延岡のすてきな景観がひとつ消える
1月も早や20日。
あれよあれよというまに時が過ぎ、もう来年の足音を感じてしまいそうだ。
そんなこともを考えていた今朝、朝食をとっていると、外からカキンカキンと鉄パイプのぶつかる音が聞こえてきた。
あ、まずい。いよいよ始まった。
私は後悔の念をいだきつつ窓から外をのぞいた。
私の悪い予感があたった。
私の事務所兼住宅の窓から見える場所にある、私が好きな素敵な建物に足場を組む作業が始まってしまった。
この建物は、当地(宮崎県の北端の町・延岡市)の延岡市景観賞最優秀賞をとった由緒ある建物だ。
この建物を取り壊して高層マンションが建つことになっている。
今年の3月に着工予定で、先日から建物解体の準備に入っていた。
解体される前に、建物の姿を写真に撮っておかねばと思っていつつ先延ばしにしていた。
これが私の致命的欠点。
さっさとやればいいことを、意味なく先延ばししてしまうのだ。
現場は複数の作業員さんたちが忙しく働いている。
写真を撮りに行けるような雰囲気ではない。
大いに悔やんでいたら、作業の音が止んだ。
作業員さんたちの姿が見えない。
そうだ、10時の休憩だ。
このタイミングを逃したら、また悔やむ。
私はすぐにカメラを手にして写真を撮りに行った。
作業員さんたちの姿は見えなかったが、大きなトラックが2台入り口をふさいでいる。
それでも取らないよりはましと撮った写真がこれだ。
自分の致命的欠点をつくづく反省しつつ、事務所でたまった書類を片付けていてふと現場の方を見ると、先ほどのトラックがいなくなっている。
天の救いとカメラを手にし、再度写真を撮りに行った。
トラックが退いて建物の全体像を写すことができた。
昭和初期の洋館風建物。
神戸異人館や長崎のグラバー園にありそうな建物だ。
青山眼科さんの眼科医院の建物。この建物の裏には立派な純和風の住宅が建っているはずだが、それは外からは見えない。
建物正面入り口の左手上方にある『SINCE 1985 AOYAMA CONTACT』の看板も雰囲気を盛り上げている。
『SINCE 1985』とあるが、建物は昭和初期の建物だと聞いている。
1985年は青山眼科さんが院内にコンタクトレンズの会社を設立した年だと記憶している。
所有者の青山先生は、モダンでダンディーな方だった。
お話したことはないが、ちょくちょく姿を拝見することはあった。
休みの日などカジュアルな格好で、方にカメラをぶら下げて歩いている姿は建物同様洋風だった。
直接お話をしたことはないが、持ち主の青山先生は時々お見掛けをしたことはあった。
この洋館が実にお似合いになるおしゃれでダンディな先生だった。
余談ながら、子供さんは美人3姉妹で有名だった。
現在のインターネット社会では、ちょっときれいだったり可愛かったりすると、「きれいすぎる〇〇」だとか、「かわいすぎる〇〇」だとかすぐに騒ぎ立てるが、文字通りの美人3姉妹だった。
3女の方は劇団四季で主役をはったことのあるはつらつとした現代的な美人。
確か、長女の方は私の1級先輩。この方はいわゆる美人顔の美人。
次女の方が1級後輩。この人は優しいお顔の美人。(セクハラ的非難を覚悟していえば、私のタイプでした)
3人さんとも、それぞれにきれいな女性だったなあ。
新年に今年はかかさず更新してみようと思っていたのだが、冒頭に書いた通り1月もすでに20日。
ブログを確認すると更新を1週間も休んでいた。
私の感覚では4,5日は更新していないという感じだった。
このままでは、またすぐに来年が来るぞとあせる気持ちになった。
その矢先の建物解体の始まり。
これはブログ再開のきっかけにも、すぐに書こうと思って写真を撮り終ったのが今日の昼過ぎのこと。
書こう書こうと思いつつ夕方になってしまい、夕食の時間が来て自宅に上がり、明日でいいかと思っていた。
これが何度も反省するのだが、私の致命的欠陥。先延ばし病。
えいやっと踏ん張って、晩御飯の後に事務所に戻りパソコンのキーボードをたたいてみた。
やってしまえばどうってことないのに、バカは死ななきゃ治らないなあ。
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