火傷からの生還
去年、12月22日金曜日の朝、
誤って沸騰したお湯を手首にこぼしてしまって
大きな水膨れを作ってしまった。
沸騰したお湯をかぶった瞬間、火傷の応急処置としてすぐに流水でひやした。
しばらく流水で冷やした後も、保冷剤で冷やし続けた。
すぐに冷やし続けたもので、当初は痛みも我慢できる程度で、皮膚がが赤く炎症を起こしている程度だった。
保冷剤をガーゼで巻いて冷やしていると痛みも和らぎ、このまま治ってしまうのではないかと軽く考えていた。
昼過ぎに保冷剤を交換するためにガーゼをはずすと、小豆大の小さな水泡が3、4個できていた。
あとから水泡ができるというのは初めての経験で、時間がたつごとに水泡が少しずつ増えてた。
さらには、小豆大だった水泡が大豆大に大きくなってきた。
さらに時間が経つと、大豆大が梅干し大に膨れていった。
数時間すると、膨らみ続けた隣同士の水泡が合体して市田柿くらいの水泡になった。
病院に行った方がいいかなと思いながら、そのまま様子をみていたら夕方には、膨らんだ水泡が合体して干し柿大の水泡が3個。
このとき病院に行けば良かったのだが、冷やしているせいで、ひどく痛むこともなかったもので、明日にでも病院に行けばいいと甘く見ていた。
すると夕方には、さらに水泡が合体して、大きな2つの水泡になった。
膨らみに膨らんで、なかで水がぷよぷよしている。まるで水ヨーヨーみたいだった。
さすがにまずいかなと思ったが、すでに病院の診療時間終わりの時間だった。
救急外来に行くまではないだろうと、ガーゼでとネット包帯で水泡を潰さないようにカバーして、明朝、病院に行くことにした。
次の日の朝。こわごわ手を見ると水泡はつぶれていなかった。
しかし、写真のごとく前日2つだった水泡は、つながって一つの水泡となっていた。
朝、何科の病院に行ったらいいのか、知り合いの内科の先生に相談したら、皮膚科がいいということで皮膚科に行った。
医師は、火傷の状況を見るなり、「これはひどい火傷ですよ。どうしてすぐに病院に行かなかったんですか。」と大きな声を出した。
整然としている私の態度を見て、老人でことの重大さがわかっていないとでも思ったのか、「これは相当ひどいんですよ。わかってるんですか。本当にひどい火傷なんですよ。」と繰り返す。
私としても、今の状況を見ればひどい火傷だということはわかっている。
昨日の夕方には、すぐに病院に行けばよかったと後悔していた。
しかし、昨日の朝、お湯をかぶった瞬間は、ちょっと皮膚が赤く炎症を起こした程度で、どう考えても病院に行くほどではなかった。
お昼過ぎに小さな水泡ができ始めたが、これも病院に行くほどではないと思っていた。
3時くらいには、水泡が大豆大の大きさになってきたが、それも病院に行くほどではないと思えた。
それが夕方にかけて、あれよあれよと水泡が大きくなってきて、これは大変な火傷だったと思った時には、病院の通常の診療時間が過ぎていたのだ。
火傷したのが22日金曜日。病院に行ったのが23日土曜日。
お医者さんは、「今日は土曜だし、来週は病院が正月休みに入るから、満足な治療もできないですよ。昨日のうちに来ればよかったのに。」と、ぶつぶつ言いながら看護師さんに処理を指示した。
「薬を出しますので、朝晩2回傷口を石鹸で、きれいに洗って薬を塗ってください。そして、月曜日にまた見せてください。」という指示を受けた。
次の日曜日。この日の朝は、水泡がつぶれていた。傷口を石鹼で洗うとしみるのではないかと思ったが、さらりと洗って薬を塗った。
言われた通り、朝晩傷口をきれいにして薬をつけた。
そして月曜日、再診。
先生は傷口をみて看護師に指示。薬を塗ってガーゼと包帯。
木曜日から正月休みになるので、水曜日にもう一回診察に来なさいということであった。
お正月休みが終わった4日に再診。
次の診察の予定日は言われなかった
数日分の薬を出してもらっていたので、朝晩患部をきれいに洗って薬をつけて、ガーゼと包帯と絆創膏で傷口をガード。
水泡が破けた内側に、新しい薄い皮膚ができているのがわかる。
年寄りだけど、まだ自然治癒力はあるようだ。
月曜日から包帯をとった。
火傷からの生還。
今週から、心置きなく、新年の仕事に取り組むことになった。
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