13青島太平洋マラソン

2018年11月 2日 (金)

青島太平洋マラソン2018 欠場することに決めた

 今年も青島太平洋マラソンの出場エントリーをしていた。

 迷いながらのエントリーだった。

 無理しないように走っていたが、一向に距離は伸びないし、スピードもあがらない。

 ちょっと距離を伸ばしたり、スピードを上げたりすると、呼吸は苦しくなるし筋肉はきしむ。

 次の日は膝が痛んで、数日痛みがとれない

 週刊誌に、年をとっての運動を警告する記事があった。

 健康のために走り始めた人が、足を傷めて病院通いをする人が少なくないというのだ。

 もともと、無理して走る気はなかったし、青島太平洋マラソンに未練はない。

 それで先月、一旦、今年の青島太平洋マラソンは棄権しようと決めて、マラソ仲間には話をして、ジョギングをやめてウォーキングに切り換えることした。

 そう決めた日、10月27日に、「ビリを貫く100歳のマラソンランナー」という新聞記事を見て、ゆっくり楽しんで走ってみるかと気をとりなおした。

 それで、ゆっくりペースでのジョギングを再開したのだか、走るのが苦痛に感じる。

 なんとも気力がわいてこない。

 ということで、再度、青島太平洋マラソンは欠場することに決めた。

 私のフルマラソン挑戦はこれにて終了。

 健康のため(血圧安定のため)のウォーキングと軽いジョギングは続けることにする。

 

 

2018年10月27日 (土)

青島太平洋マラソン2018 ビリを貫く100歳ランナー

 今年の青島太平洋マラソンまで1カ月余りとなった。

 私はといえば、今になって、やっと10㎞走を始めた。

 この10㎞を、なかなか歩かずに完走することができない。

 今期は出場する気はなかったのだが、甲斐博さんの誘いに乗ってしまって申し込みをした。

 甲斐さんは、大のマラソン好き。

 フルマラソンだけでなく、100㎞のウルトラマラソンやら、山中を駆けめぐるトレイルランやらと、やたら駆け回っている。

 甲斐さんは、実に楽しそうにマラソンの話をする。

 嬉々として語る甲斐さんの話を聞いていて、もう一度だけ走ってみるかと思って申し込みをしてしまった。

 甲斐さんの、「楽しんで走れば良いじゃないですか。年齢とか、記録とか気にしないで楽しめばいいですよ」という言葉に甘えてしまって、今年は、5㎞をちんたらちんたら走ってきただけだった。

 大会の3カ月前から本格的に練習を始めようと思っていたのだが、気がつけば、2カ月を切っていた。

 急遽10㎞走に切り換えてみたのだが、10㎞完走ができない。

 呼吸が苦しくらないようなペースで走っているのだが、6㎞くらいから足が痛くなって歩いてしまう。

 5年前の初出場のときには、計画的に練習した。

 そのときの練習記録は残ってないが、当時のブログをチェックしてみたら、10月16日には15㎞走、21日に21㎞走、11月4日に30㎞走をやっている。

 とてもじゃないが、今からでは初出場当時の以上の走りはできない。

 ということで、今年の青島太平洋マラソンは棄権しようと思った。

 昨日、木村宅地建物の木村さんにあったので、今年は棄権しますと伝えて、棄権の意志は固まった。

 今年は出ない、そう決めていたのだが、やっぱり出ることにした。

 今日は朝から、机の周りにたまってしまった書類の整理をしていた。

 書類の山の中から古い新聞が出てきた。

 別府冷麺の特集記事があって、それを後でしっかり読もうと思ってそのページだけ切り取っていたものだった。

 別府は当地(宮崎県の北端の街・延岡市)の隣町といった距離の街。

 今度行ったときには冷麺の名店を訪ねてみようと思って、記事に目を通した。

 同じページにあった「100歳ランナー ビリ貫く」と言う見出しの記事が目に留まった。

 気になって記事に目をやる。

 記事の書き出しはこうである。「ビリで走って、人を追い越さないように・・・。この言葉を胸に走る100歳のランナーがいる」

 その人は、今年3月に100歳になった中園末夫さん。

 「運動神経は鈍かった」そうだ。

 還暦の記念に、誘われて天草パールマラソンに出場したのがきっかけ。

 初挑戦はパールラインマラソンの10㎞部門。

 翌年は記録を更新し、うれしくて毎年走るようになった。

 70歳で大腸ガンの手術をし、身体を動かす自身も失った。

 そんなとき目に留まったのが、健康マラソン愛好者が集る「熊本走ろう会」の新聞記事。

 自分も走れるだろうかと、会長会の会長の加地正隆さんに相談した。

 耳鼻科の医者の加藤さんは、こんな助言をした。

 「病み上がりだからタイムを競うのではなく、ビリで走って人を追い越さないようにしなさい」

 依頼、30年走り続けているそうだ。

 中園さんは語る。「最後の方だと、応援も多いんですよ」。

 今年の青島太平洋マラソンを棄権しようと決心した次の日に、4カ月くらい前のこんな記事が出てきた。

 これも、何かの縁。 

 甲斐博さんの言うように、楽しんで走ればいいかと思っている。

 (30㎞過ぎを走っているときは楽しめないが)

 

2018年10月12日 (金)

青島太平洋マラソン2108 走らないかもしれない

 エントリーはしたものの、走ろうか、走るまいか、曖昧なまま時間が過ぎて、気がつけば大会まであと2カ月。

 6月くらいからジョギングはしていたが、フルマラソン完走に向けての練習はしてなかった。

 果たして完走できるものやら。

 このところ歩かずに5㎞は走っているが、5㎞走さえ苦痛に感じることがある。

 高齢者の域に入り、週刊誌のお得意様の年齢層である高齢者向けの記事によると、過激な練習は命にかかわるという説が定説になりつつある。

 さもありなんと思って苦しい練習はしないようにしていた。

 このままでは、惨めな結果になるかもしれない。

 昨日、10㎞を走ってみることにした。

 設定目標は、歩かずに10㎞走りきること。

 結果は、走ることはできた。

 時間は、1時間13分弱。

 今から1カ月、走り込みを続ければ完走はできるという自信はついた。

 だけど、今日、足は軽い筋肉痛。

 ことさらに年齢を強調したくはないのだが、4年前とは確実に違ってきている。

 今年の青島太平洋マラソン出場は、まだ不安定である。

 

 

2018年10月10日 (水)

青島太平洋マラソン 間が悪い天気

 夕方から雨模様である。

 青島太平洋マラソンに向けて、走り込みをしておかなくてはいけない時期なのだが、間が悪くて、練習できない日々が続いている。

 走るのは晩御飯の後ということにしているのだが、タイミング悪くちょっとした用事が入ったり、雨が降ったり、降りそうだったり。

 雨の日は練習は休みにしているのだが、雨が降りそうだけど大丈夫だろうと思って練習に出ると、雨が激しくなることがおおい。

 私は相対的にはついているのだが、ちょっとしたことで間が悪い。

 今日は一日曇り空だったが、バイクで出ると雨がぱらぱらと降り出す。

 夜も、練習に出ると雨が降りだすんではないかと思って、今日も練習は休み。

 ということで、練習ができない今年の青島太平洋マラソンである。

 ハー

2018年10月 8日 (月)

青島太平洋マラソン2018 暗雲

 今年の青島太平洋マラソンまで、あと2カ月余りとなった。

 去年、3度目の青島太平洋マラソンを走って、もう2度とフルマラソンは走らないと決めていた。

 マラソンは身体に悪いというのは、走った経験で感じている。

 去年の青島太平洋マラソン後、ピッタリ運動をやめていた。

 今年、血圧を測ってみたら上が160~170という、みごとな高血圧の数値だった。

 すぐに病院の門をくぐるべき数値だが、もう一度食事と運動をやって様子をみて、だめなら病院に行こうと思ってウォーキングを始めた。

 そもそも、青島太平洋マラソンを走ることになったのも血圧を下げるためにジョギングを始めたことからだった。

 しかし近年、激しい運動も身体に悪いというのが定説になっていて、健康のために運動するならウォーキングがいいというのも定説。

 それでウォーキングを始めたのだが、3カ月弱で血圧は改善がみられた。

 そして、ウォーキングでは物足りなくなって、ジョギングを始めた。

 そこに送られてきたのが、青島太平洋マラソンからの招待状。

 過去の参加者には前もってエントリーのお知らせが届く。

 今年のエントリー開始は6月20日だった。

 今年は出ないと決めていたから、私にとっては無用な案内だった.....はずなのだが出場申し込みをしてしまった。

 ここ数年、申し込み開始時間から数十分で募集定員がいっぱいになる。

 知り合いやマラソン仲間の何人からか、「今年も出ましょう」と誘いがかかっていなかったら迷いはなかったのだろうが、もう一度走って有終の美を飾りたい気持ちもわいてきていた。

 後で、出たいなと思っても、出場できない。

 それで、とりあえず申し込みをしてしまった。

 あれから3カ月余り。週に3回くらい、5㎞の軽いジョギングは続けてきた。

 そのうちに、マラソンの練習に切り換えようと思っていたのだが、身体が苦しい練習には向っていかない。

 大会まで、あと2カ月足らずになってしまって、これからどんな練習をしたらいいのか。

 昨日、4年前の初出場の時の練習はどうだったか、4年前のブログで確認してみた。

 4年前は、何十年も運動をしていない状態で、5月から始めて、最初は100メートルも走れなかった。

 それに比べると、今年の方がまだましだろうと思ってブログを見たのだが、4年前は初出場とあって、真摯に練習に取り組んでいたようだ。

 9月からは10㎞走っていた。

 10月には10㎞を58分で走っていた。

 1㎞あたり6分弱のペースだ。

 今、私にとって10㎞を走るのは苦難の技。

 1㎞6分を切ることはできないだろう。

 昨日、試しに1㎞6分を目指して走ってみた。

 ゼーゼーと息をきらして頑張ってみたが、6分30秒を切るのが精一杯だった。

 5㎞でダウン。

  私の最悪の癖。そのうち、そのうちと、先延ばししてしまう癖。

 去年の今頃は、体重が、走り始めたころからすると5kg近く落ちていた。

 今年は、体重はまったく落ちていない。

 後2カ月。

 このままだと、今年の青島太平洋マラソンは、参加費用を払っただけに終るかもしれない。

 

2018年6月21日 (木)

青島太平洋マラソン 出産の痛みは忘れる?②

 6月4日のブログで「出産の痛みは忘れる」ということを書いた。

 出産の苦痛は、想像を絶するものがあって、女性は、出産後に二度と子供は産まないと思うらしいが、時間が経過すると二人目の子供が欲しくなるという。

 マラソンも同じで、30㎞過ぎから足に激痛が走り、もう2度と走らないと思っていたのに、2度目3度目を走ってしまった。

 3度目の去年は、練習不足で、最後の10㎞は、荒行苦行で、激痛をこらえて足を引きずってとぼとぼとゴールした。

 走る前から今回が最後と思っていたし、マラソンは体に悪いと思っているから、2度とマラソンを走ることはないと思っていた。

 今年、年が明けて血圧を計ったら、下の血圧が100を超え、上の血圧が160を超えていた。

 びっくりして、数日血圧を計っていたら、下が110、上が170を超えることがあった。

 血圧本を見ると、すぐに薬を飲むべきだという状態だったが、もう一度食事と運動をやってみで、それでも下がらないときは病院に行こうと思って、ウォーキングを始めた。

 ウォーキングはジョギングと違って、足に負担がかからないので、毎日できる。

 ウォーキングはジョギングより足に負担がからない。

 去年ジョギングをしていたときは、週に3回程度が限度だったが、5㎞程度のウォーキングを週に5~6回やるようにした。

 2月1日から始めたが、1カ月目はほとんど効果がないように見えたが、2カ月目に入ってから少し下がりだし軽度の高血圧の数値になってきた。

 3カ月目には正常の高めの数値になったりするようになった。

 ウォーキングは早足で歩くようにしていたのだが、歩くのがまだろっこしくて、5月から、ウォーキングにジョギングを交えながらのウォーキングになっていた。

 そんな矢先に、6月4日に、青島太平洋マラソンからの案内状が届いた。

 そのときの思いが6月4日のブログ。

 昨日が、青島太平洋マラソンの申し込み開始日。

 果たして、

 青島太平洋マラソンの申し込みをしてしまった。

 参加費8500円。

 出場しないと無駄になるから迷っていたのだが、家内から「飲みに行って無駄金を使うこともあるのだから、申し込みだけしておけばいいじゃない」という言葉が後押しになった。

 無理して走ることはないなと思ったり、どうせ出場するなら過去の記録を破って有終の美を飾って引退するぞと思ったりしている。

2018年6月 4日 (月)

青島太平洋マラソン 出産の痛みは忘れる?

 今日、青島太平洋マラソンの案内状が届いた。

 去年の参加者に、今年のエントリー開始を知らせる案内状だ。

 今年のエントリー開始は6月20日、夜8時からとなっている。

 マラソンのようなハードな運動は体に悪いというのが定説になっているから、私は、もうマラソンはやめると決めていた。

 封筒に入っているパンフレットごと資源ゴミ置き場に入れようと思ったのだが、ちょっと中を見てみた。

 わずかではあるが、もう一度だけ走ってみようかなという気持ちもする。

 2月から、薬に頼らずに血圧を下げるべくウォーキングを始めている。

 早足のウォーキングで、最近は軽いジョギングも混ざっている。

 私は、都合3回青島太平洋マラソンを走った。

 初参加は6カ月余りの練習で、5時間を切って完走した。

 2年後、周りに誘われて2度目の参加。

 完走はしたが5時間半の記録。

 それに納得がいかず、去年3度目の参加。

 初参加の記録を更新して有終の美を飾って引退?という計画で練習にはげんだが、結果は5時間35分。

 20㎞過ぎから足がつって、ほとんど歩きの惨憺たる結果。

 有終の美とはいかず心残りは合ったが、身をもってマラソンは体に悪いと感じて、二度とマラソンはしないと決めた。

 今年2月から、薬に頼らずに血圧を下げようとウォーキングを始めたが、ランニングは体に悪いから走ることはしなかった。

 しかし6月に入り、青島太平洋マラソンのエントリーが気になりだした。

 去年のエントリー開始が6月だった。

 エントリー開始の日に受け付け終了になる。

 実は、3度の出場の完走証を事務所に張りつけている。

 結構めだつようで、来客から「マラソンを走るんですか」と聞かれることが少なくない。

 そんなとき、初マラソンを走ったいきさつを話し、そして2度目3度目を走った経緯を話す。

 初マラソンの記録は自慢なのだが、走るたびに記録が落ちて、3度目の記録5時間55分は自慢にならない。

 6時間というのは、いかにも、よれよれになって、やっとのことで完走しただけという記録だ。

 2月からウォーキングを始めて、目的の血圧は、中度の高血圧の数値が高めの正常値程度までは改善してきた。

 5㎞の歩きになれてしまって、少々物足りなくなって、ウォーキングに軽いジョギングを混ぜた歩きになっていた。

 マラソンは出産と似ているのかもしれない。

 出産したあと二度と子供は産みたくない思っていた人が、しばらくすると二人目の子供が欲しいなと思うという話しを聞く。

 マラソンも、それに似ているのかもしれない。

 ウォーキングを始めて2カ月目くらいから、もう一度だけ走って、有終の美で終ったらどうだろうという気持ちがときどき頭をかすめていたのだ。

 そこに今日の案内状。

 うーーむ。6月20日はどうしようかなと迷いを感じた今日の出来事であった。

2017年12月12日 (火)

悪徳不動産日記 青島太平洋マラソン2017 番外編  JRの利用者無視の体質か?

 昨日は、フルマラソンを走った後遺症で体中がきしんでいた。

 足には激痛が走り、歩くのもままならなかった。

 4年前、去年、今年と3度目のマラソン。

 初マラソンが一番練習期間が短かったが、4時間台での完走。

 2回目の去年は、今年と、続けて記録は落ちた。

 寄る年波で体力が落ちているのだと、年を素直に受け取っていた。

 しかし、今朝、目覚めて布団から抜け出し、体を動かしても痛みが少ない。

 階段も、筋肉痛は残っているが、両足交互に踏み出して降りることができる。

 4年前は、大会後3日目までは、まともに歩けなかった。

 42㎞を体が記憶しているのかもしれない。

 というところで、青島太平洋マラソンに関連して、JRの利用者のことを考えていない対応について一言申し上げたい。

  余談だが、そもそも私は日本旅客鉄道がJRと呼称するのも気に入らない。

  日本郵便はJP、日本たばこはJT、農協はJA。

 安倍総理はじめ国粋主義者の方々は、これをいかがお考えなのだろうか。

 日本の国粋主義者の覇権争いの先は、東南アジアには向うが、欧米には追従するという潜在意識を露呈しているようでならない。

 ところで、今日話題にするJR九州の正式な社名は九州旅客鉄道である。

 JR九州という呼称をやめろとはいわないが、九鉄という呼称もいいではないか。

 話しを本題に戻して、私が経験した、一昨日の青島太平洋マラソンにおけるJR九州の職員さんの対応について問題提起と改善提案をひとつ。

 まずは、一昨日のブログに書いた出来事。

 それはこんな内容だった。

 一角日、私の勘違いで列車をひとつ乗り遅れた。

 5時15分の電車に乗らなくてはいけなかったのに、5時33分の電車だと勘違いしていた。

 去年、甲斐博さんといっしょに行ったのは5時15分初の電車だった。

 この電車で宮崎駅に着いたら、待機している日南線の電車がすぐに出発というスケジュールだった。

 都会と違って、当地・宮崎県では、通勤時間帯でも電車は1時間2、3本しか走っていない。

 5時33分の電車に乗ると宮崎駅着は7時4分。

 マラソンの受付締め切り時間は、8時。

 宮崎駅からマラソン会場の最寄り駅の木花駅までの所要時間は15分。

 7時4分到着で、すぐに乗換電車があれば間に合う。

 それで私は、駅員さんに聞いた。

 「今日、青島太平洋マラソンに出る予定だったのですが、去年はひとつ前の電車で行ったからゆっくりまにあったんですけど、5時33分の電車で行って乗り換えで行くと、木花駅着は何時になりますか?」

 その答えは、「8時8分ですね」であった。

 木花駅から会場まで10分はかかる。

 アウト。

 それであきらめて帰りかけたのだが、私が駅を出ようとしたときに、駅に駆け込んできた女性がいた。

 その女性がマラソンに出るような雰囲気だったので、たずねてみたら思った通り青島太平洋マラソンに出場するとのことであった。

 それで、私もあわてて切符を買って、彼女らの後を追いかけるように、出発待機をしていた電車に飛び乗った。

 電車内には、いかにもマラソンに出そうな人が10人以上はいた。

 近くの席の人に声をかけたら、やはり青島太平洋マラソンに出るという。

 宮崎駅からマラソン会場まで臨時バスが出ていて、充分間に合うとのことだった。

 青島太平洋マラソンは、年々人気があがり、県内外から申込みが殺到し、今年は申込み開始からわずか数十分でフルマラソン9000人の定員がいっぱいになってしまった。

 全レースの参加者は1万2千人。

 その半数近くは県外からの参加者。

 大会前日の宿初施設は、どこも満室状況。

 大会がもたらす経済効果はいかばかりか。

 県知事みずからテレビCMに出演。

 大会申込の数カ月前から大会参加のCM。

 大会申込み締め切りのあとからは、運営ボランティアのよびかけのCMを流している。

 駅員さんは、こんな大きなイベントの開催をご存じないのだろうか。

 一昨日、駅に駆け込んできた女性に出会わなければ、私は大会参加を断念していた。

 大会申し込み当日、申し込み受付開始15分前からパソコンの前に座り、インターネットの申し込みサイトを立ち上げて待機し、受付開始と同時にインターネットの申し込みボタンをクリックしたけど、申し込みが殺到していてつながったのは6分後。

 参加料8500円の支払いも済ませていたけど、それも水の泡。

 乗り継ぎを調べてもらった駅員さんにも、その事情は重々説明したのに、バス便に乗り換えれば間に合うなんて情報はもらえなかった。

 しかしこのときは、JRの通常業務とは関係ないことだろうから、駅員さんを責める気持ちにはならなくて、女性二人に出会った幸運に感謝した。

 果たして、宮崎駅に到着。

 私の席の近くに座っていた人の後をついていけばいいと思っていたのだが、その方はトイレの方に行ってしまった。

 それで、改札でお客さんを誘導していた駅員さんに、「マラソン会場に行くためのバス停はどちらになりますか?」と聞いてみた。

 東口から出た方がいいのか、西口から出た方がいいのかという程度のことを確認するつもりの質問であった。

 その質問に対する駅員さんの答えに、私は仰天した。

 「(私は鉄道員だから)バスのことはわからないですよね」と言うのだ。

 宮崎市には、県外からのお客さんが5000人以上は来ているはず。

 県外からマラソンに出るために宮崎にきてくれているお客さんに、こんな応対をしているのだろうか。

 駅員は、電車に乗るお客さんの応対で手がいっぱいだよといわんばかりの態度。

 私は、いっしゅん途方にくれそうになったが、まわりを見回してマラソンに出そうな人を探した。

 何人かそれらしい人がバッグを抱えて、早足で出口に向っている。

 その人の後を追いかける。

 駅をでると、すぐのところに人のスポーツバッグを抱えた人の行列があった。

 誘導員の方がマイクで案内していた。

 どうやら、臨時バスが10分おきに出ているようだ。

 バス乗り場は、宮崎駅西口を出た目の前。

 おそらく6時前からバスが動き、そのバスに乗り換える乗降客が駅構内を行き交っていたはずだ。

 それなのに、あの駅員は、バスのことなどまったく気がつかなかったのだろうか。

 県外からのお客さんが5000人以上。

 それらお客さんの旅費、宿泊費、飲食代だけでも経済効果は数億円になるはずだ。

 旅行客の足を担うJRも、その恩恵を授かっている代表的な業種のはずだ。

 青島太平洋マラソンは、見返りを求めないボランティアの力に支えられて大きく育ってきた。

 それなのに、直接的にその恩恵を授かっている交通機関であるJRの職員の無関心さには怒りを感じた。

 宮崎は観光を地域活性化の重要な柱のひとつとして、観光客の誘致に頭をひねっている。

 だが、県内に多くの観光名所があっても、残念ながら公共交通機関が整っていない。

 公共交通というハードを整備するのには莫大な費用と時間がかかるが、お客さんのおもてなしというソフトを整えるのにはお金も時間もかからない。

 ひとりJRだけのことではなく、県民こぞって来訪客への親切な対応を心がけたいものだ。

 これは、日頃悪徳不動産を標榜して、愛想の悪い私への自戒を込めた提案でもある。

 

2017年12月11日 (月)

青島太平洋マラソン 最後のマラソンはボロボロ

 私の、最後のフルマラソンはボロボロだった

 昨日、会場に向う電車の中で書いたブログのとおり、出だしからつまずいた。

 会場に到着して受付をすませたのは締め切り5分前。

 更衣室に向っていると、開会式のアナウンスが流れてきた。

 早々に着替えを済ませ手荷物を預けて外に出ると、開会式は終わり、選手はスタートの場所に集合を始めていた。

 ランニング用のウォークマンをバッグの中に忘れてきたのに気がついたが、取りに戻る時間はない。

 スタート2時間前の電車の中で食べるつもりでおにぎりを用意していたのだが、それも食べ忘れていた。

 気がついてしまうと、心なしか空腹感を感じる。

 出発の電車から間違ってしまって、なんとかなったと思っていたら、またしても忘れ物。

 まあ、いいさ、これくらいは。大勢に影響は無い。ぎりぎりに到着したせいで、スタートまでの待ち時間は短くてよかったと、前向きに考える。

 「スタート5分前」スタートまでのカウントダウンが始まった。

 ウエストポーチからスマートフォンを取り出し、ランニングアプリ起動させる。

 1㎞ごとに通過を音で報せてくれて、ラップタイムと累計タイムを表示してくれる、使い勝手のいいアプリだ。

 練習では、このアプリで毎回記録をとりながら走ってきた。

 ところが、ここでまたしてもトラブル発生。
 
 今まで具合が悪くなったことのなかったアプリが起動しないのだ。

 何度やっても起動しない。

 スマートフォンを再起動してみたが、やっぱり起動しない。

 GPSと連動しているので、GPSを確認したがGPSは正常に動いている。

 これは困ったことになった。

 あれこれやってみたが起動しない。

 そうこうしているうちにスタートの合図。

 4000番目くらいのスタート位置にいたので、スタート合図から2~3分してじわじわとスタート。

 スポーツタイプの腕時計をストップウォッチモードにしてスタートした。

 腕時計は操作が複雑すぎて使いこなせないので、アプリをスタンバイの状態にして、人の流れに乗って走り出した。

 走り出してからも、何度もスマートフォンをウエスとポーチから取り出し確認するが、やっぱりアプリは動かない。

 何度も取り出していたら、非常用で入れていた小銭をばらまいてしまったという、おまけ付き。

 音で、500円玉と100円玉数枚だとわかったが、スタートして余り時間が経ってなくて、混雑の中で走っている状態で拾うことなど出来やしない。

 なんだかんだと小さいトラブルはあったが、とにかくスタートした。

 1週間前から風邪をひいて、まだ少し咳も出るので心配だったけど、走り出してみると調子は悪くない。

 1週間練習を休んだせいで、疲労がとれたのかもしれない。

 ストップウォッチでの1㎞のタイムは予定より少し早い。

 ストップウォッチでのラップタイムの測り方はわからないので、㎞表示後とのタイムを記憶していて、頭の中でラップタイムを計算しながら走っていたが、5㎞を過ぎたときもラップが少し早いような気がした。

 それから先は計算が複雑になって計算できなくなったが、やはりちょっとペースがちょっと早いような気がした。

 今日の目標は、歩かないでゴールすること。

 初マラソンのときに比べてスピードが遅くなっているので、歩かないことを目標に定めた。

 果たして20㎞。

 ストップウォッチを確認すると、2時間7分台。

 初マラソンのときの20㎞のタイムは2時間10分ちょっとだったはず。

 それより3分も早い。

 直前の1週間、練習ができなかったことが、疲労がとれていい結果になったのかもしれない。

 多少スピードを落として、このまま歩かずにゴールできたら記録更新は間違いない。

 新記録で有終の美をかざれるかもしれない。

 風邪をひいたことが、怪我の功名になるかもしれないなんて、うれしい想像をしながら走っていた。

 ところが、20㎞地点を過ぎて上り坂になる橘橋の途中くらいから、ふくらはぎに違和感を感じる。

 去年は、15㎞過ぎから足に違和感を感じだして、20㎞過ぎから足がつりだした。

 あのときの感覚なのだ。

 去年は練習不足で、退会前の練習中にも何度か足がつった。

 今年は、10月11月は130㎞くらいは走って、足がつったことなどなかった。

 足がつるなどという不安はなかった。

 それで、今年は歩かずにゴールすることを目標にしていた。

 去年のような状態になったら、とても走りきることはできない。

 それで少しペースを落として様子をみることにした。

 なんとなく違和感が和らいだような気がしてきた。

 なんとかこのままいけたらいいなと思いながら走っていたのだが、橋を登り切ったあたりで、ついに足がつり始めた。

 スピードを落としてなんとか乗り切ろうとしたが、激痛で走れなくなってしまった。

 平坦コースといわれる青島太平洋マラソンの中で、一番の急勾配が、ここ橘橋なのだ。
 疲れが出始める20㎞過ぎでの上り坂が大きな関門になっているのかもしれない。

 路肩に寄って、ストレッチをして痙攣をおさめ、気を取り直してこわごわと走り出した。

 なんとか走れそうだ。

 そう思って走っていたが、またしても違和感。

 これ以上ひどくならないように、さらにスピードを落とす。

 足の様子をみながらの走り。

 しかし、それも長くは続かなかった。

 また足がつってしまった。

 痛くて走れない。

 路肩によってストレッチしては走るということの繰り返し。

 今日になってコースの案内図を確認してみたら、23㎞地点から、ごくゆるやかではあるが長い上り坂が続くのだ。

 2㎞メートルで20mの勾配差というごくゆるやかな坂で、走っているときは気がつかなかったのだが、後半に入いっての上り坂なので、私のような走り込みの足りない者にとっての大きな障害になっていたのかもしれない。

 とにかく、25㎞過ぎからは200mから300m走ると、足が痙攣。

 休んでストレッチして、走り出すと、また痙攣。

 その繰り返しだった。

 30㎞からは、走っているよりも、立ち止まったり歩いたりする時間の方が多かった。
 とにかく足が痛くて、泣きたい気持ちになって、心が折れそうだった。

 それを救ってくれたのは、沿道の声援。

 逃げ出そうと思うこともあったのだけど、とぎれない声援が背中を押してくれた。

 高校生のボランティアグループが、励ましのハイタッチの手を差し出している横を通るときには、力を振り絞ってハイタッチを受けながら走った。

 最後の5㎞は、それもできなくなってしまって、足を引きずりながらのゴールイン。

 結果は、5時間33分50秒。

 明らかな練習不足だった去年より悪いタイム。

 なんとか完走したが、完走というより完歩とでも言うべき記録だった。
 
 ともあれ、今回で私の青島太平洋マラソンは終了。

 青島太平洋マラソンは多くのボランティアに支えられて、日本に誇れるいい大会だと思う。

 青島太平洋マラソンがいつまでも続いていくことを願いつつ、私の青島太平洋マラソンは終った。

2017年12月10日 (日)

青島太平洋マラソン2017 受付時間に間に合わない!

 4時20分起床。

 

 念のために5分おきにアラームをセットしておいたのだが1発目のアラームで起床。

 

 いよいよ今日が青島太平洋マラソン。

 

 トイレをすませ、身仕度を整える。

 

 そして、昨日買っておいた、おにぎりで腹ごしらえ。

 

 用意しておいた手荷物を点検。

 

 準備万端おこたりなし。

 

 電車の時間にあわせてそろそろ家を出ようとしていたその時に、甲斐博さんから電話の着信。

 

 心配してくれてるのかと、感謝しつつ電話に出る。

 

 すると「赤池さん、電車に乗ってます?」と言うではないか。

 

 私が乗る予定にしてたのは5時33分の普通電車。

 

 その一つ前に5時15分の特急が甲斐さんの言っていた電車だったのだという。

 

 去年もその電車で行ったのだが、一本後の電車だと勘違いしていた。

 

 宮崎駅着が40分くらい違う。

 

 マラソンの受付締切時間は8時。

 

 間に合うだろうかと思いつつ延岡駅に行く。

 

 マラソンの会場の最寄り駅までは宮崎駅から乗り継ぎで行かなくてはならない。

 

 駅員さんに電車の乗り継ぎ時間を聞くと、最寄り駅着は8時55分とのこと。

 

 悲しいかな、間に合わない。

 

 多少なりとも練習してきたから、ちょっと心残りではあったが、まだ少し咳が出てるし、出るなということだとあきらめることにした。

 

 とぼとぼと駅から出ようとしたとき、スポーツバッグを背負った二人組の女性が駅に走り込んできた。

 

 スポーツウエアを着ている。

 

 見ると、あわただしく自動券売機で切符を買っている。

 

 間に合う方法があるのだろうか?

 

 意を決して「青島太平洋マラソンに出るんですか?」と聞いてみた。

 

 やはり、出るのだという。

 

 女性たちは切符を買ってあわただしく改札に向かう。

 

 私も、切符を買って後に続いた。

 

 ホームに待機していた電車に乗り込むと、マラソンを走るんだろうなと思われる人がを何人か乗車していた。

 

 近くの席の人に聞いてみると、やはり青島太平洋マラソンに出るのだという。

 

 この電車で間に合うんですか?と聞くと、宮崎駅から会場まで臨時バスが出ているので間に合うらしい。

 

 ということで、今、電車の中です。  

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