していた。

 ところが去年は、ウォーキングを欠かすことはなかったのに、高めの血圧がなかなか下がらなかった。

 寒くなってきて、160という数値になることが何度かあって、ついに昨年末から降圧剤を服用することにした。

 薬の効果はすばらしく、すぐに血圧は安定してきたが、用心深い私は急に寒いところに出たり、急激な寒暖差への対処は怠らないようにしている。
 
 もちろん、風呂に入るときもシャワーを出しっぱなしにして風呂場を温めることは忘れていない。

 これは今後も注意して続けていくことにしているが、野村さんの急逝の記事を見て、なおさらその意を強くした。

 記事では、「元気で一人で入浴できて、自分は丈夫だと思っている人こそ風呂場で亡くなる危険性が高い」と注意喚起が叫ばれていた。

 要介護状態で、風呂場で亡くなる人はほとんどいない。なぜなら入浴の際、ヘルパーや家族が付き添っているからだ。

 だから、元気だと思っている人こそ注意しなくてはいけないというわけだ。

 実に納得させられる説明である。

 元気なようでも、今から先はルシアンルーレット。

 誰の頭に銃弾が発射されるかわからない。

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